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カクヨム ソノ四

カクヨムとはもうすぐ3ヶ月の関係となる。

昼間は仕事に勤しみ、帰ってからは家族と過ごすルーティーンを終え、夜の自由時間をただ日中のストレスから逃げるように気狂いのようにゲームばかりして浪費していたのが嘘のようだ。

課金要素も今のところないのでお財布にも優しい。


この3ヶ月という短いようで確実に老化が進んでいく貴重な時間を、
読書に耽る事で退化した脳みそを想像にグルグルと使う体験が、
呆け防止にいいのではなかろうかと本気で思っている。



いや、あんた何歳よ…。


と私の近況ノート、
通称(中の人の自称だが)「ゴミ溜め」もしくは「ヘドロの終着駅」と呼ばれるテキストを読む"奇特極まりない貴方様"のツッコミは華麗にスルーしつつ、
今日もただ自己の満足のために日記を書くのであった。


毎度の事だが、これは作品ではなく近況ノートというカクヨムが作った読み専にも自由にアウトプットする事が出来る場であり、

つぶやいて注目、拡散され、炎上まである水色アイコンがにくいあいつのような文字数制限もなく気ままに書き殴れる場であり、
言いたい事を言いたいように表現して宜しいと解釈しているため、
万が一読んでしまって気分を悪くしてしまっても、それは私のせいではない。



ふう。


ぐふふ…。(ここで回れ右が大正解)



前置きが長くなってしまったが、
最近は直接筆者と読者が繋がるこの仕組みを素晴らしいと思う反面、
恐ろしくも感じて来てしまっている。


ふとしたきっかけで出逢った人と、
良い縁なら末永く続くのはこの上なく素敵な事であるが、
そうでない場合に多少なりとも互いに不要な気遣いやストレスになってしまうのではないかと思えるからだ。


ある書き手様の作品へ想いを綴った際に気付かされたのが、
まず物語を描くという行為は、己の空想を曝け出す事に他ならない。
それゆえにその完成品を良いと感じるかそうでないかは、書き手様の人間性を好むか否かという事ではなかろうかと思った次第なのである。


そもそもこの文明が発展した時代において、
文字をもって物語を描こうとなさるその勇気と心意気をまずは手放しで讃えたいし、
それは以前にも書いたように私の信念でもあるのだが、
橋の下に捨てられているのを偶然拾われたような(※あんたは橋の下で拾ったと、育ての親によく言われた。)社会のはみ出し者である私のような人間であっても一個人としての好みがあるため、
書物としてよく書けているとしても面白いかどうか、好きか嫌いか、判別してしまうのは仕方のない事だと思う。


ここに来て、この歳にもなって、持病が顔を出すので少し辛くなっている。


コミュニケーション障害。


つまり、コミュ障というネットに依存する人間にはありがちな持病だ。


独白するが私は性善説で考える癖に、そもそも人間があまり好きではない。

特に異性を性の対象としかみれない野生動物と変わらない輩や、虐げて喰い物にする事しか考えていない雄が大嫌いだ。



異世界ハーレム俺TUEEE物は、大抵が俗物的で似た匂いがするので嫌悪している。


昨今では毎日のように迷惑条例防止法違反者(ムッツリ野郎)や淫行条例違反者(ロリコン)を逮捕する記事が後を絶たず、
匿名だからと言って他人を袋叩きにする"私刑"でお祭り騒ぎをする、脳死したネット民の右向け右が根付いた日本の文化が死ぬほど嫌いだ。


早くマイナンバー制度を時代に追い付くように、情報が腐るほど溢れかえったこのネット社会にも活用すべきだ。


もはやインターネットすらまともに操れぬ老害が、日本の行く末を左右する政治家になどなってはならないと感じる。


余談だが、類人猿占いではほぼ純粋なオランウータンらしい。



基本的にあまり他人に興味はないし、歴史にも全く詳しくはないが、
本来この国の人々は移ろいゆく四季折々の変化を風情として嗜むぐらい繊細な感性を持ち、贅沢を望まずとも平和を願うような農耕民族であったはずだと思っている。


