第6話

 息長姫が元の過去の世界に戻るには、まだまだ問題が山積していた。

 まず、鏡を据える場所をどこにするか、である。

 コンテストは終了していて、ステージは解体され、すでにない。もちろん、プレハブの衣装部屋もなくなっている。

「元いた過去の世界に帰るために、その龍脈の中心であるこの地に門となる鏡を据えたい」などと、巫女の姿をした中学生くらいの女の子が本音で語って、相手に納得してもらえるとは到底思えない。即座に中二病と判断され、軽くあしらわれるのが関の山である。

 あるいは、精神病患者として病院送りにされるのがオチである。

 こういった時に役立つのは、役人のツテ、である。

 公務員であるから、一応、世間からもそれなりに信頼され、提案には耳を貸してくれる可能性も高い。もっとも海野のことは知る人ぞ知る、であるから嫌悪される方が多かったかもしれないが。

 検討した結果、豊津花菖蒲公園にほど近い、周囲は池に囲まれ、祓川水系側の池の近くにある護国神社に白羽の矢が立った。了承も取りつけることに成功した。

 かつてはこの周囲の池は護国神社を囲んで、ひとつの大きな池、あるいは湖だったと言う。

 ひょっとしたら、息長姫が戦勝祈願の神舞を舞った浮島は、ここではないかと歴史オタクの海野は考えていたのである。

 太古の昔、今川、祓川に挟まれたこの地は複雑に入りくんだ入り江だったと考えられている。そして土砂が堆積して、次第に下流域へと平地が広がり、縄文時代には現在の国道10号線のあたりまでは海岸線で、川幅も広く、下流では今川、祓川がひとつの大きな流れになっていたと推定されている。

 そして豊津もそうだが、出雲系の須佐神社がある今井津など、各地に「津」の名称が残っていて、各地に港町の名残をその名に留める。

 鏡は『花しょうぶまつり』で使用した姿鏡をメンテナンスと称して調達した。神楽鈴も同様である。巫女の衣装はクリーニングに出すという理由で、他の衣装と一緒に持ち出すことに成功した。

 もっとも、巫女装束はまったく同じではない。本来、公務員がこのようなことをやってはいけないのだが、息長姫が身に着けていた公費で購入した衣装は持ち帰って神棚の奥に畳んでしまってあったことはすでに述べた通り。従って、今、息長姫の目の前にあるのは、海野自ら調達した、代わりの新しい巫女装束である。

 今回の衣装とは関係ないのだが、スクール水着はさすがに旧タイプが入手困難で、同じサイズだが新タイプを代わりに衣装ケースの中に収めることになった。もちろん、息長姫が再度身に着けたスクール水着は宝物として、無嗅防虫剤に加えて乾燥剤まで追加してアタッシュケースの中に再び収められたのは言うまでもない。

 やはり海野は押しも押されもせぬロリコン変態歴史オタク、である。しかも立派な犯罪者である。反省もしていないようだ。

 だが、海野自身は自分が犯罪者である自覚はまったくなかった。だから反省のしようもなかったとも言えよう。

 時刻は息長姫側が正午。沙織側が日の出の午前6時前、である。

 鏡を祓川上流で龍脈の源、英彦山へ向けて据える。その表面を海野がクリーナーで丹念に拭き上げていく。

「綺麗なものじゃな」

 拭き上がった鏡をみて、息長姫が声をかけた。

「しかも、妾の全身を写すことができるほど縦長で大きい」

 拭き終わった鏡の表面を丹念に確認しながら海野は答えた。

「そうですね。卑弥呼さまのころの後漢鏡は、大きくても掌、3つ分ですし、だいたい祭祀用が主。鏡とは名ばかりで、自分の姿を写して確かめるなどということは、ほとんどしなかったですから」

 ふう、と息長姫は溜息をついた。

「それにしても、お前は本当にいろいろ詳しいな。まるで妾たちの時を見聞きしてきたようじゃ」

 少しはにかみ笑いをしながら、歴史オタクは頭を下げた。

「恐れ入ります」

 ちょっと間を置いて続けた。

「それにしても、残念です。卑弥呼さまが元の世界にお戻りになったら、せっかくのこの出会いが、記憶からも消えてしまうのですから」

「そうじゃの」

 ポツリと息長姫は呟いた。

 沙織本人だけでなく、父親までもこの世から消えてしまったのは、ある意味、息長姫のせいである。息長姫が未来のこの世界に来てしまったために、息長姫の血を引く沙織の父親は存在しないことになってしまったからである。

 息長姫が過去の元の世界に戻り、沙織がこちらに戻って来ることができたら、たぶん、沙織の父親は復活することになるだろう。そしてその記憶も以前と変わらず、持ち続けることになるのだろう。

「しかし、妾と血と魂のつながりのある沙織をこのままにしてはおけぬ。それに、もし、沙織が仲津彦と結婚してしまったら、歴史が変わってしまう。いや、もうすでに一部は歴史が変わってしまっているがな」

