第5話

 その夜、息長姫は再び夢を観た。

 その体は寝返りを何度も打つが、なかなか眠れないようである。

「どうしたのじゃ、沙織」

 沙織は自分の名前を呼ばれたことに気付いたが、別に驚きはしなかった。

 沙織も頭の中に呼びかけてくる声が、日之巫女と呼ばれた少女、息長姫だとわかったからである。

「あなたの作戦で出雲に勝ったと思ったら、今度は南から熊襲、北からは出雲が同時に攻めてくるらしいの」

「数は?」

「熊襲が3千、出雲が1万」

 さすがの息長姫も絶句した。

「仲津彦はなんと言っておる」

「出雲は全軍でこちらにやってくるらしくて、大和国に援軍の要請を出したけど、間に合わないだろうって」

「若王はどうしておる」

「香春の方に向かったわ。兵を募るとか言って」

「で、五十良はどちらから攻め込んできておる?」

「五十良?」

「そうじゃ五十良は、出雲から向かってきておるのか、それとも伊都国から向かってきておるのか、と訊いておる」

 伊都国は五十良の娘が嫁している国である。五十国いそこくとも言われるほど、五十良をはじめ、出雲と通じている国であった。

「その、五十良って、誰です? 私にはわかりません。日本史でも習わなかったし」

「出雲の素盞嗚の息子じゃ」

「大国主命、ではないのですか?」

 今度は、息長姫が「大国主命とは、誰じゃ?」と訊く番であった。

 伊都国の説明に手間取ってしまったが、漢委奴国王で有名な金印の志賀島を沙織が口にしたことがきっかけで、頭の中に呼びかけている声の主が、元は海神八部族の長、息長宿禰の娘であることも含め、ようやく理解させることができたのであった。

「出雲からはその数はいち度にまとめては出せまい。おそらくは五十良自身は、先の戦の際、胸形や志賀島を落とし、伊都国に駐留しておったに違いない。そこから向かっておるのだろう。本来なら焼山を経て香春の辛島を抱き込んで侵攻すべきなのだろうが、五十良は南は熊襲に任せて、出雲と兵を併せて北方より、数で圧倒するつもりに違いない」

 詳細は理解できなかったが、沙織は「五十良は伊都国から来る」「五十良は熊襲に南を任せる」「五十良は出雲と兵を併せて北から攻めてくる」という部分だけは頭に刻み込んだ。大正解である。

「熊襲は熊襲で、大川(現在の筑後川)沿いの稲の刈り入れ時を狙っておるのじゃ。熊襲というのはわかるか? 南の方の火の山の麓に住む・・・・・・」

「あ、熊襲、わかります。じゃあ、大川って、筑後川のことですね?」

 息長姫は首を傾げたが、筑後の筑の音から、おそらくはその川で間違いあるまい、と考えていた。

 筑後という名前は、筑紫の国からきている。律令制度が施行された後、筑前と筑後に分かれたのだが、そういう記載がされるようになったのは持統天皇(西暦690年)以降の話である。

「これから冬にかけて食料が乏しいからのう。蓄えのきく、稲の実るころを狙ってのことであろう。御座所を攻めることが目的ではあるまい」

「そうなんですね」

「大川沿いの者たちに告げよ。急ぎ、稲を刈り入れよ、と」

「わかりました」

「そして刈り取った稲わらを積み、熊襲が来たら火を放て。稲もなく、火計に遭ったとなれば、熊襲はそのまま退却する」

 沙織は感心してうなずいた。

「問題は五十良がどう動くか、じゃ」

 少し間があった。

「おそらくは遠川沿いの川幅が狭く、水深が浅くなる日子山(現在の英彦山)に川が分かれるあたりか、中島(中間市下大隈)あたりを渡って出雲と合流するに違いない」

「遠川って?」

「胸形の方に流れている大きな川があろう」

「あ、遠賀川!」

「遠川の鷹岩(立岩)と鷹羽の者たちに堰を作らせよ。五十良が渡る頃合いを見計らい、堰を切って水を流せ」

 沙織は必死になって息長姫の言葉を頭にたたき込もうとしたが、「堰を作って五十良が渡る時に堰を切る」くらいしか理解できなかった。いや、それだけ理解できれば、十分であろう。

「そして出雲が動揺している隙に、まずは出雲を、次に体勢を立て直す前に五十良の軍を叩く、よいな」

「わかったわ。すぐ、メモしとくね」

 沙織は起き上がると、何か書くものはないかと探した。

 不思議なことだが、起き上がったとたん、息長姫の頭の中に直接響いてくる声が聞こえなくなった。

「ひ、比売神さま、どうなさいました?」

 寝所入口の外に控えていた侍女が声をかけた。

「あ、ちょうどよかった。何か書くものはない?」

 侍女が持ってきたのは筆と竹簡であった。

(そうか、まだこの時代は紙はなかったんだ)

