第4話
息長姫は日の出とともに目覚めていたが、ベッドというもののあまりの寝心地のよさに、いつまでも布団にくるまり、寝返りを打ちながら、日の出の際に開けたカーテン越しに外を眺めていた。
「あれはいったいなんだったのであろう」
もしその時、壁のポスターに机の上や棚のぬいぐるみがなくなっているのに気付いていたら、もう少し早く事態を飲み込めていたであろう。
ドアのノック音がした。
「なんじゃ」
「入ってもよろしゅうございますか?」
「構わぬ」
息長姫がドアの外に向かって声をかけると、沙織の母親が恭しく入ってきた。
「城井のお嬢様、お加減はいかがですか?」
息長姫は怪訝な顔をした。
「なにを言っておる。妾は・・・・・・」
「学校の方にはご連絡申し上げておきましたので、お体の具合がよくなるまで、どうぞごゆるりとお休みください」
様子が変である。
「ご当主はいかがされた? 話がしたい」
沙織の母親は寂しげに笑った。
「主人は数年前に他界しております」
「そんな馬鹿な。昨夜、妾にパソコンなるものを教えてくれたぞ。ネズミも触らせてもらった。そうじゃ。その、パソコンは、あるか?」
(パソコンのページというところを見れば、昨日の舞台のことも出ているはず)
沙織の母親に案内された部屋は、会社の事務所として使われているようだった。
「そう、それじゃ」
昨晩のパソコンと同じパソコンである。息長姫は安堵した。
「花しょうぶまつり、というページを出してもらえまいか」
「はいはい」
沙織の母親はキーボードを叩き、数回マウスをクリックして、いとも簡単にそのページを出した。
だが、グランプリ1名、準グランプリ2名は確かに昨日と同じ娘たちだったが、息長姫が踊った映像や、スク水で足を蹴り上げた時の写真はなかった。
「そ、そんな・・・・・・」
香奈が沙織と一緒に撮った写真も探してみたが、どこにも見当たらなかった。
(そうじゃ。あの海野という男じゃ。あの男ならわかるに違いない。名刺とやらに行き先が書いてあるということだったが)
だが、どこを探しても見つからなかった。
「海野という、凄く歴史に詳しい、昨日の舞台を仕切っておった男に会いたいんじゃが・・・・・・」
「えっ?」
沙織の母親はわずかに意外そうな顔をしたあと、強烈に引き攣った表情になって、さすがに動揺は隠せなかった。
「う、海野・・・・・・。どうしてその名前を?」
「昨日、いろいろと世話になったでの」
「海野・・・・・・だけは止めておいた方がよろしいかと」
「なぜじゃ?」
「そ、それは・・・・・・」
(ロリコン変態歴史オタクって、さすがに言えないわ)
幸か不幸か、海野の姉は沙織の母親にとって、中学一年の文化祭で一緒に、あみんの「待つわ」を歌ったほどの、大親友だった。共に結婚して足は遠のいたものの、今でも行き来があるのは言うまでもない。
沙織の母親は小さく咳払いした。
「か、和ちゃん、あ、和明くんはちょっとアブナイ子だから・・・・・・」
「存じておるのか?」
「えっ? あ、まぁ、その、幼い頃のことですけど」
嘘である。海野がコンテストのスタッフだと知って、沙織がエントリーするのを最後まで渋っていたのは、母親であった。
「そうか。じゃあ話が早い。案内せい」
「えっ? 今、ですか?」
「そうじゃ」
「ちょっと今から、私は仕事で出かけなくてはなりません」
「ならば、行き先を紙とやらに書き記してもらえぬか?」
「どうしても行かなければなりませんか?」
「どうしても、じゃ」
沙織の母親は溜息をついた。
「仕方ありません。では少々、お待ちください」
そう言うと、沙織の母親は足早に階下に降りてゆき、しばらくして手に海野の住所を記した紙と、短冊を集めて綴じたようなものを持ってきて差し出した。
「これは?」
「タクシー・チケットというものです」
「タクシー?」
「はい」
ひとつ小さくうなずいて付け加えた。
「ハイヤーともいいます」
「で、これを使ってどうするのじゃ?」
息長姫はタクシー・チケットの束をパタパタと言わせた。
「車をお呼びしますので、それに乗って、降りる時にそれを運転手に渡してください」
「これを渡せばよいのじゃな?」
「あ、こうして一枚ずつ」
そう言うと沙織の母親は表紙を開けて、切れ込みの入ったところから切り離す素振りをみせた。
「もっと手前に引くと右半分がちぎれます。それを運転手に渡してください」
「わかった」
20枚ほどあろうか。会社などで使用する、タクシー・チケットの束である。
これを丸のまま手渡すというのは、いったいどういうお宅なのであろうか。あるいは、会社を経営しているのであろうか。
「く、くれぐれも、その、長居はしないことをお勧めいたします」
「なぜじゃ」
「なぜでも、です」
(あなたまで染まってしまって、変な道に走らないように、なんて言えるわけ、ないでしょ!)
