火葬鳥

雨藤フラシ

火葬鳥 前編

 最も遂げたくない死に方を訊かれたら、私は火事での焼死を挙げるだろう。

 轟々と燃えさかる建物の中、死にたくない、まだ助かるかもしれないと絶望的な気持ちで逃げ惑い、煤や煙に巻かれて喉はカラカラ。助けを呼びたくても声はかすれて、涙も熱で乾いていく。煙を大量に吸い込むと意識を失うというのは嘘で、本当は動けなくなっても意識は保ったままだ。

 火事で焼け死んだ人たちは、皆頭がハッキリした状態で、じわじわと火に炙られ、苦しんで苦しんで苦しみ抜くらしい。私は、そんな目に遭うのは絶対に御免だ。

――こんなに人の尊厳を踏みにじる死に方があるだろうか? 死者は絶大な苦痛と恐怖を味わい、惨たらしい遺体は家族の哀しみをより深めるだろう。

 だが同時に、最も切望する死に方はと訊かれたら、私はやはり、火事での焼死を挙げるのだ。それも、出来るだけ近いうちに、と。

 そうでなくてはならない、父も母も弟も、今私が想像したとおりの、いいやその何百倍も酷い目に遭って死んだのだから。

 この世には私が思いもよらない苦痛が存在し、それが訪れる時はどんなに避けよう逃げようと努力しても、抗えない瞬間があるのだ。

 私が生まれる前から、火事で焼け死んだ人が大勢いたのと同じように。


        ■壱■


 昨年の夏だった、私は中学の夏休みで、友達と市民プールに出かけた帰りだ。自宅が入っているアパートの方角から煙が上がっているのを見た時は、そんなに深刻なこととは考えなかった。私の家があった土地は米所こめどころとも言われるぐらい、稲作が盛んで田畑が多く、自分の土地でゴミを焼く人も時々いたから。

 サイレンの音がして、消防車が私の自転車を追い越して行った時さえ、まだのんびりとペダルをこいでいた。

「あんた、あそこのアパートの子でしょ!? うち燃えてるよ!」

 最初に私に事態を知らせてくれたのは、近所でよく見かけたおばさんだった。後で思い返すと野次馬だったのだろうが、おばさんは私の返事も聞かずにアパートの方へ走っていった……記憶の中では、彼女はカメラを手にしているが、思い違いだろう。今はガラケーもスマホもあるし、被害妄想かもしれない。

 私は半信半疑の気持ちで立ちこぎに切り替えた。プールで濡れた髪はすっかり乾き、肌は汗ばみ始めていたが、首筋から背中にかけてじわっと冷や汗が滲む。けれども、まさかこの自分に、そんなドラマみたいな災厄なんて降りかかるはずがない、そんな慢心が私の恐怖をらしていた。

 けれど、この世に「それ」は存在し、訪れる時は訪れる。

 交通事故のように、地震のように、転んだ先で待ち構えるアスファルトの固さのように、歯医者さんのドリルのように、人が必ず死ぬように、向こうがこちらを目当てと定めたら、決して逃げられない。人は苦しむ、生きてる限り傷つき、どこかで立ち直れないほど叩きのめされる。

 そうやって全ての人は終わってきた、私の家族にその時が来たのだ。

 アパートに辿り着いた時、既に建物全体が火に包まれていた。テレビのニュースで何度も見た光景、窓という窓から炎が吹き出し、入道雲がかかった青空にはもうもうと煙が立ち上って、火山が出来たみたいだった。呆然としながら、私の口はほとんど勝手に家族を呼んでいた。お父さん、お母さん、タケちゃん、どこにいるの。

 真夏の炎天下、すぐ目の前には燃えさかる家があって、暑くてたまらないはずなのに、足元が凍ったような気分だった。

 携帯電話を取りだし、震える手で操作するが、何度かけても誰一人として繋がらない。どうして出てくれないの、早く声を聞かせて、私を安心させて欲しい。こんなのは、大したことないって言って。家が燃えて、財産もごっそり減って大変だけど、家族は皆無事で良かったねって笑おうよ。大丈夫、大丈夫、大丈夫だって。でも電話は繋がらない、私はもどかしく周りを見渡す。

