〈ナツヨイオトメ・くおんさん〉
〇
はや、日も大分西に傾いて、焼き殺されんばかりの昼間の暑さも大分その勢いを減じた夕暮の街角――ぼくは何とも言えない緊張を味わいながら、雑踏と祭囃子の中でひとを待っていた。
「……そろそろ、だよな」
誰に言うでもなくひとり呟いた。
駅へと続く通りの大時計と浴衣の袂の携帯端末で時刻を確認する。
待ち人、今夜の約束の相手――くおんさんは時間には正確なひとだ。
よほどのことがない限り大きく遅れることはないし、何かあって遅れるなら端末の方に連絡があるだろう。
そう思いながらも、何とも落ち着かない気分で、くおんさんを待つ。
我ながら、何故こんなにも緊張しなければならないのか。
たかが――
たかが、これからくおんさんとふたりきりで、今夜この町で行われる夏祭りの大通りを散歩して、屋台で飲食して、花火を眺めて楽しく過ごしてから宿に帰りましょう。という、ただそれだけのことである。
――いや。
やっぱりこれ、御剣昴一郎が単身で挑むには絶望的な高さのハードルじゃないだろうか?
〇
こうなるに至った状況、まとめ。
133代目ツクヨミ・剣の魔法つかいたるくおんさんを擁するぼくたち臨時仮設斎月邸チームは、ウィッチの人間社会に対する攻撃活動の予兆が観測されるたびに相も変わらず東奔西走。
毎回毎回他にどうすることもできなくなってからツクヨミ様に申し上げると泣きついてくるところもなかなか改善されないし。
高確率で「くおんさんでなければ倒せない」という条件がつくのだから遠征の度に精神が擦り切れそうになる。
ぼくはどうしてもくおんさんの傍にいなければならない都合があるが、ここに来てからぼくの次くらいには酷い目にあってるだろうに、けして他の復帰施設に移ろうとしないたまこちゃんの気がしれない。
最近になってようやく多少「ウィッチ討伐を行った後「できるだけ」一定の休養期間を設ける」という制約をつけてもらえることになったものの、それだって「できるだけ」だ。
ただ、今回ばかりは、よほど喫緊の事態が起こらない限り、急遽の出番、ということにはならない――という約束だ。
昨日の晩、既にくおんさんが大型ウィッチを討伐している。
大荒鷲(コンドル)ウィッチ〈空の王(レイ・デル・シェーロ)〉――超高度を超高速で飛翔し、地上目がけて自らを大質量兵器として急降下させ、破壊し尽くした都市を自らの餌場としようとした危険度戦略級の攻撃特化型ウィッチ――だったが、上空での航空防衛線の末、くおんさんの一刀、ソードオブジワンと見せかけてすれ違いざまの〈王の聖剣〉により核を両断され、粒子と帰して夏の夜空に散った。
真夏に雪が降る不思議な空模様。
――と、呑気極まりない報道をされた、夜空から白く微細な粒子が降り注ぐ天候現象も、実はくおんさんの白く揺らめく燐光によって破壊され、焼き尽くされながら舞ったウィッチの破片だ。
深海に降るというマリンスノーにもどこか似た……綺麗と言えば綺麗な光景ではあったけれど、くおんさんが無事に地上へと帰還してくれるのを確認するまで、ぼくは息もつけなかった。
そしてその翌日、出向いた先で用意された宿で聞かされたのが、今夜この町で、盛大に年一度の夏祭りが行われると言う旨で。
「……せっかくですから、夏祭りの夜を満喫してきちゃ如何ですか?」
とのかなめさんの提案に、
「あ。いいかもですね、くおんさんも羽を伸ばしてきてください」
とぼくも賛同した。
くおんさんはどうも、その手の「見返り」をあんまり受け取ってくれない傾向があって。
ぼくとしてはちょっと危うく感じたり、寂しく想ったりすることが折に触れてあるもので、ちょうどいい機会ではないかと思ったのである。
考えてみれば、このお祭りが無事執り行えるのも、くおんさんのおかげ、みたいなところが多分にある。
くおんさんは、大手を振ってこの一夜を楽しく過ごしてもいいのではあるまいか?
