第28話 吹雪の中


 二トントラックの荷台に詰め込められるだけ詰め込んだリチウムイオンバッテリー。それにより、このトラック自体が大容量蓄電池と化していた。その電力は膨大であり、街の予備電源になり得るかもしれなかった。試運転なしのぶっつけ本番ではあるが、そこは忠司の技量を信じるしかない。


 核融合発電が停止し小水力発電も不十分である横浜に電源車を運んだところで、根本的な解決にはならない。精々横浜の予備電源の足しにする程度である。しかし時間稼ぎにはなる。のちに横浜エリアの人々を救助するにしても、時間はあればあるに越したことはない。


 だがそれらのことは、翔太が横浜に無事到着してからの話である。目下最大の問題は、いかにして安全に横浜まで行くかである。


 ――思うようにスピードが出ない!


 夕方の時間が残り十分少々のところで翔太は池袋を発った。その比較的気温と気候が安定している夕方の時間のうちに行けるところまで行きたいのだが、電源車の加速は鈍い。


 ――車体が重すぎる……。


 スピードが出ない一番の理由は、単純に車体が重いからである。荷台に大量のバッテリーを詰め込んだので、重量が増えるのは当たり前であった。そして重たければそれだけ運ぶのに力がいるのである。東池袋出入り口から首都高速5号池袋線に入りしばらく走行していたが、翔太は電源車の運転に苦戦を強いられていた。


 フロントガラスからは、燃えるような茜色から寒々しい紺色に変化していく空の様子が窺える。そしてそれに伴い灰色の雲が増していく。日没は目前。まもなく夜が訪れ、雪が降り出すことを予感させる。その眼前の景色が、翔太を焦らせ追い詰めていく。


 ――もっと。もっと速く!


 普通に高速道路を走行するのであれば、既に十分な速度が出ている。しかし今は非常時である。夜が深まれば深まるほど雪は強まり、やがて吹雪となる。時間が経過すれば走行は困難となり、最悪の場合立ち往生してしまう。それを避けるため、一秒でも早く横浜に到着しなければならない。そしてそのためには、速度を上げなければならないのだ。


 自然とアクセルペダルを踏み込む足に力が入ってしまう。車は加速していき、車体が不安定になっていく。しかししがみつくようにして握っているハンドルを操作してそれを制御する。景色は高速で流れていき、無数のビルを後方へ置き去りにしていく。


 程なくして、翔太の運転する電源車は首都高速都心環状線に入る。翔太はダッシュボードに取り付けてある時計を見やる。出発時からの時間経過は約五分。通常よりやや早いくらいのペースであった。


 目の前には立ちはだかるような高層ビル群が姿を現す。この高層ビルの向こう側は丸の内エリアである。


 ――懐かしいな。この道は絵真と通った。


 翔太は一ヶ月前の出来事を思い出していた。SDカードを読み込む機器を探すため、絵真と向かった丸の内エリア。あのときの絵真は、ただジッと流れゆく東京の街並みを眺めていた。その横顔を、翔太は鮮明に覚えていた。


 都心環状線を少し進むと、途中首都高速八重洲線に入る分岐に差し掛かる。前に絵真と一緒にこの道を走ったとき、ここは管理公社の車両で通行止めになっていた。しかし今はもう通行を妨げるものはない。しかし目的地は丸の内エリアではないので、翔太はそのまま分岐を素通りした。


 あのとき、通行止めをしていた管理公社の車両は、翔太たちの車が通過したのを見計らって追跡を始めた。それに真っ先に気がついたのは絵真だった。そしてそれに怯える絵真の表情は今でもはっきりと覚えている。そしてその後、それまで見てきた絵真の姿をいくつも思い出したことで、管理公社からの逃走を決意したことも覚えている。


 道なりに進むと、再び分岐に差し掛かる。分岐の先は細い急カーブになっており、その先には都心環状線の直線道路がずっと伸びている。前回はこのカーブをドリフト走法で通過するという荒技をやったが、今回は身軽なセダンではなく重量のある二トントラックである。ぎっしりとバッテリーを詰め込んだこの車体でドリフトを成功させる自信がなかった翔太は、カーブを曲がり切るため減速――それでも十分スピードは出ている――し、確実にカーブを曲がる。


