《児童文学》森の学校⑤ 本当の仲間




 森は


 鮮やかに燃える

 色とりどりの葉が


 赤や黄色の

 極彩色に煌めき


 秋の訪れを


 宴のように

 迎えていた。



 涼しく流れる

 優しい風と一緒になり


 時折

 クルクルと回りながら


 オオカミの子は


 落ち葉の舞の中を

 軽やかに駆けた。



 秋は一番

 大好きな季節であり


 秋は一番

 嫌いな季節でもあって


 オオカミの子は

(ほんとうはどっち?)と


 考えると

 こんがらっては

 頭が痛くなるのだ。





 森では

 そこかしこに果実や木の実が

 たわわになって


 食べ物が一番

 豊富で美味しいのが秋だ。



 クマの先生は

 毎年


 川で魚を

 たくさんたくさん捕る。


 秋になると

 海から帰ってくる魚は

 特別に美味しいし


 勇敢な先生の姿も

 毎年皆が楽しみにしていた。




 お腹いっぱい

 食べきれないご馳走


 美しい景色


 皆も忙しく活気がある、



 秋は

 森の皆にとって

 大切な季節だ。





 だが

 この秋が終わると


 森の学校は

 長いお休みが始まってしまう。



 クマの先生をはじめ

 冬眠につく仲間がいるからだ。



 オオカミの子は

 同じ季節を楽しみながら


 自分は違うと

 感じてしまうのが


 寂しいことを知っていた。





 オオカミの子が

 学校につく頃には


 すでに大勢

 友達が集まっていた。



 心なしか

 皆ふくよかになり

 幸せそうだった。



 オオカミの子も

 毛皮がふかふかと

 温かいのは


 ちょっぴり自慢だ。



「ちょびたくん! 聞いて聞いて!」



 オオカミの子の姿を見つけると

 すぐに飛んできた小トリが


 いつものように

 明るい話を

 捲し立てた。





 ワイワイと賑わう

 森の学校が


 オオカミの子は

 とても好きだった。



 ずっとこのまま

 時が止まればいいのに、とさえ


 願ってやまないくらいに。



「ちょびたはいっつもノロマだな」



 オオカミの子よりも

 ずっと小さな体で


 野ウサギとリスが

 憎まれ口も叩くけれど


 オオカミの子は

 それさえ


 仲良しの印だと

 幸せに感じ


 微笑ましく思った。




 やがて

 二匹のコグマを連れて


 先生がやってきた。



 先生は

 今日の大事な魚捕りの前で


 いつもより雄々しく


 勇ましい気合いが

 その顔つきからも

 強く伝わってくる。



 コグマたちも

 先生を真似て

 恐い顔を作るけれど


 まだどこか

 幼い雰囲気が残っていた。



 オオカミの子に負けないくらい

 身体は大きく成長したが


 先生の前では

 到底足元にも及ばない。



 彼らは

 この森の学校の

 新しい仲間だった。




「さぁ。それじゃあ川へ行こうか」



 学校の脇に流れる

 川の下流、


 丸い石ころが

 敷き詰められた中に


 階段のような段差が

 突き出す岩と


 小さな滝の連続、



 そこを

 水の流れに逆らう

 魚たちがやって来る。



 深い川の中より

 この滝が

 魚を捕るには適していた。



 とはいえ

 先生は


 振り上げた片手で

 川を叩くと

 簡単に魚を捕まることが出来る。



 滝に向かって

 飛び上がる魚を

 待ち構えるのは

 コグマたちだ。



 オオカミの子達は

 クマたちほども体重がない。


 水流に流されてしまうので


 岸から応援しながら

 時折歓声をあげては


 拍手をして笑った。





 それからしばらく

 秋の楽しい日々は続いた。



 晴れた日には

 ウサギやリスの子と

 木の実集めの競争もしたし


 イノシシの子と

 茸狩りや


 小トリの子と

 紅葉狩りもした。



 カワウソと仔ウマは

 高い空を見上げて


 雲の形で

 遊んでいた。



 クマの子らと

 相撲をとったが

 もう勝てそうにない。



 そんな

 何気ない幸福の日々も


 一雨ごとに寒くなる風に


 何か不穏なものを

 感じさせていた。




 小さな胸騒ぎは

 やがて膨れ上がり


 オオカミの子に

 重くのしかかった。



 ある朝、

 いつものように

 皆が集まった学校で


 クマの先生が口を割った。



「昨夜遅くに、先生の家にアクビちゃんがやってきた」



 それは

 夜しか活動しないため


 普段は顔を見ることもない

 コウモリの子の話だった。



「遠くの山から何か獣の群れがやってくるかもしれないから、皆に気をつけるようにと教えてくれたんだ」



 森の学校は

 長く平和であったが


 それは

 外敵に狙われることが

 しばらくなかったからだ。



 学校の子どもたちは

 皆一様に

 不安げな表情になる。





 もしも恐ろしい獣の群れが

 この森にやってきたなら、


 この小さな友達たちは

 どうなってしまうだろう。



 それを思うと

 オオカミの子は

 怖くなり


 お腹の辺りが

 キュウキュウと痛んだ。



「クマ先生がついてるから大丈夫さ!」



 ヘビの子は

 とぐろをまいては

 偉そうに胸を張って


 大きな体の

