第九話 「そのままでは中りません」

 八月半ばのお盆になると、弓道部の練習は一週間お休みとなる。


 私の家は自営業なので実感はなかったが、親がサラリーマンの家庭であれば一斉に会社が休みとなるために、この時期に家族旅行や田舎への墓参りなどを予定していることが多い。そのため、部活動は(インターハイ出場予定であれば、無視されるだろうが)自粛されていた。

 その前日まで、私たちは体配に神経を使いながら練習を続けた。

 先日の特別講義以降、やはり三笠先生による技術的な指導はない。しかし、そのことについて私たちの中から不満の声が出ることはなくなった。

 先日の特別講義で、奥羽大学の相模さんから「赤ちゃん」扱いされたことはショックだった。が、誰もそれを悪い意味にとることはない。むしろ、自分たちの思い上がりを正しく訂正してもらったと感謝しているぐらいだ。

 早苗ちゃんは、あの日の帰り際、

「あそこまで格が違うと喧嘩のしようがない。恐れ入りました、ははあ、が関の山だわ」

 と溜息をついていたが、何だか楽しそうだった。


 *


 さて、お盆以降の練習に話を進める前に、作者と物語はここで少々寄り道をする。


 仙台市で「八月」とくれば、上旬に開催される七夕まつりは避けて通れない。

 東北三大祭りの一つである『仙台七夕まつり』は、八月六日から八月八日までの三日間で行われる。

 仙台で「七夕」という風習が始まった由来として、「江戸時代初期に、伊達政宗公が婦女の教育を目的として七夕を奨励した」と言われることがある。しかし、だいたい宮城県の「昔からの風習」は伊達政宗公に端を発すると言われがちであるから、これも真偽のほどは不明である。庶民の風習としての「七夕」は、江戸時代からあったと言われている。

 現在の『仙台七夕まつり』の直接の始まりは、昭和二年に仙台市内の商店街有志によって大規模に七夕飾りが飾られたことである。今では、アーケードのある一番町商店街や中央通り商店街、仙台駅周辺などを中心として、大規模な七夕の飾り付けがなされていた。

 七夕の飾り付けには、学力向上を願う「短冊」、無病息災を願う「紙衣」、長寿を願う「折鶴」、商売繁盛を願う「巾着」、豊穣や豊漁を願う「投網」、倹約を願う「くずかご」、そして織姫が織った糸を象徴する「吹き流し」がある。

 仙台の飾り付けの主流は「吹き流し」である。そして、その吹き流しは「アーケードの天井付近から、通行人のひざ下まで」ある長大なものだ。この飾りを設置するために、仙台市内の商店街には「竹を差し込むための専用口」が設置されていた。


 さて、本来『仙台七夕まつり』は七夕であるから、その本質は「祈り」あるいは「願い」である。

 従って、一般的に思い浮かべられる「夏祭り」のような躍動感はない。むしろ、風にそよぐ紙飾りの風情を静かに楽しむという情緒性が、本来の味わいである。

 しかし、高度経済成長期に「東北三大祭り」の一つに数えられたことで、『仙台七夕まつり』は日本各地から観光客が集まる「お祭り」となってしまった。

 繰り返すが、他の二つの祭り、『青森ねぶた祭り』や『山形竿燈まつり』と比較されると、『仙台七夕まつり』にはどう見ても躍動感がない。実際、日本全国から集まる大勢の観光客と、大音量で流される音楽に揉まれながら、商店街の軒先に吊り下げられた七夕飾りをただ見るだけというのは、どう考えても興をそそらない。次第に、『仙台七夕まつり』に対する観光客の評価は「期待外れ」というものに変わる。

 それを打開すべく、昭和四十五年以降になると『仙台七夕花火祭』と『動く七夕パレード』(現在の「星の宵まつり」)が始まった。

 仙台七夕花火祭は八月五日に開催されるので『仙台七夕まつり』の前夜祭のように思われているが、主催が仙台青年会議所なので、仙台七夕まつり協賛会が主催する『仙台七夕まつり』とは運営母体が異なる別な行事である。広瀬川にかかる仲の瀬橋付近の河川敷から、一万五千発近い花火があげられる。

