第2話

 西暦2016年春。

 息長姫が仲津彦と出会って、1830年ほども後の、現代の話である。

 ここは北部九州の東部地区にある、豊前みやこ町の町興しのイベントのひとつとして始まった、『みやこまち花しょうぶまつり』の豊前国府跡公園に設けられた菖蒲姫コンテスト会場である。

 実は地元のローカルアイドル、『ロコドル』選抜メンバーをこれで決めようという、コンテストでもある。

「沙織、いいなぁ。代わってくんないかなぁ」

「歌って踊るんだよ、人前で。沙織、本当に大丈夫?」

 クラスメイトの芹沢香奈が顔を突き出すようにして速水沙織に訊いてきた。

 そう、それが問題だった。

 香奈がこのコンテストに応募するということで、冗談で横に名前を書いてしまったのが運の尽き。審査員長の「声がいいね、この娘」のひと声で、なんと沙織は一次審査合格してしまったのである。そして香奈は落選。

 思いを貫き通せば夢は叶う、などというアニメの安っぽいセリフのようには世の中、簡単にはいかないものである。

 元々、一次審査に合格することなんてこれっぽっちも考えていなかった沙織はというと、これがまたとびっきりの運動音痴。

 体育祭のダンスですら転倒して保健室に運ばれる醜態をさらしたこともある。

「別に辞退しても構わないんだぞ」

 沙織は父親の声に、思い切り頭を振った。

 なぜだかわからないのだが、どうしても、絶対にこのコンテストには出ないといけない気がしたのだ。惨めな姿をさらし、恥をかいてしまおうとも、このコンテストのステージに上がらないと後悔する、と思った。

「10分前です。まだ着替えを済ませていない一次審査を合格した出場者の方は、衣装室で着替えをして、控え室にお越し願いします」

 アナウンスが流れ、刻々と時間が迫っていることを知らせた。

「じゃ、行ってきます」

 すでに脚が震えていた。

「手と足、同じ側が出てるわよ」

 香奈が溜息交じりに後ろから声を上げた。

(そ、そんなこと言われても・・・・・・)

 運動音痴はダテではない。直そうとすればするほど、ドツボにはまるとはこのことだろう。ますますぎこちない歩き方で、衣装室に向かう羽目になった。

 衣装室のドアでは、ドアノブに手をかけるのと同時に足先でドアを蹴飛ばすほどの徹底ぶりである。

 ドアというのは不用意に蹴飛ばすと、かなりの痛みを伴う。用心が必要である。

 ドアを開けると奥の開け放たれたクローゼットのハンガーには様々なコスチュームが掛かっていた。

 定番のメイド服はもちろん、ウエディングドレスから紐パン水着までと、充実した品揃えである。このコンテストの主催者のセンスと期待度が見事に現れていると言ってよいだろう。

 水着のコーナーの幾つかは、すでにハンガーのみとなっている。おそらくは誰かが着ていったに違いない。

 どうみても局部しか隠しおおせないほど小さな紐付きの布切れを手に取り、赤面しながらハンガーに戻す。

「あらっ?」

 沙織が足もとから拾い上げたのは、鮮やかな紅白の巫女装束である。

 沙織の表情が笑みに変わった。

(これなら私にもできる)

 激しい動きがないことも幸いして、運動音痴の沙織が唯一踊れる、と言うか舞うことができるのが、巫女が舞う『浦安の舞』である。

 幼い頃、母方の実家の神社で巫女が舞うのを見よう見まねで舞っていたら、母がそれを目にとめ、練習させたところ、美しく澄んだ声も相まって、正月に実家で毎年舞うことになってしまったという、いわゆる十八番、である。

 巫女の衣装をまとったら、上がり症の沙織でも人前でも踊れてしまうのが、これまた不思議だった。

 意を決して巫女装束に着替える。

 服と整えると姿鏡の前でくるりと一回転して衣装を確認する。そして五色の鈴垂絹を垂らした神楽鈴を手に取り、ポーズを取って、ひと振り、神楽鈴を鳴らしてみる。

 突然、姿鏡が揺らいで自分とは異なる、少女の姿を映し出した。

 見事な。そして神々しいという表現が相応しい舞だった。伸びやかでひとつひとつの動作の決めの所作がきちんとしていて、まったくブレない。

「す、凄い」

 沙織は思わず呟き、1歩、前に出て姿鏡に手を伸ばした。

 すると、相手の少女もこちらに気付いたようで、視線が合ってしまった。

 沙織はさらに手を伸ばし、鏡面に指が触れそうになった。相手の少女もこちらに手を伸ばし、互いの指と指が触れそうになった瞬間、沙織の姿が鏡の向こうに消え、代わりに鏡に映っていた少女がまるで鏡から押し出されるようにして、姿鏡の前に転がった。

「な、なんじゃ、ここは」

 少女が声を上げた。そして起き上がろうとして、何かを踏みつけた。

(先ほどの娘が手にしていたものか。神剣? いや、違うな)

 五色の鈴垂絹を垂らした神楽鈴を手にした少女は、その音に驚いて目を見張った。

 そしておそるおそるひと振りしてみる。

(なんと美しい音色じゃ)

 再び、ひと振り、ふた振りしてみる。

 そこへイベント・スタッフの男が現れた。

「速水さん、次ですよ。急いでください」

 そう言うと手を取り、舞台袖に連れて行こうとする。

「な、なにをする」

 男の手をほどこうとするが、我が身に起こったことがまだ理解できず、いつもの力が出せない。それにまったく見覚えのない建物である。

 周囲に気を取られ、そのまま引きずられるようにしてステージ袖に向かうことになってしまった。

「音楽はなんにします?」

「音楽じゃと?」

「そうです。踊りの時に流す音楽ですよ」

 袖の奥から声がかかる。

「浦安の舞以外、用意していないけど、巫女さんの衣装だから、それでいいよね。まさか越天楽で踊るなんて言い出さないよね」

「浦安? 越天楽?」

 だが、その疑問に答える者も間もなく、「それでは8番、速水沙織さん、17歳。巫女さんの衣装で登場です」と、女性アナウンサーの声がすると同時に、ポンとイベント・スタッフから背中を押されて、ステージによろよろと姿を現すことになった。

「ま、眩しい」

 少女は立ちすくんだ。

 無理もない。鏡の向こうからやってきた少女はステージ照明などというものは、未だかつて浴びたことがないからである。

 会場がざわめいた。

 沙織を知っている友人達は、舞台に上がった少女が沙織でないことに気付いて声を上げたからである。

「誰、あいつは?」

「沙織はどうしたの?」

 ステージ上の少女は顔を上げて声の方を見据えて眼光鋭く言い放った。

「妾は息長宿禰の娘。仲津薦社なかつこもしゃ比売巫女ひめみこぞ」

 少女は、あの息長姫だったのである。

 再び会場がざわめいた。

「卑弥呼?」

「姫、でしょ?」

「卑弥呼のコスプレじゃないのか?」

「普通の巫女だぜ、ありゃ」

 その時、音楽が流れ始めた。浦安の舞の楽の音である。

 手にした神楽鈴が手を動かした時、美しい響きを楽の音に合わせるかのように響いた。

(あの楽の音に合わせて舞えというのか?)