 邪魔な野次馬たちは、新鮮な肉に群がるゾンビみたいだ。全員殴りつけたい思いでそれをかき分けながら、私は家族を探した。少しでも見知った顔があったら、捕まえて訊ねたが、みんな首を振る。中には「一緒じゃなかったの?」とこちらに聞き返す人もいたが、私は無視して次を探した。けれど、どこにもいない、見あたらない、だから私は建物の方を見ないようにしていた。

 最悪の想像を現実の物としたくなかったから、目を逸らしていたのに。

――あの時、なぜか私の目は誰かに呼ばれたように、燃えてガラスの割れた窓を不意に見上げてしまった。

 アパートの二階角部屋、そこは間違いなく私の自宅だった。その窓だ、誰かが遊びに来ていたのでなければ、今朝、私がプールへ向かう前と同じく、家族が全員揃っているはずだった。その中で何かが動いている、炎の揺らめきじゃないのはすぐ分かった。倒れる家具とはまた違う、明らかに、生き物のシルエット。

 もっと言えば人の形をしていた。手足をメチャクチャに振り回して、右へ左へ部屋の中を往復する人影が、燃える私の家にあった。

「おとうさん!」

 自分の金切り声が他人のもののようだ。なぜ父だと思ったのか分からないが、あれが本当は母だったのか、弟の健彦たけひこだったかはもう永遠に分からない。あるいはあの影は三人分で、みんなみんな火だるまになりながら、助かるという希望も失って、ただただ苦しむためだけに家の中でのたうっていたのかもしれない。

「助けて! ねえ誰か、お願い助けて! 助けて! 助けて! うちの中にまだおとうさんがいる! おとうさん! おとうさん! おかあさん、タケちゃん、みんな! 助けて!! 助けて!! 助けてよぉ――ッ!!」

 炎が竜巻のように立ち上がり、高々と天を突く。

 吸い込まれるように見上げたその先、火柱の先端がぱかりと割れて、鳥のような形の火を吐き出した。ぞっとするような、気味の悪い印象がある鳥だ。

 羽根があって、鉤爪があって、なんとなく鳥だろうと分かるが、体そのものは蛇のように長く、いびつな感じがする。たまたまそんな形になった火のはずなのに、私の目には細かな羽毛すら見えていた。

 鳥が啼く――人のような声で、いつまで燃えるのか、そんな風に言った気がした。

 けれど、次に私の記憶が繋がるのは、淡いクリーム色をした病院の天井だ。私は火事の現場で叫んだ後、失神したのだと看護師さんから説明を受けた。火の鳥は、おそらく幻覚だったのだろう……と、思う。あの顔が何かに似ている気がしたが、私の精神はそんなことを気にする余裕など無くしていた。

 ほどなくして、医師が家族の容態を告げたのだ。消防隊の懸命な活動により、弟は救出に成功したが全身火傷の重態。

 父と母は、焼け跡から遺体となって見つかった、と。


 包帯だらけの弟は、漫画のミイラ男そのもので、妙に可笑しい気がしたけれど、ちっとも笑えなかった。そもそも、笑うことってなんだろう? その時の私は自我が硬直したように、生活の仕方を全て忘れてしまっていた。こんなことがあったのを覚えている。私は火事の後、一晩入院し、翌日迎えに来た叔母が言った。

じゅんちゃん、服持って来たよ。今どきの子ってどういうのが好きか分からないけれど、着替えたら何か食べれそうなもの食べて、ウチに行こうね」

 三種類ぐらいのワンピースやTシャツを置いて、叔母はベッド周りのカーテンを閉めた。私はキュロットを一つ手にとり、ぼうっとそれを眺める。フックを外して、チャックを下ろして、足を入れて、はく。それは分かるが、分からなかった。

 十五分ぐらいしただろうか、叔母が申し訳なさそうに「ごめんね、やっぱりダサかったかな?」と訊いてくる。おどおどした優しい声。

「違うの、叔母さん」

 その困惑をどう表現したらいいか、私はしばらく思い悩んで、結局正直にそのまま口にした。

「服って、どうやって着るんだったっけ」

 悲しいとか、苦しいとかじゃない。ただもう、その時の私は頭の中の、物を考える部分が完全に潰れたような感じだった。自分が今までどうやって泣き、笑い、おしゃべりして、学校へ行って、買い物して、お風呂に入って、テレビを観て、そんなことの一つ一つをどうやってこなしていたのか、理解出来ない。

