第7話

 さて、こちらは浮島に仁王立ちになった素っ裸の息長姫である。もう、ここまで来てしまったら、羞恥心もへったくれもないようである。

「山の衆の頭領よ、出てこい! 妾は戻ってきたぞ。衣を持て」

 小舟が近づいてきて、男が2人、視線を落としたまま、恭しく息長姫の衣装を手渡す。

 一番上には絹のさらしが折りたたまれていた。

 ふっ、と小さく鼻を鳴らし、なぜだかさらしは巻かずに、初めから木綿の衣の袖に腕を通した。

「頭領はどうした?」

 山の衆の2人は、顔を見合わせた。

 ボコボコにされ、青あざができて顔が腫れ上がり、とても日之巫女の前に顔を出せるような状態ではなかったのである。

「まぁ、よい。あとでたっぷり頭領に礼をせねばならぬからな」

 2人は、礼という言葉が、明らかに通常とは異なる意味で用いられていることを、その表情から察した。

「戦況は?」

 手を止めず、服を整え、髪を折りたたんで美豆良に作る。

「はっ。日之巫女さまがお渡りになられた頃、貴船社の出雲軍は仲津彦さまの火計に遭い、退却。途中、二崎山の長門の者たちに挟撃され、壊滅しておりまする。香春の出雲軍も敗れ、副将の辛島殿が一族の者を引き連れ、下っておりまする」

「それはすでに存じておる」

「えっ?」と、2人は声を上げ、顔を見合わせた。

「元々、辛島の者たちは、我らと同じ血を引く同族のようなものだからな。鷹羽を攻めるのも気が進まなかったに違いない。こちらとしても戦わずにすんで、その点は、まぁ、よかった」

 胸元をグイッと引き締め、帯を締める。そしてなんと腕まくりをして、さらしを折りたたんで斜め十字に交差させ、綾襷にかけた。

 胸元はさらしを巻いていた時とは大きく違って、微乳ながら、綾襷の効果もあって胸元を持ち上げる格好になり、女性であることを強調するかのようである。まるで『馬車道』の制服を彷彿とさせる出で立ちである。ちなみに『馬車道』とは、霞ヶ関の合同庁舎5号館、つまり厚生労働省や防災担当内閣府のある庁舎の中にも出店している、パスタ・メニューが豊富なファミリーレストランのことである。関東を中心に店を展開しており、関西方面ではあまりなじみがない。

 矢羽柄の羽織にスカート状の女袴と、足もとは編み上げのショートブーツ、いわゆる明治・大正時代の女学生スタイル『すみれ女史』が特徴である。全体を紫色で統一していて、頭のリボンがとてもいいアクセントになっているが、さすがにリボンによさそうな生地は見当たらなかったし、古代には矢羽柄の羽織などはあろうはずもない。

「うむ、妾はこの方が落ち着く」

 息長姫が頭の中で比較対象にしたのは、ワンピースであった。確かに、あのヒラヒラした隙間だらけの衣装では、下着を着ないでそのまま直に着用していては落ち着くまい。

 その息長姫が着用していたワンピースであるが、皆、おおよそ見当はついているであろう。あの海野が頬ずりしたあと、宝物として大型アタッシュケースの中に収めたのは言うまでもない。

 ちなみにこの格好、コンテスト会場で息長姫が目にした『馬車道&はいから亭』のコスプレであったが、『アンミラ』や『ブロンズパロット』のコスプレがなかったのが返す返すも残念である。もし、それを目にしていたら、卑弥呼のスタイルも、また違ったものになったかもしれない。

「まずは出雲に勝利したことを記念して、今川以北の御所周辺、長峡川一帯を勝山と命名する」

「承知いたしました」

「で、五十良はどちらから攻め込んできておる?」

 再び、2人は顔を見合わせた。今から話そうかと思っていたことを、先に言われたからである。

「伊都国から、遠川の下流、中島あたりに向かっているようでございます」

「仲津彦は?」

「日子山川沿いに、中島に向かわれました」

「よしよし。若王は?」

「香春の辛島と鷹羽の者たちを束ねて、2千ですぐあとを追っております」

「堰は出来上がっておろうの」

「御意。のろし台も比売神さまの仰せの通りに」

「のろし台だと?」

「はっ。煙を立ち上らせ、合図とするとか」

(あやつ、どこでそんなことを・・・・・・。確かにのろしならすぐ知らせることができるな)

 息長姫は満面の笑みを浮かべた。

「よし、妾も出るぞ。なんとしても、この戦で終わりにせねばならぬ。まずは船を出せ。岸に戻ったら馬の用意じゃ!」

「ははっ」

 ここに倭国大乱の最大の山場、遠川の戦を迎えることになるのである。

 仲津彦が遠川沿いに中島周辺に到着する前に、すでに五十良が伊都国から率いてきた兵士たちが中島に集結。水かさが少なくなってきた頃合いを見て、まさに一気に渡ろうとしていた時である。

