火葬鳥 後編
■参■
いつまで、いつまでと、また声が聞こえる。
この幻聴は私を放って置いてくれない。そして唯一、はっきりと責めてくれる。いつまでお前は生きているのか、と。ああ、早く終わらせなくては。もう、あの火事から一年が経ってしまった。私は弟の葬式から、月に二、三回登校するような生活に入って、高校受験なんてとっくに投げ出している。
普段の私は家事手伝いに専念し、買い物を頼まれれば外へ行けるようにまでなり、叔母は出来るだけ私を公園や旅行に誘おうとまでしてくれた。
叔父は高校なんて、後から卒業資格だって取れるからねと言って、私にバイトも通学も勧めようとはしない。親戚の子とはいえ他人だろうに、もう少し厳しくしないと、家の財政も苦しいんじゃないか、なんて心配してしまう。どうやらこの人たちに対してだけは、まだ私の頭も感情も、まともに働くらしかった。
それは、死んだ息子さんの存在が、親近感を持たせるからだろうか? もし、死んだのが叔父夫妻で、残されたのが従兄の方だったら、彼はどうしていただろう。享年十六歳、今の私より一つ上の彼は、ギリギリ踏みとどまって、両親の死を背負いながら生きていたのかもしれない。それとも、私と同じ道を選ぼうとしただろうか。
人の生き死になんて分からない。だから、他人にどうこうと指図されたくない。
昔遊びに行った時、叔父の家はガスコンロだったはずだが、私が来て間もなく電磁調理器に買い換えられていた。当初は気づかなかったが、私に火を見せまいと気遣ったのだろう。そんな叔父だから、私が花火に興味を示した時には、さぞかし驚いたはずだ。叔母と買い物に行ったホームセンター、花火コーナーの前で私は足を止めた。
あの火事の数日前、私たち一家はアパート前の公園で花火をしていた。色とりどりの紙筒からカラフルな炎が噴き出して、時間と共に色を変える。弟はネズミ花火が大好きで、くるくる回転するそれから歓声を上げて逃げ回っていた。母は家に入ると、切ったスイカを持って来てくれて、一旦休憩に。弟は両手にスイカと花火を持って大忙し、父と母が肩を並べて線香花火を眺める様は、結婚数十年を経て仲むつまじいなあと私は羨ましく思っていた。自分も結婚するなら、こういう夫婦になりたい、と。今は、その全てがどうでもいいが。
「……巡ちゃん、花火がしたいの?」
おずおずと話しかける叔母に、私はつい「うん」とうなずいてしまった。
「最後にみんなで、花火やって遊んだから」
平静に言ったつもりが、私の片目から涙がこぼれ落ちる。どうして、不意にこんな生理反応が起きるのだろう。思いのほか、花火の記憶が自分の胸に刺さったのか、脳の芯がしびれるような感じがして、自分で自分の気持ちに追いつけない。ただ、花火をやろう、花火をしたい、という断固とした意志が生まれていた。
「じゃあ、これ買っていこうね」
叔母はにこやかに笑って花火を買い物カゴに入れ、金曜だったので、すぐその夜やろうということになった。叔父の家は庭付き一戸建てで、場所にも困らない。
花火の火でアスファルトをなぞると、白い跡がチョークで描いたようにつく。しばらくそうやって、無意味な丸や線を描く内に、花火は燃え尽きてしまった。用意されたバケツに突っ込むと、ジュッと言う鎮火の音さえ小気味良い。
この花火というやつは、なんて最後まで気持ち良いのだろう。人間が飼い慣らした火だ、ライオンを猫に変えたような巧みさを感じた。
火薬が燃えたきな臭さは、存外良い匂いに思えて、いつも感じている悪臭を忘れさせてくれる。それどころか、懐かしい夏休みの思い出がよみがえるようだ。去年だけではない、私が小学生や、幼稚園の時の古いものも含めて……そういえば、夏休みには毎年数回こうやって花火で遊んだけれど、去年はあの時一回やった切りだった。