「ご用がすみましたら、直ちにお戻りください」
沙織の母親は想像してしまっていた。
息長姫がメイドの格好や、手に剣を持つアニメのヒロインの格好や、親友の海野美都子が中学校時代に着用していたスクール水着を着せられている姿を。
実はすでに親友美都子の娘が被害に遭っていて、幼い頃は嫌がっていたのに、小学校に入る頃には自ら進んで海野が用意した衣装を着るようになり、ついには年に数回、東京ビッグサイトや秋葉原まで出かけて行ってコスプレをするというほど、のめり込む娘に成長(?)してしまっていたのだ。
まぁ、秋葉原や福岡のアイドルグループに研究生として入らなかっただけ、まだマシだったかもしれない。もっともそれは、姪っ子が自分の手から離れていってしまうのを、海野が執拗に阻止した成果でもあったのだが。
(どんな事情があるのかは知らないけれど、とにかく、城井家のお嬢様を、あの和くんの毒牙にかけてしまったとあっては、償おうにも償いきれない)
そう思いながらも、一方で美都子の娘、里美よりも微乳な息長姫の方がスクール水着は似合いそうだ、なんて念入りに観察、想像、比較していたりするのだから、沙織の母親もその闇は深く、海野のことをとやかく言えたものではない。
電話すると、タクシーはすぐやってきた。
行き先を告げたら、「えっ?」と、運転手は聞き返した。
「お嬢ちゃん、ひとりで行くの?」
「ああ。妾、ひとりじゃ」
「大人の人は一緒じゃないの?」
「ああ。速水の奥方は出かけなければならぬ、とかでな」
「そ、そいつぁ、止めといた方がいいんじゃない? せめて誰か、大人の人と一緒に行った方がいいと思うよ」
「なぜじゃ? 速水の者もそう言っておったが」
「いや、その、とても変わった人でね」
と言いながら、運転手は運転手で(このお嬢ちゃんも、自分のことを妾とか言って、よっぽど変わっているな。海野のところに行きたいってことは、類友なのかな?)などと考えていたりするのであった。
沙織の母親は運転手に向かって「城井家の大切なお嬢様です。よろしくお願いいたします」と言って、頭を下げた。そしてタクシーの窓越しに「それではお気を付けて」と、息長姫に向かって深々と頭を下げた。
(きっと速水の女主人は、親類の城井家の娘を人身御供として海野に捧げようとしているに違いない)
そしてその片棒を担いで、この娘を送り届ける役目を担う自分が、まるで犯罪の片棒を担いでいるかのように思えて、ちょっと心が痛んだ。
車が走り出して間もなくであった。
「この車、乗り心地はあまりよくないな」
運転手はむっとした表情をバックミラー越しに息長姫に向けた。
「ええ、そうでしょうとも。城井家のベンツに較べれば、日産のクルーじゃ、足もとにも及びませんよ」
(やっぱりこの娘、変わっている。城井家のお嬢様ともなれば、日ごろ、タクシーなんて利用したこと、ないんだろうな)
運転手の考えはある意味正しい。息長姫が実際に日ごろ利用していたのは、馬なのだから。
海野家の前に車を停めた運転手は、チケットを受け取ってドアを開ける際、一瞬、良心が咎めた。
「お嬢ちゃん、携帯かなにか持っていない?」
「携帯?」
「そう、電話がかけられるヤツ」
「妾はこのタクシー・チケットしか持ってきてはおらぬが」
運転手は絶句した。いざとなっても連絡手段もないこの少女が無事に帰ってくるとは、とても思えなかった。ますます心が咎めた。かといって、自分の携帯を貸すわけにもいかない。
(ごめんな、お嬢ちゃん)
運転手は心で手を合わせながら、ドアを閉めた。
海野の家は門の外から見る限り、一応、一軒家である。草ボウボウの。
それだけでも、外から訪れる客の少なさを物語っているような家だった。
古民家を改築したようにも見えたが、速水家の母屋のような手入れはされていない。