 息長姫は口元をにやりとさせた。

「妾が比売巫女である証を見せてやろう」

 そう言うと、なんと、アドリブで舞い始めたのである。

 本来の浦安の舞とはまったく異なり、飛び跳ねたり、円を描くように走り回って、まるで歌舞伎の『春興鏡獅子』の舞台であった。

 その頃、ステージ袖では大騒ぎになっていた。

 そりゃそうだろう。速水沙織本人ではない者がステージに上がってしまった上、曲に合わせて踊り始めたのだから。

「おい、あの娘、沖永とか言ってなかったか?」

「そんな名前の子、一次予選の時にはいなかったぞ」

「なんでもいいから、止めさせろ」

「いや、けっこう受けているぞ」

「そういう問題じゃない!」

「でも、凄いな、あのジャンプ力」

「感心している場合かっ!」

「曲を止めろ、止めろ」

 その時、ディレクターが進行表を手に、首と同時に左右に振った。

「いや、この娘、凄いぞ。どうせ飛び入りだろうが、どこの娘か、調べてくれ」

 会場は曲に合わせてというか、息長姫の動作に合わせて手拍子を入れる者が相次いだ。

 突然、「お~~~っ」と会場から声が上がった。

「あの子、ノーパンだぜ」

「ほんとだ、はいていない」

 神楽鈴を左右に振っていた息長姫は何のことだかわからなかったが、衣装のことを言われていることだけはわかった。

「比売巫女の、これが正装ぞ!」

 再び、「お~~~~っ」と、地響きのような声がわき上がった。

「あの子、なり切ってる」

「た、確かに卑弥呼の当時は、パンツとか下着はなかったもんなぁ」

 息長姫が飛び跳ねるたびにフラッシュが光り、スマホや携帯、中には望遠レンズ付きの超高級一眼レフで撮影する者まで現れた。

「卑弥呼、降臨!」

 Facebookの『花しょうぶまつり』のサイトに動画がupされるや、『いいね!』やコメントが相次いだ。

 さらに、息長姫が曲や動作に合わせて祝詞を発声したその声の美しさに、会場は酔いしれた。

「卑弥呼、卑弥呼・・・・・・」

 曲が終わって、息長姫が決めのポーズを取ると、会場が連呼の渦に包まれた。

(か・い・か・ん、じゃ!)

 息長姫は余韻に浸っていたが、突然、左右のカーテンが引かれ、ステージ上に数人のイベント・スタッフが入ってきてその余韻は長くは続かなかった。

 会場は相変わらず、卑弥呼コールが続いていたが、急にカーテンが引かれたことで、何か特別な出し物でもあるのかと、会場はざわめきに変わった。

「卑弥呼は実はどこかのバンドのボーカルで、今から歌うんじゃないか? だってあれだけ声がいいんだから」

「それ、マジか? まだ中学生くらいだっただろう?」

「中学生バンドってのも、ありじゃね?」

「そういや、育徳館って中高一貫校ってのがあったな」

「ボーカルは中学生でバックは高校生ってのもありだろ。兄や姉がバックかもな」

「卑・弥・呼、アンコール」

 一方、ステージ上には数人のイベント・スタッフが姿を現し、息長姫の腕を捕まえた。

「なにをする。神聖な比売巫女である妾に触れるでない」

「お嬢ちゃん、君は一人で来たのかな?」

「妾のことを言っておるのか?」

 ふぅ、と長身のディレクターが溜息をついた。

「ご両親はご一緒かな?」

 怒りの視線をディレクターに向けた息長姫が答えた。

「妾の両親だと? 母は幼い時に死んだわ。父は先の出雲との戦いでだまし討ちに遭って死んだわ」

 眼鏡をかけたちょっと秀才っぽい雰囲気を漂わせたイベント・スタッフの一人が呟いた。

「まるで城井きい一族の城井鎮房と、その娘で13歳で磔にされた鶴姫みたいですね」

(黙っとれ、このロリコン変態歴史オタクが! それに磔などと、こんな子供相手に縁起でも無い!)