 カーブを曲がり終え、翔太は再度速度を上げる。前はこの場所に管理公社のバリケードがあり、それを明美の運転するSUVで蹴散らして通過した。現在は、その痕跡は跡形もなく片付けられており、当時の逃走劇を思い起こさせるものは一つも残っていなかった。


 あのときの絵真は、満身創痍であるかのようにグッタリとしていた。しかし翔太の視線に気がついた絵真は、勢いによって乱れた髪を直すこともせずに見つめ返し、安堵の表情を浮かべた。そして二人揃って張り詰めていた気を弛緩させたことにより、お互いの距離がグッと縮まった。あの瞬間、心と心が通じ合ったような気がした。


 ――絵真。


 しかし今は、隣に絵真はいない。そして最悪の場合、もう二度と絵真が隣に座ることはないのかもしれない。翔太はそうなることを心底恐れた。目的地はどこでもいいから、もう一度隣に絵真を乗せて車を走らせたい。そんな衝動が翔太の中を駆け回った。


 ――必ず、横浜に到着してみせる!


 絵真との思い出により、翔太は気合を入れ直した。


 前回罠を仕掛けられた箇所を難なく通過する。するとまもなく首都高速1号羽田線と交わる浜崎橋ジャンクションに差し掛かる。以前はこの場所から川に飛び込み、近くの廃ホテルで一日を過ごしたのであった。あの夜に感じた絵真の温もりは、未だに肌が覚えている。


 湾岸部に近づいたため、浜崎橋ジャンクションからかすかに東京湾の海を見ることができた。


 しかしその海は、闇に包まれていた。海だけではなく、空も紺色が深まっており、漆黒に近づいていた。


 翔太は絵真との思い出に没頭していたため、不覚にも周囲が暗くなっていることを気にとめていなかった。翔太は思い出したかのように慌ててヘッドライトをつけた。


 日が落ち、夜の時間が到来する。比較的安定した気温と気候は終わりを告げ、これからは雪が強まっていく。


 浜崎橋ジャンクションを通過し、1号羽田線を進む。すると変化はすぐに訪れた。最初は雨であったが、次第にその勢いは弱くなり、空から降ってくる粒は空気中に漂うように舞い始める。降り出した雨はすぐに雪へと変わったのだ。そしてそれに便乗するかのように、窓に打ち付けられる風が力を増していく。


 ――思ったよりも早く降り始めたな。


 翔太は目の前の光景に歯噛みしながら、フロントガラスに吹き付けられる雪を除けるためワイパーを動かす。ワイパーが動くたびに視界がよくなるのだが、次に瞬間には再び雪が吹き付けられ視界が悪くなる。そして再びワイパーによって視界が回復する。雪が降り始めてからずっとこの繰り返しである。


 ヘッドライトは白くなっていく路面を照らし出す。街灯が機能していなく、光源がヘッドライトしかないため、道の先を見通すことが不可能であった。ただ闇の中を疾走する。そのことが予想上に不安であり、怖くもあった。


 己の気持ちを落ち着かせるため、翔太は大きく深呼吸する。完全密閉されている車内であるが、その吸い込んだ空気はなんとなく冷たかった。そして吐き出した息はにわかに白くなっている。幾度となく深呼吸を繰り返すが、目の前の雪景色を眺めていると緊張が際限なしに増していき、気持ちが落ち着くことはなかった。


 寒いはずなのに、身体からは何故か汗が吹き出てきて、翔太の肌を伝っていく。手汗によってハンドルが滑らないよう、自身の衣服で汗を拭うが、汗が止まる気配はまるでなかった。


 サイドミラーを見やれば、タイヤの跡が尾を引いている。しかし処女雪に跡を残したところで、感慨を得ることはない。強いて言えば、自分が果てしない雪道をちゃんと走行している確認がとれる程度であった。ちゃんと前へ進んでいる。そのことがこの白い闇の中においても冷静さを失わずに済んだ要因であった。


