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ハイボールは酔う前までなら美味しい

もうすぐ誕生日を迎える中二になる娘について。

厨二にならないよう私のパートナーは願いながら愛情込めて育てきたが、時折そのプレッシャーの逃げ道のなるように私が甘やかして見せるその先は、彼女が大好きな空想の世界。

痛々しいまでの自虐に溢れた支離滅裂ながらも、産み出した人たちの生きた証と魂の叫びに触れ、自己を上手く表現出来ないけれど、何かを吐き出したくて堪らない世代で、普段は他人に気を遣ってばかりの比較的大人しい種類のティーンネイジャーには、そこに描かれる世界観が心に響いたようだ。


私の信念は昔から強い。


それは昔から何でもそれなりに出来て、周りにそれを認めさせる事が出来たからであって、学力や運動能力、芸術的な能力にコミュニケーション力など生きる上で少なからず他人から評価を受ける様々な能力について、及第点を越えた事がない彼女にとっては人生は前途多難であり、親としてはいつも心配な気持ちが、ついつい説教じみた聞きたくない話になってしまう。
それは人生百年時代と言われる現代において、四十にも満たない若輩者の親からのせめてものアドバイスだが、十代の頃の私自身がそうであったように、例え倍ぐらいの年月を生きていようとも、大人の言う事など同じ色にしか見えないのだろう。



先日の自傷行為の後、色々と悩みながらも出した答えが一つだけある。


それは私自身もそうであったように、
『僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない』
自分自身のために、自分という人間を認めてあげる事が大切なんだと。

勝つという表現は、この歌詞に込めた孤独でありながらも、もがき苦しみながらも結論として導き出した青年の"見栄えのするフレーズ"ではあるものの、実際には何かの勝ち負けではなく、ありのままの姿を受け容れるような筋書きである事から、
やはり人間というのは個であるゆえに全にあり、全の中だからこそ個であると言えるため、
世の中には色んな人がいるけれども貴方という人間は、

それでいいんだ。
それが貴方なんだから。
と認め受け入れる事を心に誓った。


貴方らしく生き、幸せであればそれでいい。

それ以上を本人以外が望むのは、ただの自己満足であり親のエゴであり、ただのお節介以外の何ものでもないのだと思った。



出逢った当初は4本足で歩いていたが不思議と懐いた。

感受性が強く、いつも不安定で泣いてばかりいた。

お互いに手探りで関係性を築き上げてきた。

その優しさは、その繊細さの上で自然と生まれた。

彼女はおそらく私のことが好きで、私も彼女のことをパートナーの次に大切に思っている。

それは産まれつき全て揃っていたからこそ、我儘放題に振る舞う妹とは裏腹だが同等に。


私自身が複雑ではないにしろ、歪んだ愛情表現にしか思えてならない家庭環境に育った為に、
上手く愛情を表現出来ないながらも、我が子がどんな人間であろうとも一人の人間として受け入れ、この先の幸せを願ってやまない。

あと二日で十四歳の誕生日だ。


私は誕生日に良い思い出は全くと言っていい程にないが、パートナーの記念日に対する前向きな推進力に影響を受け、


産まれてきて良かった。


私だけの特別な日なんだ。


そう思ってくれるような素敵な一日になる事を望んでいる。


その為に、ケーキに灯した火に息を吐きかける瞬間の彼女が幸せな気持ちであるよう、

ハッピーバースデーの歌だけは恥ずかしがらずにちゃんと歌うつもりだ。

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