43話『タイマー』
宮内の事務所の裏手を流れる河原で、遠堂との決着がついたのは、寒さが厳しきなってきたばかりの十一月中旬だった。
それから数週間。特別時間管理課は、中央銀行に家宅捜索した際に溢れ出てきたタイマーの不正横領などの書類の整理と精査に追われていた。
世間には、特別時間管理局の管理の甘さを指摘する声も見られたが、最前線で犯罪と闘う特別時間管理課の存在は、世間に公表されるどころか話題にすら上がることはない。今も昔も暗部との抗争が絶えないために、秘密組織のままだった。
「お疲れ様だね千里ちゃん」
爽やかな笑顔で雨宮に声をかけたのは、矢島の復讐を間一髪で食い止めた笠持和也だった。仕事の合間の懸命な努力によって、なんとか松葉杖を使って自由な移動が出来るようにはなっており、現在も、雨宮の作業していた部屋にリハビリがてら出向いてきた形となる。
「あっ、お疲れ和也! 聞いたかしら? 遠堂を起訴する日程が決まったわ」
「あぁ、聞いている」
重犯罪であるにも関わらず、これだけ早い期間で起訴までもって行けたのは、ひとえに特時だからできたことだろう。そして矢島が関わっていたからであろう。
「矢島の具合はどう?」
雨宮は訊ねる。矢島は事情聴取のために特時のビルにいる。復讐に囚われた彼は、笠持が暴走を抑えたっきり無気力状態へと陥っていた所を、雨宮が理由をつけて呼んだのだ。
「もうだいぶ落ち着いてきたみたいだよ。随分憔悴していたみたいだけど、それもその筈さ。仇を討つためとはいえ、半世紀近く同じ人物を追い続けてきたんだ。どれほどの執念が彼を突き動かしていたのか……想像するのも恐ろしいよ」
「もしかしたら、私たちのことも恨んでたりしないかしら?」
雨宮は不安げな口調で、手元にあったコーヒーを口につけた。
もしかしたら、積年の恨みの対象を横取りされたと、矢島に思われているのではないだろうか。だが、彼女の不安を笠持は否定する。
「大丈夫。彼も元は特時……警官さ。僕たちの行動が正しいって言ってくれたよ」
「それなら一応安心ね。……遠堂を撃とうとしていたときの矢島の目、アレはもう正面から睨まれたら私……立ってられないくらい怖かったもの」
「はは、恨んではないけど、手柄を横取りされたって愚痴を言ってたよ」
復讐に取り憑かれた様に、雨宮の静止を無視した頃からは随分と回復したようだ。もうすでに、初めて出会った日のようなふてぶてしさを取り戻しているのだろう。矢島が快調に向かっていると聞いた雨宮は、気を取り直したように伸びをする。タイムアウト事件に一番深く関わった彼のことを、雨宮なりに気に病んでいたのだろう。
「遠堂が滅茶苦茶にしたタイマーの市場が安定するまで休んでられないよ! 人一倍タイマーに敏感な遠堂も言っていたでしょ、時間は大切にしろってね。一分一秒も休んでられないわ!」
それを聞いて笠持は苦笑した。
「大犯罪者の言葉を引用するのはどうかと思うけど……、確かにそれには同意するよ。ダラダラしてたら千里ちゃんとのデートが、いつまでたっても出来ないからね」
それを聞いた雨宮は顔を真っ赤にした。
グッとコーヒーを胃袋に流し込むと、作業をしていたデスクの方を向いて顔を隠しながら叫ぶ。
「からかう様な事言わない!」
笠持は思う。
発生直後から、多忙極まるタイムアウト事件だったが、ようやく人心地つけそうだ。今度は冗談じゃなく本当にデートに誘ってみよう。
タイマーの売買で、理論上タイマーは無限になったと言われているが、あくまで机上の空論で、まだまだ人の人生は短い。今できることを精一杯謳歌したい。
時間という概念に執着しタイマーを狂愛していた遠堂も、永遠に続くと思われた栄華の最後は一瞬にして訪れた。人間何が起こるかなんて誰にもわからないのだ。
***
「あら、見ない間に随分と歳をとったわね」
都心から離れ、田園広がる田舎のとある大きな一軒家にやって来ていた矢島を出迎えたのは、そんな物腰柔らかで年老いた女性の声だった。
「外見年齢は四七年前のままだと思うんだが?」
彼女と最後に分かれたあの日から、常にタイマーを足し続けていた矢島の身体年齢は衰えていない。
だが彼女は、春の日差しのように柔らかく微笑んだ。
「いいえ。まだまだ若かったあの日から、しっかりと成長しているわ。遠堂への復讐心と奈緒子ちゃんたちが殺された絶望感に囚われて、闇を彷徨っていた時とは違うもの。ようやく自分に一区切り付けられたようね」
その包み込むような笑顔を見て、矢島は長い間溜め込んでいたため息を、そっと吐いた。目の前にいる老女……、今年で九五歳を迎えた元警察庁長官の