沙織の母親から教わった通り、玄関のチャイムを鳴らすと、不機嫌そうな表情をした海野が顔を出した。
(この様子だと、沙織の母親同様、妾のことは覚えておるまいの)
息長姫の勘は当たっていた。ただ、不機嫌なのは別の理由があった。
昨日のロコドル選抜コンテストの代休をもらい、今まで忙しくては溜まりに溜まっていた録画していたアニメを、今日は片っ端から観るという、アニメ三昧の一日を楽しもうとしていたところだったのだ。
そんな高揚感に包まれていた矢先、先ほど、速水家から電話があったのである。
しかも今から城井家のお嬢様がそちらに向かう、とのこと。
理由を聞いてもロコドル選抜コンテストの件で、ということくらいしかハッキリしない。
さすがに後ろに回って確認はしなかったが、応接間に案内した海野はワンピース姿の息長姫を頭のてっぺんから爪先まで、胸元で一時スピードが落ちたものの、念入りにスキャンした。そしてその顔が少しほころんだ。
(城井家のお嬢様ってことは、鶴姫と血のつながりがあるのかな? 姫が磔にされたのもこのくらいの年齢だったはず)
胸元を凝視しながら年齢の見当をつけるとは、いい度胸である。
「で、本日のご用はなんでしょう?」
海野の口調から、昨日、自分がロコドル選抜コンテストに乱入したことは覚えていないことを息長姫は確信した。
「昨日のロコドル選抜コンテストのことじゃ」
「グランプリは酒井さん、準グランプリは田中さん、斉藤さんですが」
「うむ。それは承知しておる」
「では、他になにか?」
「妾のこと、覚えておるか?」
「一次予選のリストには、あなたは入っていませんでしたよね。それとも、会場でなにかありましたか?」
「うむ。会場というか、舞台上でじゃ」
「ステージに上がれるのは、一次予選通過者だけですが」
息長姫は溜息をついた。
「ならば、妾がスク水とやらを着た時のこと、覚えていないか・・・・・・」
「覚えているもなにも、そういうことはありませんでしたから」
「そなたは、妾が着ておったスク水とやらに頬ずりして、どこぞに大切に保管すると申しておったが、持ってはおらぬか? どうじゃ?」
「水着は、確かに、本当はいけないんだが、ちょっとその、拝借して・・・・・・」
(でもこの娘は、どうしてそのことを?)
海野は急いで奥の部屋にある、宝物入れとしているアタッシュケースを開けてみる。
確かに旧タイプのスクール水着が無臭防虫剤入りで入っていた。日付と使用されたイベント名が昨日のロコドル選抜コンテストである旨書かれた和紙が、肩紐のところで紙紐を通して取り付けてあった。
海野は首を傾げた。
(このスク水を選んだのは、確かに自分だ。でも、元は姉貴のものだったんだから、なぜこんなことをする必要がある。こんな水着ひとつ、いつでも自分ならイベント用として調達可能だし、宝物入れに保管するなんてことしなくても・・・・・・)
「ほれ、貸してみよ。妾が着けた姿を見れば、思い出すであろう」
「いやです、これはあの卑弥呼さまが使用なされたもの」
(あれっ? あの卑弥呼さまって、誰だ?)
海野は自分で言っておきながら、愕然としてしまった。
「だから、妾がお前が言うところの卑弥呼で、息長の娘じゃ」
「じゃぁ、何か証拠でも?」
息長姫は溜息をついた。
「だから、貸してみよ、と申しておる」
恐る恐る目の前の自称、卑弥呼にスク水を手渡す。
渡す際、タグのところに紙が挟まれているのに気付いて開いてみると、「卑弥呼さまこと、息長姫使用済み」と書かれているではないか!
沖永ではなく、息長とちゃんと正式な姓を書いているのはさすがである。
(この娘、自分で息長とか言ったな。ということは、まさか、本当に目の前にいる娘が卑弥呼さまなのか?)
