終章 これから

第29話 これから


 短い夢を見たような気がした。だがその内容を思い出すことができなかった。ただ単純に、自分が眠りから覚めたということだけを認識する。


 ゆっくりと目を開ける。忍び込んできた光が非常に眩しい。しかしその眩しさに一瞬で慣れてしまい、すぐさま目の前の光景を視認する。天井が見え、明るい照明が部屋の中を照らしていた。そこでようやく自身が横になっていることを知る。


「気がついた?」


 不意に横から少女の声が聞こえた。その聞き覚えのある声に反応し、頭を傾けて声の方を見やる。


「よかった。翔太、具合はどう?」


 目の前の少女、絵真は心配そうな視線を投げかけているが、表情自体はどことなく安堵しているようである。


「……ここは? ここは、どこなんだ?」


 絵真に具合を尋ねられた翔太であるが、目覚めたばかりであるため、自身の体調のことを把握しておらず、答えることができなかった。その代わりに、現在自分が何処にいるのかを尋ねる。


「ここは、居住区の病院だよ」


 絵真は優しい声色で答えた。その答えを聞き、翔太は視線を動かして周囲を見渡す。自分は今白いベッドの上で横になっており、天井にはベッドを囲むようにカーテンレールが吊り下がっていた。白い壁紙の部屋の中には余計なものが一切なく、どことなく空虚感が漂っている。ベッドの上から見える窓には蒼穹が広がっており、その外の世界の日差しが強いことから、現在は昼間であることが窺えた。


「居住区……横浜の?」


「そうだよ。全くもう、無茶するんだから」


 翔太は段々と意識を失う前の出来事を思い出してきた。核融合発電の停止により電力の供給を失った横浜エリアを助けるため、翔太は忠司と共に製作した電源車に乗り込み、夜の悪天候の中を疾走したのであった。そのことを思い出したことにより、横浜がどうなったのかを確認したい衝動に駆られたが、残念ながら身体はそれについていけず、ベッドに身を預けながら短く尋ねる程度しかできなかった。


 しかし絵真は微笑みながら答えてくれた。


「そうか、横浜の。そうすると、助かったのだな」


 現在が昼間であることと、部屋の中の照明が点灯していること、そして心地よい室温から、問題なく電気が送られていることを察する。


「うん。翔太が乗ってきた電源車のおかげだよ」


「そうか。俺のやったことは、役に立ったのだな」


 そして翔太はゆっくりと上体を起こし、絵真から今の横浜の状況を聞いた。聞くところによると、停電が発生した際、即座に管理公社が住民を誘導して一箇所に集め、その空間にだけ予備電源の電気を使用したらしい。複数の箇所にいるより一箇所に固まった方が、余分な照明や空調をオフにすることができるので、節電になるとのことである。それは功を奏し、残された僅かな電気の消費を抑えられたという。


 しかし、それでも一日持つかどうかが不安だったらしい。そこに池袋から電源車が向かっている知らせを受け、管理公社は迎えを出したとのこと。首都高速道路にて立ち往生していた電源車を無事回収し、横浜に戻って来たのだ。電源車が横浜エリアに到着したことにより、横浜の居住区は、あと数日程度はその機能を維持できるとのことらしい。


「うん。翔太がこの街を救ってくれたの。街の皆が無事でいられたのは、全て翔太のおかげ。翔太、ありがとう」


 そして絵真は満面の笑みを浮かべて翔太に礼を言った。絵真を見つめていた翔太は、不意に脳内で別れの前夜に見た絵真の笑顔と今の笑顔が重なった。あのとき、絵真の笑顔が自身の中で燻り続けたことにより、最悪の事態が発生したときに絵真の住む街を守りたいと思うようになったのだ。


 決意を固める切っ掛けとなった笑顔と、決意を果たしたあとに見た笑顔。その二つが重なったことにより、翔太は自分の感情を抑えることができなくなった。溢れ出す感情は、雫となって翔太の頬を伝って落ちてくる。