 クマの先生を振り仰ぐ。



 確かに

 先生が一緒にいれば

 どんな恐い獣が来ても

 きっと皆を守ってくれるだろう。


 先生の強さと

 皆を想う優しさは

 折紙付きなのだ、


 二匹のコグマも

 力強く

 そうだそうだ! と

 口々に言う。



 それでも

 オオカミの子は


 不安を拭えず

 じっと黙り込んでは


 クマの先生にすがる想いで

 ただ見つめていた。





「学校にいる間は先生が守ってあげられるかもしれないが、いつどんな場面で何がやってくるかはわからないよ」



 残念そうに

 クマの先生が言うと

 仔ウマは鼻を鳴らして

 震え上がっていた。



 そうだ

 あの娘は遠い道のりを

 毎日通ってくる。


 いくらクマの先生が強くても

 いつも全員を

 守りきることは出来ない。




 昼間は

 賑やかな学校で過ごす

 オオカミの子も


 夜はひとりぼっちだ。



 風が木々の葉や草を

 揺らしている音が


 おひさまの下より

 ずっと大きく聴こえるようで


 オオカミの子は

 身体の中が

 ざわざわとするのを感じた。



 きっと

 自分の中にも

 葉が生い茂っていて


 あの風の音が

 それを揺するのだ。



 虫たちの声も

 冷たい空気に

 澄んでいく。


 季節が

 身体に流れ込んでくるのは


 あの虫たちも

 一緒なんだろう。




 オオカミの子は

 ひとりぼっちだったが


 けして

 ひとりではないことも

 知っていた。



 森も

 森に生きるすべての命も


 ずっと一緒に

 ここにあるのだ。



 姿は見えなくても

 音は聞こえたり

 気配がしたり

 痕跡をみつけたり


 あとは

 想像があれば


 オオカミの子は

 いつも仲間に囲まれていた。



 寂しいときほど

 たくさんの仲間を


 心におもいえがくのだ。





 オオカミの子にかかれば

 なんでも仲間になってしまう。


 空に浮かぶ雲や

 水に映る自分も


 それから

 新しく寝床に出来たキノコは


 今いちばん

 気になるトモダチだ。



 きっと

 茸狩りを楽しんだときに

 胞子を連れてきてしまったんだろう。


 それは

 オオカミの子を

 キノコの子が

 気に入ってくれたからだと思うと

 とても嬉しかった。




 キノコの子に

 おやすみを告げて

 今日を終えようとしていた時。



 オオカミの子は

 ふと顔を上げた。



 風にまざって

 何かが聞こえてくる。


 遠い遠くから


 ほら、また。




 耳をそばだたせ

 意識を集中する、


 もう虫たちの声も

 風の音も聞こえない、


 まるで

 あの遠い声しか

 存在する音がないかのように


 オオカミの子は

 消えそうに高い遠吠えを聴いたのだ。





 それからは

 毎晩のように

 獣の遠吠えは聞こえてきた。


 日に日に近く

 近付いてくるようで、


 次第にそれは

 複数の群れだということが

 オオカミの子にもわかった。



 学校でも

 獣の遠吠えが

 噂になりはじめ


 友達はみんな怖がった。




 獣の声は細く高く、



 オバケの声みたいだと

 ヘビの子はいう。


 こどもの泣き声みたいだと

 イノシシの子はいう。


 女の人の悲鳴みたいだと

 野ウサギの子はいう。


 人魚の歌みたいだと

 仔ウマは怯えた。



 でも

 オオカミの子には

 もっと別の


 哀しい声に聞こえていた。



 うまく言えないけれど


 あの声は……





 そんなある朝、


 いつもより

 一段と寒さの増したその日は


 真っ白な霧に

 森は包まれていた。



 オオカミの子の

 通いなれた道は

 光に嫌われたように暗くて


 おぼつかない足取りで

 おそるおそる学校へと向かった。



 よく知っているはずの

 いつもの道は


 まるで初めての場所のようで

 暗くて白い視界に

 戸惑うばかり。


 生い茂る木々の葉も

 重たく垂れ下がっている。



 あしもとは

 じっとりと冷たい。



 毎年のことだ、

 寒い朝には霧が出る。


 オオカミの子は

 それを知っているのに


 今日は特別

 不安だった。



 もやもやと

 くすんだ森が


 オオカミの子の

 心の中と

 同じ景色に見えたからだ。




 学校の脇を流れる

 川の岸辺、


 丸い石がたくさん

 敷き詰められた場所に

 小さな水溜まりが

 いくつも出来ている。



 今朝は寒さのせいで

 薄く氷が張って

 子リスと野ウサギが

 はしゃいでいたが


 オオカミの子の心は

 ちっとも晴れなかった。





 いつもより早く


 仔ウマが

 息を切らして

 駆け込んできた。



 それはまるで

 何かから逃げるように

 必死な顔をして。



「どうしたの、ポリィちゃん」



 学校のみんなが

 心配そうに声をかける。


 仔ウマは怯えていた。



「私の家の近く、向こうの山の岩肌の」



 仔ウマは

 荒い息を繰り返し


 何とか言葉を紡いでいた。



「切り立った崖を、降りてきたのよ」



 皆は

 眉をひそめたり

 首をかしげたりしながら


 仔ウマの話に

 耳をかたむける。



