第7話 喫茶店へ ②

 三奈美が持ってきてくれた替えに袖を通し、僕はようやくひと心地ついた。


「ご飯、どうする?」


 人の着替えに流石に配慮したのか、引き戸の向こうで待っていた三奈美がひょこっと顔を覗かせる。


「ああ、うん。軽い物なら。でも、おかゆはヤダな」

「はいはい。じゃあ、持って来るね」


 と、言い残すとトントンと軽い音を響かせて再び階下に下りて行った。その間にパジャマと一緒に持ってきてくれた水を口に含むと、風邪薬の錠剤を二粒、無理やり飲み込んだ。僕は食べ物が来るまでの間、手持ち無沙汰になりグルグルと部屋のあちこちを歩き回った後に、ベッドに腰を掛けるとぼんやりと部屋を見渡す。


 八畳ほどの広さのはずいぶん長い間、使っている。そのおかげか部屋の角やいたるところにぶつけた後や筋のような傷跡が壁や柱に残ってしまっていた。大体は新しい家具を仕入れては配置を決めるときに、うっかりぶつけたりしたものだが。


 それでもそのうちのいくつかは三奈美がつけた傷もある。あいつは小さい頃、やたらとタンスや家具の上に乗りたがる悪癖があった。上に乗って大人しくしてればいいものをはしゃいだりピョンピョンと飛び跳ねたりするものだから、すぐにバランスを崩して家具ごと豪快に転倒したりしたものだ。それで大泣きをして、お袋とかはすぐに僕の仕業と勘違いしておこってよく頭をこづかれたっけ。最近はそういうことなくなったけど。あいつもいつの間にか、ずいぶんと大人しくなってしまったものだ。


「おまたせ。カツサンドでいい?」

「え、病み上がりに対しては随分と重くない?」

「だっておばさんが今日の夕食はこれだって言うから・・・・・・」

「いや、食べるけどさ・・・・・・。これ、でも店に持ってくやつじゃないの?」

「ううん、お店の分は別に確保してあるって。うち用。」

「ふーん」


 僕は小腹がすいていたせいもあって、かまわずにむしゃぶりついた。厚さ1センチはありそうな豚カツにたっぷりとマスタードとケチャップがのっけられていて、とても病人が食べるようなボリュームじゃなかったけど僕はあっさりと完食し、空になったお皿を机の上に片付けた。

 その間、正座を崩したような、くしゅっとした座り方で待っていた三奈美はぼんやりと僕の食べっぷりを眺めていた。座布団くらい使えばいいのに。


「はぇー。よく食べるねぇ。あっという間だ」

「お腹すいてたからな。三奈美もう帰るの?」

「ううん、夕食ごちそうになってから。どうせ、帰っても誰もいないし」

「そっか。あ、お袋は? まだいる? お店行った?」

「ん? まだカツの残り揚げてるよ。なにか用事?」

「うん、ちょっと」


 僕はおもむろに机の引き出しにしまっていた封筒を取り出し、階段を忙しなく駆け下りた。 


「え、あ、ちょっと。まだ寝てないとダメだよー!」


 二階から三奈美の間の抜けた叫びが聞こえるがその頃には僕はとっくに居間の方に向かっていた。居間を抜け、台所に行くとカツを揚げているお袋の後姿に声を掛ける。


「ねぇコレ、書いて欲しいんだけど」

「あ、起きたの?ドタバタとまったくせわしないねぇ。まだ寝てなさいよ。え、何書くって?」

「これ」


 とお袋に携帯電話の契約書を開いて見せた。


「ふんふん、アンタ携帯買うの?」

「そう。それで。ここに親のサインがないとダメだって」

「ふーん、書いてもいいけど、母さん。手ベタベタだよ?」

「手ぐらい洗いなよ。なんでそのまま書こうとするのさ」


「じゃあ、三奈美ちゃんに書いてもらいなよ。あの子だってアンタの保護者だ」

「えーっ!? どっちかっていうと僕のが保護者だろっ?!」

「どっちもどっちかな。明日には書いといてあげるから、今日は大人しく寝てなさい」

「やだ。今日書いてよ。明日まで待てない」


「えー母さんヤダよ。どうしてもっていうならお父さんに書いてもらいなさいな」

「分かったよ、じゃあ行ってくる」

「あ、ついでにそこのカツ持ってって」


「え、なに? カツ? まったく人遣いが荒いなぁ」

「それはお互い様でしょ。母さんまだこれから野菜コロッケも揚げなきゃいけないんだから」

「はいはい」


 僕はビニール袋一杯に詰められたカツの入ったパックを掴み、出掛けようとしたが、着替えるのを忘れていたため大急ぎで外出用の格好に着替えた。ようやく僕の部屋から下りて来た三奈美がびっくりしたような顔で僕の格好を見て声を上げた。


「えー、たか兄どっか出掛けるの!?」

「うん、ちょっとだけ」

「まだ寝てた方がいいよぉ」

「すぐ帰ってくるから」

「またそんな事いってぇ。どこ出掛けるの?」


 台所の奥からお袋がチャチャを入れるのを塞いで、僕は玄関を出て自転車を走らせて大急ぎで親父のいる喫茶店に向かう。急げばまだ間に合うかもしれなかった。

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