活躍すべき物語という世界を生み出されないまま、過酷な設定を負って待たされ忘れられてしまったキャラクター。訴えられても文句は言えないな、と感じる一方でそれくらい強い思いを抱いて生きてくれるキャラクターを創ることができたら、と憧れにも似た感情を掻き立てられます。
物書きはキャラクターにとっての創造主たりうるのか。だとすればどれだけの覚悟と責任感を持って彼らの物語を紡がなければならないのか。
たとえ全ての物語を書ききれないとしても、彼らと真摯に向き合っていこうと決意させられるお話です。逃げた先に待っているのは二度と「生み出せない」という絶望だと、心しておきましょう……。
命の大量消費。それが物語における実情だった。
愛を持って生み出したはずの自分のキャラクターは、役目を果たすことなく散っていく。
人の命だけではない。裁判に至るまでの世界は、作者が創造した世界だ。我が国の神話では、やれ棒でかき回して土地を作り、排泄されるものからも命を産み出す。
今日、世界のどこかで、誰かの中に、私が生み出した世界や命は芽吹いているだろうか。わずかな一時の記憶の中だけで、その僅かな生を終えていないか。
本作を読んで、自分の物語を見返す。しかし、そこで縦横無尽の活躍をしていたのは、紛れもない私自身であったし、あまりの無双の活躍っぷりからくる現実とのギャップで昇天したくなる。
すべての作家は、命と世界を産み出す創造主である。その責任のなんたるか、私たちは大量消費に飲まれることなく、省み続けなければならない。