「ものすごい数の、狼の群れ! 私、見つかったの。きっと追いかけてくるわ」



 泣き出してしまった仔ウマに


 小さな仲間たちは

 声をなくしていた。





 やがて

 誰かが言った。



「狼なんて、ちょびたくんしか知らないよ」



 未だに

 自分のことを

 イヌではないか、


 そう感じている

 オオカミの子は


「狼ってどんな動物なの?」と


 ともだちに聞かれても


 何も

 答えることも出来ない。



 みんなだって

 本当はわかっている。


 目の前にいる

 このオオカミの子が


 他の狼とは違う

 優しい特別な子だと。



 ならば

 普通の狼は


 いったいどんな動物なのだろう。




 学校は

 急遽休みになり


 友達はみんな

 クマの先生の家に集められた。



 岩の洞穴には

 クマの母さんがいて

 二匹のコグマにするように


 小さなこどもたちを

 抱きしめて落ち着けた。



「この家は岩山で出来ているから、狼が何匹来ても吹き飛ばされたりはしないよ」



 コグマたちは

 ふんぞり返る。



 怯えていた

 女の子たちは

 すっかり元気になった。




「なんで絵本に出てくる狼はいつもみんな悪い役なのかなぁ」



 子ぶたの家を吹き飛ばすのも

 赤ずきんを食べてしまうのも

 子やぎたちを襲うのも


 みんな同じ

 悪い狼で


 それは

 虎でも狐でも禿鷹でもない。



 何故か

 決まって狼だった。



 完全とした悪でえがかれ

 ひどい仕打ちを受ける、


 絵本といえ

 それは情け容赦ない。



 そう

 狼は嫌われものなのだ。



 森の学校に通う

 オオカミの子


 ちょびたにはあって


 他の狼たちにはないもの。



 それが

 嫌われものになる理由だ。




 突然に

 クマの先生があげる

 恐ろしい咆哮が響き


 岩の洞窟に反響した。



 小さなこどもたちは

 飛び上がり


 パニック状態だった。



 いつも優しい

 あの先生が


 こんな恐ろしい声を

 あげれたこと、


 野生の本能が

 危険を察知して


 ただ逃げようと

 頭を支配する。



「洞窟から出てはダメ」



 クマの母さんは

 そう言った。



 洞窟の前に

 一人立つのは

 クマの先生の大きな背中。



 その向こうに

 無数の狼たちがいた。




「立ち去れ」



 口から湯気をたてて

 ドスの効いた声を吐き出す

 クマの先生は


 修羅のようだった。



 洞窟に震える

 こどもたちには

 その表情は見えなかったが


 それでも

 有り余る覇気は

 恐ろしいほどに伝わった。



 巨大な先生の体から見れば

 狼はなんて小さな集団だろうか、


 こどもたちには

 狼よりも

 熊が恐ろしい生き物だ、と

 そう見えた。



 あの狼たちさえ

 先生の前では

 二の足を踏んで躊躇している。


 そう、恐ろしいからだ。



 だが

 そんな先生の前に

 姿を現したのは


 群れで一番大きな

 銀色の狼。


 恐れた様子もなく

 凛々しく堂々と立ち

 その口を開いた。



「俺たち狼が、なぜ群れで行動するか知っているか」



 自信に満ちた瞳が

 まっすぐ先生とにらみ合い


 互いに譲らない。



 勇気あるその姿に

 他の狼たちも闘志を燃やし


 頭を低く

 ジリジリと詰め寄るように

 動き始めていた。



 いつでも

 飛びかかることが出来るよう


 間合いを詰めて

 ジリジリ、ジリジリ。



 たった一頭の登場で

 群れは完全な軍隊となった。




「立ち去れ、狼ども!」



 クマの先生は

 先ほどよりも更に

 荒々しい声をたてて

 威嚇した。


 だが

 最早耳を貸す狼はいない。



 何故ならそこに

 熊と対峙する狼のボスがいるからだ。



「俺たち狼は。群れで狩りをする。どんな強大な敵も、仕留めることが出来るからだ」



 銀色の狼が

 静かに笑う。


 狼たちは

 強大な熊を恐れない。


 自分たちの力に

 誇りを持っていた。



「そう、俺たち狼は、狼であるがゆえに無敵。」



 金色の目が

 ギラギラと光っている。



「熊の大将。戦士はアンタ一人かい?」




 先生は変わらず

 恐ろしい大熊の出で立ちいでたち


 断固として

 洞窟を守る。



 ただ一匹、


 銀色の狼が

 そこに現れただけで


 群れが抱く

 恐れや不安を

 すべて払拭してしまう。



 それは

 信じがたいくらい

 明らかな


 形勢逆転だった。



 心を一つにまとめた

 狼の群れは


 怒れる熊を

 凌駕する脅威。





 熊の後ろの穴からは

 ご馳走の臭いだ、


 ただ一頭、


 あれさえ凌げば

 今日は宴会だぞ――




 そんな声すら聞こえそうな


 呼吸、

 それすら

 武器となって


 こどもたちの精神を刈り取る。



 狼の荒い

 たくさんの息を


 熊が吠えて消した。




 熊は恐ろしい存在だ。


 咆哮をあげただけで

 まるでそれが

 三体にでも増えたかのような

 そんな威力だった。



 こどもたちは

 ビリビリと肌が震え

 目をあけていられない。


 耳を塞ぎ

 身を寄せあい

 必死に怯えていた。



 だが

