42話『復讐』

 矢島は冷え切った目で遠堂を見下ろしていた。

 楓瞳子に組み伏せられながらも、もがく遠堂は必死の形相で矢島を見上げていた。


 「なぜ……だ。ワシのシステムで強化された動体視力と反応速度があるにも関わらず……なぜこのような屈辱を……っ!?」 


 「……そんなことを今更聞くか? お前が自分で言っていただろう。ストップウォッチのシステムにクールタイムが存在するって……。だったら答えは簡単だ、お前のシステムにも、クールタイムが存在するんじゃねぇか?」


 遠堂の間違いを、いとも簡単に突っぱねる。遠堂にとってはまさに図星であった。


 「……あったとしても、看破される道理がなかろう! 貴様らのシステムとは出来が違うのだぞ! 第六感などと言わんだろうな?」


 「第六感なんかじゃねぇよ。お前自身がヒントをくれたんだ」


 「……」


 「明らかに優勢であるにも関わらず、追撃をしなかった回数が四回、一歩下がり再び攻勢に出るまでが三秒。余裕ぶってクールタイムに喋って時間を稼ごうとしていたみたいだが、その時のお前の立ち振る舞いは、明らかにキレが無いただの老人だった」


 矢島の初撃を回避した直後に、遠堂のシステムはクールタイムに入っていたということだ。だから遠堂は、雨宮の発砲して銃弾を避けられなかった。


 「……そこまで……見破られていたのか。だが、ワシの命を奪おうとも、ワシの積み上げたタイマーだけは奪わせやせん」


 「時間の亡者め」


 矢島は冷酷に吐き捨てて、ついに拳が振り下ろされる。


 だがそれを、特時の雨宮千里には看過できなかった。


 「それ以上はやめてください!!」


 彼女の叫びに、矢島は「なんだ?」と睨み返す。

 矢島の目には、復讐の色しかない。昂る感情だけが彼を突き動かしているように見えた。雨宮と出会った頃の彼は、事件解決のために尽力しているように見えたが、こちらが本性なのだろう。

 事件を追っていたのは解決するためではない。全ては遠堂への復讐を果たすためだったのだ。だからこそ、雨宮は矢島の愚行を止めねばならなかった。


 跳ね橋で矢島と合流する直前。雨宮は笠持から一つ頼みごとを任されていた。


 「遠堂の名前を聞いたときの矢島の様子がおかしかった。なんだか嫌な予感がするんだ」


 「嫌な予感って何よ?」


 「これはあくまで予想だけど、矢島は過去に遠堂との確執があったらしい。その恨みを半世紀も抱えて生きているとも言っていた。冷静に見える彼だけど、遠堂に復讐するため凶行に走るかも知れない……そのときに、矢島を力ずくでもなんでもいいから止めてくれないか?」


 そのときの笠持の声は、普段とは一転して真剣そのものだった。


 そもそも遠堂はタイムアウト事件の最重要容疑者である。生きたまま逮捕して、法の裁きを受けさせなければならないのが、特時の仕事であった。


 「遠堂の身柄は、私たち特時が預かります」


 拳銃を構えて宣言する雨宮だが、矢島は銃口を一瞥して鼻で笑う。 

 矢島は腰に携帯していた拳銃を取り出して、その銃口を遠堂に向ける。雨宮の威嚇など意に介さない様子だった。


 「そんな悠長なことをしていたら、ジジイのシステムで逃げられちまうだろう。それとも、本当にここで俺を撃つか?」


 矢島は拳銃を握り締めたまま、雨宮を睨め付ける。睨まれて心臓が縮み上がりそうになる彼女だったが、ここで竦んで引いてしまっては特時の名折れ。

 雨宮は賭けに出る。


 「遠堂が逃げなければいいんですよね!?」


 そう言って、雨宮は組み伏せられている遠堂の腰の辺りに手を突っ込んだ。


 「な、いきなり何しだすんや!?」


 ストップウォッチのシステムが途切れたあとも、力ずくで遠堂を押さえ込んでいた楓瞳子は、雨宮の奇行に驚いたように声を出す。

 矢島が黙っていることをいいことに、雨宮は楓瞳子を無視して遠堂の脇腹のあたりから、湿布のような一枚の布を引っ張り出した。


 「……っ!?」


 それを見て一番に反応したのは遠堂だった。


 「やっぱり……、これが遠堂の使っていた加速させるシステムってわけね。……さぁ、これで遠堂に逃げれれる憂いは無くなったわよ」


 雨宮の狙いは、遠堂をただの無力な老人にすることだった。矢島の言い訳を逆手にとって、矢島に正論で対抗する。


 「そうだな。それがシステムだということは、ジジイの顔色を見ればわかる。切り札を全て失い、絶望した……ただの老人だ」


 矢島は以外にもあっさり頷く。それを見て雨宮も胸をなでおろす。

 しかしそれも束の間。


 「……おかげで、不意の反撃を警戒することなく……心置きなくトドメを刺すことが出来るようになった」


 その言葉に雨宮は、全身に鳥肌が立つような恐怖を覚えた。どうして気付かなかったのだろうか。矢島は拳銃を握り締めたままだった。

 その目は、まだ殺すことを諦めていない。


 「っ!! 矢島さん、人殺しはだめだよ!! あんたまで殺人犯になっちゃう!!」


 必死に叫ぶが、矢島の瞳は雨宮を見ていない。


 「もう遅い」

 「……っ!?」


 雨宮は説得を諦めて引き金を引くことを決意する。狙うのは拳銃を持っている右腕だ。しかし矢島は既に動いてる。止めるには間に合わない。

 一瞬の判断ミスに雨宮は下唇を噛む。それでも時間は待ってくれない。

 直後、矢島の拳銃から火薬の炸裂音が鳴り響いた。


 「だけど、矢島さんも大概遅いですね。宿敵相手に勿体ぶっていたのでしょうか?」


 若い青年の声がした。爽やかで笑みを含んだ声だった。

 矢島の後ろには、彼の右腕を掴んでいる笠持和也の姿があったのだ。彼に照準を外らされた銃弾は、何もない川へと飛んでいた。遠堂は無傷である。

 彼は続けた。


 「この場は僕たち特時に任せて頂きましょう。黒服と交戦していた他の襲撃者達も、一様に取り押さえましたので、残っているのはあなた方だけですよ」


 矢島は周囲を見渡した。

 そこには、特時のそうそうたる面子が揃っている。

 それをみた矢島は、乾いた笑いを漏らした。


 「はは……やられた……俺の悲願は達成されずに、全部終わっちまうのか……。」


 もう矢島の復讐は遂げられそうにもなく。

 四七年に及ぶ復讐の炎は、虚しさに変化していく。

 矢島は一人、呆然と立ち尽くしていた。


 タイムアウト事件はこの時を期に、一気に収束へと向かうこととなる。

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