 ディレクターの鋭くも、侮蔑の意を漂わせた視線がひとりのイベント・スタッフに注がれる。

 そこへ、速水沙織の両親が沙織のクラスメイトの香奈たちとやってきた。

「あの、私の娘は、沙織は?」

 ディレクターが言い淀んだ。

「そ、それがですね。どこにもいないんですよ」

 クラスメイト達は顔を見合わせた。

「どこにもいないって、ついさっきまで衣装室に行くって・・・・・・」

「衣装室も探しました。会場はもちろん、トイレや周囲の建物も探しましたが、どこにも・・・・・・」

「放せ、その手を放せと言っておろうが」

 息長姫がディレクターの手を振りほどくと、沙織の両親に視線を移した。

「お前たちがあの娘の親か?」

 父親が大きく目を見開いた。

「沙織を、私の娘を、ご存じなのですか?」

 父親は自分でも気付かず敬語を使ってしまっていた。

「鏡の向こうで妾と同じような巫女の衣を纏って、オガタマを鳴らしておったわ」

 正確には、鏡の向こうではなく、こちら側で、オガタマではなく鈴なのだが、そんなことは沙織の父親にとってはどうでもよかった。

「鏡の向こうって、えっ? どこの鏡なのです?」

「ほれ、いろいろ衣を掛けてある・・・・・・」

「衣、衣装室のことですね」

 父親は妻に目配せをする。

「あのう、案内して下さい」

 ディレクターが海野和明と名の記されたネームプレートを首から提げた歴史オタクに視線を走らせた。

 海野は小さくうなずいた。

「こちらです」

 クラスメイトも一緒に小走りに付いて行く。

 扉を開けて段ボールの外にはみ出して雑然と放り込まれた衣装を中に入れながら奥へ進んで、海野は姿鏡を示した。

「お嬢さん、これのことですね?」

 息長姫はうなずいた。

「ああ、これじゃ。妾はこの鏡からここに放り出されたのじゃ」

 鏡の少し手前の床を指さした。

「おそらくその沙織という娘、妾と入れ替わりに妾のいたところに飛ばされたに違いない」

 歴史オタクの海野が眼鏡を指で押さえながら口を開いた。

「お嬢さんの口調からして、かなり昔の時代からこの世界に飛ばされた方だと思われますが、もしやあなた様は・・・・・・」

「妾は息長宿禰の娘じゃ」

 驚いた海野は跪いた。

「こ、これは初にお目にかかります、神功皇后さま、いや、卑弥呼さま」

 そう言うと海野は飛び退くようにして床に平伏した。

 息長姫は怪訝な顔を海野に向けた。

「皆は妾のことを卑弥呼と申すようだが、それは妾の名ではないぞ」

「は、はい、今のところは。しかし後に魏国の書にその名で記され、倭国中の人々が知ることになります」

「比売巫女に通じる音だな、卑弥呼とは」

「はい、おそらくは比売巫女さま、あるいは日之巫女さまの音が転じたものかと」

 まるで2人だけ別世界の人間のようだった。

 他の4人は蚊帳の外だったが、父親がしびれを切らして恐る恐る口を挟んだ。

「それで、私の娘は?」

 父親の方に向き直った息長姫は溜息交じりに鏡を指さした。

「この中に妾と入れ替わりに消えた、と申しておろうが」

 鏡の中には覗き込む沙織の父親と指さす息長姫の姿が映し出されるだけであった。

 息長姫は小さく溜息をついた。

「妾もいったいなにが起きたか、よくはわからぬのだ」

 歴史オタクの海野が再び眼鏡を指で押さえながら口を挟んだ。

「おそらくは卑弥呼さまは1830年ほど後の、我々の世界に転送されたものと思われます」

 神隠しなら、まぁ、そういうこともあるかと納得するし、バナナくらいなら電子レンジとDメールで過去や未来に転送することが可能かもしれないが、鏡をゲートにして過去と未来を行き来するなどということは、物理的にも飛躍し過ぎて、誰も話を信じることはできなかった。

 息長姫がくるりと沙織の父親に向き直った。

「それにしても、お前、どこかで逢った気がしてならないのだが」

 沙織の父親も小さくうなずいて答えた。

「実は私もどこかでお逢いしたことがあるような気がするのですが・・・・・・」

 沙織の父親は自分でも気がつかないうちに、子供の息長姫に対して敬語を使っていた。

「妾も何としても、元いたところに帰らねばならぬ。まだ戦が続いておるからの。ま、若王が付いていて、よもや、戦に敗れるようなことはあるまいが・・・・・・」

 息長姫は少し遠い目をした。

「戦、ですか?」

 海野がすぐさま反応した。

「そうじゃ。妾は出雲と今、戦の最中じゃ」

「それって、もしや、倭国大乱のことでは?」

「大乱かどうかはわからぬが、出雲が長門の我が軍を破り、門司の砦を落として侵入してきたからな」

「そう、それですよ。八岐大蛇退治をした後、出雲が北部九州を一時期、席巻したと言われています」

「退治だと? 饗応すると言って呼び寄せて酒で酔わせ、我らが海神八部族を騙し討ちにしておいて、なにを言うか!」

 息長姫は海野を睨みつけた。

「話の最中に申し訳ないのだが、今は娘のことを優先してくれないか」

 海野も息長姫も沙織の父親の言葉にハッとなって、小さくうなずいた。

 2人は沙織の両親に視線を移すと、涙ぐむ沙織の母親が目に入った。

「娘は、大丈夫なのでしょうか?」

 息長姫は頭を振った。

「妾にもわからぬ」

「警察に届けた方がいいんじゃないの?」

 香奈が不安げに訊いた。

 今度は歴史オタクが頭を振った。

「そんなことをしたら、卑弥呼さまが捕らえられ、沙織さんが戻って来るチャンスを失うかもしれません」

「あなたはこの子の言うことを信じるって言うの?」

 歴史オタクがメガネを指で押さえ、探偵のような口ぶりで答えた。

「今は沙織さんが戻ることを最優先に考えましょう。卑弥呼さまがこちらに来ることができた、ということは、沙織さんも卑弥呼さまと入れ替わりにこちらに戻ることができる可能性がある、ということですから。卑弥呼さまがいらっしゃらなければ、入れ替わって沙織さんが戻ってくることもできなくなる、というふうにも考えられます。それに、警察にこのようなことを話しても、まず、信じてもらえないでしょう」

 これは居合わせた皆、納得せざるをえなかった。

 息長姫は香奈が手にしている掌より少し大きめな長方形の物体を指で差した。

「それは何じゃ?」

 香奈があきれ顔を息長姫に向けた。

「あなた、スマホも知らないの? どこの山奥で生まれ育ったのよ」

 大きく目を見開くと、息長姫は舞台後方の搬入口と記された暗幕が垂れ下がった奥へ向かって走り出した。

「逃げ出すんじゃないわよ」

 香奈が怒り狂った表情で追いかけた。

「いや、今のお前の言葉で重要なことに気付いた」

 他の4人もわらわらと追いかける。

 搬入口から飛び出し、さらに歩みを進めてぐるりと周りを見回す。

「やはりな」

 後から5人、追いかけてきたが、息を切らしていないのは、息長姫だけだった。最後に母親がふらふらになりながら、辿り着いた。

「森や林がなくなり、館が多くて見通しがきかず、わかりにくいが、山々の様子を見ると、妾が舞っていたのは、この近くじゃ。間違いない」

 息を整えながら、歴史オタクがうなずいた。

「今川沿いのこの辺りは、戦前は大小の池や湖がたくさんあったと聞いています。流れもだいぶ変わっていて、古墳時代は祓川流域に属していた池も多く見受けられます」

 歴史オタクの海野は、実は町の教育委員会の職員で、甲塚かぶとづか方墳の発掘調査でその才能をいかんなく発揮し、その筋ではかなりの有名人であった。

 そして美少女趣味のロリコン変態オタクとして、つとに有名であった。

 学校帰りの小学生女児に声をかけたのが災いして、警察に引っ張られたこともある。女児が手にしていた翡翠の勾玉が原因だったのだが、それが古墳発掘のきっかけとなったのだから、彼としても本望だろう。

 もっとも酔っ払った時に「14歳を過ぎると老化が始まるから、14歳が最高! 数えの15で嫁に行ったという姉や、最高!」と口走ったこともあるので、警察が危険人物としてマークしているとも噂されている。

 変人ぶりも度を超すほどで、今川の語源が忌む川だと発言したりして、物議を醸したこともあった。

 そんなロリコン変態歴史オタクだが、これでも一応、邪馬台国九州説の論文を書いたこともある、歴とした学芸員である。

 彼にとって突如、目の前に現れた13歳の卑弥呼は、ド・ストライクの女の子であった。しかも胸はそんなに大きくなく、スクール水着が実に似合いそうな体型であることも、彼を狂喜させた。

