第27話 不安のなか、無事を願う


 絵真が避難誘導されて辿り着いた場所は、旧横浜ランドマークタワーの施設であるイベントホールだった。居住区となった現在も集会場として機能している場所である。その片隅で、絵真は縮こまるように座り込んでいた。


 先程、管理公社から説明があった。首都圏の居住区に送電している発電所でトラブルが生じ、運転が停止したとのこと。


 現在は居住区の予備電源に切り替えて難を凌いでいるため、住民には節電をするよう呼びかけられている。こうして避難誘導されて人が密集しているのも、人がいる場所を減らすことで余分な照明や空調を節約しているとのこと。ここ以外にも、当時は企業向けに貸し出されていたオフィスフロアなどが一時避難場所として用意された。


 イベントホールに集まった住民は皆不安に苛まれている。一部の人はその不安に耐え切れず、怒りをぶつけるかのように管理公社の人間に詰め寄っていた。そしてそれは感染症が伝染するかのように他の人に移り、詰め寄る人数は次第に多くなり騒ぎになりつつあった。


 絵真はその光景を、ただ静かに見つめている。皆が取り乱してしまうのも無理はない。自分だって、いつ発狂してしまうかわからないのだから。


 この時代において、停電は死活問題である。朝の時間帯や夕方の時間帯であればまだ大丈夫だが、猛暑の昼間や極寒の夜間を無事に過ごせる保証はどこにもないのだ。


 絵真は一ヶ月前のことを思い出す。管理公社に追われて逃げた結果、居住区外で一日過ごしたことを。夜は吹雪がもたらす寒さが痛みとして感じられるほど空気が凍えていた。昼は灼熱の陽光と雪解け水の蒸発により茹で上がってしまうくらいに蒸し暑かった。その地獄のような環境が再来すると考えると、恐怖が自身の身体を蝕み始めてくる。


 しかしその出来事がトラウマとして絵真に刻み込まれなかったのは、ひとえに翔太の存在があったからだ。あの状況を、翔太と共にいたからこそ、絵真は耐えることができたのだ。


 だが今は、その翔太はいない。翔太も自分と同じく、池袋の地で同様の事態に遭遇しているのだ。今回ばかりは翔太を頼ることはできず、そのことが絵真の不安に拍車をかけてくる。


 ――翔太……。


 急を要する避難であったため、自宅から持ち出せたものは、すぐ近くにあったツーショットの写真だけである。絵真はその写真に写る少年をすがるように見つめる。


 そのまま数分の時が過ぎたが、その間絵真はずっと写真を眺めていた。しかし唐突に響いた管理公社の説明に、絵真の意識は写真から外された。


 住民の騒ぎの声がうるさくて管理公社の説明がうまく聞こえない。だが管理公社は繰り返しそのことを説明してくれていたので、絵真は断片的にその内容を聞くことができ、自分の頭の中でその情報を繋いでいった。


 どうやら、池袋の運び屋が運転する電源車が、横浜に向けて出発したとのことだった。


 ――翔太が来るッ!


 その情報を得た絵真は、即座に写真の中の少年を思い浮かべた。池袋の運び屋は翔太だけではなく、彼の母親である明美もいるのだが、絵真の脳裏に出てきたのは翔太の方であった。翔太が、自分の住む街のために来てくれる。そのことがわかった途端、絵真の心に込み上げてくるものがあった。


 しかし時間を確認すると、素直に喜べる状況でもなかった。夕方の時間は、残り僅かなのである。


 雪の降る道を走ることがどれだけ危険なことか、絵真にも想像することができた。そして想像してしまったからこそ、不意に翔太のことが心配になってしまった。翔太の身を案ずるあまり、自身の心が引き裂かれそうな思いになる。


 ――翔太、無事でいて……。


 絵真としては、無事に翔太が横浜に到着してくれることを、ただ祈ることしかできなかった。


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