 天候は刻々と悪化していき、次第に横殴りの風に変わる。電源車は風に煽られ、まるで見えない手によって押さえ込まれているかのように速度が落ちていく。この天候で思うように進まない。そのことが非常に歯がゆかった。そしてそれと同時に、翔太は改めて天候の悪化による危険性を再認識した。


 ――まずいな。スピードが出ない。


 今までのように進まないのは、なにも風だけのせいではない。急速に積もった雪によりタイヤが埋もれてしまっている。日没後の暗闇に吹きすさぶ雪によって視界は遮られ、ワイパーをいくら速く動かしても追いつかず前が見通せない。翔太の走行を拒む要因は多々あり、そしてその要因は時間が経過すればするほど悪化していく。


 ――それでも、まだ前に進んでいる。


 今までと比べると大分速度は落ちたが、まだちゃんと走行している。タイヤは積もったばかりの雪を踏みつけて強引に進む。状況もワイパーが通過した直後であればまだ十分に把握することができる。雪は強まり翔太を妨害するが、まだ立ち往生するまでには至っていない。


 外は既に吹雪となっている。そしてそれも徐々に強くなっていく。それでも着実に前へ進んでいく。まだ前に進むことができている。翔太はヘッドライトが照らし出す道路の僅かな変化を読み取り、カーブを察知して確実に曲がる。


 精神を研ぎ澄ませ、全神経を使って運転する。その状態が何十分も続いたところで、急に雪と風がやんだ。しかしそれは天候が回復したわけではなく、ただ単純にトンネルに突入しただけであった。昭和島ジャンクションと空港西出入口の間にある羽田トンネルである。翔太は気づかぬうちに1号羽田線の半分以上を走行していた。


 つかぬ間の安息。雪と風を凌げたことにより、張り詰めた緊張を一時的に解く。安定した路面と遠くまで見通せる視界が、実は恵まれた環境であったことを認識させられた。今まではとくに気にすることもなく、常識として気温と気候が安定している夕方の時間しか外に出ていなかった。しかし今回、夕方以外の時間がどれほど危険なものかを身をもって知ることができたのであった。


 安息の時間もそう長くは続かない。羽田トンネルを通過し、翔太は再び吹雪の中に飛び込んでいく。羽田トンネルを通過したということは、1号羽田線は残り僅かである。このまま進めば、道は首都高速神奈川1号横羽線に変わり、多摩川を超えて神奈川県に入る。


 神奈川県に入ってしまえば、あとは横浜エリアの居住区である旧横浜ランドマークタワーを目指すだけである。雪と風に遮られて苦戦を強いられてきたが、ようやく終わりが見えてききたのだ。


 しかしこの1号横羽線が、横浜までの道のりの中で最長の区間であるのだ。刻々と悪化していく天候の中、この道はこれまで以上の困難が待ち受けているだろう。ここからが正念場である。翔太は気持ちを切り替え、険しい表情で前を見つめる。


 しかし、そう気持ちを切り替えて数分、不運は何の前触れもなく翔太に襲いかかった。


「なッ!!」


 数メートル先さえも見通せない吹雪の中、視認できる範囲はヘッドライトに照らされた部分のみ。そのため、翔太がそれに気がついたときには、もう既に手遅れであった。


 衝撃が身体を駆け巡り、視覚が一瞬暗転する。翔太は瞬間的にそれを視認したが、それによって引き起こされることを認識するのに時間がかかった。


 車は強制的に停止した。ぼんやりとする視界の隅には、自分の太ももがある。そして耳をつんざくような音が絶え間なく鳴り響いている。それが車のクラクションの音であることに、数拍の間をおいてようやく判断できた。


 全身が鈍痛で悲鳴を上げている。しかし、痛みを我慢して翔太は顔を上げる。すると絶え間なく鳴っていたクラクションが突然やんだ。どうやら翔太の額でクラクションを鳴らし続けていたようだ。


 数回瞬きをする。額の肌が濡れた感触を脳に伝えてくるので、翔太は手で額を拭った。すると手には、深紅の液体がこびりついていた。翔太はそこでようやく自分の額が切れており、そこから血が流れ出ていることに気がついた。今まで気づかなかったのは、ひとえに額の痛みよりも全身の痛みの方が勝っていたからだろう。


 周囲を見渡すと、そこには横殴りの雪が視界に入る。しかし先程までと違うのは、それが向かい風ではなかったことである。走行していないので、当然だ。


 ――事故った、のか?