 狼は皆違った。


 恐怖に支配されないよう

 心と思考を

 すべて閉ざし


 ただ

 食欲と闘争本能のみを

 昂らせていく。



 余計なことは

 一切、


 頭に浮かべない。



 熊に立ち向かえば

 容易く引き裂かれる身体、


 深い傷、


 その痛みや

 消える命――



 そんな知能は不要だった。



 ボスが合図を送れば

 ただ一斉に始まるのだ。




 彼ら

 狼にとっては


 危険に立ち向かわないことは

 すでに死を意味していた。



 安全に守られる

 環境などない。


 狼以外のすべては

 敵であり、


 餌でしかない。



 唯一

 信頼を置くのは

 群れのボスだけだ。



 迷いや不安など

 抱いている間に

 餌を逃し敵に敗れるくらいなら


 そんな知能は

 ボスだけに一任する。



 それが

 狼という

 至高の集団だった。



 狙った獲物には

 容赦がない。


 数で圧倒する力に

 太刀打ち出来ない者たちは

 恐れ、忌み嫌う。



 狼にとって

 狼だけが大事な仲間となった時


 狼以外のすべてを

 敵に回したのだ。



 その敢然たる態度が

 嫌われ者の所以といえた。



 森の王者にも

 山の王者にも

 敬意を払わない。


 流れ者の集団は

 秩序すら荒らし

 我が物顔だ。



 そんな狼だという誇りを

 けして曲げない


 ボスは

 他のどんな動物よりも

 常に気高い。



 それが

 彼らの生きる道だった。




 森中に轟いただろう

 熊の一声。


 それにも折れない判断で

 銀色の狼が駆けた。



 途端に

 一斉に飛び出した狼の群れに


 視界は

 一瞬にして黒になる。



 それまで

 空だった白が

 狼の腹に塞がれ


 色を変えたのだ。



 熊は頭上に気を取られ

 咄嗟に振るう腕で

 飛びかかる者たちを

 凪ぎ飛ばした。


 たった一振りで

 何匹も地面に叩きつける様は

 圧巻だったが


 だが

 狼の群れは

 第二第三と

 飛びかかってくる。



 そして

 足許には既に

 銀色の狼がいた。


 その姿を捉え

 ギラリと熊は目を光らせた。




 すべての狼を

 倒すことは

 あまり賢い判断ではない、


 熊は

 そう感じていた。



 おびただしい数の狼たちの相手は

 時間もかかるし

 体力も消費する。



 ならば

 最初に叩くべきは

 群れのボスである銀色だ。



 早々と

 この懐に飛び込んで来るなら

 こちらとしても

 願ったり叶ったり、


 一撃で仕留める

 破壊力の腕に

 迷いなどなかった。




 低い位置の

 銀色めがけて


 熊の爪が唸りをあげた。



 風を引き裂くような

 鋭い光が走る中を

 ヒラリとかわした

 銀色の狼は


 笑っていた。



 熊は理解する。


 高見の見物ではなく

 なぜ最前線にまで

 ボスが現れるか、


 それは囮だ。



 自分が餌となり

 敵の注意を引き付けることは

 より多くの仲間を生かすことになる。



 案の定

 熊の頭や背には

 たくさんの狼たちがのし掛かり


 牙や爪をたてて

 肉を割る。



 群がる獣に

 視界すら塞がれ


 身体中の痛みを

 振り飛ばしたが


 容易く離れるものでもなかった。




 いかに鋭い牙であっても

 狼の攻撃など

 熊には浅い傷だ。


 無数の口がぶら下がる

 ただそれが邪魔だった。



 たった一撃

 この腕が届けば


 狼ごときは粉砕できる。


 そして

 ボスを失えば

 群れは脆く纏まらない。



 その

 たかが一撃が


 だが

 当たらない。



 足にも腕にも

 狼どもがぶら下がり

 もがけどもがけど

 動きは取りにくくなる。


 悠然と笑っていた

 銀色の狼が

 忌々しく思えたが


 今は耳にかじりつく狼のせいで

 その姿を見失っていた。




 そんな中だ。



 血の臭いを嗅いだからか

 飛び出してきたこどもがいた。



 もはや

 熊の姿は狼に呑まれ

 明らかな劣勢、


 その壮絶な戦場に


 非力で

 無能な

 幼い姿が転がり出す。



 場違いで

 無防備なままに


 力任せに吠えた

 可愛い声が


 場の空気を凍てつかせた。



「わんわんわん! わんわんわんわん!」



 クマの先生は

 耳にした声に

 肝が冷えた。


 まさしく

 その子は

 何の戦闘能力もない、


 自分が守るべき生徒。



 こんな危険な場所に

 いていい存在ではなかった。




 クマの先生や

 洞窟にいた友だちが

 一斉に青ざめた、その一方で。



 狼たちも

 その想定外の展開に

 驚きを隠せない。



 まさか

 獲物の中に

 同じ狼が紛れているなどとは

 夢にも思わなかったからだ。


 銀色の狼は

 咄嗟に熊とは距離を取り

 退いた。


 勿論

 完全に熊を制していた

 狼たちも

 ボスに従い飛び退いた。



 クマの先生の体に

 まとわりついていた

 邪魔が

 すべてなくなると


 すぐそばにいる

 小さな狼の


 見慣れたオオカミの子、


 ちょびたの情けない顔があった。




 あちこちに

 血を流している

 巨体を心配して