 まぁ、傍目には秀才っぽいメガネ君でポーカーフェイスであることもあって、なにを考えているかなんて、誰も知る由もなかったが。

 息長姫が沙織を心配して元の世界に戻ろうと頑張っている中、卑弥呼がこのままこの世界に留まって欲しい、なんて考えていたりするのだから、罰当たりもいいところなのだが、一方で、卑弥呼がこの時代に留まると、歴史が変わってしまうことになるのではないかと、学者の端くれらしく、それなりの心配もしていた。

「妾が元の世界に戻り、沙織という娘がここに戻ってくるためには、妾と娘が同じ場所にいることがまずは必要なのだな?」

 歴史オタクがうなずいた。

「そして卑弥呼さまと沙織さんが、あの鏡を通して向き合う必要があるかと」

「それって、まるで鏡がこのお嬢さんと私の娘を見間違って映し出したみたい、じゃないですか」

 涙目の沙織の母親がぽつりとこぼした。

「そ、それじゃ! 確かにその時、あの娘も妾も巫女の衣装だったぞ」

 息長姫の目が輝いた。

「整理しましょう」

 海野が周囲を見回して言った。

「まず、卑弥呼さまと沙織さんが同じ場所で、同じ衣装を着て、この鏡の前に立つことが必要、と」

 ひとりを除いて、大いにうなずいた。うなずかなかったのは香奈である。

「じゃ、どうやって同じ場所に2人が同じ時間に、この鏡の前に立つっていうのよ」

 実際、それが問題だった。

「いや、時間はあまり問題ではないのかもしれない。妾が戦勝祈願の神舞を舞っていたのは日の出の頃。妾がここに来た時には、すでに陽は昇りきっておったからな」

 その時、ディレクターが息せき切って走って来て、息長姫に懇願の眼差しを送った。

「あ、いたいた。今すぐ、ステージに上がってもらえるかな?」

「妾が、か?」

 ディレクターはうなずいた。

「グランプリが決定したんだが、どうも会場の人達からは納得してもらえなくてね。ノーパンの巫女さんの衣装を着た女の子を出せ、と言って聞かない人たちが多くてね」

「妾がその、グラなんとかいうものなのか?」

「いや、特別賞ということにして、別枠なんだが」

 息長姫は周りを見回した。

「本来は沙織という娘がもらう賞、なのではないか?」

 父親が頭を振った。

「引っ込み思案で運動音痴の沙織が、そのような賞をもらえるとはとても思えません。あなたがステージで魅せたパフォーマンスで得た賞ですから、あなたがいただくべきです」

 今度は母親の方を見た。

 涙を浮かべながらも、小さくうなずく。

 だが、ひとりだけ、そう、クラスメイトの香奈だけは同意していなかった。

「沙織が戻ってくるまで、待ってもらえないかしら」

 だが、ディレクターは頭を振った。

「花しょうぶまつりは、このコンテストがラストのイベントなんです。それに、もう、終了の時間も迫っている」

 確かに午前から始まったバンドの演奏も手品もお笑いも終了し、陽光は赤みを帯びて西の空を染め上げ、山々の影に隠れるのはそれほど時間を要しない状況だった。

「そんなことしたら、ぜったい、あんたを許さないんだから」

 しかし、そう言われても、すぐ解決策が湧き出てくるわけでもない。刻々とタイムリミットが迫ってきていた。

「行こう。妾を応援して賞とやらをくれた皆に挨拶をせねばならぬしな。そしてお前が持っている、その四角いものだが、ちょっとの間、借りることは出来ぬか?」

「スマホを?」

「そうじゃ。お前がそれを指でいろんなところを押さえていたが、それで沙織の消息を探していたのであろう」

 香奈は驚いた。Facebookの『花しょうぶまつり』のページに速水沙織のことを書いて情報提供を呼びかけていたことを、息長姫が気付いていたのだ。

「それをどのように使えばよいのか?」

 香奈は『花しょうぶまつり』のページを急いで出した。

「このページ、花しょうぶまつりのページに情報を送って下さい、とステージの上で言ってもらえば・・・・・・」

 息長姫はうなずいた。

「わかった。ページとやらに情報を送る、のだな」

「でも、そんなことをしたら、警察があなたを捕まえにくるかも」

「その時には、そやつらを倒して逃げるまでのこと」

 海野が横から口をはさんだ。

「警察にそんなことをしたら、本当に逮捕されてしまいますよ」

 海野はディレクターの方に向き直って付け加えた。

「別に、鏡を通して沙織さんと卑弥呼さまが入れ替わったというような話をしなければいいんです。沢渡さん、単に沙織さんがいなくなった、だけですよね」

 沢渡と呼ばれたディレクターは、あわててうなずいた。

「警察には速水沙織さんが忽然と衣装室から消えてしまった、ということでよろしいですね。そして卑弥呼さまは、居なくなった沙織さんの代わりに、急遽、代役として出場することになった、私の親戚の者、ということで根回しの方、よろしくお願いします」

 ディレクターは一瞬、キョトンとした顔をした。

「あ、ああ。頼んだよ」

(頼まれたのは、あんたの方じゃないか!)

 居合わせた他の人たちは、口にこそ出さなかったが、皆、そう思っていた。

 息長姫は香奈からスマホを借りて少し触っていたが、首を傾げたり、溜息をついたりして、今にも放り出しそうな様子に、香奈はヒヤヒヤしながら見守っていた。

「あ、あのう、ステージの方へ・・・・・・」

 沢渡の言葉に、「おお、そうであった」と、息長姫は歩みを進めたが、スマホに視線を落としていたため、搬入口の角に頭をぶつけて、決まり悪そうに頭を掻いて入っていった。

 ステージに息長姫が姿を現したとたん、会場が騒然となった。

「卑・弥・呼、卑・弥・呼・・・・・・」

 卑弥呼コールの連呼が渦巻いていた。

「皆の者、聴くがよい」

 息長姫のそのひと言で、会場が静まった。

「本来なら妾の代わりにこの場にいるべき者の姿が見えなくなり、妾は急遽代役、ということでここに立っておる」

 少し会場がざわついた。

「速水沙織という娘が、本来、ここにいるべき者なのだが、いろいろ手を尽くして探したが、どこにも見当たらない」

 ひと呼吸おいて、ぐるりと息長姫は周りを見回した。

「そこで皆に頼みがある。少しでも気付いたことがあったら、花しょうぶまつりのページというところに、情報を寄せてほしい」

 息長姫は香奈のスマホを掲げた。さらに会場がざわめいてきた。

「皆が妾を推してくれたのはありがたいと思っておるが、妾はあくまで代役。故に賞をもらうことは辞退する」

 会場が再び騒然となった。

「皆の気持ちはありがたく受け取っておく」

 後ろにグランプリ、準グランプリの3人をひかえ、卑弥呼コールを聴く限り、誰が優勝者なのかわからないくらいの人気だった。

「あ、あのう、沖永さん、でしたよね?」

 グランプリに選ばれた水着姿の少女が1歩、前に進み出た。

 グランプリ娘は『沖永』をイメージして発音していたが、漢字では音が同じなので、実に紛らわしくて誤解を招くこともある一方、細かいことを抜きにして、まずは話が通じることは幸いである。

