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 学生モノの校則について。

 今描いてる作品で虐めとかを描く予定もなかったので、「見かけ上の虐めが少なくて校風も比較的自由な高校」を描く事にしました。
 ですが、そもそも僕は学生時代、校則というモノを意識した事がありません。制服はフツーに着てたし髪型もボウズにラインとか入れてたんですが、顧問の先生以外には特に何も言われた事が無いのです。
 ので、「それじゃあかん」と思い、調べました。
 で、結構あるある、そういう「公立校」!
 なんだけど、ちょいと校則が自由過ぎて、それじゃあ逆に面白くないので、「髪染め•パーマはダメ」「男子の場合、過度に長い髪も注意される(背中に垂れ下がるくらいの長髪とか)」などの校則を追加する事としました。ただ、そういう学校は「バイトは特別な事情が無い限り原則禁止」である事も多い為、そこは緩めましたとさ。
 もちろん僕なりに「どういう学校が虐めとかが起こりにくいのか」という感覚も掴めてきたので、校則を変えすぎてそこが破綻しないよう、配慮はしてます。
 ちなみに友達が、いるいない、多い少ない、は虐めに含んでいません。ボッチである事が「虐められっ子の条件」になるならば、虐めのない場所なんてのは、永久に作れないと感じるからです。
 

5件のコメント

  • なんだろう。
    どんな環境であろうと虐めはあるでしょ。
    顕在化するかしないかだけで、顕在化が顕著かどうかだけなんでは?
    顕在化しづらい環境ではより、陰湿になると。

    そして顕在化したらどう対処するか。
    首謀者血祭りにして恐怖で圧政敷くかどうか。
    その覚悟を本人が持てるかだけが問題な気がする。

    そんなことより一番簡単なのは
    「学校なんてくだらない環境」に拘らないこと。
    学生にとっては一番難しいかもしれないけどねぇ。
    社会人が対処する一番簡単な方法は「やめても痛くない」状況を
    構築しておくこと、だし。
    何より一番平和ですな。誰かに対処させてもさせなくとも
    「当人は一切痛くない」ので。
    困るのは会社とやらかした本人だけ(笑
    笑ってみていられるのでそれも一興程度に達観できますな。
  • 追記
    高校程度ならものすごく簡単に
    教員程度「追い越せる」んですよねぇ。
    ちょっと踏み込んだ物の見方とバイトなんかの社会経験があれば。

    ゆえに、人間的に「薄い」ならそもそも相手にする価値がないと
    見切ってしまえると。
    そうなると学校に価値が薄くなるのでより容易に
    「必要な部分だけ」利用すれば良いとなって
    依存度がどんどん減っていくという。

    行き過ぎると親も見切ってしまいますが。
  •  えーちゃん🤨
     色々なコミュニティを比較すると、どんなコミュニティでも「虐めのあるコミュニティとそうでないコミュニティ」があるようです。
     例えば家族。家族間でも虐めのある家庭とそうでない家庭があったり。その規模が大きくなって、学校、職場、グループサークル、社会などなど、あらゆる場で虐めがあったり、そして、なかったり。

     人が集まると必ずしも虐めが起こるのかというと、意外とそうでもなかったりするのです。

     それには「平均の外にいる時は平均へ近づく事を望む」と「平均の中にいる時は平均の外へ出る事を望む」という、人間の持つ性質が関係していると考えています。ここで言う平均とは単純な数値とかでもなく、いわゆる「その場所での基準」という意味ですね。
     そしてその性質が拗れると、「平均の外にいる人は平均の中にいる人達と『自分と逆のベクトルにいる人達』を蔑む」とか、「平均の中にいる人達は平均の外にいる人達を蔑む」みたいな事象が発現すると思われます。あとは、どの立ち位置に居ても皆んなそれなりに大変なので「アイツらは楽そうで良いなー」みたいな妬みとかもあるでしょうね。
     皆んなが「別にどっちでも良いや」と開き直れたならば、何の問題もないように思えますが。