 沙織は筆をとると、侍女が用意した油紙に火をともし、明かり取りとした。そしてちょうど箇条書きにして幾つか書き出していたところに、仲津彦が戻ってきた。

「なにをしている」

「よかった! 大切な話があります。戦のことで」

 そう言うと、息長姫の策を話し始めた。

 驚いたのは仲津彦である。そしてすぐ、若王を呼びにやった。

 もう、日が変わる頃であったが、御座所の離れに設けられた東屋から飛び起きて、はだけた胸そのままにやってきた。

 若王も仲津彦から沙織の話を聞いて目を見開いた。

「まるで、姫の言葉を聞いているようだ」

「ひょっとしたら本当に比売神さまは、出雲との戦に勝利するため、息長姫が呼び寄せた、勝利を導く神なのかもしれぬ」

 仲津彦の言葉に、若王もうなずいた。

 おまけに竹簡に書かれた文字は、見事な筆跡であった。さすが、書道部である。

見慣れない文字も含まれていたが、象形文字を元にしている漢字とはありがたいもので、だいたいの雰囲気が伝わる。平仮名はさすがに沙織以外、誰も解す者はいなかったが、口で説明したので、その意味するところは、ほとんど伝わったようだった。

「しかし、五十良が渡り始めたのを確かめて中島付近から堰を落とすところまで馬を走らせるとなると、時間がかかりすぎて時機を失してしまうかもしれぬ。もっと速く伝える方法はないものか?」

「矢をつないでいってはどうだ?」

 若王は頭を振った。矢を射る者たちを正確に配置しなければならない上に、それだけの技量を持った者をかなりの数、集めなければならない。それを考えると、早馬の方がまだいい。

 その時、沙織がニッコリと微笑んだ。

「いい方法があります。信玄の、のろし台です」

「信玄? のろし台?」

 歴女とはいかないまでも、歴史はそれなりに好きでNHKの大河ドラマは欠かさず観ている沙織である。その知識がここで役立った。

 戦国時代、武田信玄が三河から甲府にある武田の城まで、数カ所に渡ってのろしを上げて情報を1時間以内に伝達し、疾きこと風の如くとうたわれた武田二十四将による騎馬隊の速攻につながったと言われている。

 もっとも、信玄はのろし台をいくつも連携させたが、堰を切るためだけなら、のろし台はひとつあれば十分であった。

 だが、沙織の説明を聞いた仲津彦と若王は、これは使える、と目から鱗であった。

「のろしはくべる鉱物で色が変わります。花火の色と同じです」

 花火が大好きな沙織は、花火大会のスケジュールを調べる際に、ホームページで花火の色のことを調べあげていたのである。

「青色は銅、赤はカルシウム、黄色はナトリウム、お塩ですね。確か香春は採銅所というところがあって、銅が採れました。近くの平尾台はカルスト台地で、カルシウムが豊富な石灰岩がたくさんあって、いろんな鍾乳洞があるところです。香春岳も石灰が採れるので、セメントの工場がありします」

 沙織は数学に関してはからっきし駄目だったが、なぜだか歴史と化学は興味もあったのだろう、学校の成績もよかった。

 加えて採銅所の近くには美味しいお蕎麦屋さんがあって、頻繁に両親と食べに行ったので、その地はよく見知っていた。

「のろしには色が付けられるのか!」

 仲津彦と若王は、目から鱗を通り過ぎて、目玉が落ちそうなくらいの衝撃であった。そして、花火というのがなんなのか、とても興味が沸いた。

「のろし台を使えば、御座所から仲津、あるいは香春、鷹羽、日子山にすぐさま敵の進軍やこちらの出撃を知らせることができますな」

 若王の言葉に仲津彦は大いにうなずいた。

 この、のろし台の技法が世界遺産候補にもなっている玄界灘の孤島、沖ノ島などで後に使われることになる。

 晴れた日には現在の韓国南端、加羅や辰韓から目視できる対馬の大浦と、そこから目視できる沖ノ島、さらにその先、大島にのろし台を作り、宗像の辺津宮を結ぶ最短の航路を作ったのである。

 のろしの上がり具合で風向きや強さがわかる。さらには色を付けて、玄界灘の潮の流れの情報まで加味することができた。

 この沖ノ島というのが実に興味深い。

 周囲四キロのこの島は、上から見ると台形をしていて、周囲はほぼ断崖絶壁である。しかしこれは見方を変えると、どちらから風が吹いてきても、それを避けて船を停泊させることができ、台風の時でさえ、大荒れの海でも島を挟んで反対側では波は高いものの、船の係留は可能である。

