第26話 ただ、守りたい


 丸の内エリアから池袋エリアまでは、それほど遠いわけではない。夕方になると同時に池袋を発ち、丸の内のジャンクショップにて無茶苦茶な商談をまとめていても、十分帰る時間はある。むしろ寄り道する時間さえある。


 そんなこんなで、翔太はシャッターが閉まるまであと十五分ほどの余裕を残して、池袋エリアの居住区、旧サンシャインシティの地下駐車場に到着したのであった。


 しかし翔太は、地下駐車場の入口ゲート前で止まり、眉をひそめた。辿り着いた地下駐車場は、いつもと様子が異なっていたのだ。


 その一番の原因は、照明がついていないことにあった。地下駐車場を照らす明かりが皆無なので、中は闇に包まれていた。まるで深淵を覗き込んでいるかのように、中の様子は窺えなかった。


 ――どういうことだ?


 居住区内は、供給される豊富な電力のおかげで常に照明がつけられている。深夜の時間帯で明かりが弱められることはあるが、完全に消灯しているところなど翔太はこれまでに見たことがなかった。この暗闇は、通常ではありえないことである。


 翔太はヘッドライトをつけ、中の様子を窺う。車が放つ強烈な光が闇を照らすが、照らし出す範囲内にはこれといって異常はなかった。翔太は逡巡したのちアクセルペダルを踏み、徐行運転で地下駐車場内に入っていく。いくらか進んではみたものの、目の届く範囲にはやはり異常は見られなかった。翔太はますます今の状況がわからなかった。


 周囲の観察と原因の思案を同時にこなす。ここで誰かに遭遇すれば今の状況を教えてもらえるかもしれないが、残念ながら誰も出くわさない。人がいないのである。


 ――人がいない? いや、ちょっと待て!


 人がいない。その違和感に、翔太はようやく気がついた。そしてザワっと心の傷が騒ぎだした。


 ――さっき地下駐車場に入る際、管理公社の人間はいたか?


 居住区の入口は、必ず管理公社の人間が詰めている。昼は猛暑によって発生する大量の雪解け水を、夜は極寒の冷気の侵入を防ぐため、常に入口を管理している。また夕方以外の時間帯で外に出ていく者がいないよう警備もしている。そのため居住区の入口には人員が必要なのである。


 しかし今しがた通過した入口には誰もいなかった。誰かいれば、中に入ろうとする翔太に何かしらの接触があるはずである。しかしそれはなかった。


 照明と人が消えた地下駐車場。その空間が、翔太の心を蝕む。


 ――照明がついていない原因は停電か? 停電? いや、……まさか!


 照明がついていない原因は、すぐに思いつくものであれば停電である。そして翔太は、停電になり得る不安材料を知っていた。


 ――まさか、核融合発電が停止した!?


 それは一ヶ月前に管理公社の関口から聞かされた東京の機密であった。気象制御システムこと〝アマテラス〟が暴走して十年間、安定して膨大な電力を生み続けた核融合発電であるが、それは実用化されていない故にいつ止まるかがわからない諸刃の剣であった。そしてそれは、今翔太が必死になって対策している事案でもある。


 そう、いつ止まるかがわからないのである。十年先の出来事かもしれないし、今この瞬間かもしれない。


 その答えに辿り着いた翔太は、無意識にアクセルペダルを踏み込んだ。急加速する車を制御しながら、翔太は非常階段に急いだ。もし本当に停電しているのであれば、エレベーターなど動いているはずがないから。


 そして翔太は、近場の非常階段に繋がる鉄扉に到着する。幸い鍵はかかっておらず、そのままドアノブを捻って中に入る。しかしその瞬間、眩い光を真正面から照射され、翔太は目をかばって立ち止まってしまった。


「誰だい?」


 翔太が光を当てられながら何事か理解しようとしたそのとき、正面から誰何された。


「翔太か」


 しかし数拍の間ののち、顔面に照射された光は下に下がった。そのことにより、眩しさは緩和された。そして他にも光源があるらしく、今しがた光を照射した人物が視界に現れる。


「店長、どうしたんですか?」


 そこにいたのは、小柄な中年男性であった。池袋のジャンクショップの店長であり、幼馴染の父親である忠司だ。忠司の手には懐中電灯が握られている。どうやら先程照射された光は懐中電灯のものであるらしい。


 忠司の周りには、数人の男性がいた。その格好から、その人たちは管理公社の人間であることが窺えた。


 忠司と管理公社の人間が非常階段で待機している。その構図が今ひとつ理解できない翔太であるが、その翔太の心情を察した忠司が徐に口を開いた。


「落ち着いて聞いて欲しいのだが、実は――」


 忠司は翔太の気持ちを慮ってゆっくり説明し始める。


「――居住区に電力供給していた核融合発電が、停止した。停電ののち、管理公社の独自の連絡手段で伝えられたのだ」


 翔太はそれを聞いた途端、胸が苦しくなった。波打つような動悸が襲いかかり、気を失いそうになった。


 不意打ちのように襲った最悪の出来事の到来を、翔太は頭の片隅で否定していた。停電の理由が核融合発電の停止にあると察したが、心の中ではそれを疑っていた。半信半疑であったからこそ、翔太は微かな希望をもてた。しかし忠司の言葉によってその事実が明らかにされると、その希望はことごとく駆逐された。そして残ったものは、最悪の出来事によって引き起こされる絶望であった。


 不意に、あのときの光景がフラッシュバックされる。道路に転がる遺体、布を被せられた遺体、そして同級生の遺体。あのときの惨状が、再び訪れようとしている。そのことに翔太の絶望は増していく。