 はっきりとしない意識は徐々に回復していく。その過程で判断できたことは、視界不良の中で事故を起こしてしまったということであった。


 翔太は車内の中から何にぶつかったのかを調べる。眼前には、黒い何かがフロントガラスを突き破っていた。しかしフロントガラスでその衝撃が受け止められていたので、運転席の翔太までそれが達することはなかった。そのことに関しては僥倖であった。


 翔太はフロントガラスを突き破っている黒い物体を注視する。


「電光掲示板、か?」


 縦に長細い形状のそれ。表面は平らだが、その中にはブツブツとしたものが規則正しく詰まっていた。どうやらLEDか何かの発光体を使った電光掲示板であるらしい。


 ぶつかったものの正体は判明した。しかし疑問なのは、どうして高速道路の真ん中に細長い電光掲示板があるのかということ。横長の電光掲示板であれば頭上にあってもおかしくない。縦長のものも、道の脇にあれば問題ない。普通に考えれば、道路上に電光掲示板があるのはありえないことである。


 翔太はエンジンが生きていることを確認したのち、シフトレバーを操作して電源車を後退させる。相当な衝撃を伴った事故であったが、運転の感触から、まだまだちゃんと走行できるようである。後退した際、突き刺さっていた電光掲示板は、フロントガラスから離れていった。


 ゆっくりと後ろに下がっていく電源車。そして無事であったヘッドライトで前方の衝突したものの全貌を照らし出す。


「そういう、ことか」


 痛む身体に顔を歪ませながら、翔太は納得した。眼前に照らし出されたものは、高速道路の料金所であった。場所的に、多摩川を越えてすぐにある大師料金所であるようだ。


 どうやら翔太は、料金所のゲートとゲートの間に激突したらしい。フロントガラスを突き破った電光掲示板は、丁度ゲートの間に設けられていたもので、運転手に速度を落とすよう勧告するためのものであった。吹きすさぶ雪によって道路の白線が埋もれて見えなかったことと、遠くを見通せないほどの視界不良だったことが、衝突事故の原因であった。


 割れたフロントガラスから外の冷気が忍び込んでくる。そしてその冷気は翔太を包み込み、体温を奪っていく。吐き出す息が白くなる。寒さにより身体は縮こまり、震えだす。それに伴い、思考能力も失っていく。