昔は母が赤ん坊の健彦を抱きっぱなしで、私が代わりに抱くまで、花火は見てるだけだった。夜闇に灯る花火の明かりとコントラスト、弾ける火薬の匂い、火に照らされるもくもくとした白煙と、ゆらゆら揺れるロウソク。その全てが、あの火事よりも、もっと古くて懐かしい思い出をひたひたと呼び起こしてくれる。
初め心配そうに見ていた叔父さんたちも、私が懐かしさに目を細め、楽しんでいる様に安心したようだった。二人に心配をかけていない、そう思うと私も不意に楽になった。こんなに心が和むのは、本当に久しぶりかもしれない。
……ああ、やっと分かった、生きるってきっとこういう気持ちのことだ。
「巡ちゃん、楽しいかい?」
叔父の
少しはそれが伝わったのか、浩樹叔父さんは、こちらが恥ずかしくなるぐらいニッコリ満面の笑みになった。だから、それに釣られたのだろう。
「私、夏休みあけたら、遊んでばかりいちゃ駄目だね」
そんなことを言ってしまった。一度口にすると、まあいいやと思い、その先を言い切る。
「もっと頑張る。叔父さんの家のお手伝いも、学校も、勉強も。今からでも受験、間に合うかな」
それは、二人を喜ばせるためについた、私の嘘かもしれない。あるいは、ほんのひとときの幸せな気持ちに酔った、ただの戯れ言かもしれない。
でも、嘘も繰り返し言えばいつかは本当になる。そんな気は無くても、こうして口にするだけで、いつか私もちゃんとそんな気になれるんじゃないだろうか。少なくとも今までよりは、前向きな気持ちが生まれていた。
硝子片のようだった私の心は、ここに来てようやく持ち直そうとしたのか。それが信じられない気がしたが、人が簡単に狂えないのは、人間の強さなのかもしれない。私は生きてていいのだろうか。このままここに居て、何かを考えたり、始めたり、動いたりするような、そんなことしていいんだろうか。
「巡ちゃん。そんなにいっぺんに、無理しなくていいんだよ」
叔父さんがニコニコして言う。
「そうそう、頑張りすぎると疲れちゃうからね。そうだ、スイカ切ろうね」
叔母さんが目頭を拭って、家の中に引っ込んだ。お風呂場で冷やされていたスイカが出てくる。一切れ勧められ、てっぺんにかじりつくと、粗塩と混じった甘く爽やかな果汁が、口いっぱいに広がって、香りが鼻へ抜けていった。
「おいしい……」
そういえば、食べ物の味がちゃんと分かったのは、いつ以来だろうか。食欲は、火事から半年を過ぎたあたりから回復して、そんなに吐くことも無くなったけれど、何を食べても美味しいとか美味しくないとか、全く感じなかった。でも、私は生きてるんだ、やっとそれを思い出そうとしているんだ。
「叔母さん、このスイカすごく美味しいね」
どんどん食べてね、と差し出されるままに、私は更に二切れ平らげた。必要最低限しか口にしなかった私が、食事に意欲を見せるのだって久しぶりだろう。これから一つずつ、取り戻していけばいい。家族の命日になったら、お墓参りをして、元気になった私の姿を見せなくちゃ。
新しい花火に火を点ける。真っ白な炎が勢い良く噴き出して、光のシャワーみたいだ。紙筒が短くなって、次は緑色に、そしてオレンジに変わる。オレンジから赤への変化は、ちりちりとうぶ毛が立つような感覚を覚えた。これはただの花火なのに、またあの火事を連想してしまう。
「嫌っ!?」
炎が不意に膨らんだ。花火が破裂して、キラキラと火の粉を辺りに飛び散らせる。私を呼ぶ叔父の声が、水飴のような空気の向こうから鈍く響いていた。時間が鈍化して感じられる、そのことに気づいた時、私は目の前にいるものに気づいた。
――いつまでつづくかな?