 動く七夕パレードというのは、七夕祭り中の三日間、中心部の通りで行われる七夕踊りやサンバダンスを中心としたパレードである。

 この二つが始まったことにより、『仙台七夕まつり』は変わった。本来の「祈り」や「願い」という性格は薄れて、集客力のあるイベントへと質的に変化した。その是非についてここで言及する気はないが、もはや以前とは『別物』と考えるべきだろう。

 新たな見どころを加えたことで、『仙台七夕まつり』に来る観光客は再び増加し、期間中は観光バスが日本各地から集まってきた。そのため、一般道や公共交通機関は非常に混雑する。路上駐車禁止が解除されたり、交通規制が敷かれたり、列車やバスの臨時便運行が行われるが、それでも追い付かない。

 

 従って地元民、特に老人は郷土の祭りであるにもかかわらず、期間中あまり外出したがらなかった。


 *


 高校一年生、しかも夏休みである。

 

 殺人的な混雑も、私たちにとってはお祭りを盛り上げる要素の一つでしかない。弓道部の一年生五名は、仙台七夕花火祭を見物する約束をしていた。

 私は新調した青字に朝顔柄の浴衣に黄色い帯を締め、下駄を履いて、午後三時頃に名取駅から超満員の東北本線に乗った。


 途端に後悔する。


 背の高い私は、周囲の女性から変に頼られることがある。

 普段の通学時間帯でも、私が電車に乗ると女性がどこからともなく寄ってくるのだ。彼女たちは「どこかの親父に接触するより、私に身を寄せていたほうが安全で、なにより安心だ」と思うらしい。

 そして、それは七夕の見物客で超満員の電車内でも、効果てきめんだった。

 電車の揺れにあわせて周りのか弱い女の子たちが姿勢を崩すので、私は身体を安定させるために嫌々ながら、つり革の上にある金属の棒の部分を握った。

 なぜ「嫌々ながら」かというと、ここを握ると浴衣の袖がめくれて、二の腕が盛大に露出してしまう。そうすると、弓道を始めてからというもの、次第に存在感を増してゆく私の上腕二頭筋が、くっきりと浮かび上がってしまうのだ。


 私はその女の子らしくない腕に、嘆息する。


 *


 電車の中で、右腕が少し痺れるぐらいまで踏ん張り、やっとのことで仙台駅に到着した。

 その頃には、浴衣はよれよれになっていたので、女子トイレに駆け込んで、あちこちを引っ張りなんとか復旧を試みる。顔も汗まみれなので、脂取り紙で修正した。

 そんなこんなで、集合場所である駅前ロフトの文房具売り場に着いたのは、集合時間である午後四時寸前だった。

 仙台駅西口改札口前の定番待ち合わせ場所では、今日の場合、確実に会えない。というより、来ていてもそれが分からない。

 ロフトの文房具売り場は、時間も潰せて、来たら確実に分かる場所として、私たちの間では待ち合わせによく使われる場所だ。

 既に到着していたのは、かおりちゃんと加奈ちゃんだった。

 バスで山を超えなければならない理穂ちゃんと早苗ちゃんは、途中で引っかかっているのだろう。途中でスマホをチェックしていたが、メールの着信はなかった。すると、それが出来ないほどに混んでいるということだろうか。

