第8話 喫茶店へ ③

 自宅から自転車を走らせて15分。閑静な住宅街の一角にある喫茶店に向かって僕は一心に自転車のペダルを踏み続けた。


 こげ茶色の艶のない板張りのログハウス風の洋風の建物は、以前のオーナーの意向によるものだ。ウチの父が喫茶店を営む前はそこは花屋だったという。


 おっとりとした老夫婦で高齢のため商売を畳もうとした時にそれまで懇意にしていた親父がそこの建物を譲り受け、喫茶店を開業することになった。詳しいいきさつは知らないが、その老夫婦は今ではウチの大のお得意さんだ。


 建物の前に広がる車5台分ほどの駐車場の垣根のそばに自転車をつけて、母からの預かり物のカツの入ったビニールを手に抱えて、僕は木製の扉を開いて中に入った。


 客席の数は30席ほど。学校の教室よりほんの少し広い店内には客席の横にライブスペースが備え付けられている。僕は客席を抜け、奥の厨房に顔を出す。


「おはようございます」


 厨房のさらに奥の方で一人もくもくと開店の準備作業をしている男性に声を掛ける。まだ若いその男性は中村さんといって、この喫茶店での食べ物関係のメニューをほぼ一人で切り盛りしている方だ。5,6年ほど前からウチで働き始めて性に合ったのか今もずっとこの喫茶店を支えてくれている。


「おはよう。風邪はもう治ったの? この間はびっくりしたよ、いきなり倒れるんだもの」

「この間はすみません。おかげさまでもうほぼ治りました。これ、お袋がって」

「ああ、助かるよ。さすがに揚げ物関係はおばさんがやってくれた方が評判がいいし」

「でも中村さんが揚げたのも僕はうまいと思いますよ」

「うーん、でもどうなんだろねぇ、やっぱり何か違うんだろうね。あ、今日はもうバイト? もう少しゆっくり休んでても平気だよ?」


「ああ、今日はちょっと違います。親父に用があって」

「ああ、そうなんだ。今ちょうど出ちゃってるよ」

「もう戻りますかね?」


 中村さんはチラリと時計を確認して、それから作業の手を止めて考え込んでいた。そして、ようやく自分の中で合点がいったのか明るく、


「ああ、飲み物買いに行ってるだけだからすぐ戻ると思うよ」


 と分かりやすい嘘をついてごまかしてくれた。おそらくずっと親父達は外に出ているのだろう。


「じゃあフロアで待ってます」

「そう? ここに居てくれてもいいんだよ?」

「でもそうすると中村さんのジャマになってしまいそうで」

「気にしないでよ、話し相手がいてくれた方が気が紛れるから。あ、そうそう今日僕、誕生日」


「それ、僕に言っても意味ないんじゃないですか?」

「27になった。早いね~、あと2,3年もすれば30だよ。あっという間」

「アラサーってやつですね」

「うわー 耳が痛い。それはやめてくれぇ。もう少し優しく言って欲しい」

「だって他に言い方もないじゃないですか」


「うーん、それもそうか・・・・・・。あ、ごめん。たか君、そこのオリーブオイルとって」

「ああ、はい。これでいいですか?」

「ありがとう。さて仕込みもこれでひと段落かな。開店までちょっと一休みしようか」


「はい、そうしましょう。コーヒー飲みます?」

「うん、ありがとう」


 僕はカウンターに出てカップ2杯分のコーヒーを淹れる準備をする。と、言ってもお湯を沸かして注ぐだけなんだけど。そうしてる内に中村さんが厨房の中から出てきてエプロンを外しながらカウンター近くの席に腰を落ち着けた。


 僕も向かい側の席に座ると、コーヒーと一緒に持ってきたクッキーをつまむ。残念なことに親父も携帯を持っていないので、帰ってくるまでこうして時間を潰すしかないのだ。僕の読みでは開店の三十分前には戻ってくると踏んでるのであと数分もすれば戻るはず。


 中村さんはうーん、と唸りながら背を伸ばし、開店前の準備作業の疲れを取っている。ウチは昼飯時と夕食時の間にほんの少しの間だけアイドルタイムがある。ぶっ続けでも構わないのだけど、親父も他の皆も身体が持たないのだそうだ。


 中村さんと雑談を交わしていると、入り口の木製の扉が開いてドヤドヤと数人ほど入って来た。親父達だ。

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