気味の悪い炎の鳥が、目の前で笑っている。人のような声で、人間のような顔で、いびつな体をした異形の鳥が。こいつは一体なんなんだ、原因不明の火事、全てはこいつの仕業じゃないのか。
――わたしは、原因じゃない、結果さ。
ニヤリと鳥が笑う。クチバシこそあるが、その顔面は人のものだ。目の形も、クチバシに繋がる鼻筋も、耳たぶさえあるかもしれない。その顔が誰かに似ている、気づいてはいけないという本能の声を無視して、私は理解してしまった。
「……おとうさん……」
嘲るように醜く顔を歪めたそれは、父の顔をしていた。
■肆■
その夜、私は高熱を出して寝込んだ。下がったのは翌々日のことで、短期間にみるみる上がったかと思えば、嘘みたいにスッキリ下がってしまった。夏風邪にしては奇妙だったが、私にはそれが何のためのものだったか分かる。
寝込んでいる間、私は夢の中で、近所の町を彷徨っていた。
何もかもが陽炎にゆらめくような炎天下、見慣れたはずの街並みがぐにゃぐにゃと曲がって見える。私は水飴のような汗を貼り付かせ、生ける屍のようにふらふらと重たい足取りで、どこへともなく歩いていた。気がつくと見知らぬ路地へと入るが、足は勝手に動いて私を奥へと誘っていく。
真上に輝く太陽は、気長に地表の生物を火炙りにしているかのようだ。重々しい日差しを背負い、泳ぐように行き先も知れぬ彷徨を続けていると、不意に溺れそうな気がしてくる。熱い白い日光のただ中に倒れ、無限にどこかへと落下するのではという予感。けれど、光に溺れる寸前、一件の廃屋を見つけた。
そう、誰も近づかなさそうで、それでいてちょっと頑張れば侵入できそうで。油を撒いて、火をつけて、人知れず焼け死ぬにおあつらえ向きの。
木造平屋の一軒家、私が散歩に行くと言った時、叔母さんはびっくりしたように少し目を見開いて、それからニコニコして「いってらっしゃい」と言った。あの花火の夜以来、私が立ち直り始めていると思っているのだろう。それはもうすぐ裏切ることになる。夢で見た通りに道を進んで、角を曲がって、私は同じ場所へ入り込んだ。まさか本当にあるなんて、と愕然とした気持ちと、当然だという気持ちが並立する。
「ここでいいんだね、おとうさん」
場所は用意された。次は道具だ。
叔父と叔母に気づかれないよう、私は数週間ほどをかけて、慎重に準備を進めていった。マッチやライターは百円ショップで簡単に手に入る。怪しまれないよう他のキャンプグッズと併せ、数回に分けて購入する。あの夜の花火は意外と多目に余ってしまったので、私はこっそりとそれをほどいて火薬を集めた。去年の冬に使った暖房用の灯油はポリタンク一杯にある。
叔父の家から廃屋までは少し距離がある。灯油のポリタンクなんて持って歩いたら目立って仕方ないし、小分けに持っていくしかない。私は叔母の外出を狙って、少しずつ中身をペットボトルに移し替えると、何度も足を運んでペットボトルを置いた。手が灯油臭いといけないので、必死で手を洗ったが、今度は手荒れ対策のハンドクリームが必要になった。手袋はしたのだが……。
そして八月の終わり、両親が死んで一年と半月。私は決行に移った。
廃屋の勝手口は、子どもの私でも簡単に壊せるほどボロボロになっていた。