「どこか着替えるところはないか?」
思わず、海野は喉を鳴らした。
無理もない。海野にとってド・ストライクの古代史上の歴史的人物、微乳で13歳の卑弥呼が目の前にいて、スク水に着替えるのである。
「む、向かいの、廊下の反対側の部屋で、ど、どうぞ」
海野の声は上ずり、震えていた。
奥の部屋で、卑弥呼が着替えをしている。それだけでも海野を興奮させるに十分なのだが、その卑弥呼が、今、姉からイベント用に、ということで強引に奪取した旧タイプのスク水を着用しようとしているのだ。
やがてノックとともに声がした。
「入るぞ」
「ど、どうぞ」
息長姫の姿を見て、海野は大きく目を見開いた。
同時に、何か大切なものを思い出しそうで思い出せず、頭の痛みを覚えた。
「な、妾のために誂えたようじゃろ。どうじゃ、思い出したか」
頭を抱えて海野は頭を振った。
「ならば、これでどうじゃ」
息長姫は海野の目の前で、コンテスト会場でやってみせた、ラインダンスのように、足を交互に上げる動作をした。もちろん、股間、丸見え、である。
海野はさらなる頭痛に襲われた。
その最中、脳裏にフラッシュバックのように、息長姫のことが途切れ途切れではあるが、思い出された。もちろん、最初の巫女の衣装も、である。
「卑弥呼さま、あの衣装、巫女装束はどうなされました」
息長姫はちょっと首を傾げ、間があった。
「確か、お前が大切にする、と言って、それもどこかに持って行ったではなかったか?」
海野は小走りに神棚がある部屋に駈けて行くと、神棚の後ろに折りたたまれた巫女の衣装を取り上げた。
再び強烈な頭痛が海野を襲う。
そして、海野のあとから付いてきた少女が、そう、今、脚立の下で自分を見上げている少女が、あのコンテストではノーパンでこの巫女の衣装を着て踊って(息長姫的には舞って)いたことを、ハッキリと思い出したのである。
ほとんど転がり落ちるような格好で脚立を降りると、息長姫の足もとに跪く。
「い、今までのご無礼、切にお許しいただきたく・・・・・・」
ふぅ、と息長姫は溜息をついた。
「やっと思い出したか」
「は、はいっ、卑弥呼さま」
「その、妾は、卑弥呼ではなく、息長の娘じゃ」
海野は勢いよく頭を振った。
「と、とんでもございません。今は息長さまのご息女としてのお名前ですが、ゆくゆくは卑弥呼さまとして、この倭国を統べるお方になるのです」
息長姫は少し不機嫌になった。
それは、海野が自分の識らない未来の自分を識っていたからである。
「もうよい。それよりも状況を説明してくれぬか」
「ははっ」
海野は額が床につくほど平伏した。
そしてパラレル・ワールドのこと、タイム・トラベルのことを話し始めた。
息長姫にとって、ちんぷんかんぷん、理解不能な内容だった。
「要するに、妾が舞を舞ったことで時間と空間を超える道が開き、沙織と入れ替わりに妾がこの時代に、沙織が妾がいた時代に飛ばされた、ということなのだな」
あれだけ難しい話を聴かされながらも、最低限必要な理解が得られているとは、息長姫、怖るべし、である。
「通常、時空を超えるには、時を支配する何かしらの機械を使うのですが、どう考えてもそういったものの存在は考えにくいかと思われます。そこで可能性としては先ほど申し上げた、戦勝祈願の神舞の中に、時を支配するヒントが隠されているのかと思われます。そのためには、過去の世界に飛ばされた速水家のお嬢さん、沙織さんが過去の世界で卑弥呼さまのように戦勝祈願の神舞を舞っていただかなくてはなりません」
「どうやってそれを沙織に知らせるのじゃ」
しばらく顎に手をやっていた海野だが、ゆっくりと頭を振った。
「その方法は今のところ、私にはなんとも。となると、沙織さんがあちらの世界で戦勝祈願の神舞を舞う機会が訪れるのを待つしかありません」
「沙織は戦勝祈願の神舞の舞い方は存じておるのか?」
「いえ、たぶん、知らないでしょう。ただ、速水家の奥さまは、元々、八幡神社の巫女として舞った経験があるお方です。きっと何かいい方法を思いつくかと思います」
「いや、あの母親にはこのようなことを説明しても、わからぬであろう。それにあの時に舞った戦勝祈願の神舞は、妾がいつも舞う舞に加えて、幾つか追加したものじゃ。同じものを舞うことができる者などいないであろう」
う~む、と海野は唸った。
「それに、まだわからぬことがある。なぜ、沙織の父親がいなくなったのじゃ」
