最終話 そして、日常へ

 コンコン、と社長室のドアがノックされた。


「はい、どうぞ」


 伊佐神は、低い鼻にかかった声で言う。


「失礼いたします」


 グレーのスーツにタイトスカートで、洞嶋が一礼して入って来た。


「社長、まもなく経団連の会合のお時間です」


「わかった。ありがとう」


 伊佐神が椅子から立ち上がったところで洞嶋は近づき、青い縞のネクタイの緩みを直す。


「すまないな、レイ」


「今は秘書室長の洞嶋でございますわ、社長」


 洞嶋はネクタイをさわりながら、微笑む。


「ところで、社長。

 先ほど経理で、〈クラブなでしこ〉というお店の領収書を、お見かけいたしましたのですが」


 伊佐神の顔色がサッ変わる。


「そ、それは、そのう、そう! お客さまをですねえ」


 甲高い裏返った声で、しどろもどろな口調になった。

、そうおっしゃりたいのですね」


 洞嶋の目つきがガラリと変わる。伊佐神の身体が小刻みに震えだした。


「接待とあらば、いたしかたございません。お仕事が第一でございますから」


 ネクタイがみるみる締まっていく。


「ただし、申し上げておきますわ。

 私以外の女性と二人でお酒を召し上がるということは、どうなのでしょう。

 絶対に許さないからっ!」


 伊佐神は頸動脈を締め上げられてオチそうになりながら、首を思いっきり縦に振った。


「おわかりいただけたようですわね、社長」


 洞嶋はにっこりと、美しい笑顔で小首をかしげた。


~~♡♡~~


「課長」

 

 猿渡は紺のスーツ姿にネクタイ姿で、軽自動車のハンドルを握っている。


「あー、も一回言ってくれたまえ」


「課長、課長!」


「いい響きだなあ。課長かあ」


 菅原課長代理は代理がとれ、伊佐神興業株式会社金融営業部一課の課長として、晴れて昇進したのである。

 猿渡とお揃いの紺色スーツに、縞のネクタイをきっちり締めている。


「ところで、何かな? 主任」


「もう一回呼んでくださいよう」


「主任、主任!」


 猿渡はヒラの見習いから、営業一課の主任に大抜擢されていたのだ。


「俺、肩書の入った名刺を配りまくってまさあ」


「なに、俺もだぜい」


「しかし、相変わらずの営業車ですねえ」


「ああ。早く部長になって、ベンツに乗りてえなあ」


 肌色軽自動車はN市内を、法定速度で営業先に向かっていった。


~~♡♡~~


 カラン、ウイスキーの注がれたグラスの中で、丸い氷が揺れた。

 ナーティは黒いシルクのドレス姿で、スツールに腰を降ろしている。


「こうやって、すべてを忘れて飲むってえのは、いいものだな」


 ナーティの横には以前と同じスタイルの占術師、オボロがグラスを傾けていた。


「ホントね。あなたとこうしていると、落ち着くわ」


「まあ、なにはともあれ、今日はとことん飲もうぜ」


「あら、イヤだ。ワタクシを酔わせて、なにやら良からぬことでも考えていらしゃるのかしら」


「俺はノーマルだって、知っているじゃないか」


 ナーティは笑った。


「今からでもワタクシが手ほどきしてさし上げても、よくってよ」


「気持ちだけ、いただいておくよ」


 二人は琥珀色の液体を、心から味わった。


~~♡♡~~


 斜目塚はふうふうと息をつきながら、テレビ局の一階ロビーに入って来た。

 地下駐車場に停めたミニクーパーは、あれから無事に戻ってきたものの、なぜか派手なレインボーカラーに、ボディにはアメコミの怪人が描かれた〈痛車いたしゃ〉と変化していたのだ。


「あら、みやびはまだ来てないのかしら」

 

 腕時計を見る。


「もうこんな時間! やっぱり私が迎えにいかなきゃダメだったわ。収録が始まっちゃうわよ」


 イライラしながら、もう一度ロビーから出る。


~~♡♡~~


「タマサブーッ、急いでよ! 弥生さんに怒られちゃうよっ」


「いいのかい、べェビィ。スピードをアップしちゃうよーん」


 珠三郎は、白いハーフヘルメットをかむった頭を下げる。

 ホンダVT、千三百シーシーの大型オートバイのアクセルを吹かす。重量感のあるエンジン音が、みやびの身体に響いた。

 珠三郎と色違いの黒いハーフヘルメットを上から手で押さえ、みやびは言う。


「タマサブが、やっとオートバイ免許を取ったんだから安心よ。どんどん抜いちゃえー。飛ばして行こうぜー!」


「オッケイだぴょーん!」


 法定速度をはるかに上回るオートバイは、斜目塚が焦りながら待つテレビ局へまっしぐらに走っていく。


 すべてが終わったのかどうか、みやびにはわからない。


(でも、これからだって、何が起きてもへっちゃらよ。

 アタシはアタシ。

 宝蔵院流槍術免許皆伝にしてグラビアモデルでアイドル志望、現役女子高生の千雷みやびはいつだって真っ直ぐ前向いて行くんだから)


 珠三郎の丸い背中に頬をつけた。


「また新しいアルバイトを、みつけなきゃ。アイドル目指すにゃお金がかかるんだからね」


 みやびは白い歯をのぞかせ、全身で心地よい風を感じていた。

                                    了



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魔陣幻戯1 『アイドル志望は、時給戦士』編 高尾つばき @tulip416

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