仮にも家の中だと言うのに、土と草いきれの匂いしかしない。締め切られた雨戸の所々は傾いたり、穴が開いたりして、わずかに降り注ぐ日光と雨水をエサにしたのか、畳には雑草がまだらに生えていた。この草花と虫が、私の道連れか。初めは少々不気味な気がしたが、今はもう、あまり気にならない。
床に落ちたまま何十年も放置された新聞紙を踏んで、私は用意しておいた灯油入りペットボトルを開封した。一本一本、中身をまんべんなく辺りに撒いていく。ツンとする油の臭いは、私が開けた窓から入る太陽に温められ、揮発し、やがて酸素と混じり合って燃えやすくなるだろう。更に、その上から火薬の粉。
私はあらかじめ巻いておいた新聞紙の棒を取りだし、ペットボトルの残りをそれにかけると、百円ライターで火を点けた。灯油を撒いた箇所をぐるりと周り、その火種でそこかしこに点けていく。油だけの箇所は中々火が灯らなくて焦れるが、急ぐ必要はないのだ。私はもうすぐいなくなるのだから、ゆっくり構えていればいい。
ぽつりぽつりと、小さかった火は、波打つように赤い舌を広げていった。新聞紙を油のかかった所へ投げ捨て、私はかつて居間だっただろう場所に腰を降ろす。
「おとうさん、おかあさん、タケちゃん。もうすぐだよ」
そっと膝を抱き、三角座りの格好になる。
「ごめんね、浩樹叔父さん、
強いて心残りを挙げれば、その二人のことだった。目を閉じ、頭を伏せると、これまでのことが波のように押し寄せて来る。タケちゃんが生まれてお姉ちゃんになった日のこと、父と母が大喧嘩した日のこと、叔父さんの家に遊びに行った時のこと、小学生の時の家族旅行。特別仲良しでも険悪でもない、時々喧嘩もするけれど、くだらないことで笑い合う、普通の家族だった。
過去が私を未来へ、その先の死へと押し流していく。その先に何があるかは、分からない。そこに皆がいる保証さえ。
「でも、きっと会えるよね」
事故で死んだ家族とは違って、私は一人だけ地獄行きになるのだろうか。だとしても、生きていたって仕方ないのだ。だって、呼ばれてるんだから。
「そうだよね? おとうさん」
私が顔を上げた時、炎はずいぶん広がっていた。体中が汗だくで、密着していた腕や肘や足は特に酷い。火は、既に壁にまで登っていた。そうなると、後は早かった。ちらちらと揺れる火が、競争するように壁を登り切ると、次は天井。その間にも床は彼らの領土が広がって、座るのを諦めて立ち上がると、煙の中に顔を突っ込んでしまう。木や紙や得体の知れない物が焼ける異様な臭い。
咳き込み、涙を拭いながら私は中腰になった。もちろん、ハンカチなんて持って来ていない。この喉の痛みは、始まりに過ぎないのだ。
火が回っていく……羽根のように閃く赤と橙の輝きが、壁の漆喰や木の柱に取り付いて、じわじわと蝕んでいく。木がはぜ、軋む音と、炎の唸りがごうごうと轟くようだった。炎天下の太陽に照らされるのとは比べものにならない、直火の照射に逃げ出したくなってくる。汗は、暑さのためだけではなしに、止めどなく溢れていた。でも、逃げちゃ駄目だ。この先に私の道があるんだ。
「ねえ、いるんでしょう」
髪を振り乱して、辺りを見回す。廃屋の中、もはや私は炎の壁に取り囲まれていた。その向こうに、あいつがいるはずだ。
――いつまでたえられるかなあ?