「……そう、ですね」
いつものクールな表情だが、くおんさんの回答は、いまいちはっきりしない。
「……くおんさん、ひとが多いの苦手とか、そういうのありましたっけ?」
そういうことなら人ごみに連れてゆくのは気が引けるし、宿でゆっくり読書でもしている方が落ち着く、というのもまあありそうではあるけど。
花火も上がるらしいが、それだって宿の窓からも見られるだろう。
「そういうわけではないのですが……、その、昴一郎さんは、どうされる予定ですか?」
と尋ねられたので、
「くおんさんが行くなら行きますし、くおんさんが宿に残るなら、一緒に残らせてもらいますよ」
と返す。夜の街をくおんさんなしでうろつきまわるほどぼくは命知らずではないので。
「……そうですか」
くおんさんは、一度そう言って、僅かに何か考え込むように黙り込んでから、
「では、わたしもお祭りを見に行ってみようと思います、昴一郎さんも、ご一緒していただけますか?」
と言って、隣に立つぼくの二の腕を、ちょん、と指先で触れたのだった。
こうして今夜の予定が決定された。
尚、一緒に来ていたたまこちゃんには
「……何なら一緒にどうか」と誘ってみたところ
平手で横面をひっ叩かれ、
「こ、昴一郎は……やる気あるの?」
と、意思の疎通が不可能な、常識が全く通じないバケモノを見るような目を向けられたのである。
「く……くおんさんと2人きりになる絶好のちゃんすじゃない!」
「……ふ、二人きりじゃなきゃダメなのか?何でみんなで一緒にじゃダメなんだ?」
びゃくやは人ごみに連れて行くのはアレかもしれないけど、せっかくだから皆で行っても……
「……い、いい? くおんさんと2人きりで行けるように、わたしはびゃくやとお宿で待ってるから、うまくやるんだよ!そ、そして、あわよくば……!あ わ よ く ば!」
「たまこちゃんがなにをいってるのかぼくにはわからないな!」
「げこくじょーとか言語道断やった奴は地獄に堕ちろだけど、昴一郎に関してだけは許すから!」
「何だよ下剋上って!」
戦国武将じゃあるまいし!
そんなわけで、ぼくとくおんさんは、夏祭りの夜を一緒に過ごすことになったのである。
〇
……そもそも、かなめさんとたまこちゃんの選んでくれたぼくの浴衣、どうして一応お端折りがない男物の型ではあるけれど、薄紅色の布地に白詰草の白い花模様、赤い帯を合わせた、妙にフェミニンなものなんだろう。
どういう訳か、いつもひとつに束ねている髪も、解いて背中に流すよう設えられてしまったし。
さっきからくおんさんを待っている間に、〈男性〉に遊びませんかと声をかけられること複数回、今のところは「ぼくはオトコだがそれでもいいか」というと引き下がってもらえるものの、……まあ、困ったものである。
ぼん、ぼん、ぼーんっ。
大時計の鐘が、七時を告げた。
約束の時間、である。
さて、まだくおんさんが来ない。
まさか約束をすっぽかされたわけでもないだろうし……
と首をひねりながらベンチから立ち上がり、浴衣の袂から携帯端末を出そうとして、
――くい、と、袖口を後ろから引っ張られる。
何事か、と思い、振り向くとそこには……
「――きつね?」
狐。
哺乳綱食肉目イヌ科イヌ亜科の一部。
伝統的宗教的な文化、風俗においては、精霊や妖怪、神の使いとしての属性を持って語られることもある生き物。
もしくはその顔かたちを模して造られた、能楽や神楽に用いられる仮面の一種。
この場合は後者。
……つまり、狐のお面を被って顔を覆った、小さな女の子が、ぼくの浴衣の袖口を、くいくい、と引っ張っていた。
それも見た感じプラスチックの大量生産品ではなく、和紙張りの、しっかりした造りのものだ。
ええと、このミス・フォックス……平素から狐の面を被って生活してる知り合いなんてぼくにはいた覚えがないのだが、その背格好や立ち姿は、間違いようのないもので……
「……ええと……くおんさん?」
と尋ねれば、
「はい」
と素直に答えられる。
……つまりこのお面、ぼくに対して正体を隠そうとする目的で被ってるというわけではないらしい。
となれば、
「……もしかして、恥ずかしいんですか?」
「……そう言う訳ではありません」
だったら何なのですかマイマザー……。
純粋にお洒落でかわいいというつもりで被ってるというならとやかく言いませんし、実際可愛いか可愛くないかと言われたら、だいぶ可愛いんだけど。
「何か、素面ではならない理由でも?」
