第7話 藁屑の中の針


             ――――― 13 ―――――


 芦野あしの姉、うずらが行った方法は「目から鱗」というよりは、沢田の常識からしてみれば「邪道」だった。


 電波望遠鏡のデータ解析は、ノイズという藁の山から、必要なデータという針を探し出すような作業だ。その為に、地上や大気から発生している特徴のあるノイズを分離し、急激に変化する不正な特徴のあるデータも除去し、残った情報から、本当に必要なデータを抽出するのだ。必要なデータは微弱であり、それを意味のある形にするために、膨大なデータを解析するため、コンピュータの並列処理をフルに回転させることでデータ解析速度を上げるアプローチが一般的だ。


 うずらは全く逆のアプローチを行った。それは要点だけ言えば、


「データが多いなら適当に間引いて少なくしてから解析して、徐々に解析データの『深度』を上げて行けばよい」


 というものだった。

 ビッグデータから特徴的なデータを抽出する時などには使われる手法だが、精密な解析では普通は使われない手法だ。


 ランダム(と言いつつ実際はある程度データの性質を考えた偏りのある)サンプリングした塊を「おおざっぱ」に解析して、目標とするデータの「シード」を見つけ、それを元に全体のノイズを低減する。という考え方だそうだ。


 沢田が問題視したのは、「おおざっぱ」という点だ。


「統計学じゃあるまいし、そんな適当な計算をしたら、拾うべき特徴点まで潰してしまうのじゃないでしょうか」

「はい、普通だとそうなりますね」

「それじゃダメでしょう、私たちが何のために膨大なデータを集めているか」

「わかっています。でも、一度分離されたシグナルが有るわけですから、解析するべきデータは分かっています。其れに的を絞って、最小限のサンプルデータから解析をしていけば、全データを対象とした解析より、はるかに高速度でデータを収束できると思いました」

「まあ、確かにそうですが――ランダムサンプリングでは、肝心なデータのある部分がサンプルから漏れてしまう可能性はありませんか?」

「徐々にサンプリング数を増やしていく形ですから、最初の計算が上手くヒットしていなくても、ある程度サンプルが増えた段階で特徴点は見えてくると思うのですよね。一旦特徴点を捕まえたら、そこを中心として初期クラスタ列が概算データを、次のクラスタ列が最初の概算を利用してより細かいデータを、それが済んだらまた……という風に、データ深度に対して。CPUコアを割り当てて行けば、級数的には消費時間は食いません」

「ふむむ」

「未だ概略しか分かっていませんが、データの特徴点の分離は出来るようになっています。もう少し全体的なデータに適用できるようにすれば、"Wow again"シグナルを単離できるのではないかと思います」


 処理の最適化、高速化ばかりを目指していた沢田には到底考えつかない手法だった。解析すべきデータが何かは分かっている。


――そうだ、その通りだ。無駄なデータを解析する必要はないのだ。


「分かりました、その線で仕事を続けてみてください。あと、必要でしたら『アテルイ』の追加CPU時間も割り当てますので、申請書を提出してください」


 沢田は、彼女のアプローチを試させてみたくなったのだ。


「わかりました。有難うございます」


 芦野あしの姉の仕事については、これでいい方向に向かってくれることを期待した。


 人間的な面では、最近は芦野あしの姉妹はチーム内にとてもすんなりと溶け込んでいた。芦野あしの姉は、「うずらさん」とか「おたまさん」という愛称で受け入れられた。「おたまさん」は、「ウズラの卵」からの連想によるニックネームで、CG作品を発表していた時代も、この愛称が度々使われていたので、素性を知って以前からファンだったりした人から自然と広がっていった。彼女の昔話を聞きに行って息抜きをして仕事に精を出す、という人材もいて、そちらへの貢献度は割と馬鹿にならなかった。


 芦野あしの妹――ひよどりは、姉が愛称で受け入れられた流れの影響か、やはり「ひよちゃん」という愛称で呼ばれるようになっていた。そうやっていざ周囲の人に知られると、好奇心旺盛で彼方此方に首を突っ込んでいくようになって、いろんな人に顔を覚えられるようになっていた。そういった経緯で交流を広め、そこで話題として話すようになっていった所為か、彼女の推測についても、結構知られるようになっていた。せっかく周囲に希望を与える話でもあるし、説得力のある理屈もある、という事で、彼女の説を公表すべきでは、という話が、沢田の元にも多数上がってきていた。

 ひよどりが考えた説は、地球人が作っているネットワークへのメタファから発想を得ていた。彼女は自説を沢田に説明した。

 曰く


「例えば、何らかの原因で通信が途絶してしまったとしても、ネットワークが断線して信号が流れていないと思われたら困るから、回線を維持してますよという事を伝える為に "Keep alive"信号(回線そのものは繋がっていますよ、という信号)を送るでしょう?」


