ミ☆
9月の、とある朝。
「……ススム。ちょっと起きてくれ、ススム」
ホシノ・ススムは、自分を呼ぶ彼女の声と、薄手のタオルケットを被った身体を揺さぶられる振動で目を覚ます。
「……頼む。起きて、早く……起きて……!」
澄んだその声は、落ち着いた、それでも緊迫を伴ったもので、ススムの意識を瞬時に甘い夢から現実へと帰還させる。
時計の針はまだ午前4時少し前。
質実剛健にして意気軒昂、早寝早起きを旨とし、朝のトレーニングを欠かさない彼としても、目を覚ますには少々早い時間、ではある。
「――んっ」
瞼を擦りながら、それでも身を起こし、短くひとつ、自身の身体に活をいれる。
まず視界に飛び込んでくるのは、自分に視線をいそそぐ童女の顔。
中性的な、男の子の様な短髪。
中央のひと房だけ染め付けたように金色が混ざった黒髪。
闇夜の猫のように輝く、金色の瞳。
厚い産着に包まれて日を浴びたことの無いような色白の頬。
そして何よりも彼女が常人に非ざる者であることを明確に示す――二本の角。
「どうかしたのか――ムウ」
緊迫した表情で自分を見据える黒髪金瞳の童女――ムウに顔を向けて、そう呼びかけた。
「……様子が、おかしい」
「おかしいって……何が?」
寝起きでまだはっきりしない頭で、鸚鵡返しにそう尋ねる。
ふざけてこんな事をする子ではない。
様子から見ても、彼女がこんなことをするのなら、相応の理由があるはずなのだ。
「……判った……いまおきる……今起きるから……」
「今のところ気付いてるのはぼくだけみたいだけど……あんまり騒ぎ立てて、みんなを怖がらせたくない」
と、彼女らしい生真面目な気の使い方を前おいて、ムウは、
「気温が下がってる。……下がり続けてるんだ」
……と、言った。
「……は?」
「すでに何らかの侵略兵器による攻撃を受けている可能性がある!」
ミ☆
ムウ。
――ズィー・ティー・ムゥ。
外見的には9歳かそこらの童女。
――その正体は、地球上からありとあらゆる生命体を根絶やしにするために送り込まれた、惑星型異文明滅却用最終装置のヒューマノイド・インターフェースコアユニット。である
だがそうであるとしても――ススムにとっては、現在同室で寝起きする、チームの一員であり……大切な友達だ。
という解説は、さておいて。
携帯用端末の液晶画面をススムの眼前に突き付けて、ムウは告げる。
「……まずこれを見てくれ。……この一週間の、気温のデータだ」
「……これが、どうしたの?」
「おかしなことに気付かないか?」
「おかしいって……何がだ?」
どうも、会話がかみ合わない。
これではムウの言う事を混ぜっ返すように相槌を打っているだけで、ばかみたいだ。
「……涼しくなってる……一日の平均気温が、低下し続けてる……!」
「?……そうだね?」
確かに、夏の暑さも盛りを過ぎ、だいぶ過ごしやすい時間が伸びてきた感じではあるけれど。
だが、それが何か問題か?
