エピローグ

「うー、寒い」

 体育館から職員室へとつながる廊下を歩みながら、白い息を吐き出す。廊下を支配する冷気が、上履きから這いあがり、私の身体を浸食してくる。

 すでに二学期も始まり、カレンダーは12の月を表示していた。

 丘花山県の中部に位置する苫田井高校は、南部の温かい潮風が届くこともあって、あまり雪は降らない。それでも朝夜の冷え込みは厳しく、放課後の部活指導では、寒さとの闘いを強いらていた。

「国立先生、お疲れ様」

 下駄箱と職員室との分岐点をすぎると、女子生徒の声が背後から聞こえてきた。

「もう帰っちゃうんですか? 私と立ち話してくださいよ」

「こんな寒いなかでか? お前も物好きだな」

 小憎らしい表情を見せながら、背後を振り向く。するとそこには、白い息を吐きながら微笑んでいる月島霧子の姿があった。

「そんなことより、この寒そうなものは、何だ」

 私は、月島のスカートを指さす。

「どうしてお前たちは短くしたがる。膝上は校則違反だぞ?」

「先生が見たがっていると思いました」

「あのなぁ」

「見たくないんですか?」

 彼女はわざと、スカートを引っ張りあげた。私は、顎に手を添えて「むむむ」と唸ってみせる。月島はきょとんとした表情を浮かべている。

「じゃあ、見せてくれ」

 わざとその場に座り込み、スカートを真正面に据えた。

 すると月島は、むっとした顔で頬を赤らめ、「それでも先生ですか」と、スカートを戻してしまった。

「残念」

 仕方なく、私は再度、腰をあげる。

「先生の頭が、ですか?」

「月島の太ももが見れなかった」

「先生の顔も、ですね」

「ああ残念だ。月島の足を、舌なめずりするように見たかった」

「PTAに訴えますよ」

「ごめん。嘘だ。見たいけど、見るつもりはない」

「休職したくなったら、いつでも言ってくださいね。お手伝いしますから」

「その冗談は、月島しか言えないし、月島しか笑えないな」

「はい」

 月島は笑顔になる。

 あの一連の出来事があってから、苫田井高校に平穏が戻った――となれば、どれほど話は簡単だっただろう。多崎教頭の予言通り、私が復職してからしばらくの間、抗議や問い合わせの連絡が、雨あられと飛んできた。

 やれ、子どもへの悪影響を考えているのか、やれ、教師としての自覚はあるのか、やて、犯罪者だとか。

 多崎教頭が矢面に立って弁明し、私が起きたことを説明する。それをひたすら繰り返す羽目になった。だが、そのかいもあってか、ようやく騒動は収束しつつある。私と月島の関係が良好なのも、説得力を増す材料になったかもしれない。

 あと、ネットで自分の名前で検索してみたのだが……、うん、もう二度と見たくない。

「先生、結婚しないんですか?」

 私に少しだけ近づきながら、彼女はお約束の質問をしてくる。

「したい。ほんとしたい」

「相手がいないんですよね」

「いない。ほんと死にたい」

「可哀想。女子高生の太ももを見たいなんて言っているから、こうなってしまうんですよ」

「辛い。ほんと月島が辛い」

「……私がしてあげましょうか――」

「――しよう。今すぐしよう。まだ市役所は開いているかな。婚姻届をもらってこないと」

「……馬鹿!」

 月島は、私の脇を小突いた。

 月ちゃんは変わったね――門田をして言わしめるほど、月島の性格は変わった。ずいぶんと社交的になり明るくなっている。彼女をめぐるよくない噂や態度も、すぐに見なくなった。

 月島が気味悪いっす――と佐々岡がこぼしていたのが、何ともおかしい。

「おぉー、こんなところで夫婦漫才ですかー?」

 吹奏楽部の部室から、門田が騒がしく駆け寄ってきた。

 すぐに下駄箱前に到着し、月島の横に、ぺったりと張りつく。

「月島と夫婦か。悪くないな」

 月島を挟み撃ちするようなかたちで、門田との会話を始める。

「ですよねー、月ちゃんって絶対にいいお嫁さんになるよね」

「門田からも言ってやってくれ、私はいつでも大歓迎だって」

「わぁーお、熱烈ラブコールですねぇ」

 ちらり。

 私と門田が反応を待ってみると、月島は黙ったままそっぽを向いて、下駄箱に行ってしまった。

「あーん、冗談だって」

 門田はすぐに彼女を追いかけてる。「気をつけて帰れよ」と二人に声をかけると、月島は流し目で、門田は手をふって応えた。

「さて、仕事をしますか」

 二人の姿が見えなくなったのを確認してから、私は職員室に戻った。自分のデスクに到着すると、机のうえに放り投げてあった携帯にメッセージが届いている。


『私が卒業するまでいなかったら、引き取ってあげますよ』

 そう、書かれてあった。

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思春期ヘルメノイティーク じんたね @jintane

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