真冬の紫陽花
cape
第1話 真冬の紫陽花
道向かいのバス停の向こう側には、いつも
築50年は経つ大きな屋敷の石垣の下。季節は真冬。枯れ木のまま凍て付く風の寒さを一身に受けながら、今日も「
通学用のコートの襟を立て、僕はバスが到着するのを待ち望む。周りの大人達も同様に身を縮こめてバス停の傾いた標識の前に並ぶ。
地方都市の街外れにあるこの町は往来するバスの本数も少なく、一度逃せば三十分待ちはザラだ。結局5分遅れで到着したバスに我先にと乗り込み、ほっと一息。毎朝の恒例行事。僕は入り口より3席ほど離れた座席に腰を落ち着けた。
満席に近い乗客を乗せるとバスはゆっくりと進み始める。
この町もかっては工業産業が盛んで多くの工場が建ち並びんでいた。不況の煽りかここ数年で半分の企業、工場が倒産に追い込まれてその度に見知ったクラスメイトや近所の人が姿を消していった。
ぼんやりと考え事をする内にバスは目的の停留所に辿り着く。近々、クラスの再編成がされると噂を聞くが、出来れば学年が上がってからにして欲しい。高校2年生。どうせ再来年にはおさらばだ。
下校の時刻。大してする事もないのでフラフラするつもり。
だが、大雪の警報が出ている中、やっぱりそんな愚行を犯す気にもなれずにどうせならと思い立つと僕はあの紫陽花の木を眺めに行く事にした。
途中に建つ家に隠れていた
「あれ? 花だ。珍しい」
それは数粒だけこじんまりとしたつぼみと共に咲いていた。こんな真冬に咲く様な花ではないはずだが。コイツらは時期を間違えたのか?
季節外れもいいことだ。
なんというか在り得ない光景を目にした事で、さっきまでどんよりとしていた気分が軽くなるのを感じた。これまでは大きな流れには逆らえない、将来だって結局、決まっているものだ、なんて漠然と考えていたのにコイツらは逆らっているじゃないか。そう思えた時、不意に嬉しくなってしまった。吹き荒れる風に揺れながらもこの花達はしっかりと咲いている。
この控えめだけれどもたくましい花達に勇気をもらった様な気になった。それから僕はこの真冬に咲いた
―――数日後、天気はあいにくの雨模様。いつもの様にバス停で学校行きのバスを待つ僕の目に一際、珍しい光景が目に写った。
「はは、大きな紫陽花が咲いてる」
いつもの日課となった数本だけ咲いているあじさいの花の辺りに一際大きな紫陽花の花、もとい水色の傘がくるくると。はじめはその様子を眺めて笑っていたが、よく考えるとこれは由々しき事態なのではないだろうか。この季節に咲く紫陽花なんて珍しい物を眺めるだけで済むだろうか。
もしもあそこに座っている傘の
そう考えるとこのままバス停で待っているのがとてももどかしくなり、思わずバス停の行列から飛び出す。
駆け足で進んでいる最中、冷静さを取り戻した僕の頭は急に声を掛けたりしても不審に思われるのではないか?と思い立つ。脇道に周ると紫陽花のある道を通りすがったフリをしながら様子を
そうして脇道から通りに抜け出し、10メートル先の辺りからゆっくりと水色の不審者に近づいていった。
この道は緩やかにカーブを描いているためにもう少し近づかないと傘の中の人物の姿が見れない。あと数メートル、・・・・・・あと数メートル。心臓が飛び出すくらいドキドキしながら近づいてみると、傘の中の人物は若い高校生くらいの女の子だった。
ほんのりとこげ茶色っぽいロングの黒髪に短めのダッフルコート、その下には見慣れない高校の制服。足元は長靴。スカートの下にはジャージを着込むという徹底した防寒仕様。ただ、その顔はとても整っていて、そしてどこか嬉しそうに紫陽花の花を眺めている。
僕は、ただその姿を見ただけなのに、心臓が止まりそうになるくらいの衝撃を受け、そして、歩く仕草がとたんにチグハグになってしまった。
いっそ、このまま通行人のフリをして通り過ぎてしまおうかと思った矢先に、その水色の傘の持ち主と目が合ってしまった。
その子は、一瞬ビクリと固まったが、相手が同じ高校生と悟るとおいでおいでと手招きをして僕を呼び寄せた。僕は見てみ見ぬフリをするわけにもいかず、破裂しそうなほど激しく動いている心臓の音を隠しながら、ゆっくりとその水色の傘の子の隣にしゃがみこんだ。
「見て? ほら、紫陽花の花」
「うん」
水色の傘の女の子は嬉しそうに僕が先日、見つけ出した紫陽花の花を指さして言った。
「珍しいよね。こんな季節に咲くなんてさ」
「そう・・・・・・、そうだね。まったく、真冬なのにね」
「ねー。ってなんか、こうさ、あんまり驚かないよね」
「あ、うん・・・・・・。実は数日前から知ってた」
「っえ?! ・・・・・・はー。なんだ、先客さんか。てっきり私が一番に見つけたと思って、すっごい嬉しかったのにさ」
「あ、ごめん・・・。」
「いいよいいよ。そんな事より、君さー、なんかすっごい動きが不審だったよ?」
「えっ」
「いやね、なんとなく近づいてくる人がいるなーとは気が付いていたんだけど、まぁ、変な人だったら叫んで逃げればいいかなーと思っていたし。で、様子窺がっていたらなんかひょろっとした子だなーって思って」
「ええ・・・・・・」
「それで、様子見て可笑しな人だったらまぁ、朝だし? 叫べばいいし。それにこっちが先手取れば相手もそうそう悪い事できないじゃん?」
「そんな風に見られてたんだ・・・・・・」
「だって、こういう時代じゃん。用心に越した事はないでしょ?」
「ま、まぁ・・・・・・、それはそうだけど」
「うん、そうでしょ? で、君、名前は?」
「えっ? はっ?」
「うん、だから名前。なんか思ったより不審な人じゃなかったし、紫陽花の先客さんだし、名前くらい教えてくれたっていいでしょう?」
「え・・・・・・、と、瀬島、
「なんで敬語なのー? フフ・・・・・・、私は
「なんで口調を真似するのさ」
「フフ、敬語の仕返し」
「ちぇ、・・・・・・何だよ、ソレ」
「まぁまぁ、でもさ、コレ。ほんとにすごいよね」
「え、あ、ああ・・・・・・。うん」
「思わず持って帰ろうかなぁとも思ってたんだけど、私一人だけが見る訳じゃないからさ、やめた」
どうやら予感は的中していたらしい。行動を起こさなかったら明日にはこの花を見る事は出来なくなっていた。ただ、果たしてそれが良かったかどうかは別にして。
「ねぇ・・・・・・、結花さん、ひとつ聞いていい?」
「うん、何?」
「あのさ、・・・・・・学校は?」
「え、高校名? えー、それはまだちょっと」
「いや、じゃなくてさ、学校は行かなくっていいの? もうこんな時間だよ?」
「え、それは君も同じじゃない?」
「僕は・・・・・・、」
言われて思わず押し黙ってしまった。返答に困っていると、不意にピトリと彼女の人差し指の先が僕の頬に触れた。その指はとても長い時間、屋外にいたとは信じられないほど暖かく、そして、柔らかかった。
「ねぇ、学校サボっちゃおうか」
「えっ、・・・・・・」
「だって、ほら。ここに書いてあるもん。『一緒に学校サボろう』って」
そう言って彼女は小悪魔のように微笑んだ。
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