先ほどから描き溜めたお話の添削作業をしているのですが、ちょっと思い出した事があります。
それはコトワザについて。
結論から言うと
「異世界で日本語のコトワザを使うのはどうなん?」
「いや、別に良いじゃん!」
となったワケなんですが、なんでそう思ったのか書こうかな。誰にとってもお得情報にはならんけど。
僕が小学一年生の頃、親に皆んながやってるゲームをねだりました。誕生日のアレですね。
断られました。
実際には「高いから」だとかそういうコトだと思いますが、その時は「そんなの何の役にも立たない」と言われました。
んで、代わりに与えられたのが「ことわざ辞典」であります。
すげーガッカリしたんですけど、読んでみたら結構面白かったんですよね。コトワザの意味もさる事ながら、その解説文のノリが良い。
そうして僕はその本に載ってた沢山のコトワザを覚えて得意げになりました。
例えば「杞憂」って言葉があるじゃないですか。
それを僕らとは違う世界が舞台の漫画でたまたま見つけた時に
「あれー? 杞憂って、『杞』って人が『憂いていた様子』を例えにしてるから『杞憂』なんじゃないのー? その世界に『杞』はいるのかなー?」
てな感じで、独り揚げ足取りの独りマウントをする、いやーな子供。
他のコトワザとかでも似たようなツッコミを独りでしてました。誰が見ても馬鹿な子供だったと思います。
ですが中学に上がって少しだけ大人になれた僕は、
「海外にも日本のコトワザみたいなのがあるんだなー? 直訳したら全然意味通らんけど」
「もしかしたら漫画とかの世界でも似た様なコトワザがある的な事なのかも」
という風に思い至りました。
異世界の言語は日本語ではなく、漫画の吹き出しとかにあるのは「読者に向けた通訳、それも意訳」という考え。
ちなみにコレは時代劇だとかそういう「昔を舞台にした作品」にも当てはまります。ああいうのも現代語に訳したりしてますからね。結構ロックな言葉遣いをしてたりします。
それに気づいてから「読者としての僕」は、漫画とかにかなり寛容になりました。
幕末を舞台にしているのに何故か「ドレッドヘアーで黒人風の坂本龍馬」が出てきた「アルファベットのタイトル」の作品をクラスの腐女子に薦められた時も「へー?」で済ませられました。ちなみにそれは一巻しか読んでませんので結末は知らん。
漫画の封神演義もそうですね。
物語の後半は実際のモノとだいぶかけ離れた展開になりましたが初期の方はかなり忠実だったので、その時代にそぐわない言葉遣いだとかギャグだとかも全然ヘーキでした。
思い出した事は以上。
……以上、なんですけど——。
「描き手としての僕」
は、そういった「誰もがスルーする事」をどうしても気にしちゃいます。
「誰か気になる人がいるんじゃないか」
「多少くどい言い回しになっても誰もが納得する言い回しにした方が良いんじゃないか」
「もしやるなら説明が必要か? それなら先に説明した方が良いかも。後から書くと『言い訳』になっちゃうし」
などなど。
ぶっちゃけ今、この事をここに書いてるのがそういう理由だったりします。
どのラインまで配慮するのか、どこからは無視して突っ走るのか、とても難しく思います。
個人的には「配慮すると中途半端になりやすい」と考えているので、何も考えずに好き放題描くのが良いとも思いますけどね。
いっそのこと「読者を居ないものとして考える」みたいにした方が良いのかな?
突っぱねて押し通す的な?
うーむ。
できるかな?