「内緒、です」
……そうか内緒か、ぼくにも言えないことか、内緒じゃしょうがないな……
と、そこは大人しく呑み込むことにする。
くおんさんのいうことは、ぼくには絶対だ。
そこはもうそういうモノだと割り切ることにして、改めて見れば――
顔こそ狐のお面で隠しているものの、いつもはまっすぐに伸ばしている黒髪をひとつに束ねたヘアスタイルも、高級百貨店の呉服売り場でもそうは並んでないであろう、値段を聞けば目がくらむであろう品の良い白の生地に葉桜模様の浴衣の装いも、赤い鼻緒の下駄をはいた足元に至るまで、夏祭りの夜を舞台にした一枚の錦絵のようで。
――くおんさんは、きれいだ。
「ええと、その」
そう思いながら、
「その浴衣……よく、似合ってると、おもい、ます」
精一杯、それだけを口にした。
〇
さて、これからくおんさんと今宵を楽しく過ごすにあたりひとつ問題があって。
――自慢じゃないが、女の子とふたりで夏の夜祭を歩くという経験が、ぼくの方にまるでないのである。
これまでついぞ、そういう見識を必須とされるようなお付き合いをしたことがないし。
くおんさん以外の女の子と、給料出るわけでもないのに人込みを連れ立って歩くとか、あんまりしたいものでもないし。
とりあえず何となくそういう知識のありそうなかなめさんに、
「具体的にはぼく何すればいいんですかね?」と具申し教えを乞うてみるも。
「んぁ? 何でわたしだったら取っ換え引っ換え夏ごとに違う男の子と夏の夜祭でおデートキメてるはず、みたいな印象になってんですかねー? ちっ、面白くねーのー」
という捨てセリフを吐かれた上で雲隠れされた。
そこまでは言っていませんよ?
……まあ、あの人のことだから、どっかで面白半分に眺めているに違いない。
にやついた面が目に浮かぶよ。
まあ、ざっと考えて、お盆には少し早い夏祭りの楽しみどころと言ったら、花火の打ち上げ、山車の引き合わせ、そして、夜店である。
笛の音と太鼓が盛大に響き、色とりどりの提灯が飾られて大通りの雑踏を楽しげに演出する夜道を、くおんさんと二人歩く。
「……どうぞ、こんなものですが」
「わたしに? くれるのですか?」
とりあえず水風船を買いもとめて、どうぞ、と差し上げてみた。
……手元でぽんぽんと弾ませて、楽しそうに手すさびしてくれている。
間違ってはいない……よな?
と思うモノの、くおんさんの反応というか、狐のお面越しのまなざしがどちらかというと
「……あなたはやさしくて、いい子ね、わたしは嬉しいわ」
とでも言っているようで、成長を喜ばれているみたいな気分で面映ゆい。
どうしたものか、気まずいと言う訳ではないが、思った以上に会話が弾まない。
仲の悪い相手と言う訳でもないのに、こう無言でいると言うのも、何だかくおんさんに対して申し訳なくなってくる。
とりあえず、ちょっと変わった食べ物の屋台でも探してみるか、くおんさんは肉料理が好きだから、ケバブとかないかなと思い、屋台の陣幕を目で追ってみるが、考えることは同じらしく、
「何か食べてみたいものは、ありませんか?」
と、くおんさんの方から気を使って声をかけてくれる。
どうやら、奢ってくれるつもりらしい。
……これではなんだか本当に「おかあさんと歩く夏まつり」だ。
楽しんでもらえているのなら大いに結構なのだけど、何というか釈然としない。
ちなみに目を引いたものの中には「おもちゃの指輪」というのもあったのだが、そちらはさすがに気が引けた。
……まあ所詮おもちゃなんだけど、であるがゆえに、
「母子家庭の男の子が一生懸命お小遣いでお母さんにプレゼントするやつ」という雰囲気が出る。
――相手にされないだけならぼくが立ち直れないだけで済むけれど、
真に受けて、思いやりでら受け取ってもらったらそれはそれで問題だ。
〇
せっかくだから、と、山鉾の引き合わせ場所となる、大通りの交差点へと足を進める。
7つの区それぞれの山鉾が集合する、夏祭りの見どころとして大きく紹介されるだけに、人の集まり具合も別格だ。
「――と、凄い混みようですね」
さて、はぐれてしまわないように気を付けましょう、とくおんさんに声をかけようとそちらを向き直れば。
目の前には、浴衣の袖から伸びる真っ白い指先が、すっと差し出されていた。
「くおん、さん?」
「昴一郎さん、はぐれてしまうことがあってはいけませんから。手を」
て、て、手を――繋ぎましょう、と?