 という事らしい。確かに、タイムアウト――この場合は異星からの通信として注目する期間を逸してしまう事になるのか――を起こしてしまうと、以降、通信が回復したとしても、気付いて貰えない可能性はある。


「"Keep alive"信号であるなら、おそらく通信内容自体には意味が無い、場合によっては本文が空の通信が送られてきます。もし本文が無い通信が送られてきたら、それは本文が存在する場合との比較に使えますから、解析を大きく進めるために有意義なヒントになります」

「ふむ。面白い考えではあるね」


 沢田と一緒に節を聞いていた綾子が口をはさむ。


「ロボット。という推測もあるのですよね?」

「はい。もし遠方からの通信の場合、外に制御が有るとタイムラグが数年、酷い時は数十、数百年になりかねないと思います。それではまともに機能できません。自立判断して、ある程度は自分で行動を決めるロボットの可能性があると思ったのです」

「ロボットである場合、何か違いがあるのかな?」

「もし相手がロボットなら、通信ラグは往復1.46年で済む。という可能性が有りますよね。はるか遠くの誰かと話すより、機能限定はあるにしても、レスポンスを得られやすいと思います」

「つまり、こちらからも通信を送って能動的アクティブSETIに訴えることができる……と」

「あくまで可能性ですけど」


 ひよどりとの話し合いが終わった後、沢田は考え込んでいた。もし、彼女の推測が正しい可能性があるなら、実際に発見される前に発表しておいたほうが良い。

 「後だしじゃんけん」では信憑性に欠けてしまうからだ。

 地球からの能動的アクティブな情報送信については、もう少し相手の出方を見たほうが良いかもしれないとは思う。そのためにも、早期の検討が必要なのは確かだ。

 だが、彼女の推測の公表には、足枷が有った。


「我々の仕事はプログラムの開発、最適化であって、観測でも、データの実際の解析でもないからなぁ」


 沢田はどうしたものかと考えあぐねていた。

 シグナル再開の推測についての彼女の理論は面白いものであり、発表すれば少なからず注目されると思われた。"RIa01P1"天体は、本来の発信源の星から地球までをつなぐ無線中継路の終端ではないかという説だ。

 無謀に電波を飛ばすのではなく、地球で行っている系外惑星探査プロジェクトの改良版の様なプロジェクトが先ず有って、その中で有望な環境を持つ星に対して、探査機を数珠つなぎにしたような連絡路を作ったのではないか、という推測は大胆だった。ただ、そうすると、異星人のマシンは数百年から、場合によっては数千年もの間、稼働し続けていることになる。人類の電子機器は稼働可能なのはせいぜい十数年であり、そんなに長時間動かし続けることができるマシンという考えは懐疑的でもあり、また同時に、もし実際に存在するならば大変興味深いハードウェアだった。

 それに、異星人は不確かなプロジェクトに、実際のハードウェアをそれだけ大量に送り込んでくるほど資源的に潤沢で、時間スケール的に忍耐強いのか。という指摘も考えられた。

 色々と大胆な仮定を前提としているため、信憑性に欠けるという指摘を嵐の様に受けることは容易に予測できた。しかし、それよりも沢田が気にしていたのは、解析班との摩擦の元になる可能性だった。

 それは、沢田が思っているよりも早く、身近なところで起きてしまった。


             ――――― 14 ―――――


 ひよどりの推測通り、暫くしてから"Wow again"からのシグナルは再開した。

 そして受信内容の解析結果はひよどりの推測がまた的中し、特徴のない繰り返しデータになっていた。解析が早かったのが幸いしたが、それははうずらのプログラムの賜物だった。

 チーム内では、うずらのプログラムの解析速度への賞賛より、ひよどりの推測が正しかったことに対して、静かな賞賛が起きていた。うずら自身も自分の事よりひよどりの事が嬉しいようだった。


「ひよちゃん、やったねえ」


 綾子も手放しで褒めていた。ちゃん付けにしているが、正直綾子よりひよどりの方が一回り以上も年齢が上である。それでも無邪気な彼女を見ると「ひよちゃん」という感じがぴったりくるのだ。


「残念だったね、これを先に公開できていたら、ひよちゃん一気に時の人だったのに」


 男性職員がちょっと寂しそうに笑いながら言った。


「仕方ないですよ。推測が当たっただけで私は嬉しいです」


 ひよどりは特に残念がるでもなく、むしろ状況を愉しんでいるようだった。


 一方で姉のうずらの解析ルーチンは「アテルイ」の環境を得て、ほとんど瞬時に答えを返すレベルに成長し、具体的なデータを解析できるようになっていた。ただ、芦野姉はいちいち申請して「アテルイ」のCPU時間を貰うのが面倒臭い、と、PCを何台か繋いで簡易なクラスタを作り、専らそこで作業していた。「アテルイ」の千分の一ほどの速度のそれだったが、そのシステムでさえ、充分に実用になる速度で解析をできるようになっていた。