彼女から特時に任命された日を、矢島はまだ忘れていない。
警察庁長官を引退し、隠居してからも、彼女は特時のことに関しては目をかけていた。だから矢島はここに訪れたのだ。全部終わった今、あの日以来の挨拶をしに来ただけだが。
「……そういう蜜香さんは、結構シワが増えて腰が曲がったな。タイマーは使わないのか? 昔に比べてタイマーは手に入りやすくなったのに」
縁側に座った新上蜜香は、立ち上がってお茶を沸かしに行きながら、朗らかに笑う。
「ふふ、みんなにそう言われるわ。まだ私がお守りしてあげないといけないような子達が多くて困っちゃう。でもね、タイマーは使わないことにしているの」
沸かしたお茶を湯呑に注いで、彼女はもう一度腰を下ろした。
矢島も座るように促され、お茶を受け取ってから尋ねた。
「どうしてだ?」
その質問に、新上蜜香はゆっくりとお茶を飲んでからはっきりと答えた。
「一度寿命を延ばしてしまうとね……今度は死ねなくなるからよ」
遠堂逮捕から四ヶ月。季節は春を迎えていた。
一陣の風が満開の桜の花を空に舞わせていく。新上蜜香の強い意思が、風になったかのような……そんな情景にすら思える。それほどまでに、矢島は彼女がの言葉が腑に落ちた。
「タイマーに執着し、権力とタイマーを手放すことを恐れ、引き際を忘れてタイマーを増やし続け、結果失脚し全てを失った遠堂……か」
新上蜜香は、空に舞う花びらを見上げながら呟いた「えぇ、彼の生き方は酷く可哀想」。その表情からは同情すらうかがえた。
「一度延命すれば、今度は死ぬのが怖くなる。死ぬのが怖くなったらまたタイマーを入れて延命する……。そのくり返し。彼は権力もお金もあったから、余計にその負の連鎖から逃れられなかったのじゃないかしら」
「タイマーの発明は、当初人類の平均寿命を飛躍的に増加させると噂されたが、それがイコール幸せに結びつくという訳ではないんだな」
「……今回の事件はそういう話だったわね」
彼女が一息ついて、お茶を口にしたところで、矢島のスーツのポケットから電話の音が鳴り響く。
『久しぶりやなぁ刑事さん。ん? そういえばもう刑事さんや無かったっけ?』
電話口で快活に喋る女性の声。特徴的な関西弁を話す彼女は、楓瞳子だと直ぐにわかった。
「おぉ、今どこだ? あと呼び方は好きにしてくれ」
『ほんまか、じゃあ刑事さん。やっと近くに来たとこやから、先に連絡しとこう思てな。ホンマに辺鄙なところやなぁ?』
「ちゃんと言ったとおりだろう? じゃあ、積もる話は着いてからにしよう」
矢島がそう言って電話を切ると、聞いていた新上蜜香が微笑んだ。
「あら、今の方が矢島くんの言っていた楓瞳子さんかしら?」
もちろん事前に話はしてある。暗部の人間が、元警察庁長官と対面するのだ。アポなしというわけにはいかない。矢島が頷くのを見て、新上蜜香はニヤニヤと笑みを浮かべた。
「ふふ、随分仲良くなったのね。そんなにそんなに美人さんだったのかしら」
「……そんなんじゃねぇよ」
こんな茶目っ気のある人だったかと、矢島は呆れてため息をつく。だがしかし、五十年もあれば人は変わるのだろう。そう考えた彼は、ふと自らの心境の変化の理由に気づいた。
「……俺も遠堂も、五十年間なにも変わっていなかった。闇取引の会場だった別荘で邂逅したときから、川原で拳銃を奴の額に突きつけたあの瞬間まで、本当に……過去に囚われ続けていたんだな」
矢島は過去の復讐に。
遠堂は過去の栄光に。
二人とも変われるタイミングなんていくらでもあったが、ズルズルこんな所まで来てしまっていた。最後雨宮が説得してくれなければ……笠持が強引に幕引きしてくれなければ、矢島も遠堂と同じく時間の流れから取り残されたまま、未来永劫互いのことを呪い続けただろう。
「あらあら、誰か来たみたいですよ。楓瞳子さんかしら?」
新上蜜香はそういって、玄関の方へと出向いていった。
一人残された矢島は、新上蜜香のために手土産として持ってきていたタイマーを取り出した。玄関の方から聞こえてくる、新上蜜香と楓瞳子の笑い声。それを背中に受け止めながら、矢島は手に持つタイマーを眺めて呟いた。
「(これはもう……俺たちにはいらないな)」
時間に縛られる生活はこれで終わりにしよう。
そう心の中で決意して、桜の根元に流し捨てた。
……今度は、あいつらの墓参りにでも行ってやるか。
タイムアウト『タイムアウト』編 夏葉夜 @arsfoln
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