 海野は小さくうなずいた。

 一方で、あの沙織が卑弥呼と血のつながりがあることを知って、海野は思わず、舌なめずりをしそうになった。

(声の美しさは、やはり卑弥呼さまの血筋のせいなのだろうか。ちょっと鈍くさくてポッチャリしているが、時を超えて卑弥呼さまと会話することもできるのだから、今後、邪馬台国の秘密もわかるかもしれない)

 しかし、それは卑弥呼や沙織、そして海野が今まで起こったことを覚えていたら、の話である。

 沙織が過去に飛ばされたことや、卑弥呼と出会ったこと、しかも沙織が卑弥呼の血と魂を受け継ぐ者であることを綺麗さっぱり忘れてしまったら、元の木阿弥、単なるロリコン歴史オタクの町教育委員会職員(公務員)で終わってしまうのは確実である。

 時計が正午を指した。

 雑念が入るといけないということで、息長姫は母親と海野を下がらせた。

 だが、昨夜もあんなにハッキリと沙織の声が聞こえて、姿まで脳裏に浮かんだのに、今はまったく声が聞こえないばかりか、沙織の顔すらよく思い出せないのである。

 やはり日中は人の往来も多く、意識も四方八方に放散されていて、地の龍が捉えきれていないのだろうか。あるいは地の龍に届いていないのだろうか。

 巫女装束に身を固めたの息長姫は目を閉じ、鏡を前に一心に祈った。

 一瞬、靄がかった画面が鏡に現れて消えた。

 再び、一心に祈った。

 再度、今度は靄の中に何かが動いているような映像だった。

(沙織じゃ。沙織が舞っておる)

 息長姫は確信した。

 両手を組んで、祈った。

 靄は朝靄のようだった。夜が明けて、陽の光が当たって消失するまで、それなりの時間を要すことがある。

(頼む、間に合ってくれ)

 息長姫は両手に力を込めて祈った。

「気付いてくれ、沙織よ」

 思わず、声が出ていた。

 靄がかかって、しかも揺らいで時おり、画面が何度も見えなくなってしまう鏡に向かって、抱え込むようにして必死に息長姫は念じた。

 だが、沙織が舞う姿を観て、息長姫の顔から血の気が引いていった。

「巫女装束はどうしたのじゃ。なぜ、裸で舞っておる!」

        *

「お頭、あ、いや、阿闍梨さま。本当に裸で舞う必要があるのでしょうか? 日之巫女さまが舞った時には、巫女装束だったかと思うのですが」

 安心院の山の衆が阿闍梨と呼ばれた頭領に恐る恐る訊いた。

「うむ。別に裸である必要はないのだがな」

 えっ、と安心院の山の衆達が小さく声を上げた。

「で、では、なぜ?」

 顎に手をやった頭領が表情を崩した。

「いや、なに、比売神さまの方が衣の上からも、日之巫女さまよりも明らかに胸乳も大きく、一度、裸を観てみたいと思うてのう」と嘯いた。

 次の瞬間、四方八方から手足が伸びてきて、頭領はフルボッコに遭って血だらけになり、足もとにゆっくりと崩れ落ちた。

 沙織は衣装を着けずに舞うことを勧められた時、そんな恥ずかしい格好で絶対に舞うものか、と、頭領を睨みつけた。

「日之巫女さまは、最初、天地の道を開くため、そして我ら山の衆を参集させるため、一糸まとわぬ姿で舞われたのです。もし、あの時、この世の衣をまとっていたなら、未来へと続く天地の道は開かれなかったに違いありませぬ」

 さすがにそこまで言われると、返事に詰まった。

「まことに元いた世界に戻りたいのなら、こちらの衣装は着けずに舞って天地の道を開くしか、方法はありませぬ。地の龍を目覚めさせ、龍脈をたどってこの世と比売神さまの世界がつながれた時、道が開かれるのです」

 項垂れるしかなかった。だが、舞ってみてわかったことがある。

 気分がトランス状態になると、衣装や恥ずかしさなど、まったく気にならないというか、だからトランス状態なのだが、今はひたすら、鏡を通して観た、あの日之巫女と言われた息長姫の舞いを再現することに精一杯だった。

 大きくジャンプしたあと、見事に乳房が揺れるさまを、山の衆は木陰や木の上から固唾をのんで見守った。

 頭領は腫れ上がった顔で、目に涙を浮かべていた。

「なんと美しい・・・・・・」

 声に気付いた山の衆たちの鋭い視線が頭領を四方八歩から貫いたが、この時、本当に頭領はその舞いの美しさを賞賛していたのである。

 実際、舞い始めた時にみられたぎこちなさはまったくなくなり、息長姫のような切れ味鋭いジャンプなどはないが、しなやかで色気のある、頭領の言葉ではないが、美しい舞だった。