 私の現実感は、お葬式の時になっても帰ってこなかった。

 単調に唸るような読経と蝉の合唱が混じって、時間の感覚が曖昧になる中、両親の遺影が並んで微笑んでいた。あの時はただ人形のように静かに座っていたけれど、今思い返すと叫び出したくなる。棺の中は誰も見ようとはしなかった思うが、あれは作り物の顔が入っていたのだと、誰かがしゃべっているのを聞いてしまった。

 二目と見られない遺体にはそうするのか、とその場では豆知識のように聞き流したが、私にとって思い出してはいけない言葉の一つになった。


        ■弐■


 胸に穴が開いたような感じ、という言葉は、まるで心という物が、隙間なく胸を満たす物であるかのようだ。それならば、私が自分の胸の中に感じられるのは、割れ硝子のような破片のかたまりに過ぎない。歩いたり呼吸したりするたびに、胸の中で破片たちはカラカラと揺れて、ぶつかってはまた新しく割れるを繰り返し、時々思い出したように突き刺さるのだ。

 人間は、心がこんな風になっても生きていけるものだろうか?

 学校を卒業し、仕事をして、誰かと結婚したり、子どもを産んだり、育てたり。そんなことはもう、考えられない。植物の種に花や葉や枝の素があるように、人の心にも色んなことをするための、生きる力が備わっているのだろう。私は違う。もう火事で焼け焦げて、役に立たない。った種が芽吹かないのと同じに。

 夏休みの間中、叔父の家には学校での友達から手紙や贈り物が届いた。文面はどれも、悲しいけれど元気になってね、お父さんお母さんの分までがんばろうね、そんなことばかり。直接訪ねてきた子もいたが、私はほとんど黙って、曖昧に笑って見せることしか出来なかった。本当なら誰とも会いたくはない。

 その間に、叔父は私の引っ越しと転校の手続きを済ませてくれた。家財道具は燃えてしまったから、私の持ち物はプールの時に用意した着替えと水着だけだ。けれど、私はそれを叔父から隠し、少し立ち直った頃にこっそりと捨てた。これはあの日私がプールに行って、一人難を逃れたという証拠物件なのだ。蒸された塩素の異臭が、私のやましさを知っているように漂っていた。

 それにしても、立ち直ったという言い方も据わりが悪い。当初のショックから抜け出して、表面上は火事の直後より「まとも」に振る舞えるようになったのは確かだけれど。頭を殴られた人間が、殴打直後の朦朧とした状態からは回復したものの、外から見えないところでは脳に傷が残っている。私の心は、そう言った方が近いと思う。

 それもあって、私の初登校は九月も終わりになってからだった。

 叔父と叔母に心配をかけるのは心苦しいが、無気力と怠惰はその気持ちを上回っていた。学校へ行かなくてはいけない意味なんて分からない。義務教育をきちんと終えないと、就職にも差し支えるし、大人になってから困るだろうと他人は言う。どうして皆、私がこのまま一人きり、意地汚く歳を取って大人になると思うんだろう?

 父は工場勤め、母はパート。決して経済的には楽ではなかったけれど、あそこは私の家だった。私という人間の一部だった。今は大きく身をもがれ、残った半身は焼けただれて、腐った汁を垂らしている。その悪臭が、いつも自分の額の奥からしている……あの日のアパート前で鼻を突いたのと同じ、頭が痛くなるような臭いが。

 私が外へ出かけるのは、叔母に付き添われて弟の見舞いに行く時だけだった。

「タケちゃん」

 義務的にそう声をかけるが、それ以上何を言うべきか、私には見当も付かない。看護師さんが、反応が無くても出来るだけ呼びかけて下さいと言うから、本当はもっと色々話した方がいいのだろう。