本人すら何が根拠か分からないし、
ただ理想を語るのが癖なのかもしれない。


ともかく弱者が虐げられていると出来る事なら救ってあげたくなるし、迷っている人を見ると何の足しにもならなくてもアドバイスしたくなる性分なのである。


果てしなく面倒くさがり屋のくせに、
選ぶ方向性は矛盾していて、定期的に自己嫌悪に陥る事もある。
ただ、反省はするが後悔はしない。


この性格になったのは、おそらく自身の生い立ちが深く関係しているのだと思う。


口を開けば上から目線で嫌味を言う千年の都で生まれ、
怒声と暴力によって自らの主張を制限された家庭環境に育った。
三人兄弟の次男であり、兄と弟は不良漫画の主人公ばりに地元では有名なヤンキーで、
班を押したように二人ともが高校の教師を殴り、学校側から懇願されて退学した最終学歴中卒の問題児なのに、
今は二人とも代表取締役らしい。

兄は家出した先の大阪で建設業、弟は輩のようにフラフラと他方に迷惑を掛けまくった挙句に家業を継ぐ事になったようだ。


対して私は高校生まで過ごした街やそこに住まう人が嫌いで、
橋の下で拾ったとの表現があまりにもハマる全く違うタイプであったため、
兄弟が喧嘩すれば仏間にある真っ暗な押入に罰として閉じこめる、怒号と体罰くらいしか子育てで関わろうとしない父親が事あるごとに口癖のように言っていた「普通の人間になれ」を比較的一番まともに進んで行き、
小中高と学業にはあまり苦労する事なく他府県の大学へと進学する事を理由に、故郷と実家を捨てた人間で、
今はサラリーマンである。


ちなみに捨てたと表現するのは、結婚を機にモンスタークレーマーである精神を病んだ育ての母親から愛する家族を守るため、縁を切る事になったからだ。


私の生涯をかけて愛する事を誓った人には、
生後1年足らずの娘がおり、その当時十代も半ばでまともな働き先もなく、過干渉な親に潰されそうになっていた女性だった。


面倒くささもここに極まれりと感じるような彼女との関係も、
何度かのすれ違いはあったにせよ今は私自身が人らしくある為に必要な出逢いだったと振り返る。


今はこの時間になるとテレビを点けっぱなしにしてソファで長すぎる仮眠を取るのがもっぱらの彼女の日課で、
当時ハイハイをしていた娘も今は母親と同じ靴が履けるほど大きく育った。


一人暮らしが長かった私にとって、パート勤めをしながらも文句の一つも言わずに家事をしてくれる伴侶にいつも感謝している。
言葉に出来たり、出来なったりその時々はあるかもしれないが。


先週の事だが、娘が自傷行為をしていた。


激しく動揺し、不安を取り除きたい一心で、迂闊にも責め立ててしまった。


彼女はどちらかと言えば周りに可愛がられるタイプの母親に似ず、内向的で私と同じく自分の世界での絵空事に喜びを感じる感性を持つ子に育った。

私の怒りに任せた抑圧的な言葉に泣きじゃくった彼女だが、私が敢えて席を外した際には幸いにも母親には本音を打ち明けてくれたようで、
今では私が甘やかしたせいで自由奔放を絵に描いたような妹と、5歳も離れているのに変わらぬ姉妹喧嘩をしながら、変わらぬ日々を見せてくれているので少しホッとしている。


今日もあまり上手く目は合わせられなかったが、きっとそれ以上を望むのは私のエゴなのだと思う。



かなり長く脱線したのだが、
こんな捻じ曲がった私と趣味趣向の中において、
勝手ながらフォローさせて頂いている書き手様が数名いる。


これまた勝手ながら、一筋縄ではいかない人生を悩みながら歩んでいらっしゃる方々ではないかと思っている。


ライトノベルというジャンルでは決してなく、
毎晩ハイボールを泥酔するまで飲むような私でも分かる小説を描かれる素敵な方たち。



私が書くコメントやレビューは、こんな背景をもった人間が書き手様の迷惑を顧みずに好き勝手自分の感じた事を書いておりますよとその方達に伝えたいが為に、
読まれるかどうかも分からないこの近況ノートに書くのでありました。





おしまい。
(もうちょっとマシな終わり方はなかったのかよ…

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