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カクヨム その弐 

カクヨムに登録して3週間ほど経った。

アマチュアとは言え、驚くほど面白い作品を描く書き手様がいることと感想文一つもまともに書けない己の文才の無さに脱帽するばかりだ。
読む速度だけは早い方だと自負していたが、仕事が忙しくなかなか読書にふける時間が作れないこともあり、知的好奇心を満たす作品を探す旅は道半ばというところ。

この業界に触れて、ようやく理解出来たのが、例え私のように拙いレビューしか書けなくても、作者様にとっては自分の産み出した作品に対して、世間がどのように評価するのかということが大変重要であり、その先の創作活動に少なからず影響を受けるということだ。

とは言え、手放しで称賛やおべんちゃらを言えるような偽善者にはなれないので、本当に面白いと思った作品には、色んな意味で余裕がなくともしっかりと応援コメントや★を残すことは読み専として最低限の礼儀だと思っているし、
感動を覚えるような素晴らしい作品には、語彙力のないレビューで褒め称えるより、★3つ以上の評価で例えば、『Fantastic!!!(★4)』や『Amazing!!!!(★5)』のような、もっと相応しい表現でのポチポチが欲しいと思ったりもしている今日この頃。



唐突だが、私の読書のルーツを書き記そうと思う。


まず、ファンタジーであれば水野良氏の「ロードス島シリーズ」、神谷一氏の「スレイヤーズ」、他にも色々読んだはずなのだが、長い年月が経った現在でも、心に残ったシリーズ物で思い出せたのがこの二作品。


ミステリーであれば、作者で述べるに留めるが「綾辻行人氏」、「島田荘司氏」、「宮部みゆき氏」、「篠田真由美氏」、「京極夏彦氏」。
ハードボイルドの「大沢在昌氏」、社会問題を巧みに描く「石田衣良氏」などが挙げられる。


おそらくそのジャンルでの著名な作家ばかり読み漁っていたミーハーなので、造詣は深くない方だと我ながら思う。

だから何だという突っ込みには、残念ながら特に返す言葉はない。



さて、この「近況ノート」に何を書きたいか、それだけは決まっているので最後まで書こうと思ってはいるのだが、
実は昨日、一度書き終えたあとに単語に誤字があるといけないと思い、iPhoneのマルチタスクで調べて確認して戻ったところ、自動的なリログが走り、消え去ってしまったことに24時間ほどショックを受けていた。

改めて書こうか書こまいか迷ったあげく、Chromebookのブラウザから再度投稿するに至っている。

消えてしまった内容は数百文字程度?なので、書き手様の精魂込めて描き下ろした作品との重要性とは比べられないのは言うに及ばず。
読み専のただの独り言であり、うっかりと目に入れ読み進めてしまった奇特な貴方様にとってもこの文章が、時折ポストに入っている”必要もないチラシ”の如く即刻ゴミ箱行き同然の価値しかないことは明白である。

しかしながら、アウトプットさせずにはいられない性分なので、必要悪だと思ってひっそりと声を書き記すのである。


…誰が為、己が為以外に何があろうか。

すべからく自己満足である。

私の好きだったコミック『幻想魔伝最遊記』のキャラクター”玄奘三蔵”の名言に『所詮、人生は死ぬまでの暇つぶし』を体現しているだけなので、見苦しく感じたのであれば、さっさと回れ右するのが懸命な判断だと言えるだろう。


そもそも近況ノートは書き手様の立場でない場合、ただの自慰めいた戯言を記す日記のようなものなので、本来他人が読むべき対象ではないからだ。



さて、それを差し置いてでも改めて書きたいこと、それはこのカクヨムに作品を投稿している皆様はもっと世間に評価されるべきだということだ。

カクヨムだけでなく、Web小説なるものを産み出している書き手様全員を言っている。


あまり深くこの業界のことを知らないので、大きな声では言えないのだが、
活字を嗜む端くれとして、少しぐらい主張しても神様に罰は与えられないのではないかと思う身勝手な人間のただの希望である。


もっと書き手様を評価されて然るべきと述べる理由としては、
文字を操って空想上のストーリーを紡ぐという行為が、人類の文明を発展させた大いなる立役者であるから、であり私がそのルーツを尊ぶ人間であるからだ。
大袈裟に聞こえるかもしれないが。


元来人類は火を起こすことを発明したことにより獣であることから抜け出し、
言葉を作り、文字を産み出し、空想や仮説を知能を以ってパズルのピースのように操り、その結果自然の節理を理解し、それらを書き記すことで、人間以外の生物には出来なかった急激な進化を成し遂げ、現在までの文明を作り上げた。

ここが本題なのだが、私は生物学者でも社会学者でも哲学者でもないので、端的に申し上げたいのは、YoutuberやTiktokerなどの動画コンテンツの配信者がもてはやされているのは、人類の進化の停滞だと感じている。

動画をメインコンテンツだとして、こぞって自己をPRしている輩には品も学も感じられず、稚拙なものが溢れかえっており、ただ単に個人をさらけ出すという、知性の欠片もない手法によって、あぶく銭を稼ぐ輩が増えていることは、時代が豊かになったことによる弊害だ。
モラルのない配信=再生数が増える図式が社会問題にもなっている。

現在の世が産み出し、未来の世界までを牛耳ろうとしているGAFAによって、お祭りのように泡沫の夢を見させられているだけなのだが、愚かなる群衆は流行りにしか興味がないのであろう。




そんな世の中で感じるのは、
活字によって読者の想像力を掻き立てられる書き手様の方が数百、数千、数万倍崇高だということを思い、それを主張したいがためにこんな独り言を書くのであった。
こんな感情を持つ私は異端なのであろうか。


これが今回の近況ノートを書こうと思った私の真意である。


広告収入大いに結構である。

書き手様のモチベーションがあがるのであれば、その才能に対価を払うため、私のような群衆から吸い上げる仕組みは必要不可欠だと思う。
群衆はえてして金銭に余裕があるわけではないので、輝くものには敬服や祈りを捧げるしかないのだ。
そのために捧げる努力は、自身が救われるためのものなので、その才に自分以外が感じる価値を求める書き手様との関係はwin×winと言えよう。
持つものだけが享受し、持たざるものは捧げるのみという事では決してない。




願わくば、後世に残るのはただ注目されたいだけの黒歴史のような動画ではなく、人間が知的生物である証として産み出した文字を使った”物語”であることを祈るばかりである。

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