 ――絵真……。


 しかし翔太がその絶望を前にして気を失わなかったのは、ひとえに絵真の存在があったからだった。心の中で呼び起こされる絵真の笑顔。その笑顔にすがりつくことで翔太はなんとか正気を保っていられた。


「それで、実はシャッターの都合でここにいるんだ。いつもは電動で開閉するのだけれども、停電時だから当然動かない。一応手動でも開閉はできるから、時間が来たら手動で閉めるつもりだが、いかんせん手動で動かしたことが殆どないから、ちゃんと閉まるのかどうかがわからない。そこで念のためここまで退避してきたんだ」


 忠司は地下駐車場に人がいなかったことの説明を勝手に始める。もし万が一シャッターが閉まらない場合、電気の復旧まで外気の侵入を防ぐものはない。今はまだ大丈夫だが、あと十五分ほどで夕方の時間は終わってしまい、夜の時間となる。夜になれば更に気温は低下していき、雪が降り始める。その冷気の侵入を拒めないのであれば、いっそのこと地上に繋がる扉まで退避し、一時的に地下駐車場を放棄するという算段であるらしい。


 しかし、そんな説明は翔太の耳には届かなかった。意識が、その情報はノイズだと判断していた。


「一応もうすぐ予備電源に切り替わるが、その後は管理公社が密かに計画していた小水力発電に切り替わるだろう。そうすれば電気は復旧する」


 そんなことを改めて言わなくとも、翔太は理解している。しかしそれさえも、意識はノイズと判断して排除した。


 自分たちの住む池袋エリアは、予備電源に切り替わったのち、小水力発電の移行準備がされる。池袋以外のエリアもそうなるだろう。


 しかし横浜エリアは違う。都心に比べて小水力発電の配備が不十分なのである。そのため、停電して予備電源に切り替わっても、そこで終わりになってしまう。そして予備電源はあくまで予備の電気でしかなく、永遠に稼働するものではない。管理公社の関口によれば、今の状況で核融合発電が停止すると、横浜エリアという街自体を放棄しなければならなかった。


 そう、絵真の暮らす横浜エリアを。


 その事実が翔太の頭の中を支配していた。そのことしか考えられないからこそ、脳は自分の住む街の情報を拒んでいた。


「店長、電源車一号の試運転の準備はどうなりましたか?」


 忠司を含む大人たちはあれこれと翔太に説明していたが、翔太はその説明遮って忠司に尋ねた。


「え? ああ、準備の方は予想以上に順調で、もう終わってしまったよ。それがどうかしたか?」


「準備が終わっているということは、詰め込んだバッテリーはもう充電済みなんだな」


 翔太の言葉に、忠司は静かに首肯した。それを見た翔太は目を瞑り、目蓋に絵真の笑顔を思い浮かべて決意を固める。


 失う怖さは十分知っている。そして虚しさと悲しさも理解している。


「俺は、これから電源車に乗って、横浜に向かう」


 そしてその決意を、翔太は言う。


 大切なものを失うということがどういうことなのかを知っているが故に、翔太は絶望に抗うしかなかった。


 転瞬、その場の大人たちは、翔太が何を言っているのかが理解できなかった。


「こ、これから!? 夕方の時間はもう残り十五分を切っているぞ」


 忠司は動揺しながら自身の腕時計を指差して翔太に時刻を見せつける。大人たちが理解できなかった理由はこれであった。池袋から横浜までは一時間かからない程度である。頑張れば十分少々時間を短縮できるが、それが限度である。とても十五分で到着できる距離ではない。そのため、移動時間の半分以上が夜の時間になってしまう。雪の降り始めとはいえ、吹雪に発展していく状況下での運転は、自殺行為でしかなかった。


「それでも俺は、行かなきゃいけないんだ」


 しかし翔太の決意は、それを承知の上で固めたものであった。それ故自然に眉に力が入り、眼光が鋭くなる。その勇ましい目力に、大人たちは二の句が継げなかった。


「翔太、どうしても行くんだな」


「ああ。俺は、絵真が暮らす街を守りに行く」


 忠司の確認に、翔太は即答した。


「はぁ……。ここに明美ちゃんがいたら、必死で止めていたんだろうな。いないのが幸いだ」


 忠司は大きなため息をついて呟いたのち、


「管理公社の連絡手段で横浜に連絡してくれ」


 と周りにいる管理公社の人間に頼み込む。


「必ず帰ってこいよ」


 そして忠司は翔太の方を向き、顔を真っ直ぐ見つめながらそう言い放った。しかし忠司は翔太の返事を待たずに鉄扉をくぐって地下駐車場へ出ていってしまう。どうやら電源車発進の準備をしてくれるようだ。


「ああ。必ず帰る」


 頭の中で、幼馴染の紗代や母親である明美、その他池袋の友人知人を思い浮かべる。絵真だけじゃない。自分の暮らす池袋にも、大切な人たちがいる。無事でなければ、絵真だけではなく池袋の人たちも悲しんでしまう。そのことを忘れてはいけない。それを認識したことで、翔太の決意は更に固いものとなる。


 翔太は忠司のあとをついていく。充電済みの電源車を横浜まで運ぶために。


 動悸は収まらない。トラウマはかつてないほど翔太を苦しめている。しかし、今はそれが翔太の原動力となっていた。最悪を知っているが故に、その最悪を回避するための行動に躊躇がなくなったからだ。


 十年前はかなわなかったが、今度こそは、大切なものを守りたかった。


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