「私、あなたの踊りと、マイクを使わずに凄く素敵な声で歌ったのを聴いて、とても敵わない、と思いました。だからあなたがグランプリで当然かと思います」

 両脇にいた、準グランプリの2人もうなずいた。

 息長姫は少女たちを見て、ちょっと不機嫌になった。

 3人とも、あまりにもスタイルがよかったからである。

 特にグランプリの少女は、スラリと伸びた両脚に、はち切れんばかりのバストが目にまぶしかった。

 しかも胸の谷間を通り越して、バストラインが見事なまでのYラインを形成していたのである。

(仲津彦も妾より、この娘たちのように胸乳が大きい方がいいのだろうか?)

 仲津彦のことをいつのまにか考えている自分にも、また腹立たしかった。

「いや、妾はあくまで代役。沙織がどの程度の者かは知らぬが、皆のように、その、だな、そういう格好はしたくないのでな」

「水着、のことですか?」

 準グランプリの細身の少女が訊いた。背丈は息長姫より少し高い程度である。

 細身で実はまだ高校生なのだが、胸はグランプリの少女を超える大きさに、思わず息長姫は目をそらした。

「これからですよ、あなたのそれは」

 息長姫の胸は「それ」呼ばわりされたが、(致し方あるまい)と思って、グッとこらえた。

(この娘たちはこれからこの地の領主にでも差し出されるのであろうか? 気の毒にな)

 少し同情気味の視線を、声をかけた準グランプリ娘に向けた。

「それに、それなりに需要のあるスタイル、ですから」

 そう言うと、細身の少女はあとの2人に目配せをした。

「あなたにはピッタリの水着があるんですよ」

 細身の少女がそう言い終わらないうちに、息長姫の腕を2人がガッシと捕まえる。

「は、放せ! 神聖なる比売巫女の妾の体に触るでない!」

 だが、単なるコスプレとしか思っていない3人にとって、自分たちよりも背丈が低くて、幼女体系の少女を引っ張って行くことなど、造作もないことだった。

 それに奇妙なことだったが、息長姫にとって、いつもの力が出せないのだ。

(なぜだ。いつもならこのような細腕なぞ、苦もなく払いのけることができるものを)

 息長姫本来の時代から1,830年も未来に飛ばされ、生まれ育った時の地龍から受ける加護を失っているからなのだが、さすがにそれは息長姫にはわかるわけがなかった。

 幸い、同じ土地のお陰で、地龍からの加護がゼロになったわけではない。だが、かなり微弱になってしまったことは確かである。そしてこれは、息長姫と入れ替わりに過去に飛ばされた沙織についても同様であった。

 カーテンの奥では息長姫がありったけの力を振り絞って、抵抗していた。

「お前、どこを触っておる。は、放せ、触るな」

「じっとしていてね、お嬢ちゃん。すぐ、すみますから」

「ひ~~~っ、こ、こら、そのようなものを・・・・・・」

「あなた、膝を掴んで開いてくださいな。そう、そうすれば脚が動かせません」

 さすが、介護職に進んだグランプリ娘はよく識っている。

「まぁ。まだ、つるつるですのね」

「ど、どこを観ておる。まだ仲津彦にも観られていない妾の神聖な比売巫女の体を!」

 いや、実際は全裸を二度も観られているのだが、最初はシルエットだけ、次は主に上半身で、下半身に関しては観られていないも同然と言えば言えなくもない。

「彼氏がいるみたいね。羨ましいわ」

 失恋したばかりの準グランプリの、ごく普通の背丈で胸も普通の、ピンクのビキニを着た少女が腕に力を込めた。

 このビキニはビキニと呼ぶのもおこがましい。紐にほんの申し訳程度に局部を隠す布地を貼り付けただけの、いちど泳いだら簡単に脱げてしまうようなシロモノである。紐パンに紐付きニプレスと言った方がいいくらいである。

 このコンテストに応募したのは、失恋した男を見返すため、であった。

 腰まである長い髪をなびかせ、カラオケで鍛えた得意の喉を披露したのだが、自分では最大のチャームポイントだと思っていた胸は同じ準グランプリの女子高生に見劣りし、小顔でスタイル抜群のグランプリ娘と比較されると、準グランプリとは名ばかり、2人に圧倒的に劣っていることを身をもって感じていた。

 そして息長姫の踊り(本人は舞いのつもりなのだが)とその美声に圧倒され、やはり出るべきではなかった、と後悔していた。

 だが、息長姫相手なら、胸に限って言えば、圧倒的に自分が勝っていると思っていた。

 さらに息長姫がグランプリになれば、落選するのは自分に違いないと確信。他の2人には協力するふりをして、なんとしても息長姫を落選させたいと思っていた。

「ほんと、まだまだ、ね」

 そう言いながら、準グランプリ陥落間近の少女が、息長姫の胸の頂点を、指先でそっとなぞった。

「あ、んっ!」

 会場が騒然となった。

 実はグランプリ娘は両手が自由になるようにと、胸の谷間にワイヤレスマイクを挿入していて、一部始終、会場に実況中継されていたのである。

 元々、声が素敵な息長姫である。ミルキーボイスからドスの効いたしゃがれ声までその気になったら自在に操ることのできる喉を持っていて、現代なら声優が天職たりえたであろう。

 息長姫たちのいる奥が静かになった。

 それはそれで、いったいなにがあったのか知りたい欲求そのままに、その目で確認できない会場の人々は固唾を飲んで、聴き耳を立てた。

 やがて、スクール水着に身を包んだ少女が姿を現した。しかもダブルフロントの、分離スカート型旧タイプのスクール水着である。おまけにナイロン100%の、アップで観るとうっすら体毛まで確認できる超薄手の生地である。伸縮性に乏しい生地をカバーすべく、背中がザックリUの字に開いているのが特徴である。

 衣装を選んだスタッフの趣向がこれほど如実に現れたものはないだろう。

 もちろん、これらを含め、大半の衣装を選んだのは、あの、ロリコン変態歴史オタクの海野である。非の打ち所がないグッジョブと言ってよいであろう。

「おおっっっ・・・・・・」

 会場が騒然となった。

 ノーパン巫女姿で舞った時も撮影のフラッシュが至る所で光り、カメラやスマホを掲げて撮影する者が続出したが、動きが激しく、見事、裾が広がったその瞬間を捉えた者はごくわずかであった。しかもオートフォーカスではピントがボケてしまって、ハッキリと局部を捉えた者は皆無であった。

