第33話 その味わいはベースより深くライドより挑発的

 今日も店内は静かな熱気に包まれている。

 客層は若者から年寄りまでいろいろ、初めての客もいれば通い詰めてる常連もいる。

 が、それでも尚、この店の客は常に妙な一体感で結ばれている。


 正確な八分ベードラと、それに乗せて微塵の狂いも無く刻まれる三連ライド。そして三拍目に入るスネアのリムショット。

 いや、これは四拍子ではなく八分の六拍子の変形で二拍三連なのかもしれない。


 ベードラと同じリズムでありながら、僅かにアレンジされたストリングベースが入る。客の熱気が一気に増す。店内の温度がこれだけで一度上がる。

 ピアノがベースに乗せたコードを押さえる。短い口笛が上がる。ピアニストはしわくちゃの右手を軽く挙げて声援に応える。


 満を持して弓を構える老婦人。楽器はなんとヴァイオリンである。ジャズとは思えない編成、だが、これは立派なジャズである。


 ヴァイオリンの弓が弦の上を滑る。

 コーラにも似た心地良い痺れが身体中を駆け巡る。


 なんという音だろうか。

 これを店のマスターは『魔王もセラフィムになるような音』と表現する。


 実際彼らは、『魔界クァルテット』と名乗っていた。いい歳こいたジジイとババアが魔界もクソもあるもんかとマスターは笑う。

 ドラムのオーク大熊、ピアノのマンドラゴラ七音、ベースのトロル佐藤、ヴァイオリンのラミア彩音。それぞれの分野で華々しく活躍し、その才能を惜しまれながら表舞台から引退した実力派の音楽家たちである。

 そしてその四人が今、こうしてマスターである俺の店で毎日ライブをやっている。


 四人とも白髪になってしまったが、雰囲気はあの頃と全く変わっていない。

 オーク大熊は若い頃は爽やかなイケメンだったが、今ではすっかりオシャレなチョイ悪ジジイとなって若い女性を悩殺しまくっている。しかし彼は愛妻家であり、そこもまた彼の魅力となっているのであろう。

 そのオーク大熊の奥様、マンドラゴラ七音は華奢で可愛らしいお婆ちゃんだが、ピアノを前にすると別人のようにダイナミックな演奏をする。このクァルテットのオリジナル曲は全て彼女が書いているのだ。

 トロル佐藤は昔から大柄でその名前が付いてしまったわけだが、七十過ぎてもその身長は縮む事無く204㎝をキープしており、更には頭が綺麗に禿げてしまったためますますトロルの名をほしいままにしている。

 しかもこの禿げの大男の奥方がこちらの上品な御婦人、世界的なヴァイオリニストであるラミア彩音である。この女性はセレブのお嬢様で大学生の頃はミス多摩音大と呼ばれた美人だが、阿吽の呼吸で演奏できるトロルと気が合い、そのままゴールインという「美女と野獣」夫婦である。


 そう。俺はあの時の夢を叶えたんだ。

 ちゃんと約束も守れた。

 ナオを送り出して、みんなの活躍を見守って、そして彼らの帰ってくる場所を作って待っていた。

 そして、みんなここに戻ってきた。

 五十年経った今、またみんなと一緒の時間を過ごしている。

 俺だけが歳を取らないあの頃の姿のままで。

 みんないずれ俺だけを残して先に旅立つんだろう。でも俺は後悔していない。


 そろそろケツァルコアトルの野郎に定期報告を入れる時期だ。

 鳥蛇め、どうしてるだろう。思い切り羨ましがるような報告入れてやる。

 焼き鳥のたれと一緒にな。


 俺はナオの鎖骨の間に今も光る四つ葉のクローバーに目を細めると、手にしたコーラを一気に飲み干した。



 おしまい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コーラと魔王 如月芳美 @kisaragi_yoshimi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