父の顔をした不気味な鳥。そいつの姿が炎の中に浮かんでいた。ノコギリのような歯がずらりと並ぶ、醜い
「おとうさん……おとうさん、連れてって! 私をおいていかないで!」
手の先が火に触れて、私は思わず後ずさった。熱すぎて、いっそ冷たいという矛盾した感覚に、神経がおかしくなりそうだ。
恐らく酷い水ぶくれになっているだろうが、それを見ないようあいつの姿を探したが、その必要はなかった。炎と煙の中を、あの蛇のような胴体がぐるぐると飛び回っている。しかも、一羽だけじゃない、二羽……いや、三羽? そうか、あれが父ならそのはずだ。きっと母もタケちゃんもそこにいるのだ。
体は今にも震えだしそうに怖い。けれど、皮膚の下に淀んでいたおびえの感触が、その確信で溶けた。
「だいじょうぶ。私、ちゃんと死ぬから、みんな、そこで、待ってて、ね」
深呼吸。煙を吸って咳き込むが、そうなることは分かっていた。
私は両の手を広げ、迫り来る炎の前に身を委ねる。このまま火中に倒れ込み、のたうって苦しんで死のう。……そして、炎が私の体を包み込んだ。
脳裏で音程の外れた濁音が鳴り響く。それは私自身の悲鳴か、体が上げる軋みか。細胞の一つ一つが自分の肉体から逃げだそうと、一斉に暴れ出しているようだった。水分を奪われた皮膚はカラカラに乾いて縮み、あるいは膨れ、伸縮に耐えられなくなった所から破れだせば、沸騰する血と肉汁が溢れて滴る。
誰かの笑い声と叫び声がひっきりなしに聞こえていた。
今まで一度も使ったことのない筋肉を痙攣させ、私は全身全霊でのたうち回り、人間とは思えないような声を上げている。それを他人事のように観察しながら、意識はストロボをたかれたように明滅していた。
これは……痛い、なんて物じゃない。痛すぎて痛くないことが、どんなに苦しいか。ああ、でもこれで、やっと皆と一緒になれる。同じものになれる。同じところへ逝ける。これで……、
「巡ちゃん!」
聞こえるはずのない声が聞こえた。叔父さんは確か、今日は仕事のはずでは? けれど、私の意識は困惑する力もなく、ゆっくりと闇に飲まれていった。いや、まぶたの裏に浮かぶのは、闇ではなく炎だったかもしれない。ただ、誰か男の人が、私の腕を腰を掴み、必死に引きずっていくのをおぼろげに知覚していた。
「やめて」
そう唇を動かしたつもりだが、彼には聞こえていただろうか。
結局の所、私の愚かな企みは、叔父と叔母に薄々感づかれていた。悟られないようにと慎重に行動した私のあれこれは、所詮子どもの浅知恵だったらしい。そしてあの日、虫の知らせというのだろうか? 早退を取った叔父は、私の姿が見えないこと、廃屋の方向から煙が上がり始めているのを見て、果敢に火事の中へ飛び込んだのだ。
そして、火傷を負った私を連れ出した。それから……。
「浩樹さんは、大丈夫」
叔母は病室の私にそう声をかけたが、明らかに嘘だった。涙に濡れてこちらを見る目が、哀れみとも憎しみともつかない、ごろごろした生煮えの心を向けている。亡くなったのか、重態なだけなのか、命だけは助かっても回復の見込みが無いのか、そのどれとも判じがたいが、取り返しの付かない何かが起きたには違いない。
あの火事で、私はほとんど全身に火傷を負ったが、ギリギリ致命傷を免れていた。生焼けも良いところだ。世の人は、人間は何があっても生きなくてはならない、それが正しくて全ての人にとって善いことなのだと信じている。
けれど、自由に死を決められないことは、大いなる絶望だ。ましてや、それを邪魔された挙げ句、相手が死んでしまったならば、尚更のこと。
「い……つ……」
声を出そうとしても、焼かれた舌と口は思うように動いてくれない。叔母は溜め息をついて、用意された一人用の病室を出て行った。誰かが開けた窓では、夏の風にカーテンが揺れている。
――いつまで?