 くぅーん、と鼻をならしている。



 だけど

 クマの先生は

 すぐに洞穴へ戻るよう、

 叱ろうとした。



「お前は一体、そこで何をしている!」



 オオカミの子は

 大きな声で叱られ


 ビクリと体を震わせた。



 クマの先生より先に

 銀色の狼が

 そう叫んで来たからだ。



 今まで

 誰かに強く叱られるなど

 あっただろうか。


 臆病だが優しく

 ひた向きな子は

 声の主を見つめた。




「お前も狼ならば、誇りを持て!」



 雄々しい声は

 オオカミの子の

 心を強く揺さぶった。


 凛とした姿が

 かっこよく映る。



 だが、

 誇りとはなんだろう。


 オオカミの子には

 言われた意味が

 わからなかった。



 素直に

 首を傾げてしまった。



 銀色の狼は

 さらに睨み付けて来る。



「狼は狼のために狼と共に生きるものだ。それが仲間だからな」



 狼の群れが

 どんなにたくさんでも


 誰一人

 この銀色の狼に

 異を唱える様子はなく


 むしろ

 絶対的な信頼を寄せているのが

 空気でわかり、


 オオカミの子は

 純粋にそれを尊敬した。



 この銀色の狼が

 どれだけ仲間を大切に想っているかが

 わかったのだ。



 そして

 それが狼の生きざまなのだと

 わかるやいなや


 胸が熱くなった。



 狼は

 けっして

 悪者なのではないと

 そう思えて


 今までの不安が消えていく。




 だが


 次の言葉を聞いて

 オオカミの子の心は

 凍てついた。



「狼が、何故、狼でもない動物などと戯れる? お前はとんだ恥知らずだ」



 自分という存在は

 今ハッキリと否定されてしまう。



「他の動物など、餌にしかならんのだ」



 悲しいという気持ちは

 今までにも

 たくさん経験したが


 自分を否定され

 大事な友だちを餌と呼ばれ


 小さなオオカミの子の心は

 痛くなる一方で。



 銀色の狼の険しい視線から

 遮るように


 クマの先生が

 立ち塞がって囁いた。



「みんなの所へ戻りなさい」



 血だらけになっても

 優しい目をしてくれた

 クマの先生を見上げて


 オオカミの子は

 強く強く思う、


 銀色の狼が

 間違っているのだ。




 狼であっても

 森のみんなと

 仲良くは出来るし


 みんなは

 餌なんかではない。



 それが

 オオカミの子には

 真実だった。



 銀色の狼に

 それを伝えたくて


 一生懸命

 喋ろうと、


 だが

 言葉は喉に支えて

 何も何も出てこない。



 それは苦しくて

 荒い呼吸と涙にしかならなかった。



 わんわん、と

 必死にもがく

 オオカミの子は


 自分という壁を乗り越えられず


 それは

 周りから見ると

 奇異で滑稽な姿だ。



 銀色の狼が

 冷めた目で軽蔑する。


 無様な狼だと

 思っているのだろう。



 洞窟にいた

 小さな友だちは


 何かを必死に伝えようと

 苦しんでいる

 オオカミの子の様子に

 堪えきれず


 その名前を呼んだ。



「ちょびたくん!」


「ちょびたくん!」



 それは

 励ましや応援や

 心配の気持ちだ。



 森の

 動物が


 狼である

 あのオオカミの子に


 そんな

 優しい気持ちを向けるものかと


 銀色の狼は

 驚いた。




 銀色の狼の横に

 一匹、


 成り行きを見ていた

 茶色混じりの毛皮の狼が

 やってきた。



 前足が片方

 肘の辺りから先がなく

 三本脚でぴょこぴょこと

 器用に歩く。



「シャド。あの子はトキタだわ」



 耳打ちするように

 呟いた声に


 シャドと呼ばれた

 銀色の狼が振り返った。



 近くにいた

 年配の狼たちも

 息を飲む。



「トキタ、だと?」




「話をさせて、お願い」



 三本足の狼が言うと


 銀色のシャドは

 苦い顔をした。



 そしてため息まじりに

「少しだけだ」と


 応えた。



 そうして

 オオカミの子の前に


 ぴょこぴょこ


 やってきたのは

 女のひとだ。



 クマの先生も

 オオカミの子も


 身構えることなく

 それを見ていた。




 オオカミの子には


 ない片足が珍しい。


 目が釘付けになってしまう。



 それを

 やんわりと笑って

 その狼は言った。



「昔、大きな崖崩れにあったの。その時私はこの片足と、自分のこどもを失ったわ」



 静かに

 でも確かに。


 一言一言を

 語る。



「トキタ。お母さんを覚えているかしら」



 凛々しい声は

 名を呼んだ。



 それは

 覚えているとは

 呼べないくらい


 微かな記憶。



 でも確かに

 懐かしい響きだ。




「小さなトキタは、口が回らず。自分のことを『ちょびた』と呼んだわね」



 洞窟の中で

 友だちが

 ハッと息を飲むのが


 ハッキリと聞こえた。



 クマの先生も

 驚いた顔をしている。



 オオカミの子は

 目の前の女のひとが

 自分のお母さんなのだと


 理解が

 じわじわと

 心に広がり


 尻尾を振った。



(お母さん! お母さん!)