 私も話したい、やんちゃまっさかりだった小学生の弟、こんなミイラ男じゃない、元気な健彦とバカみたいにしゃべって、喧嘩したかった。

 でも、今は。これは弟であって弟ではない、体はかろうじて生きているけれど、タケちゃんはもういないのだと、そんな予感がした。

 呼び戻したければ、もっと声をかけるべきなのだろうが、きちんと何がしか言葉を継ごうとすれば、得体の知れないものが溢れて止まらなくなりそうだった。限界まで表面張力をみなぎらせた水桶みずおけと同じ、溢れれば全てが押し流されて、桶ごとひっくり返ってしまう。その桶が載ってる台さえ、一本の糸でかろうじてぶら下がっている、そんな気持ちだった。

「タケちゃん。ごめんね」

 その二言が私の精一杯だ。長い逡巡と沈黙、そしてたった二度の声かけのためだけに、長々と叔母を付き合わせるのは申し訳ないけれど、これ以上のことは何も出来ない。何か出来るとしたら、それはもうあの日にやっておくべきことだったのだ。叔母は病室を出ると、黙って私の腕や肩や背中をさすって、時おり目頭を拭っていた。

「巡ちゃん、健彦ちゃんは大丈夫。たった二人の姉弟だもの、神様もそんな惨いことせえへんよ」

 本当にそうだろうか? 胸に刺さるような衝動があったが、私がその言葉を黙っていられたのは不思議だ。

 弟が死んでしまうことが惨いことなら、父と母が焼け死んだことは、まだ惨くなかったのか。ああ、他人は皆そう言う、一家全滅じゃなくて良かったね、一人だけでも生き残って良かったね、死んだ人の分まで生きて幸せになってね。違う。誰も知らない、私たち家族の身に起こったことを本当は知らないし知る気がない。人の不幸なんて、そんなものだ。

――いつまで、生きてるんだろうね。

 誰かがささやく声が聞こえる。私自身の言葉なのか、通りすがりの誰かが発した無関係な音声かは分からない。ただ、どこかあの日の鳥が啼く声に似ている気がした。


 その日は、おかっぱの、運動部所属の女子だった。

久志田くしださん、お昼一緒に食べません?」

 毎日毎日、クラスメートの誰かが代わる代わる話しかけてくる。実は私が知らない所で、「久志田巡当番」が作られて、当番に当たった人たちが声かけをすることになっているのだろうか。私が叔父夫婦の親切心に根負けして、登校してから一週間。授業などの必要に迫られない限り、クラスメートの誘いは全て断ってきたというのに、この学級はやたらと辛抱強い。

 新しい学校で、担任の教師は私がショッキングな事件で家族を亡くしたことを、包み隠さずクラスメートに伝えていた。だからだろう、みんな私にはくどいほど優しい。腫れ物扱いというやつだろう、うっかり触って傷口を開けば、周り中から断罪されると怯えているのだ。……それにしたって、息を吹きかけたら、私が崩れるとでも思っていそうな態度だった。

「ごめんなさい」

 それまでは黙って首を振るだけだったが、その日初めて私は言葉を添え、頭を下げた。私は足早に、声をかけた女生徒の前から立ち去って、校舎裏を目指す。一人になりたいのだ。何しろ、人と一緒に食事する席で、無様な食べ方は出来ない。普通に食べようと努力するのは、叔父叔母との食事時だけにしたかった。

 小学生の頃は、学校の怪談を半ば信じていて、トイレに一人で行くのが怖かった。あんな事が無ければ、今も少し怖かっただろう。けれど、私は昼休みの終わりにはそこへこもって、叔母が作ってくれたお弁当を吐き出すのが習慣になっていた。好きで吐いてる訳じゃない、ただ、胃が受け付けない。

 綺麗に巻かれた卵焼き、ほどよい色に茹でられたブロッコリー、日によってミニハンバーグや海老のベーコン巻きだったりするメインのおかず。朝早く起きて、気持ちを込めて作られた叔母の料理。母は朝が弱くて、料理もそんなに上手くなくて、パンを買うお金だけ渡される日もあったし、卵焼きが酷い崩れ方をしていたり、冷凍食品だらけだったりした。どちらのお弁当も私は好きだ。

 あまり食欲は無い、それでも食べずに捨てるのは忍びない。だから無理やり口に詰め込んで、水道水をがぶがぶ飲んで流し込む。食べ方が悪いのか、結局は吐いてしまうにしても……。もちろん、体重はみるみる落ちていった。このまま飢えて死んでしまえばいいと思うが、その前に叔父と叔母が私を病院へ連れて行くだろう。