 馬場山の端の高台より、一筋ののろしが上がった。

 間もなく丸太を先頭に、人の背丈を超える水かさの水流が中島を襲った。しかもそれが日子山川と遠川、2方向から押し寄せてきたのである。

 五十良も流されたが、部下たちの必死の救助で一命を取り留めた。

 いつもの水かさに戻った時には、河原は伊都国からやって来た兵士たちの屍で埋め尽くされていた。

 若王とともに仲津彦にわずかに遅れて到着した息長姫は、その光景を認めると、目をそむけて涙を浮かべた。

 そして仲津彦や若王が止めるのも聞かず、自ら先頭に進み出た。あわてて若王が息長姫を護るべく馬を走らせたが、息長姫はこれを制した。

「聴け、素盞嗚の子、五十良よ。そしてスサ族の者たちよ。思い起こせ、かつての苦労を。先住の民により食を分け与えられ、住み家を与えられし恩を。敵という名で相対する者たちとの命のやりとりをよしとせず、かの地での戦を避けて共に海を渡りし者たちよ。考えるがよい。我らが戦えば、恩を受けし先住の民たちを巻き込み、我らのみならず先住の民たちの命まで奪うことになることを」

 突然、息長姫は美豆良を解いた。

 長く美しい髪が膝裏まで垂れ下がってウェーブ状に広がり、出雲の兵たちは驚きの声を上げた。

「妾は女じゃ。息長宿禰の娘じゃ。命をこの世に送り出して育み、生を全うするを望む者として、それが忍びない。ここは退いてはくれまいか」

 息長姫の弁舌を聴いた出雲の兵士たちは、改めて視線を胸元に注いだ。

 女が相手ではと、武具を脱ぎ捨てる者も現れた。

「比売神さまじゃ。比売神さまが現れなされたぞ」

 出雲の兵士たちは動揺し始めた。

 もし、胸にさらしを巻いた状態だったなら、まだ幼い容姿も相まって、ここまでの効果は現れなかったであろう。そういう意味では、コンテストで得た体験がここに実を結んだとも言えよう。

 五十良は立ち上がると息長姫を鋭く見据えて声を荒げた。

「それは弱者の理屈に過ぎぬ。まだ勝敗が決したわけではない。戦えば我らが勝つ」

「まだわからぬか。妾たちは未だひとつも剣を振るってはおらぬ。天地の理による水神のご加護で妾たちは五十良、お前たちの進軍を阻止した。これ以上戦うというなら、次はさらなる多くの命を失うであろう」

 凜とした出で立ちと声は、まさに比売神そのものであった。

 出雲より海を渡り、山を越えてやってきた者たちは、疲労に加えて兵糧を山の衆たちに奪われ、空腹のために途中で抜ける者も現れた。当初、7千を数えた兵は5千を切るほどまで減っていた。

 五十良が率いてきた伊都国の軍は、大半が水に流されて命を失い、貴重な馬や武具の多くを中島で失った。

 一方、仲津彦や若王たちは沙織から語られた策が見事に当たった上に、息長姫が戻ってきたことによりますます意気が上がり、確かに兵数だけをみれば4千に届かない兵数なのに、合わせて5千を超える出雲よりも勢いがあった。

 五十良は剣を足もとに置いて、あぐらをかいた。

「我らの敗けだ。斬れ」

 息長姫はゆっくりと頭を振った。

「いや、五十良殿にはまだやってもらわねばならぬことがある」

 五十良は自分が敬称で呼ばれたことに驚いた。

 続いて息長姫は出雲の兵士たちに声をかけた。

「戦は終わった。皆の者、急ぎ帰って、冬支度をするがよい。まだ稲刈りが終わっていない者は稲を刈り、麦の種を蒔け。特にお前たちの土地は今年の冬は厳しいようだからな。戦などしている暇はない。心してかかれ。まずは腹を満たしてから帰るがよい」

 息長姫がそう言うと、従者に目配せした。

 握り飯の山が荷車に積んであった。

 塩味の効いた握り飯に、出雲の兵士たちはおろか、五十良までが涙して食した。

 もっともこの握り飯は、山の衆が出雲軍より巻き上げた兵糧が元になっているので、単に元の持ち主に返しただけなのであるが。

 通常、敗軍の兵は捕虜となって、奴隷として酷使されるのが常であった。そして命を落とす者も多く、生きながらえることができた者は次の戦で捕虜交換があれば、その時、ようやく国に戻れることになる。

 だが戦で敗れ、国が消滅してしまった場合は、そのまま奴隷として使われる身であった。

 従って息長姫の沙汰は、異例中の異例であった。

 仲津彦がゆっくりと馬を進め、息長姫と馬首を並べた。

「戻ってきてくれて、まことによかった」

「ああ。沙織、いや、比売神のお陰じゃ」

 仲津彦はどうも息長姫の胸元が気になるらしい。

「その格好はいかがした? いつものさらしではないようだが」

「ああ、いろいろあったのでな」

 仲津彦はちょっと口ごもった。

「先ほどのお前の弁舌だが」

「ああ、それがなにか?」

「その、な、俺の子を産んでくれると解してよいか?」

 無骨な仲津彦が少し顔を赤らめて言った。

「な・・・・・・(なぜそのような話になる!)」

 息長姫は絶句した。

「今日は大いに祝おうぞ。姫が我らのもとに戻り、出雲との戦いに勝ったのだ。これでめでたく約束通り、姫との婚姻の宴を開くことができるぞ」

 仲津彦は少し屈んで左腕を息長姫の背中に回し、右腕は両膝の後ろに回すと、ヒョイと抱え上げた。俗に言う、お姫さま抱っこである。

「ちょ、ちょっと待て、まだ妾は・・・・・・」

 だが、興奮のるつぼにある仲津彦とその兵士たちに、その声は届くことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る