 二人の運命を悲観していると、

「美代ちゃん、大丈夫ー?」

 かおりちゃんが心配そうな顔で寄ってくる。

「なんだかよれてるよー」

「大丈夫、大丈夫」

 と、私は手を振りながらかおりちゃんを見た。彼女も浴衣姿である。

 さすがに呉服屋さんの娘だけのことはあり、白地に赤い金魚柄が鮮やかだ。

 きゅっと絞められた臙脂色の帯も、隙がない。

 そして――その上に見事なほどの美巨乳が屹立していた。

 和服になると隠しようもない。というか、目立って仕方がない。

 さきほどから、通り過ぎる男性の確実に八割は、二度見ないしは三度見を行なっている。

 一方、私のほうは背の高さを驚かれこそすれ、頭から下になかなか視線が下がってこない。

 和服間格差である。

「それにしてもー、美代ちゃんは背丈があるから和服が似合うよねー」

「そうだよねえ。私たちだと、なんだかお子様にしかみえないね」

 加奈ちゃんがそれに追随する。ベージュの地に細かい花柄を撒き散らしたワンピースが、とても涼しげだった。

 確かに加奈ちゃんと同じような台詞を、浴衣売り場のお姉さんにも言われたが、どちらかというと「格好がいい」という意味合いだったぞ。どうする自分。

 街中にいると、かおりちゃんと加奈ちゃんの「女の子オーラ」を普段以上に感じる。


 *


 しばらくして「宮城交通の路線バスが、道に慣れていない観光バスに挟まれて動けなくなっている」という情報が早苗長官から届いた。現地でおちあうことにして、私たち三人は青葉通一番町(通称『青番』)経由青葉城址行きバスに乗るため、バス停に向かった。

 花火大会の会場である広瀬川の「仲の瀬橋」付近には、こちらのほうが広瀬通一番町(通称『広番』)経由青葉城址行きバスよりも近い。また、広瀬通りは大規模商業施設が多く、その名称から観光客が流れやすいから、せめてもの地元民の知恵だったが、バス停の混雑具合は似たり寄ったりだった。

 長蛇の列に並び、二台ほど乗り過ごしてから次のバスに乗り込む。

 バスの車内は、やはりどうしようもないほど混みあっており、空調があるのかないのか分からないほどに暑かった。

 私はまた二の腕を剥き出しにして、か弱い二人の乙女を守ろうとした。すると、

「――おや?」

 という間の抜けた声が人々の頭の中から聞こえた。人込みを掻き分けるようにして、こちらに向かってくる人がおり――それは、北条さんだった。

「なんだか逞しい女性がいると思ったら、君だったのか」

 と、北条さんは屈託のない笑顔を見せる。

 と、その後方から手加減のない鉄拳制裁が入る。

「まったく、女の子に何言っているのよ」

 

 相模さんだった。 

 

 *

 

 国立大学法人奥羽大学は、他の地方帝大と同じくキャンパスが市内に点在している。


 そのうち、文系学部は広瀬川沿いの川内キャンパスに集中しており、その川内キャンパスには大学の弓道場がある。相模さんと北条さんは仙台駅から大学の弓道場に向かう途中だった。

「皆さんはどこに行くところなの」

 涙目で後頭部を擦っている北条さんの横で、相模さんがにこやかに話した。

「これから花火大会を見に行くところです」

 私が代表して答える。

「あら、そうなの。どこから花火を見るつもりなの」

「そうですね――」

 私たちは大学の手前にある「国際会議場」でバスを降りて、その付近で花火を見学しようと考えていた。「あそこじゃあ、人が多すぎて大変だよ。高校生だけじゃ暗くなると危険だし。一緒にいらっしゃい」