 沙織のまぶたに焼き付いていた息長姫の舞は、すでに見覚えていた分は尽きていたが、自然と湧き出てくる泉のように、沙織は舞い続けた。

 朝の陽光が朝靄を次々と払い去り、それまで揺らいでいた湖の水面が明鏡止水の文字の如く、揺らぎが止まって、沙織の姿を映し出した。

 だが、沙織の姿は映し出したものの、息長姫の姿に変わることはなかった。

        *

「あの、淫乱坊主め! 我が半身の沙織によくも」

 頭領が沙織にけしかけたに違いないことを、なぜだか息長姫は確信した。

「なんとしても元の世界にもどって、あやつに天誅を加えねばならぬな」

 もう、この時にはすでに部下たちによって誅せられていたのだが、息長姫はそのことをまだ知らない。

「それにしても、なんと甘美な舞じゃ」

 鏡を通して沙織の舞を観ていたが息長姫は、その揺れる胸元に視線が釘付けになった。

 時おり鏡面が揺らいで見えにくくなるが、それでも見事な乳揺れは、息長姫にコンプレックスを植え付けるには十分であった。

(そ、そういえば沙織は妾より4つ年上のはず。もう、子供を産む年頃じゃから、まぁ、当然じゃな)

 自分に言い聞かせる息長姫の顔は引きつっていた。

 沙織が息長姫に気付かないというか、息長姫を観ることができていないようだ、ということの方がもっと重要なのだが、そちらが原因で顔を引きつらせるならまだしも、このような非常事態においても、息長姫には沙織の見事な乳揺れが気になってならなかったようだ。

(ひょっとして、まことに衣装のせいなのか? 今、沙織はなにも身に着けておらぬ。ということは、せっかく用意した巫女装束じゃが、これを脱がなくてはならないのか?)

 息長姫、後の卑弥呼ともあろうお方が、判断を誤ることがあるのは幸いである。

 なんとなれば、息長姫も脱がざるをえないからで、サービス精神ここに極まれり、と言えよう。

 誰がサービスしたかって? それは神ならぬ、作者のみ知る、である。

 だいたい、年齢も背格好も乳房の大きさも異なる2人が、巫女装束を共に身に着けるならまだしも、脱いでどうする。

 結論を述べよう。

 服装をはじめとする、見てくれはまったく関係ないのである。最も関係するのは、魂のつながりである。

 時を超えて入れ替わってしまった2人を元に戻すには、地の龍の助けが必要である。 

 それには、英彦山から連なる地の龍の龍脈が地に降り、祓川と今川の流れに包まれるようなこの地で、水龍となった龍脈に沿って意識を共有する必要があった。衣装を着けずに裸で舞うことが意識の共有とまったく関係がないとは言わないが、地の龍を目覚めさせるのに必要な条件ではないのである。

 地の龍にとって、人の衣服なぞ、些細なものである。そのようなものにこだわる必要もない。

 ましてや山の衆の頭領とは違い、女人の乳房や裸に反応するほど俗物ではない。

 だが息長姫にはそこまで考える時間も、心の余裕もなかった。

 意を決した息長姫は巫女装束を脱ぎ捨て、神楽鈴を手に、舞い始めた。

(沙織の舞だけでは地の龍を目覚めさせることはできぬ。ならば、妾がこちらから目覚めさせるよう、舞うまで)

 神楽鈴の華かで厳かな響きがあたり一面に広がっていく。少しテンポの遅い沙織の舞に合わせるように舞いながら、息長姫は神楽鈴を響かせた。

(沙織、気付いてくれ。妾はここにいる)

       *

(確かあの時、日之巫女さまは水面を観ていた)

 沙織は水面に目を走らせるが、どこにも息長姫の姿はなかった。

 その時、どこかで神楽鈴が鳴る音がするのに気付いた。そして周りに誰もいないのに、頭の奥に直接、声が届いた気がして、振り向いた。

「沙織、気付いてくれ」

 大きくジャンプして降り立った浮島の水辺に沙織の姿が映し出される。だが、一瞬、ゆらいでそこに息長姫の姿が現れた。

「日之巫女さま!」

 沙織は目を見開いた。

 それは日之巫女と彼女が呼んだ息長姫もまた、身になにも纏っていなかったからである。

(ああ、あの頭領さんの言うことは、本当だった)

 誤解も甚だしいのだが、なにはともあれ無事、元の世界に戻れたなら、結果オーライである。

 沙織は湖の水に触れそうなまでに手を延ばした。そして水に映った息長姫もまた、手を伸ばしてきた。

 次の瞬間、フッと体が軽くなり、周囲が光の渦に包まれたと思ったら、鏡の前に裸のまま、転がっている自分に気付いた。

「戻って来れた、のかしら?」

 床には日之巫女の温もりがまだ冷め切っていない衣装が転がっていた。

「もう、ちゃんと畳んで片付けてよね」

 言いながら、自分も裸であることを思い出し、あわてて手にした巫女装束を体に搔き抱く。そして周囲を見回して誰もいないことを確認すると、ゆっくりその巫女装束を広げて身に着けた。

「ちょっと、小さい・・・・・・」

 しかし帯で調節が効く衣装である。動くと膝が見えそうになったが、胸元がはだけない程度には何とか繕うことができた。

(ありがとうございました、日之巫女さま)

 沙織の目から涙がひと筋、流れ落ちた。

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