 実際のところ、天文観測データは、試験観測などの名目のデータに関しては公開されない場合もあるし、公開されるデータでも観測者が専有する期間が年単位で有ったりと、すぐには参照出来ない場合もある。うずらのプログラムのブラッシュアップのために、実際のデータを使ってもらいたいと考えた沢田は、彼女が必要なデータにアクセスできる権限を申請したが「専従研究者では無く部外だから」という理由で公開前のアクセスを断られるデータや、「専有期間内は非公開」としてアクセスを認めない場合等もあり、なかなか一筋縄ではいかなかった。それでも、いくつかを「沢田の権限で」、という条件でアクセスできるところまで持っていくことには了承してもらい、環境をセットアップしていった。


 ある日、沢田がうずらのデスクに行ったところ、とても不思議な光景がモニタに映し出されていた。データの解析を進めるうちに、二次元の並びにできそうだと思ってデータを並べ直したそうだったが、酷いノイズでありながら、何かの写真のようにも見えた。


「お、なんだか惜しいですね。解析データですか?」

「そうなのですけど、どう並べようとしても、きれいな絵にならないのですよね。圧縮されているのか、根本が間違っているのか――」

「確かに、徐々に崩れていると思えば一気に崩れていたり、難しいですね」

「何らかの信号である、という点から先に進むには、仮定としてこれが何かの画像データを含んでいたり……というアプローチを考えたのですけど、もう少し根本からいろいろ考えないと難しいようですね」

「なるほど。よろしくお願いしますね」


 うずらはコクリと頷くと解析データの事を書いたと思われるメモを前に再び頭を抱えた。


 うずらが試すでもなく、データが何らかの図形ではないかというアプローチは散々行われてきた。だが、ことごとくうまく行っていないのだ。データは広い帯域を使って流されており、全ての帯域が一つのデータを示しているのか、複数の情報が流されているのかも明らかになっていない。ただ、類似するデータには「コヒーレンス(干渉のしやすさ)」が有るし、実際"Wow again"で複数の帯域に流れてくる電波の間にある程度の関連性が見られるので、恐らくは帯域を横断する形での通信ではないかと言われている。

 この解析結果は、今まで出てきた映像としてはかなりましな方だったが、それでもノイズの中にいくつか塊が見えるというレベルであった。

 頭を抱えているうずらを見て、心配そうにひよどりが声を掛けている。

 頭を抱えて唸っていたうずらが顔を上げると、席を立ってひよどりと一緒に部屋を出て行った。沢田がちらちらと其方を見ていると、川見がやってきて声を掛けた。


「おたまさんが詰まってぐつぐつ煮えていると、ああやってひよちゃんがやって来て、外に連れ出すんですよ。そして、暫くして帰ってくると妙に晴れ晴れとした顔をしている。面白い姉妹ですなぁ」

「ほほう」

「ずいぶん以前になるのですが、うずらさんを私が前やっていた会社で雇ったことが有りました」

「そういえば、その繋がりで呼んで下さったんでしたっけ」

「ええ。でも最初の1年ほどは、何をやらせてもぴったり来ないし、正直雇ってよかったのかと思っていたのですよ」

「ふむ。ちょっとわかる気もします」


 最初、沢田も感じたことだ。


「そうしたら、妹のひよどりさんが仕事を辞めて、一緒に暮らす、という話になって。それから急激に仕事に身が入るようになったのですよね」

「ほほう」

「何て言うのでしょうかねえ。一人一人だとうまく回らない人が、ぴったりくる相手と組ませると3倍にも4倍にもなるという感じでしょうか。面白いものです」

「だから二人セットで呼ばれた、と」

「そうですね」


 そこまで話して、川見はじっと沢田を見た。


「沢田リーダーはそういう人間関係に巡り合ったことは有りませんか?」

「そうですね……。ペアプログラミングとかも何度か試してはいますが、なかなか」

「ああ、そういう事ではなく」

「?」

「生活を一緒にしてくれる人がいたら、視点も変わって、仕事にも反映できるのじゃないでしょうか」

「……いまは仕事のこと以外はあんまり考えたくはない感じです」

「そうですか。でも私は、仕事のためにこそ、人と人の関係って大事だと思いますよ」


 沢田が応えあぐねていると、和やかに話しながら芦野姉妹が戻ってきたので、話はそれまでになった。


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