昨今のコンビニでは、〇〇軒監修のインスタントラーメンの一時のヒットによる売れ行きが存外バカにならないほど影響があるらしい。
有名ラーメン店の店主が監修したコッテリ醤油もしくは味噌、スープが黄金色の塩だったり、辛シビ台湾ラーメンなんてのがインパクトを持たせて外面である蓋に書いてあろうものなら、
ついつい手に取って食べてみようかと思う庶民の感覚は分からないでもない。
それはweb小説界も似たようなものだと捉えている。
このカクヨムの中で私が最も敬愛する書き手の高尾つばき様について少しだけ書こう思う。
彼の人は春風が凪ぐ刹那に生ずる感覚を得られるが如く、心地良い物語を描かれる逸材で、近代文学がうっかり見落としたとしか思えない陽の目を見ていないのが勿体ない存在だと思っている。
個性が強い?
猟奇的なのか冗談が過ぎただけのかよく分からない?
それらはいずれも当て嵌まらない。
分からないのなら随分と味気のない人生に育っておいでで。
コンビニに陳列されている流行り廃りのインスタントのカップラーメンと一緒にされては困るのだ。
彼の方の作品は模倣品ではなく、類似品でもなく、流行りを意識したものでもない。
あくまでも急須を使って手で入れる事にこだわった、その一杯にこだわった、
香り高きお茶のようなものだと思う。
文章で表現する"ロック"だとも感じる。
あまり評価されていないのは、時代が幼く行き過ぎたのだと思う。
出版社が場を提供しているのに、良さを見過ごすのは、人手不足なのか見る目がないのか、はたまたアニメ化を睨んで一時の売り上げだけを望む残念な形態に変わってしまったからなのか。
素人である私には分からない。
ただ、井の中の蛙であろうとも、私が生きて来た限られた社会の世界では、私自身の感性はその他多数に埋もれるような事は一度としてないし、私を評価する川上の上流にいる人たちも、その他が多数である事を憂いているのも現実としてある。
こんな独り言を描くだけのプライベートスペースに書き手様のことを書くのは良くない事のように思えるが、
書きたい事を書くのがこの近況ノートであって、思いの丈を綴るのが日記である。
ただの読み専の日記を読んでケチを付けるのは、例えるなら鍵が空いているからと勝手に入り、この部屋のレイアウトがどうだとか聞いてもいない拘りを語り出す、性格の歪んだ余程の暇人か、
その範疇を超える奇特な変人のいずれかであろうと思うので、
公私ともに暇ではない私にとっては、その方々がどう思おうとどうでもいい事である。
先日メールにて行われた角川グループのサービス利用者に向けたアンケートに回答した。
あゝ、これを企画した人たちは本当に迷走しているのだなと感じた。
何が必要で何を排除すべきで、これからどんなクリエイトをしなければならないのか分かっていないのだと、
予め用意された選択肢を見てガッカリした。
時代は待ってくれない。
可処分時間を読書に割くような、貴重な人たちを逃してはならない。
以前にも書いたように、日本語で描かれた小説には、物語の良さだけでなく言葉によって想像が創造を呼ぶ、無限大に広がる可能性があり、大変良いものなのだから。
文字を、言葉を、表現を大切にする、そんな書き手様が評価され、世に出る仕組みを考えるのが最も喫緊の課題だと早く気付いて欲しいものである。