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自分の才能を自覚してしまった話

 こんにちは。特にお知らせせねばならないような報告はないんですが、振り返ると前回の近況ノートから随分日が経ってしまったので、なんか書いておくかというテンションでこれを綴っています。

 しばらく前に付き合いのあったある方(その方も創作をやっている)に、ある日「あなたは“自分の作品の価値がわからない人間は馬鹿だ“、“そして価値がわかる者は全力で俺を崇め奉れ“と思っているでしょう」、と割と強い語調で詰められる、という出来事がありました。
 その方の言に関しては、「それを言うあなたこそ」とも思ったものの、概ね事実だなと感じましたし、実際最近は別に自分の傲慢さを隠そうとも思っていない。

 この何十年かの文章、およびイラストの活動を通して、私はこと「表現する」という事象において凄まじい才能があることを自覚した。特に文章の才能は群を抜いていて、ほとんど評価されなかった当初こそ「自分の作るものは大したことがないのだ」と言う迷いに駆られたりもしましたが、現在は自分の生み出すものに絶対の自信を持っている。

 代わりに人間性や社会性は見るべくもないほど低いんですけれども、だからこそ逆に自分は作ることで生きていくしかないのだ、と、覚悟が決まりつつあるこのところなのですね。


 別に私や私の作るものを見てイライラする、調子に乗っている、と思うならば、無理して評価してくれなくてもいい。自分を理解してくれる人だけそばに残ればいいし、そのような思想をもってやっている私は、なるほど「馬鹿にはわからなくていい」と思っているのでしょう。
 まあしかし、私にもどうしようもないのだ。才能がある以上それを振るわずに生きていく選択はできないし、どんなにやめようと思っても私には自己表現の手段が「創作」しかないので、止めることは死ぬことと直結している。

 その方にも言ったんですけれども、私は聖人ではないし、神様でもないです。ちょっと褒められれば調子に乗るし、誰かに認められたらもっと頑張ろうと思う、そういうどこにでもいる人間でしかない。
 完璧を求められても困るよね、というお話でした。


 なお、先日こちらで愚痴った件ですが、イラストの方も自分の現在の実力が客観視できて、まだまだ上には上がいると思えるようになったので熱が戻ってきており、このところはプラスの感情で創作ができていて快調そのものです。
 しばらくは訪れた春を謳歌したいですね。

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