まだよく呑みこめなくて、鸚鵡返しにそう繰り返すススムに焦れたかのように、ムウは一つ大きく息を吸い込んでから、
「このまま温度が低下し続ければ……数ルナサイクルで、平均気温がマイナス三十度を下回ってしまう! 到底地球人が安定して生存できる気温じゃない!」
と、言った。
ルナサイクル……というのは彼女の用いる言語をススムに判りやすく訳した、衛星周期による期間単位、さらに言うなら日本語で何ケ月、というやつである。
「一握りの先進国はしばらくは持ちこたえられるかもしれないが……この惑星で人命を預かっている国家は、先進国ばかりじゃない!」
悲痛な声で、ムウは叫ぶ。
「しかも、大規模な地下資源や穀倉地帯、工業地帯を有するのはむしろそういう国も多い……そうなれば、文明レベルの維持は困難になってしまう!一刻も早く原因を究明して、対策を練らないと……!」
今にも泣き出しそうなムウの顔をぼんやり眺めながら、
……もしや、と思う。
……まさか、とも思う。
……そして、いや、これはやはり、きっと……
「……そうか、呑みこめた。私にもようやく呑みこめたぞ、ムウ」
ススムは、ようやくそう答えを返す。
「いいか、ムウ、落ち着いて聞いてくれ」
「もったいぶるな! 結論から頼む!」
肩を掴んで、正面からそう訴えるムウに、ススムは極力いかなる感情も込めない口調で。
「それはねムウ、季節のうつろいという自然現象だよ」
……と、言った。
「きせつの……うつろい?」
片言でそう、言われたとおりに繰り返し、ムウは
「何だそれは?わからないぞ!教えてくれススム!」
と、喰い気味に身を乗り出してススムに問いかける。
ススムは
「どっから、説明しようかな」
と思いながら考えを整理する。
が、状況とムウはあんまり沈思黙考を彼に許してはくれなかった。
「……何で、どうして黙ってるんだ! ぼくをばかにしてるのか!」
普段は、割と大人びて鷹揚に構えている子なのだが、そんな常の様子も今はなく。
ついには、
「……うう……ぼくは、ぼくはたしかにハードウェアとしては君たちの時間概念でいうところの数万年は存在してるけど、そのほとんどは休眠期間で、意識があるのは惑星を破壊するその時だけで……実際に過ごした期間はこの見た目通りの、君たちで言う10歳かそこらのこどもみたいなものなんだぞ……!君にばかにされたら……ぼくは……ぼくは……!悲しくて、泣いてしまうからな!」
とムウは涙ぐむ。
「……OK、ちょっと待ってね」
ぽん、ぽん、とムウの激しく上下する肩を正面から向き合って叩き、落ち着かせること、しばし。
……枕元の携帯端末の3D映像投影機能を使って、地球儀のモデルを展開。
指差して、
「いいかムウ、私は何度でも君が判るまで説明する、疑問点があったら話の途中でも、納得いくまで聞き直してくれ」
と告げる。
「……ふむっ、わかった、教えてくれ、ススム!」
ぴょん、と身を弾ませて、ススムのベッドに飛び乗り、ムウは興味深々、というにはいささか深刻な顔を向ける。
(説明中)
「……つまり、恒星……太陽に対するこの星の地軸の傾きと、公転周期の関係で……」
「……そう、だから……地域によっては春夏秋冬っていって……」
「ナツは、暑くて……フユは、寒い……」
(説明中)
「数ルナサイクル単位で、日照時間の増減と、それに伴う寒暖差が発生する……と? そういうこと?」
「……まあ、そういうことだ」
ムウの理解力が高かったのは、まあ幸いだったと言えよう。
「……だけどそれは……きみたちにとって過酷なんじゃないか……?」
「とはいっても、そういうモノなんだから仕方がないさ。昔からそういうものなんだから、備えだってある」
そこまで答えてから、ススムは遠慮しぃしぃ、これを言ってしまっていいものかどうか……と自問しながら、おずおずと口に出した。
「……ムウは、さ、知らなかった、の? 地球壊すために送り込まれたのに?」
「し、仕方ないだろ! ぼくは、火球を発射して惑星型文明を破壊するために送り込まれて、システム=ZTNNのコアユニットとして自動生成された現住生物型管制コアユニットだ、そこまでの知識は与えられてなかったんだぞ!」
「ま……まあ、そういうことなら、判らなくはないけれど……」
事情と状況は理解できたが、心情がいまいちついてこない。