 叫びだしたい声は

 でも言葉にはならない。


 わんわんと吠えて、

 言い直そうと

 必死に紡いだ。



「お、ああ、ぁん(お母さん)」



 こんなに

 大きくなったこと、


 たくさん

 友だちが出来たこと、


 森のみんなは

 優しいこと



 伝えたいことは

 いくらでもあるのに


 お母さん、の一言すら

 満足に話せない。




 お母さんの後ろから

 銀色が叫んだ。



「ケーラ。諦めろ。トキタは死んだんだ」



 オオカミの子は

 それを聞いて

 びっくりした。


 自分は

 生きている。



 あの銀色は

 間違いばかりを言うのだから


 オオカミの子には

 理解が出来ない。



 それで

 首を必死に振って

 ここにいるのだと

 訴えると、


 銀色はさらに

 こんなふうに言った。



「見ればわかるだろう。トキタは喋れもしない。まして、狼として生きていくなんてことは、もう出来ない」


「そうね、わかっているわ。わかっているの。それでも。トキタに決めてもらいたいの」



 お母さんの厳しい目が

 まっすぐに見ていた。



「決める? 何をだ」



 銀色の

 不愉快な眼差しが

 その後ろにある。



「――生き方を。だってトキタは生きているのだから」



 お母さんは

 銀色のように

 否定はしなかった。


 真実からは

 目をそらさず


 ありのままに見てくれた。



 オオカミの子は

 ドキドキと

 胸が高鳴るのを感じていた。




 小さく失笑した銀色が

 だが次の瞬間


 オオカミの子に

 問いかける。



「お前は俺たち狼の仲間だ。俺たちがお前の本当の仲間だ。俺たちと来るか?」



 それは

 あまりにも突然で


 また

 オオカミの子は

 頭の中が

 ぐちゃぐちゃになった。



「それとも。狼のことを悪者にしたがる下等な奴らに混ざり、このまま暮らすのか?」



 お母さんが

 言ったとおり、


 生き方の選択を

 自分で決めなくてはならないのだと


 直感したが。



 すぐには答えはでない。



 なぜなら


 オオカミの子には

 仲間のぬくもりが

 よく思い出せないばかりか


 どちらも

 同じように

 大切な仲間だと思うからだ。





「森の動物はお前に親切だったかもしれない。でもトキタ。仲良くなれても別の動物だ。すぐに別れもくる」



 そう切り出された言葉には

 思い当たるフシもあった。



 冬になると

 みんなが冬眠してしまうことや


 大好きだった

 青虫の友だちも

 今はいないという事実。



 オオカミの子は

 うつむき


 哀しい声をだした。



 なぜ

 あの友だちは

 帰ってこないのか、


 思い出して

 寝付けない夜もたくさんある。



 違う種類の生き物では

 越えることの出来ない壁だ。




 あまりに長く

 黙り込んでしまった

 オオカミの子に、


 銀色の狼は

 ため息混じりに言った。



「明日の正午まで待つ。あの山の麓の一本松の下に来れば、お前は狼に戻れる。来なければ俺たちは次の餌場を探して更に南下する。正午までだ、それ以上は待たない。こっちも命がかかっているからな」