もともとクールでミステリアスな雰囲気のくおんさんが、今はしっとりした浴衣の装いで、顔には狐のお面を被っていて。どこか人ならざる美しさだ。
……何だかこの手を取ってしまったが最期、どこかに連れていかれてしまいそうである。
そう思い逡巡するぼくに、
「さあ、恥ずかしがることはありませんよ?……ね?」
何とも抗いがたい、柔らかな口調で言いながら、くおんさんは一歩歩み寄り。
気が付けば、ぼくの掌はくおんさんの指先に、優しく、けれどしっかりと絡め取られていて。
「……んっ、これで大丈夫です」
相変わらずお面越しだけど、満足そうに言う。
かっこいい……
女の子らしい浴衣姿だけど、くおんさんだもんな……
そりゃ、こういうことするよな……
いや、くおんさんと手を繋ぐの、これが初めてじゃないんだけど。
浴衣で、夜で、夏のお祭りで、2人きりでという状況に、何とも顔が火照るように熱い……!
結局。
歴史と風格を漂わせる山鉾が居並び、祭囃子が賑やかに鳴り渡るのを眺めながら、くおんさんがひとつひとつ指をさし、昼間の内に調べてきたのだと言うその由緒や謂れを教えてくれるのだけど。
「ええと……これは坂上田村麻呂。こっちのは、小碓命……ヤマトタケルだそうです。絡繰り仕掛けで顔や手足が動くのも見どころだそうですよ」
……罰当たりな事に、ぼくは、気恥ずかしくて、顔が熱くて。
その半分も、頭に入ってくれなかった。
〇
「……ふふっ、次は10連発だそうですよ」
大気を揺らして鳴り渡る破裂音とその残響を供にして、眩く、明るく、真昼のように照らしながら、夏の夜空に火の粉が舞い、大輪の花を咲かせるのを、くおんさんとふたり並んで見上げていた。
さっきまでの人ごみとは違い、あらかじめ指定席を取っておいた、広場に並べられたテーブルと椅子に陣取って、飲み物で喉など潤しながら、空をキャンバスに描かれる花火を鑑賞する。
BGMは、有線放送で流される、人気の和風アニメの主題歌。
こんな風にゆっくり花火を見るのなんて、初めてかもしれない。
そして、一緒にこんな風に穏やかに、心を許して過ごす相手がいて、それが年下の女の子だなんて、少し前までの自分だったら想像もできなかった。
ただ――そんな風に楽しく思えばこそ、心配になることもある。
花火の破裂音とBGMは大音量だけど、スペースに余裕があるおかげで、普通に声を出せば会話は出来る状態だ。
「……その、くおんさんは、本当にぼくと一緒でよかったんですか?」
遠慮がちに、そんな風に問いかける。
他の誰か、ってわけじゃないけど……皆で一緒に、でも良かったわけだし。
「昴一郎さん」
空を見上げていたくおんさんは、お面で隠れた顔の向きをこちらに変えると、
「……ん、わたしが楽しんでいない、退屈している、と思うのですか?どうして?」
と、困ったように声で問い返す。
「……何だか、きょうはぼくダメみたいで。いつもならくおんさんとは、ちゃんとうまく話せるのに」
それだって、くおんさんが気を使ってくれてるときもあるんだろう。
「ぼくもこうやって女の子と出歩くの初めてで。――退屈させちゃってたら、申し訳ないなって」
恥じ入りながら言うぼくに、
「……わたしの方こそ、ごめんなさい」
と、くおんさんはひとつ頭を垂れた。
「……あなたはわたしに素面を見せてくれているのに、わたしだけ顔を覆っていると言うのも、よく考えたら、ひどく失礼でした。……だらしなくにやついている顔を見せたくはないと思ったのですが」
どーん、と、夜空に満開の火花が散開する。
ざざざざぁっ、と、無数の火の粉が降ってくる。
ぱ、ぱ、ぱ、ぱあん、と極彩色の光が闇夜を彩る。
「これが、あなたと一緒に花火を見る」
そう言って、くおんさんは、
狐の面をそっと外して――
色白の頬を仄かに赤く染めた素の顔を、
「わたしの、顔です」
大人びた、けれどどこか年相応の、微かな笑みを浮かべた表情を。
真昼のように明るく照らす花火の灯りの下で。
ぼくだけに、見せてくれるのだった。
「ナツヨイオトメ・くおんさん」
――END