いつまで、私はここに横たわってるのだろう。いつになったら、この死人とも人間ともつかない状態から逃れられるのだろう。
「いつまでも」
カーテンのはためきに乗って、そんな音声が紛れ込む。その時、私が首をめぐらすことが出来たのは、この重傷の中で奇跡に近かった。
その代償として、包帯の下で血が滲み、染み入るような痛みがあったが、目の先に捉えたものの姿に、それどころではなかった。あいつは、てっきりまた父の顔をしていると思ったのに。
「いつまでも、さ」
窓の外、離れた位置に張り巡らされた電線の上、雉のような赤茶色い鳥が止まっている。蛇のように長い体をくねらせ、ノコギリ歯の嘴からは、だらだらと涎を垂らすように笑っていた。
「ぁを……ぢっ、ぢぢっ」
呼ぼうとしても言葉が形にならない。その鳥の顔は、叔父のものだった。では、彼はやはり……。
「いつまでも、いつまでも」
繰り返し鳥が啼く、最初の一羽の隣にもう一羽が飛んできて、同じように電線に止まって唱和する。二羽目は父の顔をしていた。
もう一羽。母の顔をした鳥が、二羽目とは反対の側へ止まる。
三羽は爛々と光る目で私を見ながら、いつまで、いつまで、いつまでと啼いた。お前はいつまでも焼かれ続けるがいい。
「いつまでも、いつまでも、イツマデモ、イツマデも、イツマデも、イツマデも」
消える事のない声に責めさいなまれながら、私の意識は遠のいていった。
焼けただれた顔の半分は、とても人に見せられない有様だった。ちゃんと皮膚移植や整形を行えばマシだろうが、私も叔母も、そんな提案を口に出そうとさえしない。おそらく、私たちの間には以前よりずっとよそよそしい空気があったはずだ。傍から見れば気づかれないようなものだったが……。
ただただ叔父と叔母への罪悪感から、私はリハビリや学業に精を出したが、すぐにそれ自体が精神の逃避先になった。特に数学に関しては計算中毒と言って良いほどで、不安も焦燥もやましさも、無数の数字と記号の羅列を前にしていると、忘れていられた。昔はこんなもの、大嫌いだったのに。
その甲斐あって大検にも合格したが、大学には行かず、事務の職を得られた。それで安心したのだろうか、私が社会人一年目を終える頃、叔母もまた逝ってしまった。検定のために猛勉強していた頃から病に伏せっていたから、それ自体は予期していたことだ。叔父夫妻が残してくれた家と、仕事と、障碍者手帳と、生きる物は全て残されていた。でも、それだけあればいいのか……?
そんな訳はない。言ってみれば、巻き込んでしまった叔父と叔母への義理から、七年も生きながらえてきたのだ。私はガソリンを被って焼身自殺を図ったが、通りすがりの青年に阻止され、彼の視力を奪うことになってしまった。青年は命こそ助かったものの、これでは以前の繰り返しではないか。
だが、それも始まりに過ぎない。あの火事から二十年、私が死のうとするたびに必ず邪魔が入り、その相手もまた悲惨な目に遭う。周囲を巻き添えにしながら、心と体の傷は増え続け、時に死なせてしまった相手の親族に罵られ、仕事も失い、叔父の家も手放して、気がつくとどこかの病院でベッドに縛り付けられている。
どうしてこんなことになったのだろう。誰も彼も、私をそっとしておいてくれるだけでいいのだ、叔父も叔母も親切な人たちも、誰も傷付けたくなんかなかった。
生き物はどうせ死ぬのだ、人は生きなくてはならないなんて、大多数の願望を正義にすり替えただけじゃないか。私は違う、もう終わりにしたい、解放して欲しい、体にも心にも生きる力なんて無い。
この世にいるだけで、私という存在は不幸と死を撒き散らす。炎と同じだ、近づいたら皆焼かれるのに、それがどうして分からないのだろう。
今や、周りには常にあの鳥たちが大群となって飛び回っている。まるで爛々と輝く炎の渦、その台風の目は私だった。父も母も叔父も叔母も自殺を止めた人たちも、残らず醜い火焔の
イツマデもイツマデもイツマデもイツマデもイツマデもイツマデもイツマデも……
それでも、ああ、私は永遠に、彼らに取り憑かれて生きるしかないのだ。
(終)
火葬鳥 雨藤フラシ @Ankhlore
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