 と相模さんに誘われて、大学の弓道場にお邪魔することになった。キャンパス内のほうは人が少ないので花火がよく見えるし、なにしろ落ち着くという。

 その旨を理穂ちゃんと早苗ちゃんにメールで連絡すると、我々四人はバスに揺られて、国際会議場より先、青葉城址より手前の「扇坂」というところまで移動した。

 バス停から北条さんに先導されて坂を上る。

 左折して大学構内に入ると、直ぐにまた左折して、立派な講堂が立っているほうへ小道を歩いていく。

 すると、前方に平屋の建物が見えた。

「さぁ一本!」

「よっしゃ!」

 そんな元気な声が、建物の中から聞こえてくる。窓が開け放たれていたので、そこから人影が見えた。

 その人影の中――窓際にいた男性がこちらを見ると、


「どうした、北条! 若い彼女連れて重役出勤とは何事だ?」


 と、大声を出した。

 途端に窓という窓から男女の顔が覗く。

 北条さんは真っ赤になって言った。

「馬鹿野郎、大声出すな! それに、彼女たちは三笠先輩の教え子だよ!」

「女子高生か? そりゃあ犯罪だろ」

「だから何聞いてんだよ。教え子だって言ってるだろ。黒田、よく見ろ、相模先輩も一緒だよ」

「なんだよ、お前は対象年齢の幅が広いな」

「黒田君、今のはどういう意味かな」

「いやいや、そこは相模先輩のことではなくて、三笠先輩のことで」

「三笠先輩は関係ないだろ」

「じゃあ、私は関係者ということかしら」

「そうなりますねえ」

「相模先輩まで話を難しくしないで下さいよ」

 ぽんぽんと会話が続いて、なんだか仲がよさそうだ。


 *


 さて、私と加奈ちゃんとかおりちゃんは、そのまま奥羽大学の弓道場に上げられてしまった。

 弓道場内、射場の南側に六畳分のスペースがあって、相模さんがそこに座布団を置いてくれた。

「まだ花火までには時間があるから、ゆっくりしていってちょうだいね。私たちも花火を見る予定だから一緒に行きましょう。その前の準備があるから、ちょっと私は席を外すけど、すぐ戻ってきますね」

 と言って、相模さんは奥のほうに歩いて行った。

 私たちはそこに、借りてきた猫のように座って、周囲を見回す。

「なんだかうちの道場と雰囲気違うよね」

「うん、そうだね―。建物は古いけどー、床が綺麗で整理整頓されているしー」

 加奈ちゃんとかおりちゃんがそう言う。

 先日の大掃除以降、仙台一女の弓道場もかなり環境が改善されていたが、大学の弓道場には負ける。

 射場は広かった。年季が違うのか、床の輝き方が段違いだ。

 この畳の間には弓道関係の蔵書が置かれていたが、棚に高さを揃えて並べられている。

 矢道の芝は刈りそろえられており、安土は真夏にもかかわらず黒々としていた。

 安土に置かれた的の数は八つで、その間隔にも余裕があった。

 十名ほどの部員が練習していたらしい。さきほどの騒動で中断していたが、改めて射込練習を始めるようである。

 弓道義姿の男性が三人、息を揃えて本座から射位に進む。

 弓構えを終えると、一番前の男性から打ち起こしを始めた。

「さぁ一本!」

 途端に、道場内にいた部員たちからそう掛け声がかかる。

 会の後の離れ。

 先日の北条さんほどではないが、やはり矢は鋭く飛んで的に刺さる。

 同時に、今度は

「よっしゃ!」

 という声がかかった。

 なんだか、見ている私たちが緊張するほど、空気が張り詰めている。「怖い」とか、「怒られそう」とか、そういうことではない。全員が「集中している」空気と言ったらよいのだろうか。

 そのまま、私たち三人は場の空気に飲まれて、練習風景を見続けていた。


 *


「お待たせしました。皆さん、疲れていませんか」

 相模さんにそう声をかけられて、私たち三人は驚いた。

「あ、大丈夫です。あ、あれ、理穂ちゃんと早苗ちゃん。いつ来たの?」

「少し前だけど、三人があまりにも真剣に練習を見ていたから声をかけそびれて。そしたら、自分もすっかり練習を見つめてしまった」

 と、理穂ちゃんが言った。彼女は和服を着ていたが、浴衣ではない。

 なにゆえ、その柄を選んだ?


 理穂ちゃんは時代劇の町娘が来ていそうな、黄八丈の着物だった。


 *

 

「何だか悔しいな」

 

 理穂ちゃんの隣に、涼しそうな水色のワンピースに身を包んで座っていた早苗ちゃんが呟いた。

「レベルが違うのは分かっていたけど、ここまで違うとなんだか悔しい」

 早苗ちゃんの気持ちはよく分かる。

(毎日こんな厳粛な雰囲気の中で練習出来たら、自分たちももっと上達するのではないだろうか)

 そんな気がするのだ。

 もちろん、大学の弓道部員が全員『上手』という訳ではない。よく見ていると、中に私たちとさほど経験年数が違わない「大学から弓道を始めた初心者と思われる」方もいた。

 しかし、練習している時の目の色が全然違う。掛け声によるものなのか、個人練習の最中でも他の人の射に無関心ではいられないようになっている。また、射位に入る前に先輩に声をかけて、指導をお願いしている姿も見受けられた。ただ、そのお願いする相手が決まっているようだ。