 最悪流されても、西なら一支国(現在の壱岐)でひと息入れて、再び伊都国や末廬国を目指すことができる。東に流されたら、見島から豊浦を目指せばよい。

 そして沖ノ島・沖津宮には田心比売巫女、大島・中津宮には湍津比売巫女、そして辺津宮には市杵島比売巫女を配し、航海安全を祈らせたである。

 それにより、後の応神天皇の御代に、前秦の初代皇帝から五世孫と言われる王族弓月君が、120県から3万人もの秦の者たちを引き連れて、百済から渡って来ることが可能になったのである。

 現在でも祭祀跡などには8万点にも及ぶ古代の奉献品が残っていて、『海の正倉院』と称される所以である。

 沖ノ島の件は後の応神天皇に任せるとして、目前に迫った出雲との決戦は、もう止めようがなかった。そしてこれに勝利しなければ、未来はないのである。

 従って、どんな手段を使ってでも、仲津彦にはこの戦に勝利し、生き残って欲しいと沙織は願った。そのためには、自分でやれることはなんでもやろう、と思った。

 だが、仲津彦の心はすでに息長姫以外にはなかった。たとえ仲津彦に我が身を捧げたところで、その気持ちを変えることはできないと悟った。

(やっぱり、私じゃだめだ。日之巫女さまにこちらの世界に戻ってもらわないと。間もなくこの地に大きな戦が起きる。私にできることはほかにないのかしら?)

 沙織は考えた末に、ひとつの結論を導き出した。

「戦勝祈願の神舞を舞いとうございます」

 あの、息長姫が舞っていた舞である。全部は覚えていないが、あの舞が山の衆の頭領より、戦勝祈願のための舞であることは聞き及んでいた。

 仲津彦と若王は顔を見合わせた。

 すでに神が降臨しているのである。しかも見事な策を授けてくれている。これ以上のものは考えられないほどまでに。

 だが、沙織は2人に懇願した。

「まことの勝利を得るには、天と地の神にも祈らなければなりません。私だけでは駄目なのです」

 衣装など必要な準備を侍女に頼み、湖の中の小島、浮島までの案内は、自分を連れてきた山の衆に依頼することにした。

 まだ夜明けまでは少し時間があった。

(今のうちに、少し寝なくちゃ)

 床に体を横たえた瞬間、頭の中に再び声がした。

「先ほどの話・・・・・・」

「ちゃんと、伝えたわよ」

「それでじゃ、沙織に頼みがある」

「なあに?」

「おそらく明日の昼過ぎには、出雲の兵が到着することになる」

「ええ」

「それで、じゃ。戦勝祈願の神舞をじゃな・・・・・・」

「舞うわよ」

「え?」

 ちょっと間があった。

 どうやって舞うことを頼もうか、と思いあぐねていた息長姫は、予想外の言葉に、次に言うべき言葉が頭に浮かんでこなかった。

「舞い方は存じておるのか?」

「知らないわよ」

(そうじゃな。巫女でもない限り、知るわけがないか)

 落胆している場合ではなかった。元の世界に戻るためには、沙織にはなんとしても舞ってもらわなくてはならないのだ。

 しかし1830年の時を隔てて別の世界にいるので、直接、その舞い方を教えようにも手段がないことに気づき、途方に暮れた。

「そうじゃ、あの頭領、頭領ならきっと舞い方を知っておるに違いない。沙織よ、頭領に教わるがよい」

「嫌よ」

 またもや、予想外の言葉を即答され、次の言葉に詰まった。

「い、嫌、じゃと? 戻りたくはないのか?」

「そうじゃなくて、あの人から教わるのが嫌、なの」

 実は舞うことは先刻、頭領にも伝えており、ある程度は舞の内容を聞いてはいた。

「舞は神聖なもの。作法もござれば、それがしがお教えいたそう」

 そう言うと、頭領が後ろから沙織の両腕を取ろうとした。その際、腕を胸に押し当ててきたのである。

「日之巫女さまが舞われたのを少し覚えているから・・・・・・」

 沙織に睡魔が襲ってきた。

「まことか、妾の舞を観ておったのか?」

「ええ。全部じゃ、ない、けど・・・・・・」

「そうか、そうか」

 息長姫の歓喜の声が頭の奥にこだまするように響いた。

「よいな。明日の夜明け前じゃ」

(わかってるわよ。もう、日付が変わった頃だから、明日じゃなくて・・・・・・、今日の、こと・・・・・・)

 そのまま沙織は深い眠りに就いた。

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