「あれ?」


 翔太は自分が泣いていることに気がつく。目の前の絵真にみっともない姿を晒さないように袖で涙を拭うが、涙は間欠泉の如く止まることなく出てくる。


「翔太?」


「いや、違う、これは……」


 突然泣き出した翔太にどう接していいのかわかりかねた絵真は、キョトンとした表情で涙を隠そうとして俯いた翔太の顔を覗き込んだ。


 しかし、絵真はすぐさま微笑し、そして自身が座る椅子から立ち上がった。


「いいよ、泣いても。今ここにはわたしと翔太しかいないし」


 そして絵真はベッドに乗り出し、翔太を抱きしめた。包帯を巻いた頭を気遣いながら、絵真は翔太の頭を撫でる。


 翔太はもう感情を抑えることを諦めた。そのことにより、翔太は絵真の腕の中で滂沱の涙を流した。


 翔太が泣き止むまで、二人はベッドの上で抱きしめ合っていた。


「落ち着いた?」


 そして翔太が泣き止んだことを確認してから、絵真は翔太から身体を離した。


「ああ。ありがとう。大分落ち着いた」


 みっともない姿を見せてしまったことに羞恥心を覚えながら、翔太は素直に感謝した。


「なあ、これからこの街はどうなるのかな?」


 落ち着きを取り戻した翔太は、突如湧いて出てきた疑問を口にする。停電後の横浜エリアは放棄されることは情報として知っていたが、実際に停電が発生した場合の事後対応のことは詳しく知らされていなかった。ましては停電後に電源車を運転している最中は、そんなことを考える余裕もなかった。


「今日の夕方から、住民は管理公社の車で一端六本木エリアに移動するみたい。二日三日ぐらいで全住民移動して、その後六本木エリアで避難生活を送るんだって。それで、各エリアの居住区の受け入れ態勢が整ったところで、順次各エリアに移住する段取りらしい」


 どうやら避難計画はあったようだ。しかし話を聞く限り、全住人を避難させるにはどうしても数日かかるらしい。その避難計画の問題点は、居住区の予備電源の都合上、全住人を避難させるのは難しいということだった。だがその問題点は、翔太が電源車に乗ってここまで来たことにより解決したという。


 停電の知らせを受けたとき、翔太はあまりにも突然の出来事に茫然自失となり、絵真と絵真の暮らす街を助けることしか考えられなくなった。そして無我夢中で夜を迎えようとしている外に飛び出していったが、それはどうやら正しい選択であったようで、その行動によって多くの人が救われた。翔太は内心、自分の行動が報われたことに安堵した。


「それでね、避難者に住みたい街の希望をとって、それを管理公社が調整してくれるらしいの。でね、わたしは、翔太の暮らす池袋を希望することにしたよ」


「え? それじゃあ……」


 絵真の言うことを翔太が理解する前に、


「うん。これからずっと翔太と一緒だよ」


 絵真は今まで見せてきた中で一番眩しい笑顔を浮かべてそれを伝えた。


 一瞬、翔太は絵真の言うことに呆気にとられたが、すぐさまその意味を理解した。そのことによって訪れる未来のことを想像すると、嬉しさが溢れ出し自然と微笑んでしまう。


「そうか。それじゃあ、これからよろしくな」


 翔太はその微笑みを絵真に向けた。


「うん。よろしくね」


 そして絵真はそれに頷いた。


「あ、そうだ。危機から脱した記念に一枚どう?」


 絵真は思い出したかのように突然言い出し、ポシェットのように肩から下げていたデジタルカメラを手に取った。銀と黒の筐体でオールドタイプを模したそれは、手頃なサイズで小さな絵真の手でも負担が少ないものである。


「いいけど、俺動けないよ」


「いいよ。わたしが動くから」


 絵真はベッドの上で上体を起こしている翔太の隣に無理矢理身体を押し込む。矮躯な絵真であるため、狭いベッドの上でもそれほど窮屈さは感じられなかった。


「それじゃあ、撮るよ」


 そして翔太と絵真は互いの頬が触れ合いそうになるほど顔を近づけ、掲げたカメラのレンズを覗き込む。


 一ヶ月前、別れの前夜に自撮りでツーショットを撮った際、翔太は名状し難い感情に翻弄されて狼狽えるだけであった。しかし今はその感情に翻弄されることなく、冷静さを保っていられた。それは絵真が抱く気持ちの一端に触れた故であった。


 ピントを合わせる電子音が鳴り、乾いたシャッター音が響き渡る。


 発展した科学によって作り上げられた気象制御システム。〝アマテラス〟と呼ばれた日本のそれが暴走事故を起こしたのを切っ掛けに世界は崩壊した。事故後十年の歳月が経過した現在も、人々は崩壊した世界で暮らし続けている。予測のできない事象と日々向き合いながら、力強く生きている。そんな世界の中、少年と少女は、日常の一瞬を切り取って生きた証をこの世に残す。


 ただ、その改めて撮ったツーショット写真は、手ブレによって何が写っているのかがまるでわからないものとなり、せっかくの記念の写真が台無しになってしまったことは、二人にとって予想不能の出来事であった。



〈了〉


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寒暖のアマテラス 杉浦 遊季 @yuki_sugiura

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