先日、タレントの志村けんさんが新型コロナウイルス肺炎で亡くなられました。
僕の子供の頃、志村さんといえば、男の子たちのヒーローでした。
土曜日の夜8時、顔をしかめる親のそばで、志村さんが繰り出すギャグの数々に、僕らはひたすら大笑いしました。
「ヒゲダンス」も「早口言葉」も、小学校でたちまち大ブームになり、親にせがんでレコードまで買ってもらった記憶があります。
また、住んでいた田舎町にドリフターズが来た時は、親が苦労してチケットをゲットし、ブラウン管の向こうで繰り出されるコントを生で見た時の感動は、子どもながらも相当大きなものでした。
それから30年以上の月日が流れ、借りてきた「8時だヨ!全員集合」のDVDを見て、自分の子達があの時の自分のようにひたすら爆笑しているのを見ると、あの時の笑いは時代を越えて子ども心に響いているんだな、と感動しました。
聞いたところによると、志村さんはお笑いへの探求心が物凄く、数分間のコントでも徹底的に打合せし、作り込むんだそうです。
そして、業界きっての音楽好きで知られ、ヒゲダンスや早口言葉のファンキーなBGMは、当時志村さんがよく聞いてたブラックミュージックを取り入れたんだそうです。そういえば早口言葉は、生バンドでBGMを演奏していました。今思うと、相当凝った演出をしているなあと思いました。
確かに、ネタ的には下ネタが多いし、女性にちょっかい出すきわどいコントもありますが、志村さんだから不思議に許せてしまう?所があったりします。
未だに、亡くなったことが信じられません。
僕が先日書いた「『風見鶏』で待ってます。」の舞台となった時代は、僕がドリフターズのコントに嵌っていた時代でもあります。
この作品を改めて読み返すと、志村さんの変顔や体を張ったコントを見て笑いまくっていたあの頃を嫌が応でも思い出します。
ご冥福をお祈りします。