第3話 外の世界
俺が牛乳屋バイトの仕事でコーヒーを届けに行った地主の孫は、俺よりひとつ下の十七歳。もし学校に行っていれば同じ学年になるらしい。
少女が毎朝、コーヒー牛乳を一本飲む間に話す内容を聞く限り、五年前から学校には行ってない。いじめや体調不良によるものではないらしい、少女は言った。
「学校なんて行かなくても何とかなる」
確かに話してみても特に知能に問題がある様子は無いが、会話の進め方については、学校に行きたがらないというのも頷けるほど一方的。
コーヒーを飲み終わるまでの間にほとんど口を利かないことがあったり、逆に口からツバを飛ばして喋りまくる時もある。
学校に行かない時間を過ごしてるうちに、外に出ることも無くなったらしい。少女の趣味がいわゆるアニメオタクという奴で、町田にはその趣味の物を揃えた専門店が幾つかあることは俺も知ってるが、少女はそこまでの外出すらしないらしい。
「わざわざ買いに行かなくても何とかなるし」
それだけ言って少女は通販の箱を爪先で蹴った。
見た感じ服装は無頓着だけど身奇麗にはしていて、着たきりに見えるジャージも毎日換えている様子。それについてはやらなくても何とかなるものではないみたいだ。
コーヒーの瓶を置いた少女は、半分ほど残ったコーヒーを見つめながら話し始める。今日はお喋りな日らしい。
俺が牛乳屋バイトを始めてすぐの頃から、お客の一人である地主の老婦人の孫、引きこもりの少女にコーヒーを届けに行くようになった。
最初は遠慮がちに追加注文をした老婦人は、俺が店の冷蔵庫に残ってた在庫を頭で計算しながら快く引き受けると、孫の部屋まで届けて欲しいと頼んできた。
上品な老婦人に似合わぬ切羽詰まったような顔に気圧された俺は、これもお得意様へのサービスだと思って部屋まで届けた。
引きこもり少女は最初のうちは老婦人に付き添われて入ってきた俺をあからさまに警戒し、俺が部屋の隅にコーヒーを置いて立ち去るまで背を向けたままだったが、今では老婦人が毎朝二本頼むコーヒーのうちの一本は俺が飲むようになった。
最初は俺がコーヒーを届け、孫が飲み終わるまで外の廊下で待っていたお婆ちゃんも、今では俺が追加注文分を届けに来る頃には玄関の鍵を開けたまま出かけている。
少女の話では俺が来るようになってから、今までやらなかった習い事を始めたらしい。
少女はコーヒーを舐めるようにチビチビ飲みながら、俺と目線を合わせることなく喋り続ける。
話題は今朝動画サイトで見たアニメの話。アニメ内の楽曲を動画サイト配信ではカットされたのが許せないらしい。
「こっちはDVDも買ってるのにフルバージョンはイベントまで聞きにきてくださいとか、客をナメてるわよ!」
少女の相手をする上で大事なのは、聞き上手になることだとわかってきた。人と話す機会の乏しい少女は、知らないので教えて欲しいという態度になると途端に現在放送しているアニメや、それに出ている声優ユニットについて説明してくる。話の半分は理解できない。
今日も少女は知らないアニメの知らない曲の話をしている。相槌のつもりで言ってしまった。
「聞きにいけばいいじゃん」
地雷を踏んでしまったことがわかった。
外に出られない少女、外に出なきゃ触れられないもの。少女は目の前のデスクトップPCのキーボードを叩きながら言う。
「そうだね、そうだよね、ごもっともでございますね、聞きにいかないと聞けないんですよね!」
少女が俺を見ることなく視線を注いでるPCのモニターを盗み見た。画面にはあるイベントの告知サイトが写っていた。
富士アニソンフェスティバルinみさか
シーズンオフのスキー場を利用してロックフェスが行われていることは知っている。アニソンもそういうことをやるんだろう。
しかし、駅前のアニメショップにさえ行かない少女には、御坂峠のスノボゲレンデは遠すぎた。
少女は残ったコーヒー牛乳を一気に飲み干し、それからは一言も口を利かなかった。
俺は自分のコーヒーを飲んで部屋を出る。少女は座り机前の一畳少々のスペースにアヒル座りしながら、背を丸めてPCのモニターを見ていた。
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