「では、もうこの森は襲わないのですか」



 クマの先生が

 口を挟むと


 踵を返した銀色の狼は

 笑った。



「息子を育ててもらった恩がある。それだけだ」




 颯爽と

 駆け出した

 銀色の狼を追って


 彼らの群れが

 流れ出した。



 お母さんは

 最後に


「待っているわ」と

 言い残して


 群れの流れの中に

 消えて行った。



 しばらくすると

 狼は一匹として残らず、


 わんとしか言えない

 オオカミの子だけが

 ぽつんと取り残されていた。



 クマの先生は

 大きな体を

 ドスンと地面に落として

 座り込む。


 緊張の糸が

 切れたのだ。



 洞窟の中から

 クマの母さんが駆けてきて


 先生の傷をみた。


 小さな友だちも

 恐々と

 辺りの様子を伺ってから


 オオカミの子の周りに

 集まってくる。



 泣き出してしまう子も

 たくさんいたし


 心配そうに

 慰めてくれる子もいた。



 クマの先生の怪我を見ると

 申し訳ない気持ちになり


 オオカミの子は

 またくぅーんと鼻を鳴らす。



「今回は、ちょびたくんのおかげで命拾いだ」



 豪快に笑う

 いつものクマの先生に


 オオカミの子は

 ポロリと

 涙をこぼした。




「ちょびたくん、行っちゃうの?」



 カワウソの女の子が

 そう聞いた。


 オオカミの子には

 答えられない。



 みんなは自然と

 クマの先生に

 視線を送ってしまう。



「それはちょびたくんが、自分で、ゆっくり考えて決めることなんだよ」



 クマの先生は

 みんなを見回し

 優しく笑った。



「お別れなんてさみしい」


「一緒にいてよ」



 友だちは

 口々に言ったが


 クマの先生は

 もう一度、


 優しく繰り返し


 みんなを撫でた。



「お父さんやお母さんだって、一緒にいたいと思うだろう? 友だちだってそうなんだ。だから、決めるのはちょびたくんなんだよ」



 家に帰れば

 家族がいる。


 みんなは

 ひとりぼっちの

 ちょびたくんの気持ちを


 今まで

 考えてみたこともなかった。



 みんなは

 気付かなかっただけで


 ちょびたくんは

 ずっと寂しかった。




 でも

 どちらを選んでも

 きっと寂しいのだろう。



 オオカミの子は

 友だちが大好きだ。



「森のみんなを襲わないなら、あの狼たちも一緒に森で暮らせばいいよ」



 ヘビの子が

 不意に言った。


 みんなは明るい顔になる。



「私、狼はもっと野蛮だと思ってた」


「決まりはちゃんと守ってくれそうだったね」



 だけども

 クマの母さんは

 とんでもない、と

 首を振る。



「狼は森の動物を食べるの。一緒には暮らせない」


「でもちょびたくんは暮らせてる」



 クマのこどもたちも

 口を尖らせていた。



「ちょびたくんは頑張って木の実や魚やきのこを好き嫌いしないで食べられるようになったけれど、あの狼たちはきっと暮らしのスタイルは変えない」


「それに、あんなにたくさんの狼が同じように木の実や魚やきのこを食べたなら、森はすぐに食材が尽きてしまうでしょう」



 一緒に暮らせたら

 オオカミの子には

 幸せでも。


 そのために

 狼たちに

 その生き方を

 変えろとは言えないのだ。




 その夜


 オオカミの子は

 寝床で


 どうしたらいいか

 キノコに相談したが


 キノコはキノコ、

 何も答えてはくれなかった。



 昼間見た

 銀色の狼や

 お母さんを思い浮かべ


 昔を思い出してみる。


 トキタと呼んだ

 あの声は

 耳に懐かしい。



 よく覚えてはいないが

 小さな頃は

 しょっちゅう叱られたような

 そんな気もした。


 それは

 自分が、なのか

 他の誰か、なのか


 とにかく

 銀色の狼の毅然とした

 ピシリと物を言い放つ声は


 その昔も

 聞いたことがある。




 考えても

 考えても


 出るのは

 涙が滲むくらいで


 答えはぜんぜん

 出てこない。



 また


 遠く

 一本松の大木が

 淋しそうに立つ


 あの場所から


 狼のみんなの

 遠吠えが響いて来た。



 どうしてこんなに

 心は震えるのだろう。



 同じように

 遠吠えしたい、


 でも

 綺麗に哭ける

 自信がなかった。





 夜明けは

 容赦なく


 まるで

 時間の流れが

 早くなってしまったかのように


 太陽までもが

 赤く

 オオカミの子を急かす。



 空の一番上に

 今日だけは

 いかないでほしい。




 一睡も出来なかった、


 頭が

 重たいのに


 眠たくはならない。



 ぎゅうぎゅうと

 押されて


 心は苦しい。



 行きたくない未来


 進まなくていけない。


 どちらかに

 別れを告げて。



 幼い心に

 時間は残酷に迫る。



 空は

 完全に白く明けた。


 寒さと緊張で

 震えが止まらない。





『ねぇ、知っている?』



 どこからか

 声が聞こえた気がした。



『僕たちは胞子で増えるんだよ』



 誰だろうと

 思うより先に


 声は言った。



『おとなのキノコに動物が触ったり、風が運んだり、雨が弾いたりして。胞子は木や土に届く』



 寝床のキノコは

 ニコニコと

 笑っているみたいだった。



『僕たちはキノコだけじゃ増えていけない。動物や自然、みんなお母さんとお父さんだよ』




『キミはどう?』




 ハッと

 目を覚ますと


 いつものままの

 何も言わない

 ただのキノコが

 目と鼻の先にあった。



 胞子は

 キノコから生まれるけれど


 その胞子が

 キノコとして

 成長するには

 たくさんの助けが必要で


 そのすべての環境があって

 はじめて

 この自分になる。



 オオカミの子には

 自分もキノコも

 変わらないように感じた。



 血の繋がりも

 出会う誰かも


 全部自分の世界だと

 胸を張りたい。




 まだ

 風は肌寒く

 水の臭いがしたが


 もう朝ではなかった。



 オオカミの子は

 大慌てで飛び出し

 走り出す。



 太陽は