 だが、今回は違った。執拗に股間と微乳を狙う不届き者が続出したのである。

 と、息長姫の胸元に首から提げて大型クリップで水着の内側にとめられたスマホが着信音を鳴らし始めた。

 それを手にとってまじまじと眺めていた息長姫だったが、突然、声を上げた。

「な、なんじゃ、これは」

 無理もない。自分の姿がその掌より少し大きい画面に映し出されていたからである。

 一部は動画で、今、スマホを手にして驚いている息長姫の姿が、少し遅れてライブで映し出されていた。

 そして今度は音に加えて、振動し始めた。

「ひ、ひっ~~っ」

 このような固体物から、まるで生き物のような音がしたり振動するスマホというものは、息長姫にとっては認識を超えた物体だった。

「あ~~~っ、私のスマホ」

 ステージ袖から香奈が声を上げた。息長姫がスマホを放り上げてしまったのである。

 女子高生準グランプリ娘が走ってきて、ステージ縁ギリギリのところで背伸びして無事、キャッチした。

「あ、危ない!」

 ステージから落ちそうになった準グランプリ娘を息長姫が後ろから手を回して、後ろに向き倒れる。半回転して息長姫に胸元を押しつけるようにして倒れ伏した順グランプリ娘だったが、スマホは右手にしっかり掲げてステージ面に接触することもなく、無傷であった。

 ステージ袖ではホッと香奈が安堵の吐息を漏らし、胸を撫で下ろしていた。

 一方、ステージ上では巨大な胸の谷間に顔を埋めるようにして、息も絶え絶えの息長姫に気付いた女子高生準グランプリ娘が急いで体を起こした。

「だ、大丈夫?」

 ようやく息ができるようになって、深呼吸して目を開ける。

 その目に飛び込んできた女子高生準グランプリ娘の巨大な乳房に大きく目を見開き、息長姫は視線を逸らした。

「妾の、負け、じゃな」

 息長姫がいったいなにに負けたのかハッキリわからなかったが、巨乳女子高生は息長姫に手を差し伸べた。

 ちょっと躊躇しながらも、息長姫はその手を取った。

 会場は「お~~~~っっ」と声に包まれ、再び騒然となった。

 立ち上がって脚の汚れを払いながら、スクール水着をまじまじと背中側まで顔を回して見ていた息長姫だったが、右足を大きく振り上げた。

「体にまるで縛っているかのように絡みついていて動き難いかと思っていたが、けっこう動きやすいな」

 今度は左足を振り上げる。

 再びフラッシュが山のようにたかれ、カメラやスマホが掲げられて撮影会と相成った。

 後ろからグランプリ娘が息長姫の肩を、そっと撫でるように叩いた。

「そのようなはしたない仕草は、しないことよ」

「はしたない?」

「そう。はしたないわ。会場から股間が丸見えよ」

 即座に息長姫はグランプリ娘の言葉の意味を理解して、足を下ろした。だが、それでも息長姫の微乳と股間をアップで狙っているとしか思えない、三脚に固定した超大型望遠レンズの後ろに隠れるようにして、カメラの撮影音が続いた。

 グランプリ娘にはスクール水着で嫌な思い出があった。

 高校2年生の頃のことである。

 水泳大会と称した、男女交流品定め大会の場でのことである。

 プールサイドに体操座りしていたグランプリ娘は膝はピッタリとくっつけ、胸元も隠すように腕を回していたのだが、隣の女の子との会話に夢中になっていて、腕が次第に下がって、逆に両胸をせり上げるような格好になってしまっていた。さらには両足が開いていて、少しふっくらした股間がM字開脚気味に、丸見えだったのである。

 数日後、男の子たちが妙に興奮気味に何かを見ているところを肩越しに後ろから覗き込んだグランプリ娘は、絶句した。

 自分のあられもない水着姿が写真画質A4サイズ、1枚1000円で売られていたからである。

 ピントは顔ではなく、股間に見事に合っていて、A4サイズに引き延ばしていても、まったくボケていない。おそらく、撮影したカメラの解像度も、撮影者の腕もかなりよかったのだろう。

 下着の盗撮なら立派な犯罪だが、水泳大会の写真の一部として売られていて、止めさせるわけにもいかない。

 最も売れていたのは、グランプリ娘の水着姿だけで、あとは自分が写っているものを購入する程度である。

 男子生徒の中には、デジタルデータで購入し、顔の部分を芸能人や女優に差し替えて、「アイコラ」として部屋に飾っている者もいるという。

 恥ずかしさのあまり、グランプリ娘は1週間、学校を休んでしまった。

 そして大好きだった野球部のS君から、クリスマスを直前にひかえたある日、体育館裏で告白された時のことである。

「君の写真、いつも制服の左胸の内ポケットに大切にしまってあるんだ」

 生徒手帳から抜き出した水着M字開脚写真を見せられてしまったのである。

「不潔よ!」

 そう言うと、グランプリ娘は泣いて走り去ってしまった。

 馬鹿な男である。もう少し清純そうな笑顔の制服姿でも代わりに入れておけば、こういうことにはならなかったに違いないのだ。

 わずか2年前のことなのだが、その当時は、グランプリ娘もまだお子様だった。

 今ではその見事なプロポーションを男たちに見せつけ、その視線が集中することに快感を覚えるほどまでに成長していた。

(もし、あの時、中二病じゃないけど、「見てみる?」なんてS君の耳元でささやいて、パンツ下ろしていたら、人生、変わっていたかもしれないな。それに、たくさんの男の子たちがあの写真でひとり上手していたかもしれないって思うと、ちょっと嬉しいな)

 なんて考えて笑みを浮かべることもあったほどであるから、その成長ぶりが伺えるであろう。

 もっとも中二病ではパンツは下ろさず、妙な呪文を唱えたり装具を着けたりするものであるが、そのことはここではあえて触れないことにする。なぜならば、中二病を論じ始めると、それだけで紙面が尽きてしまうからである。

「やはり妾はお前達には敵わぬな」

 なにが敵わないのか、グランプリ娘にもよくわからなかったが、とりあえず、笑みを返した。

「この姿になって皆の前に顔を出したが、皆の視線はお前に一番集まっている」

「そ、そんなことないわ」

 だが、息長姫には視線の先が自分ではなく、グランプリ娘に注がれていることを確信していた。

 それもそうだろう。「それなりに需要がある」スクール水着姿の娘より、小顔でスタイル抜群、見事なプロポーションの「即、結婚だってOK」のグランプリ娘の方が需要があるのは明らかである。「それなりに」ではとても及ばないのは、字面からも自明である。