「相模さん。あの、ちょっと教えて頂いても宜しいですか?」

 私は相模さんに率直に聞いてみる。

「大学で初めて弓道をされる方は、どれぐらいいらっしゃるのですか?」

「そうですねえ、入部してくる人の三割ぐらいかな。今年は全部で十五名が入部していて、そのうち五名が初心者でした」

「練習を拝見していると、初心者の方には特定の指導者がいるようですが」

「あら、よく気が付いたわね。その通りです。初心者は一年間、特定の三年生について指導を受けています」

「特定の指導員が決められているのは、なぜですか?」

「ああ、そうね――」

 相模さんは右手の人差し指を立てて、形の良い顎の先にあてる。

「例えば、弓道についてある人が言っていることと、他の人が言っていることが、全然違っていたり矛盾していると感じたことはないかしら」

「ある……ような気がします」

 具体的な例がある訳ではなかったが、弓道教本を読んでいて混乱した覚えはある。

「弓道というのは、結構『個人の感覚』でやっている部分が多いので、同じことでも人が違うと、それを表現する言葉が違う場合があります。具体的には『離れの瞬間』について、ある人は『葉の上から雨粒が落ちるように』と表現している一方で、ある人は『鉄と石がぶつかりあう瞬間の火花のような』と喩えています。両者は全然性格が異なるものですが、言いたいことは一緒なのです」


 ――雨粒と火花が一緒?


 私たち五人は頭を捻る。相模さんはその様子を優しく見つめると、

「まあ、ここから先の説明は三笠先輩が必ずしてくれると思うから、楽しみにお待ちなさい。それで、指導員のことですが――」

 と言って、射場の中を見渡した。前から六番目の的に向かう本座の位置で、ジャス姿の女性が弓道着姿の男性から話を聞いていたので、相模さんはそちらを目で示す。

「六番的の二人は、今年入部した初心者の一年生と、その指導員の三年生です。三年生は、一年生が的前で一人でも練習できるようになるまで、個別指導をするように義務付けられています。他の人は指導員の三年生からお願いされない限り、あの一年生には指導を行いません。それは異なる表現で指導されることで、初心者が混乱するのを避けるための措置です」

「あの、すいません。途中から口を挟んでもよろしいでしょうか?」

 早苗ちゃんが手を挙げる。

「はい、どうぞ。なんでしょう?」

「あの、それですと三年生の個人の思い込みや癖のようなものが、そのまま一年生に伝わる危険性もあるのではないでしょうか?」

「その点によく気が付きましたね、お見事です!」

 相模さんはにっこり笑うと、早苗ちゃんを手放しで褒めた。そして、急に真顔になるとこう言い切る。

「だからこその『指導員制度』です。三年生はそれだけ重大な責任を負っていることを自覚して、指導を行わなければいけないのです」

 

 *


 花火大会の開始時間が迫ってきたので、そこで話は終わってしまった。

 私たちは、奥羽大学の皆さんが講堂前の芝生に道場から持ち出した茣蓙ござを引いていたので、そこにお邪魔して目の前に広がる仙台七夕の花火大会を見た。大学構内ということもあり、一般客が遠慮して入り込まないのだろう。余裕をもって花火を眺めることができた。

 視界一杯に広がる、赤や青や白や黄色。

 風に乗って流れてくる、火薬の臭い。

 大学生の皆さんが飲むアルコールの香り。


 夏の、夏らしい一瞬が過ぎてゆく。


 そんな中、私は頭の片隅でさきほどの会話のことを考えていた。

 初心者とそれを教える上級生。

 上級生は「自分が間違ったことを教えてしまう」可能性を意識して、その責任を自覚しながら指導しなければならないという。つまり、間違わないためには教える側も常に学ばなければいけない。自分が一年生の将来を歪めないために努力しなければいけない。

 弓道部の練習の中に、自然に「自分とそれ以外の人が一緒に成長するような仕組み」が隠されている。


 そのことが素直に羨ましかった。


 *


 盆休みの間、私は家の中で体配の練習を続けていた。


 父と母には、その様子がよほどおかしかったのだろう。

「何でそんなにぴんと突っ張って歩いているの?」

 と、しばしばからかわれたので、その度に私は、

「これが弓道の基礎のキなのよ!」

 と、答え続けた。

 ところで、本屋はお盆と縁のない商売である。この時期は、むしろお客さんが殆どこなくなる。

 父も母も名取駅前近辺で生まれて育ち、先祖代々の墓地も近所の寺にある我が家は、お盆だからといってわざわざ遠くの故郷ふるさとに行く必要がない。家族旅行は自営業者にとっては贅沢であり、両親ともに熱心ではなかったので、外出の予定もない。そして、「他に用事がなければ、店は開けるべし」というのが我が家の基本方針であるから、閑古鳥が絶好調なこの時期でも開店していた。