笑っちゃ悪いので笑いはしないが、宇宙空間を単独で航行し、「宇宙の闇から来たりし、恐れを司る竜」の忌名をほしいままにする彼女が、ほんのささいな気温の変化にここまで血相を変えている姿を見ると、何とも言えないおかしみがあるのは否めなかった。
「うう……なら……なら、気温はこのまま低下し続けるわけじゃないのか?」
「ある程度までは下がるけど、そこで一旦落ち着いて、それ以下になることは……あんまりないんじゃないかなあ」
そこまで説明してあげると、ムウはようやく、
「……ああ、でも、よかった……よかったぁ……!」
と、安堵のため息をついた。
☆
……ムウは、この惑星を宇宙から消し去るために外星知性体によって持ち込まれた惑星破壊兵器でありながら、数々の複雑な事情の結果、惑星を破壊すると言うコマンドを拒否することを選択。
地球と、そこに存在する生命体、引いてはち地球人類の存続を望んでいる。
本来彼女が有していた機能の一つが、
「現住生物の、恐怖と絶望の感情を吸収し、活動のためのエネルギーとする」というものであるのだが、それもまた拒絶。
現在の彼女は
「ぼくは、この星を、ぼくが生存できない世界にする」
それを自分の第一目標と据えていて……
あろうことか、地球人類として、太陽系外からの攻撃を迎撃するための組織の一員であるススムたちに協力してくれているのである。
ムウの願い。
それは、ありとあらゆる想定の中で、もっとも何もかもが思った通りにうまく行った、針の穴を通すような、極小の確率の先にある。
――もしも失敗したら、ススムは、
機動兵器・UM-01を起動させ、ムウを、破壊しなければらない。
だがどちににせよ。
今のムウが、ススムにとってけして換えのない、大事な友達であることには、変わりはない。
今名乗っている、ムウという名前も、彼女の本来の機体名system・Z=T=NN……システム・ゼトゥムから最後の一文字を取って、
憂いが無い。と書いて、無憂(ムウ)
と、ススムが付けた名前だ。
本人も、
「システム・ゼトゥムって名前よりは、ススムにもらった、ムウって名前の方が気に入ってる」
……らしい。
☆
「なあ、ススム」
「何だい、ムウ」
ようやく感情が治まったのか、落ち着いた口調で、ムウが呼びかける。
ススムも、静かにそれに応じた。
「……ナツ……夏、か。……夏、もう終わるんだ」
「ああ、だんだん過ごしやすくなるよ」
そうか、と、ひとつ頷いて
「……なんだか寂しいな」
ぽつりと、ムウはそう呟いた。
ススムに言った、というより、ひとりごとみたいだった。
「……ずっと、たのしかったからさ。これまでないくらいに、たのしかったからさ。……君と、みんなと、色んなところに行って、色んなものを見て……」
そう言うムウの顔は大人びて、どこか寂しげなもので、
ススムは無言のまま、ムウの独白をただ傍で聞いていた。
宇宙の闇を、ただただ何万年も彷徨って、時折目覚めさせられて、惑星を滅ぼすためにその力を行使させられる。
ただただ、孤独と殺戮の繰り返し。
そんな彼女が「ここにいるのが、たのしかった」と思えたなら……それは、とても――
ぼんやり思いながら、
「……でも、夏はまた来るよ」
と、声にしていた。
「……うん、そうだったね」
さっき教えたこと、星と太陽と地球のめぐりの話に思いを馳せるように、ムウは応える。
「……今年の夏は終わるけど、これから秋になって、冬が来て、それも過ぎたら春になって。……それから、また夏が巡ってくる。それに、秋も、冬も、春も……そう悪いもんじゃないよ」
「……そうか。……うん、それは、いいな。秋に、冬に、春か。うん、とてもいい」
何だかひとことひとこと、噛み締めるようにムウは言う。
「良いも悪いも、季節ってのはそういうものだよ」
「……ススム」
少し黙ってから、ムウはおずおず、口を開いた。
「また次の夏も、君はぼくといっしょに迎えないといけないのかな」
「いけないってなんだよ」
……友達だろ。別にそれが嫌だなんて、思ってないぞ。
と、照れ臭いことは、心の中だけで言う。
「……ほら、君たちにとっちゃ、そもそもぼくなんていない方が幸福なんだぜ?」
「そういうこと、あんまり言うな」
彼女のそういう考え、そういうところを知ってはいるけれど、眉をひそめながら、ススムはそう返す。
「……でも、ああ、どうしよう」
秋も、冬も、春も、それから次の夏も、君たちと一緒に過ごしたいって、そう思ってしまうんだ。
――と、どこか、少し寂しそうに、ムウは微笑んで言うのだった。
夏のおわりと、宇宙恐竜な彼女
おしまい!