     学校に限定して考えてみましょう。
     統計で見たならば、高校よりも中学の方が、報告された虐めや自殺の件数が多いそうです。もちろん表に出た件数なので、中学高校どちらも隠された数字はあると思いますが、恐らく裏の件数がわかったとしてもその比率はそんなに変わらない事でしょう。

     んで、「公立の小学校や中学校」は基本的にその地域に住んでいれば誰でも入学できますよね。
     そうなると色んな個性がごっちゃ混ぜ。それが無秩序にならないようにするにはルールで縛る必要があるのですが、それぞれの子供には「それぞれ個別の対応策が必要」なのに、それを同一のルールで縛ろうとするから歪みが生まれやすくなるのでしょう。
     公立よりも私立の小学校や中学校に入れたがる親が増えてるのも頷けたりします。学級崩壊とは、子供達の個性に先生方が対応しきれなくなって発生しているのだと考えました。

     他方で、高校はどうか。

     私立は進学校でもない限り、そこに入るお金さえ有れば学力は余り関係なく思います。その学校どのコースを選択するかによってまちまちですけどね。
     学力の差こそ生まれそうですが、「似たような家庭の子」達が集まりそうです。

     公立の高校は、家庭の経済力ではなくて、明確に学力で選別されます。正確には「テストの点数」と「内申点」でしょうか。
     もちろん人間の平均は学力だけでは推量れませんが、同じような学力の子供は共通する部分も多いみたいですね。
     んでです。
     偏差値ってあるでしょう?
     偏差値が五十の学校は、大体平均的な学力を持った子供達が集まりそうに見えます。が、実際には色々な人が集まります。
     そこそこ勉強すれば入れる子供の他に、「必死に勉強してようやく入れる子供」と、「何もしなくても入れる子供」も集まって来たりします。そして何もしないで入れる子供の中にも、そこに学力が合ってる子と、「単に家が近いから」という理由で偏差値七十とかに行けそうな子も入学したりしちゃいます。ちなみに偏差値四十とかでも同じ事が言えるでしょう。
     それでも「ある程度」似たような感じの子達であるため、小中学と違って「比較的」その子達に合ったルールを設けやすい、のでしょうね。それが高校の方が虐めが少ないという論拠に繋がります。
     更に、偏差値をどんどんと上げていって六十、六十五、七十、七十五と比べて行くと、虐めの件数も極端に減っていきます。
     これは別に「頭が良いから」というワケではなくて、上に行くにつれて「似たような人達の割合が増えて行くから」という事になるのでしょう。
     勉強しないと誰も入れないような学校では、当然「勉強する人」が入り、そういう子供達には「共通する習慣」が多いのだと考えます。それをルールで縛ろうが縛らなかろうが、「わざわざ虐めなんて面倒な事に時間を使いたくない」と、なるのでしょう。

     繰り返しますが、学力は関係ありません。

     が、似たような子供が集まるのならば、その子達一人一人に合った環境を準備するのは容易であると考えました。だから教師側にも余裕が生まれます。
     子供達は似ているようで一人一人違いますが、余裕が生まれた分、先生方も対応しやすいというワケです。

     ただまぁ、結局「完全に虐めがない」とは言い切れないのが集団の恐ろしさであるとも、認識してます。虐めがなくなるには、環境のバランス、人のバランス、そしてプラスαが必要なのだろうなあと感じます。
     
  •  あ、書いてる間に追記がありましたね。
     
     ぶっちゃけ皆んながバラバラな環境にいる時の解決策は「合わない人と無理に関わろうとしない」だと思いますね。えーちゃん🤨のいう「切る」のと似たようなモノでしょうか。

     相手に好意があって関わりたいなら「関わる為の努力」をすれば良いし、面倒に感じるなら「離れてそっとしておく」という感じなら、傷つく人も少ないでしょうし。
     
  •  ちなみに平均化し過ぎても良くないですよね。だって「外部から強要されて」或いは「自発的に」平均的になったとしても、今度は、自分や他人の「アラ」を探して、どうにかこうにかして「普通でない理由」を見つけ出そうとしますから。
     個性は突き抜け過ぎればその場を壊しますが、抑えられ過ぎてもやはり破壊か「停止」を生み出します。
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