 しかしながら、それを承知で店番していると暇で仕方がない。ついつい店の中で、体配の練習を始めてしまった。

 入口近くにある雑誌棚の周囲を、二足一呼吸でぐるぐると回る。

 方向を変える時には基本的に直角。

 たまに元禄回り。

 視線は二メートル半ぐらい先の地面を見るようにして、ぐるりぐるり。

「あの――」

 ぐるりぐるり。

「あの――美代子ちゃん?」

 ぐるりぐるり……!?

「あっ、あっ、すいません。申し訳ございません。集中しすぎてつい――」

 ご近所の常連客のおばさんが、にこにこと笑って見ていた。

「どうしたのそれ、日本舞踊の練習か何か?」

「いえ、そのう。そういうのではなくてですね――」

 弓道の体配というのは、馴染みのない方には説明しても非常に理解の難しいものである。私はその後、近所のおばさんからの矢継ぎ早の質問にさらされることとなった。


 *


 さて、お盆休みが終わって弓道部の練習が再開されると、道場内でのみんなの動きが格段によくなっていた。

 どうやら私だけが練習熱心だったという訳ではないらしい。

 西條先輩とかおりちゃんは最初から別格であったから当然である。

 この手の『真面目で地道な繰り返し練習』には性格がベストマッチな理穂ちゃんが、腰の据わった見事な動作をしていたのも順当なところだった。

 しかし、庶民派三人娘である加奈ちゃん、早苗ちゃん、私が一緒に行射した時に、本座から射位まで進む一連の動作――

 一歩前に進み、本座の位置で一礼し、

 それから三歩、的前方向に進み、

 射位で身体を右の神棚方向に傾けながら左足を的に向けて踏み出し、

 右足を一旦左足に近付けてから、肩幅より広めに歩幅を整える。

 ――ところが、呼吸も含め、ぴったり合っていたような気がした時には、内心とても嬉しかった。

 前で見ていた三笠先生の目からは、まだまだ未熟なところがあったかもしれないけれど。


 その日の練習終了時、三笠先生が言った。

「皆さんの動作をずっと拝見しておりましたが、休みの前に比べて見違えるようによくなりました。さぞかし休みの最中も、各自で繰り返し練習されていたのではないかと思います。非常に素晴らしいことだと感心しました」

 三笠先生からの大絶賛の言葉に、私たちはなんだか照れくさくなって、お互いに顔を見合わせながら笑った。早苗ちゃんだけはいつものように「当然よ」という顔を作っていたが、小鼻が広がったことを私は見逃さなかった。

 続けて、三笠先生は話した。

「これで、射場内での動作と、射の土台となる足腰については、ほぼ基本が出来たものと判断しました。そこで、明日からは本格的に『的に中てるために必要な技術』の練習を始めたいと思います」


 部員の間に衝撃が走る。

 ついにその瞬間がきた!


 全員の顔が変わったことに気が付いたのだろう。三笠先生は眉を上げてにっこりと笑うと、

「そこで、今日は一つだけ皆さんに宿題を出しておきたいと思います」

 と言った。

「えーっ、宿題ですか?」

 案の定、加奈ちゃんが速攻で反応する。

「あ、宿題とは言いましたが、皆さんに答えを準備してほしい訳ではありません。ちょっと考えてみて下さい、という意味のものです」

「はーい、分かりましたあ」

 さほど重たくなさそうな課題と判断したのだろう。

 加奈ちゃんが右手を真っ直ぐにあげて、ぴょんぴょんと弾みながら答えた。三笠先生は目を細めてその様子を見、それから視線を全体に戻すと、

「それでは、次の言葉の意味するところについて、明日まで各自でよく考えてみて下さい。お互いに相談もしないようにね」

 と言って、少しだけ間を空けた。

 私たちは先生の口元を真剣に見つめる。

 そこから漏れ出たのは次の言葉だった。


「和弓は、そのままでは中りません」

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