 何とか体重を保たねば、そう考えた私は、夜中に冷蔵庫のバターや塩を混ぜたごま油を舐めたが、効果は微妙だった。やはり、人が直接食べるように作られていない物は、必要な量を摂るのは難しい。結局は叔父夫婦との食事が、私の命を支えていた。


 弟が息を引き取ったのは、私が登校を始めて三週間目のことだ。

 我ながら冷たいことに、それはさほどのショックではなかった。私の中ではとっくに弟は死んでいて、叔母さんと見舞いに行った時でさえ、既に諦めていたからだ。

 第一、助かるのかもと見せかけの希望を持てば、裏切られた時、私はどうしようもなくなる。そうなってしまえばいいのに。弟はきっと回復してまた元気になると、そう心の底から信じて殉じられれば良かったのに。

 人の心は狂いたい時に狂ってくれない。

 父と母があんなことになって、弟のことも心から葬り去って、どうしてこんな醜い私だけが今も健やかに生きているのか。本当は家族のことなんて、心の底ではどうでもいいのだろう。愛してなんかいなかった、弟は生意気でワガママでムカツクし、母は家事も手抜きがちでだらしのない人で、父は朝早くから夜遅くまで仕事に出てあまり私に構ってくれなかった! 嫌いだ、みんな嫌いだ。嫌いだったんだ!


 私が嫌っていたから皆死んでしまった。

 私が家族を愛せるような、真心のない人間だったから。


 あの火事は数ヶ月経った今も原因不明のままだった。寝たばこや花火の不始末といったそれらしい物は何も見つからず、放火ではないかと推測されている。

 そのことを考える時、私はどうしても、あの時見た炎の鳥を思い出さずにはいられない。人の言葉で「いつまで」と言っているように聞こえたが、あの鳥は何と言おうとしていたのだろう?

 いつまで……いつまで……いつまで燃えるのか? それとも、「いつまでお前は生きているのか」だろうか。

「タケちゃん、あんなに元気いっぱいな良い子だったのに」

「本当に、むごいことよねえ」

「巡ちゃん、このたびは、ご愁傷様でした」

「まさか、弟さんまでねえ」

 代わる代わる挨拶に来る親戚や、父の職場同僚、弟の同級生とその親に、私は「ありがとうございます」とただただ頭を下げる作業に没頭しようと務めた。弟の葬式は、ほとんど無感覚に過ごした両親の時より、ずっと苦痛だ。会場は以前と同じく、叔父夫婦の家を借りている。

 両親の死から三ヶ月半も無いこともあってか、参列者は一言は私に話しかけようとするように、集まってきていた。叔母や叔父が毎日私に向けるそれに似て、憐憫と気遣い、そして絡み付くような好奇のまなざしが突き刺さる。皆、私がまだ子どもだから、自分たちの本心に気づかないとでも思っているのだろうか。

 叔父夫妻には、生きていれば私の七つ年上になる息子さんが一人いたが、交通事故で死亡した。小学生の時、父に伴われて参加した従兄の葬式で、彼の死や事後処理について、あれやこれやと噂していたのを覚えている。誰かの死なんて、当事者以外にはニュースの一つに過ぎないのだ。

 心配もお悔やみも、そうしなければならないという社交辞令。誰もがあなたを助けたいと言いながら、本当に助けを求めればなんて厚かましいのだと怒る、人付き合いなんてそんなものだ。そんなものを聞かされるために、時間を割かれるのはうんざりだった。人が私に差し伸べる手は、救うものではなく、生傷をいじくるそれと同じだ。誰が皮膚を失い、血を流すそれに爪を立てられたいと思うだろう。

 ああ、つまり、皆本当はこう考えているのだろう。

 どうしてあなただけ生きているの、いつまでそうしているの、と。

 今にも死にそうな顔なんかしちゃって、辺り構わず悲劇のヒロインぶって、みっともないったらありゃしない。とっとと死んでしまえ、家族と同じように焼け死んでしまえ、でも私たちがその背中を押したと思われるのは御免だよ、と。

 いつまで生きてるの、いつまで家族を置いておくの、鳥が啼くように甲高い、けれど私にしか聞こえない声で、彼らはそう言っている。

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