「それはおそらく、卑弥呼さまの血縁者だったからではありませんか?」
「沙織の父親が妾の血縁の者と言うのか?」
「はい。卑弥呼さまが過去の世界からいなくなり、その血を受け継ぐ者たちもいなくなってしまったと考えられます。そしてその娘の沙織さんも卑彌呼さまの血を引く者に違いありません。あるいは母親からの血筋もあって、先祖返りして父親よりも卑弥呼さまにさらに近い血と魂をお持ちになっているのかもしれません」
「父親がいなくなったのに、娘の沙織がそのままというのはおかしいではないか?」
「卑弥呼さまと入れ替わりに過去の世界に行ってしまったので、過去から順に繋がっている沙織さんの父親から断ち切れてしまって、独立した存在となったからでしょう。そういう意味では、こちらの世界にいらっしゃった卑弥呼さまも、過去の時間から独立した存在となってしまって、影響を受けていないのだと思います」
「お前が妾にくれた名刺や、ページとやらの写真や映像が消えてなくなったのに、妾のスク水や巫女装束が残っていたのはなぜじゃ」
「それは・・・・・・」
海野は言い淀んだ。
「消えてなくなっては困る、と強く念じる者が現世にいたからではないでしょうか」
なぜだか海野は顔を赤らめ、息長姫から視線を逸らした。
「そうか。ならばお前に妾を思い出させてくれたそのスク水とやらを、この世から消えないように念じてくれた者に感謝せねばなるまいな」
息長姫からそう言われ、海野は興奮のあまり、体が震えた。
「め、滅相もございません。私こそどんなに感謝してもしきれないほど、感謝いたしております」
なぜ海野が自分に感謝せねばならないのか、息長姫にはさっぱりわからなかった。
海野はさらに、今、息長姫が素肌で着用しているワンピースも下賜していただけないものか、と胸の高鳴りを抑えながら思っていたりしたが、息長姫は知る由もなかった。
まったくもって、海野は究極のロリコン変態歴史オタクである。
「もうひとつ不思議なのは、お前は妾のことを忘れておったし、沙織の母親は妾のことを城井の娘だと言っておる。妾は2人のことも、沙織の父親のこともちゃんと覚えておるのだが、これはなぜじゃ?」
海野はメガネに指を当ててしばらく思案していた。
「たぶんそれは卑弥呼さまと沙織さんは時間から超越した独立した存在として、現在と過去の特異点となっているからだと思われます」
「特異点?」
「そうです。世界は2人を結ぶ線を軸として動いているので、その周囲は変化しますが、2人はブレることなく、世界が回り続けていくのです」
特異点の話は息長姫には、ますます理解困難な話に突入してしまうことになった。
海野は割り箸とそれに挟むメモ帳を持ってきた。
「こういうことです」
割り箸の間にメモ用紙を1枚破って挟む。そして割り箸の両端を左右の親指と人差し指でつまみ、割り箸をくるりと回した。
「割り箸の両端が卑弥呼さまと沙織さん、と考えてみてください」
再びくるりと割り箸を回す。
「ひと回りすれば、元に戻る、ということか?」
「あ、いえ、このように」
海野は少しだけ割り箸を回した。
「卑弥呼さまと沙織さんの位置は動きませんが、紙の端の方は大きく位置が変わっています」
「それはわかった」
「要するに、周囲は大きく変わっても、特異点の2人はまったく変わることなく、そのまま時を重ねることができる、ということです」
なんだかわかったようでわからない説明である。
「つまりじゃ、沙織は今までのことは忘れておらぬ、ということじゃな」
海野はうなずいた。
「はい。私の推理が正しければ、ですが」
「夢の件はどうじゃ?」
う~む、と海野は唸った。
「ひょっとしたら、夜、眠っている時に、沙織さんと意識が共有されたのではないでしょうか」
「沙織は眠ってはいなかったぞ。沙織が眠ったら、妾も眠たくなって、眠ってしまったがな」
「では、完全な睡眠まで至っていない時、意識が共有されて、沙織さんの目を通して卑弥呼さまは周囲をご覧になり、一方、沙織さんは卑弥呼さまの目を通して周囲を見ることができた、ということではありませんか?」
「確かにな。だとすると、うまくすれば夢を通して、沙織に伝えることもできる、ということじゃな」
(それはどうかな)
海野は思ったが、とりあえずは、うなずくしかなかった。
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