 息長姫はグランプリ娘の腕をとって、高々と掲げた。

 そして後ろにひかえる2名の腕も左手でまとめて取り上げ、掲げてみせた。

「お~~~~っ、いいぞ、スク水娘」

 ステージ袖にひかえている海野は「ま、ノーパン娘よりはスク水娘の方がまだマシか」と、小さく溜息をついていた。

 ステージ上では、なぜだか、グランプリ娘は涙を浮かべていた。

「なぜ泣く。お前が勝ったのだぞ」

 涙を拭いながら、「ええ、ええ、ありがとう。ありがとう」そう言いながら、小さくうなずき続けた。

「来年も来いよな、スク水娘」

 会場から声がかかった。そして拍手が嵐のようにしばらく鳴り止まなかった。

(来年までここにいてたまるか)

 息長姫は心の中で思ったが、笑顔でゆっくり手を振り、ステージを後にした。

(でも、いい経験をした。政には民を鼓舞するこのような祭も必要だということか。比売巫女として秘中の秘としてきた舞だが、もっと民にも開かれるべきなのかもしれぬな)

 少し心残りなのか、ステージの袖で後ろをちらっと振り返ってみた。

 ステージ上では涙を浮かべて繰り返しお辞儀するグランプリ娘の姿が目に入った。

(それにしても、この祭の趣旨はなんなのじゃ。領主に捧げるための娘選びではなさそうだが・・・・・・。むしろ民のために選んだようにみえたが)

 ロコドル選抜コンテストというのを古代の人々に説明するのは難しそうである。

       *

「卑弥呼さまはこれからどうされます?」

 歓声を背に、ステージから袖へ戻ってきた息長姫に、海野が声をかけた。

「そうじゃのう。野宿するわけにもいかぬしのう」

 海野の表情が輝いた。

「ならば、ぜひ、我が家へ」

 ちょっと間があった。

「それは止めておこう」

「えっ? なぜ?」

 海野は必ずや自宅に息長姫は来るだろうと踏んでいたので、あまりにも意外な返答であった。

 息長姫は言い淀んだ。

(身の危険を感じる、なんて言えるか、この阿呆)

「それなら、ぜひ、拙宅にお越しください」

 沙織の父親が声をかけた。

 速水家は豊前地区でも有力な豪族の末裔で、豊前宇都宮氏、あの黒田官兵衛の謀略に遭って討ち滅ぼされた城井鎮房とは遠縁にあたる。黒田長政や豊臣秀吉の追撃から逃れるため、母方の姓を名乗って難を逃れたとも言われているが、定かではない。

 また、城井家の秘術として名高い「艾蓬の射法」は神功皇后が三韓征伐の際に行ったとも言われ、弓の名手で神功皇后の息子の誉田別尊、後の応神天皇にまずは伝えられていると考えられており、城井一族の中には、応神天皇の血を引く者がいるのではないか、と言う者もいたりするくらいである。

 沙織の父親は弓道界では達人としてつとに名高い。

 通常、弓道の遠的は60mだが、参考演技でアーチェリー用の90mを普通の弓で72射して最中の10点が70射、9点が1射、7点が1射と驚異的な高得点を挙げ、アーチェリーのオリンピック銀メダリストの度肝を抜いたこともある。

 一見、大人しくて弓を持たせてもそんな凄腕とはとても思えないのだが、淡々とした表情で風をよみ、自然体で的を射るさまは、那須与一の再来とまで言われた。

卑弥呼とは血縁にあたる葛城一族で弓の名人、いくは(伊久波)戸田宿祢の血を引く母方の伯父の影響を大いに受けたのは間違いない。

 ま、それはともかく、息長姫は万一の時に護ってくれそうな速水家での滞在を望んだ。

 それはひょっとしたら沙織を再びこちらの世界に呼び戻すヒントがあるのではないか、と息長姫が思ったことと、もし、戻れなかった場合は自分が沙織の代わりに何か役に立てることがあるのではないか、という思惑もあった。

 息長姫は沙織の父親が運転する、「車」というものに初めて乗って、驚嘆の声を上げた。

「馬より倍くらい早いのう」

 息長姫は左右の草木が去って行く速さに加え、窓を開けて掌に当たる風の強さで判断した。

 確かに競走馬が60㎞前後で走るので、沙織の父親が運転するベンツS400hなら、少しアクセルを踏み込めばあっという間に100㎞超えるスピードが出る。ということは、ねずみ取りに十分引っかかるスピードが出ていたということだが、まぁ、それは警察の仕事なので、置いておこう。

 かつて地方豪族として栄え、江戸時代には小笠原藩の代官としてこの地を仕切っていたものの、戦後の農地改革で多くの田畑を手放し、今では古い母屋がかつての繁栄を物語るのみである。

 そして今では、3人家族のため、母屋の隣に建てられた、こぢんまりとした4LDKの新建材の住宅に住んでいる。

 しかし母屋は見事に手入れされ、裏庭の紅葉と桜は地元の観光名所となっていて、遠縁の城井一族の人たちもここをよく訪れ、母屋の方へ逗留していくという。

 速水家が戦後も祓川流域に所有していた土地や山々は、現在は伊良原ダム建設予定地として国に接収されてしまっていて、裏庭に続く1反ほどの田畑のみとなってしまったのは、なんとも寂しい限りである。

 壁に貼り付けられた地図の赤い囲みを目にした息長姫はそれをひとつひとつ指で押さえてゆき、ポツリと言った。

「治水はいつの世でも重要だが、ここまで大きくしなくとも、隣の川にもあるではないか。人の住み家を奪ってまでしなくともよさそうなものを」

「あまり収益が望める産業がないこの地は、人々がどんどん離れていってしまうので、補償金で潤う人たちにとっては、渡りに船、なのでしょう」

 とても13歳の女の子相手の会話ではない。

 と、奥からケーキと紅茶を母親が運んできた。

「疲れたでしょう。そういう時は甘いものが一番」

 美しくデコレーションされ、フォークで触るとグニャグニャした三角形に切られた物体にちょっと警戒心を覚えた息長姫だったが、沙織の母親がフォークで切って突き刺し、それを口に運ぶのを見て、同じようにやってみた。

 さすがに沙織の母親のように綺麗に切ることはできなかったが、ひと口頬張って、思わず声を上げた。

「な、なんと美味じゃ」

 だが、目の前の母親はうつむいて、涙をこぼした。

「そうか。本来ならお前たちの娘が褒美として食すべきものだったのだな」

 声を押し殺して、母親はうなずいた。

 息長姫にとって、見るもの、手にするものは初めてのものばかりだった。

 中でもテレビには驚いた。

 かつてはブラウン管を使用した前後にも長い箱形テレビだったので、中に小人が入っているのではないかと、中を開けてみようとした、などということが語られたが、現在は液晶を使用して、壁に掛けられたりもするようになった。

