第8話 ネットの風説

 家を出て一時間少々。時間はまだ午前中で、少女の目的である富士アニソンフェスの開場時間は夏祭りと同じ夕方六時。

 正直なところ俺は逆に、現地に着いてからの長い待ち時間をどう過ごすかを考えていた。

 コーヒーを一口飲もうとする。キャップがついたまま。マニュアルミッション車に乗っていると飲み物のフタを開けるのにも苦労する。 俺が歯やドアの肘掛けなどを使って悪戦苦闘しているのを見た少女は、コーヒーを俺の手から奪い、フタを開けながら言う。


「まぁいいわ、間に合うよう急ぎなさい」


 少女はフタの開いたコーヒーを手渡してきた。一口飲む。一日に何本も飲みたくはならない甘いコーヒーだけど、今日みたいな労働量の多い日には悪くない。

 話し終わった後も少女は前席の背に手をかけながら、バックミラー越しに俺を見てくる。積極的に俺に視線を向けてくるのは初めてなような気がする。俺は一つ気付いて言った。


「これ、ありがとう」


 少女は満足そうな様子で頷き、四つんばいで彼女の定位置である後部の座椅子に戻る。ミラーに映るジャージの尻はあまり色っぽいとは言えない。もう少し締りがあったほうがいいかな。

 少女は道中の退屈という問題についても我慢してくれるらしい。それとも、退屈や負担が逆に楽しみに転じることもあるということを知ってくれたのかもしれない。


 一度座椅子に座った少女が、だいぶ急ぎの様子でこっちに戻ってくる。ミラー越しに彼女をチラチラ見ていた俺は慌てて視線を外す。もしかして二度目のトイレ休憩か?それとも急な体調不良か?

 少女は前席の背に掴まりながら前方を指差す。


「こっちに曲がって!すぐに!」


 国道246号を厚木から伊勢原に入り、秦野の手前あたり。目の前には国道から分岐する旧道。その先は派手な建物が何軒か並んでる。いわゆるラブホテル街。

 少女の口調に押され、少々乱暴な車線変更をして旧道に入る。まっすぐ行けばまたさっきの国道に合流できる道。

 少女の意図はわからない。ラブホテルに用があるのか?もしかしてアニメに出てくるサキュバスとかいう魔物が乗り移り、急な性衝動に襲われたのか?俺は近づきつつあるホテルを見て、少女を見た。

 少女は膝の上に乗せたノートPCを見ながら言う


「このホテルのとこを通り抜けて、そのまま真っ直ぐ」


 ヘンな勘違いをしていたのは俺だったらしい。少女のアニメオタク的な思考が伝染ったのか?言う通り平日午前のホテル街を抜けると、目の前にトンネルが現れる。


「このトンネルが凄い心霊スポットなんだって!昼間っから不気味な雰囲気を出してて、霊力の無い人間は決して近づいてはいけないって」


 前席の後ろに膝立ちになり、興奮した様子で語る少女。心霊スポットと言われても。俺には牧歌的な道と昔ながらのアーチ型トンネルにしか見えない。

 郊外なら珍しくも無い照明の無いトンネルを通過する。少女はトンネルよりその出口に注目している。


「トンネルの秦野側が怖いんだって!霊道になっていて地元の人間は誰も近づかないって」


 確かに旧道に入ってからすれ違った車は無い。たぶんそれは便利な新道が出来たからなんじゃないかと思う。

 さほど長くないトンネルを抜け、車は少女が言うところの怨念渦巻くトンネル秦野側出口に達した。


「あれ?」


 トンネル出口付近の風景は、少女が想像していた鬱蒼としたものとは違うものだったらしい。

 旧道が少し太くなっている場所には近隣のラブホテルに納品をしているであろうリネン屋や看板メンテナンス屋の白いワゴンが停まり、中ではスーツ姿の男が漫画雑誌を読みながら弁当を食べている。

 すぐ近くには地元の人が乗ってきたらしき軽トラが停まり、老夫婦が小さな農園で畑仕事をしている。

 雑誌の仕事をしている同級生に聞いたことがある。いわゆるオカルトスポットを紹介しているサイトや番組というのは、他の本からネタを盗用することもあるけど、実際に現場に行くこともあって、最怖の心霊スポットはしばしば取材車を停めて撮影するのに便利だったからだとか、偶然使える素材が撮れたとか、そういういい加減な基準で決められていると。

 外に出ることで世の中のウソを一つ知った少女は、すごすごとテーブル前に戻り、座椅子を倒してゴロ寝を始めた。

 車は秦野を抜け、丹沢の山中にさしかかりつつあった。基本的に直線の多い国道246の中でも例外的に曲がりくねった道で、文句を言うであろう少女が寝ててくれるのはありがたいと思った。

 

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