 身体が無事であったとしても、破損した車でこのまま走行し続けるのは、ただの自殺行為である。しかしこのままここに留まれば、凍死するのをただ待つだけである。


 ――俺はもう、だめなのか。


 再びぼんやりとしていく意識の中で、翔太は己の死を悟る。進むことも、戻ることも、留まることも意味をなさない状況下で、死ぬ瞬間を待つまでの間に何をすべきか悩む。


 ふと、翔太は何のためにこんなことをしているのかを考える。その答えは当然すぐに出てくる。それは横浜エリアに電源車を移動させること。横浜エリアを助けるためである。


 では、何故横浜エリアを助けなければならないのか。その答えも当然すぐ出てくる。そこに住まう人たちの命を繋ぎとめるため。大切な女の子を救うためである。


 ――絵真……。


 遠のく意識の中、翔太は絵真の存在を思い出す。すると絵真との出会いから別れまでの記憶が次々と呼び起こされていく。


 猫のような印象を抱かせる矮躯の少女。最初は表情が固くかしこまっていた絵真。


 初めて訪れる街に好奇心で目を輝かせていた絵真。


 人懐っこい紗代の態度に戸惑いを覚えていた絵真。


 欲しいものがすんなり購入することができて満足気な表情を浮かべていた絵真。


 試し撮りで打ち解けて屈託のない笑みを浮かべた絵真。


 夜の展望台でシュンとする絵真。


 紗代と共にお風呂に入ることに恥じらいを覚えた絵真。


 早朝の作業でグッタリする絵真。


 管理公社の人間の訪問で不安げな表情を浮かべる絵真。


 ケイに怯える絵真。


 管理公社に追われて縮こまる絵真。


 追跡を振り切り安堵の表情になる絵真。


 吹雪に耐えているときに見せた大人びた絵真。


 猛暑の中不意に現れた絵真。


 再開時に笑みを浮かべながら涙を流す絵真。


 六本木の写真を撮るときに見せた妙に色っぽい横顔の絵真。


 自撮りでツーショットを撮るために身を寄せた絵真。


 そしてそのあとに見せた、翔太の決意を固める要因となった、笑顔の絵真。


 まるで気まぐれの猫のようにコロコロと表情や仕草を変えていく絵真の姿が、翔太の脳内を駆け回る。これが走馬灯というものなのか、と翔太は思った。


 ――絵真!


 吹雪を覚悟して横浜エリアに向かったのは、ひとえに絵真の存在が失われてしまうからであり、その運命に抗うためであった。


 そう、翔太は是が非でも、この電源車と共に横浜に行かなければならないのである。自分の置かれている立場がどうであれ、こんなところで立ち止まっていていい理由にはならない。


 薄れていく意識は、絵真に対する想いによって強固なものへと変わる。そしてそれを更に補強するため、翔太は自身の上着に忍ばせた写真を取り出す。別れの前夜に撮った、絵真とのツーショット写真である。


 ――絵真ッ!!


 写真に写る絵真の顔を目に焼き付け、翔太は写真を上着にしまってアクセルペダルを踏み込む。そしてハンドルを切り、料金所のゲートを通過する。


 横殴りの雪と風は、割れたフロントガラスから侵入してくる。車を無理矢理走らせているため、先程よりも激しく体温を奪っていく。目を開けていられない。寒さで無意識に歯ぎしりする。身体の感覚はとうにない。意識はヤスリで削るかのようになくなっていく。


 しかし、それでも翔太は走ることをやめない。ハンドルにしがみつき、足に体重を乗せてアクセルペダルを踏み続ける。最早執念だけで運転をしていた。


 その状態で、どれほどの時間を走行しただろうか。何十分も走り続けたような気がするし、数分数秒なのかもしれない。横浜エリアの居住区まであと少しなのかもしれないし、実は料金所から大して移動していないのかもしれない。翔太はようとして状況が知れなかった。


 そのとき、突然目の前が白い光によって明るくなった。一瞬翔太は、自分が死んでしまい天国に召されたのだと思ったが、しかし運転席のダッシュボードが視界に入っていたので、まだ自分の意識が現実世界にあるのだと認識することができた。


 どうやら前方から光を照射されているらしい。それも、光源は複数あるようだ。しかしただでさえ車の通りがない今の時代の首都高速で、尚且つ猛吹雪の状況である現在、自分以外の人間がいることなど考えられなかった。


 しかし現にその存在はいる。その存在は、どうやら目の前で止まっているらしい。そのことを認識したところで、翔太は自身の運転する電源車がいつの間にか停止していることに気がついた。


 寒さによって奪われていく意識で、翔太は目の前の存在を注視する。眩しくてよく見えないが、こちらもヘッドライトで光を照射しているので、その存在の姿を視認することはできた。その存在は、車の形をしていた。


 その前方の車から、人が出てきた。翔太の車の前を横切ったその人物の格好は、見覚えのあるものであった。


 彼らは、管理公社の服を身にまとっていた。


 それにより、翔太は今の状況を察した。翔太が出発する前、諦観した忠司は周りにいた管理公社の人間に頼み込んでいた。


 管理公社の連絡手段で横浜に連絡してくれ、と。


 つまり、眼前の彼らは、横浜の居住区に詰めている管理公社の人間であった。池袋からの連絡を受けた彼らは、迎えを出したのだ。


 翔太は微かな意識で安堵する。燃え盛っていた炎が燃え尽きるかのように、翔太の決意は弛緩していく。そしてそれに伴い、身体は脱力していく。


 決意という支えを失った意識は、不安定になり、そして消えていく。その消える瞬間、翔太は運転席の窓を叩く音を聞く。だがそれに反応する力はもう残っていない。翔太はそれに反応することなく、気を失った。


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