 空の真ん中に

 輝いている、


 ――約束の時間だ。



『正午まで待つ』


 そう言っていた

 銀色の狼や



『待っている』と


 言ってくれた

 お母さんに、


 もう一度

 きちんと会って


 気持ちを伝えたかった。




 一本松の下


 銀色の狼は

 三本足の狼に

 声をかけた。



「正午だ。トキタは来なかったな」


「ええ。まるでこの木のようにトキタは生きていくのね」



 銀色の狼は

 一本松を見上げた。


 周りに

 同じ木の姿はなく

 ひとりぼっちの木だが、


 堂々と

 大地に根を張り


 空に手を広げている。



「……そうだな。そんな生き方もあるのだな」



 狼は

 群れでしか

 生きられない。


 だが

 あの子は

 そんな常識からはこぼれても


 幸運にも

 生きていく。



 クスリと笑い

 次の瞬間


 銀色の狼は

 また凛々しい顔をした。



「さあ、雪の山を越えたら極上の羊の群れだ! 空腹にはキツイが気を引き締めていけ」



 ここから

 暖かい南へ向かう為には

 大きな山を越えていかなくては。



 山の上は

 すっかり雲をかぶっている。


 吹雪の中を

 行かなくてはいけないだろう。



 森で

 腹ごしらえをしなかったことは

 群れにとって

 大きなダメージだったが


 誰一人

 文句を口にはしなかった。




 オオカミの子が

 駆け付けた時には


 もう

 銀色の狼たちは

 いなかった。



 たった今まで

 たくさんの群れがいた


 温かい臭いが

 残っている。



 オオカミの子は

 迷わず

 その臭いを追って


 一人

 雪の山へ入っていった。




 たちまち

 辺りは

 大吹雪になり


 雪と風が

 オオカミの子を

 引き止めるように

 吹き付けてくる。



 がむしゃらになって

 ひたすら走っていくと


 すぐに

 手足はジンジンと痛み


 やがて

 何の感覚もなくなった。



 冷たさは

 鼻にもきた。


 もう臭いも失い

 どちらへ行くべきかも

 わからないまま、


 ただまっすぐに

 真っ白の中を

 走っていた。



 耳に

 ゴウゴウと

 風が刃物みたいな鋭さで

 斬りかかってくるようだ、


 山の木々も

 悲鳴をあげて

 ヒョウヒョウ

 ビュウビュウと

 必死に耐えている。




 どのくらい駆けただろう。


 体温が奪われ

 足にももう力が入らない。



 ついにオオカミの子は

 雪の中に倒れてしまった。



 冷たい雪の地面は

 だが気持ちが良くて

 このままもう

 起き上がる気にはならない。


 目の前に

 降り積もる

 結晶が


 また一つ


 吐く息に溶けた。



 目を閉じると

 このまま

 眠ってしまいたくなる。


 心地よい、

 深い眠りの波が押し寄せて来た。




 しばらく

 眠っていたかもしれない。



 不意に

 顔の所で

 ふわふわと


 誰かがくすぐる。


 オオカミの子のヒゲを

 パサパサ。



 うっすらと

 目を開けて

 ぼんやりとした頭で


 友だちを探した。



『ちょびたくん、起きて。寝ちゃダメだよ』



 白い。


 それは

 白い蝶が


 ヒラヒラ


 まるで

 顔に寄り添って飛んでいる。



『森に帰ろう。みんなのところへ』



 会いたかった友だちが

 迎えに来てくれた。



 オオカミの子は

 そう思うと

 喜びで力が湧いた。


 感覚のない手足で

 体を起こすと


『早く早く』


 急かして飛んでいく

 白い蝶を

 必死に追いかけた。



 ほとんど

 周りの景色は

 わからなかった。



 自分が通って来た足跡も

 すっかり

 雪が隠してしまった。



 オオカミの子は

 ただただ


 目の前を行く

 白い蝶だけを見て


 手を伸ばした。





「……くん! ちょびたくん!」



 グラグラと

 力任せに

 体を揺すられて


 目を覚ました時には


 そこは

 山のふもと

 ほとんど雪はない。



 凍っていた手足が

 痛くて痒くて

 オオカミの子は

 草の上にゴロゴロと転がる。



「馬鹿だな、お前! 山へ一人で入るなっていつも先生が言ってるだろ!」


「気がついて良かった、早く体を暖めにいきましょ」



 いつものみんなが

 取り囲んでいた。



 オオカミの子は

 ハッと思い出して

 白い蝶を探したが


 その姿は

 どこにもいない。


 ここまで連れてきてくれた

 大好きな友だちが。




 クマの先生の家にいき

 毛布を借りてくるまった。


 みんなが

 ごしごしと

 体をこすって

 温めてくれたのが

 何だかとっても可笑しくて


 オオカミの子は

 たくさんたくさん

 笑っていた。



 それから

 たくさんたくさん泣いたけれど


 哀しいと嬉しいとが

 いっぱい溢れて

 止まらなかっただけで


 オオカミの子は

 幸せだった。





 ーー前略、


 狼の仲間

 お父さんとお母さん

 大好きな友だち




 森ももうじき

 冬になります。


 吹雪の日には

 寝床から出てはいけません、


 一人で迷子になるからです。



 山へ

 追いかけていったけれど

 やっぱり

 追いつくことは

 出来ませんでした、


 僕は足が遅いから

 一緒に行けば

 みんなの迷惑だったでしょう。



 でも

 ありがとうと

 さようならを

 言いたかったんだよ。




 僕にはたくさんの仲間がいて

 困った時には

 助けてくれます。


 だから

 心配しないでください。



 みなさん

 お元気で。




           トキタになれなかったちょびたより




 ーー追伸


 春が待ち遠しいです。



 また

 いつか会いにきてください。












        きみとともだち    


               本当の仲間・完 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみとともだち 叶 遥斗 @kanaeharuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