 息長姫はテレビが掛けられている壁まで行って、壁を叩いたり、テレビの後ろを見たりした。

 それに外は暗くなってきたのに、室内はいつまで経っても、明るいままである。

 しかし廊下は所々に灯が漏れるところはあっても、暗いままである。

 それを壁からわずかに突き出した物体を触るだけで、日中と変わらぬ明るさになる。

 トイレは最初こそ便器の上に足を載せて屈んだが、座ってするものだと教わり、ウォシュレットで尻を洗浄するという初めての体験をした。

 湯船だけは違った。

「ここの湯船は狭いのう」

 湯屋という屋敷に幾つもの薬湯まで備えた風呂で入浴していた息長姫は、初めて文句を言った。なにしろ広い湯船を温水プールのように泳ぎ回っていたからである。

「しかし、石けんとやらのお陰で、本当にさっぱりした」

 さすがにシャンプーの使い方と石けんの違いがよくわからなかったので、息長姫は髪まで石けんで洗ってしまっていた。

 ふつう、これだけ環境が変化してしまうと、身の危険を感じていろいろ手を出したりしないものであるが、息長姫は違ったようである。見るもの触るもの、みな、興味津々であった。

「こちらに来て、今日のコンテストの映像を見ませんか?」

 父親がパソコンの前の椅子を引いて、おいでおいでをした。

 座ると、目の前にコンテストで優勝、準優勝した、あの3人娘が立っていた。もちろん画面サイズだが。

「これは時を映す水晶珠のようなものか?」

「まぁ、そんなようなものです。単に時を映すだけではなく、いろんな情報や商品を取り寄せたりすることもできます」

「商品?」

「そうです。例えば」

 そう言うと、Amazonのページに移って、プリンター用紙を幾つも画面に出した。

「この中で、たとえばこれが欲しいと思ったら」

 画面をクリックする。

「あ、大きくなった」

「そしてカートに入れる」

 と言って、マウスをクリックする。さらにクリックしてレジに進み、何度かクリックして、注文を確定する。

 現代人の我々には見慣れた光景である。

「この、手に持っているもの・・・・・・」

「マウス、ネズミのことですね」

「ネズミじゃと?」

「格好が似ているでしょう」

「確かに」

 しばらく凝視していた息長姫が、マウスの背中を指で数回押してポツリと言った。

「逃げないぞ」

 沙織の父親は大笑いした。あまりに笑いすぎて、涙が出てきて拭ってしまった。

(娘が突然姿を消してしまって、とてもそういう気持ちにはなれないのに、それでも人は笑うことができるのか)

 笑ったあと、沙織の父親は心が痛んだ。

「これは機械のマウスで、格好が似ているからそう言われているだけです」

 笑ったあとなのに、少し沈んだ声だった。

 決まりが悪かったのか、息長姫はマウスから視線を逸らした。

「そうじゃ、妾が皆に頼んでおいた、ページの情報とやらを見たいのだが、あの平べったいものはないか?」

「ああ、ホームページのことですね。それなら、実は先ほどもお見せしていたのですが、スマホじゃなくても、パソコンでも見ることができますよ」

 そう言うと父親は『花しょうぶまつり』のホームページをもう一度出して、Facebookに投稿がないか、探した。

 投稿は画像がほとんどで、中でも息長姫が足を挙げたところが見事に捕らえられていて、やはり股間狙いらしく、ピントがドンピシャリ、局部に合っていた。

 父親はそういった画像を華麗にスルーすると、香奈のコメントを探し出して、息長姫に見せた。

 そこには香奈と沙織が顔を寄せ合ってVサインしている写真が載せられていた。

「左があの、香奈じゃな。そして右が・・・・・・」

 息長姫は父親の顔を見た。

 憔悴した表情がでうなずく父親が痛々しかった。

 沙織は少しポッチャリとした頬で、しかしとても品のいい口元と大きな瞳、長さでは息長姫にはかなわないまでも、背中の半ばまである、よく手入れされた綺麗なストレートの髪が美しかった。

 速水家までの車中、写真についてその原理の説明を受けたが、車の凄さに気を取られ、息長姫にはあまりよく理解できなかった。とにかく、目に映ったものと同じように、薄い紙というものに静止した姿を写し出すことができる、ということだけはわかった。

 動かず声も聴くことができない写真というものに写され、それがパソコンと呼ばれる画面にも映し出すことができる便利なシロモノではあったが、本物の沙織はどこにもいないのである。

「写真というものは、寂しいものじゃのう」

 息長姫の言葉の真意を沙織の父親は解しかねて、首を傾げた。

「夜は、娘の部屋で休んでください。娘と入れ替わることができるあなたなら、娘をまた取り戻す方法を思いつくかもしれません」

 父親が力なく笑った。

 ある意味、それは拷問に近いものがあった。だが、息長姫はそれを甘んじて受けねばならぬ、と思った。

 どうぞ、と案内された沙織の部屋はすでに暗闇が支配しつつあった。

 そして主の不在を物語るかのように、ひっそりと静まりかえっていた。

 沙織の父親がカーテンを閉め、灯りを点ける。

「おおっ」

 息長姫は小さく声を上げた。

 たくさんのぬいぐるみやポスターが壁を飾っている。しかし室内の明るさとは対照的に、その賑やかさがいっそう寂しさをかき立てていた。

「これらは人形ひとがたか。むしろ獣にも見えるが。これは式神か?」

 父親はゆっくり頭を振った。

「いいえ、先ほどお見せした写真を大きく引き伸ばしたポスターというものです。そちらはテディベアという、熊のぬいぐるみです」

 そしてポツリと付け加えた。

「それにしても、娘の部屋に入ったのは、何年ぶりでしょう」

 息長姫は驚きの表情を向けた。

「お前の娘であろう」

「ええ。でも、同じ女性である母親は入り易いのですが・・・・・・」

「結界でも張ってあったのか?」

「いえ、その、異性である男の場合、たとえ実の娘であっても、その部屋に入りがたいものがあるのです」

 そう言うと、再び寂しげな表情で、力なく微笑んだ。

 息長姫は、自分が6歳で品蛇王のもとに預けられたことを思い出していた。

(この世界でも、父親と娘は離ればなれにさせられるのか。ひとつ屋根の下に住んでいながら、逢うこともできぬとは、なんと惨いことよの)

 単に部屋に入れないだけで、食事は一緒に摂ることが多いので、別に離ればなれになっているわけではないのだが、現代における思春期の少女のことを説明するのは、なかなか難しい。

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