一週間遅れのジューンブライドSSですよー。
〈花嫁のくおんさん〉
「昴一郎さん、……結婚、について考えたことはありますか?」
と、何とも甘酸っぱいフレーズの混ざった問いを掛けられたのは、一日の庶務をあらかた片付け、居間の灯りの下で、静かに趣味の読書を楽しんでくれていたくおんさんにお茶でも用意しようかと動いていた時のことだった。
「はあ……あんまり、ないですね」
つい気のない返事になってしまった。
当人が言うにはミツヒデさんの奥さんは良妻だったらしい、という話は昔自慢げに聞かされたこともなくはない、程度で……
なにぶん生まれてこの方、両親がそろった、普通のしあわせな家庭、というものを知らないのと、同年代の女子は基本的に常に警戒の対象だったので。
あと、まだ未成年だし。
そういうこと考えるのは少し早いんじゃないかな。
と、思うのである。
でもまあ、くおんさんだって11歳の女の子。そこに興味をお持ちであれば、せっかくですしそこはお付き合いするとしましょうか。
「えーと、結婚するとなったら大ごとですよね、ひとりで決められることではありませんし」
御剣昴一郎くんなんかは、そもそもその前段階の、お付き合いしてもいいですよ!って言ってくれる女の子がこの世界にいるとはとても思えないですしね。
ぼくの話でなく将来のくおんさんの話とすればそれはもちろん引く手あまたではあるのだろうけど。
そうしたら今度は生活水準から言って家事の分担レベルの話はないにせよ、ご実家同志の親戚付き合いとか、ご挨拶とか、そういう有形無形の〈きもちわるい〉ものが山ほどついてきそうで頭が痛い。
いっそくおんさんが行くんではなく、くおんさんに失礼ないようぼくが全部指導監督するからこちらに来てもらいたい、というところだ。
「ええ……まあ……相手のことを思いやるのがいちばんだ、と、義父に聞いたことがあります」
暗に「この話題、ぼくには難易度高いです」というのを示すようにして、無難にしてつまらない答えを返した、つもりなのだが……
「……もっと、軽い気持ちでお話してほしかっただけだったのですけど」
くおんさんはふふっと苦笑いした後に、
「例えば、こういうのです」
と、手にしていた文庫本に挟まれていたアニメ雑誌の書誌情報――
〈ジューンブライド!あなたはどっち?〉
という文字列と、ヒロインのブライダル特集と伺われる写真が飾られた宣伝広告を広げて見せた。
「……ああ、確かにアニメ雑誌なんかじゃ、この時期は、可愛いヒロインがドレスとか白無垢姿で表紙を飾ってますよね」
「ええ、その程度の軽い気持ちでいいです」
と頷いた後、くおんさんはひと呼吸の後、
「……花嫁衣裳を着た女の子って、可愛いと思いますか?」
そう、付け加えた。
……え?
「……け、結婚と結婚式は無関係じゃないけど別物だし、「妻」と「花嫁衣装を着た女の子」は別物ですよね?」
「……ですから、あくまでこういう服を着た女の子が可愛いと思うか、程度の話です。……で、どうなんですか?」
本のページを捲りながら、だったさっきまでとは違い、一度読みかけの所に栞を挟んで、明確にこちらに視線を向けている。
「……例えば、わたしにこういう服は、似合うと思いますか?」
ブライダル特集として表紙で微笑んでいるヒロインは、長い黒髪に、大人びた顔つきの、確かにしいていうならくおんさんぽく見えなくもない容姿で……
なんだこれ?
微妙に、急に刃物の上でダンスしてる気分になってきたぞ。
それもこの刃物は、くおんさんのツクヨミノ剣並みの切れ味だ。
一歩ステップを間違えれば、首が手足が飛んでしまう。
ええと、ええと、そうだな……!
言葉につまる、――しかし、その瞬間ぼくの脳には、強く強く、心を揺さぶる単語が刻まれていた。
無限大の空想の翼を広げずにはいられない、魅惑のフレーズ……!
――そう
「花嫁衣装に身を包んだくおんさん」――!
「……えっと、その、くおんさん」
「はい」
「長くなると思いますが、いいですか?」
知らず、声のトーンが低くなってしまっている気がするが構うものか。
「……ど、どうぞ。ふふ、それにしても昴一郎さんは声が良……」
軽く身を乗り出して、思うところを口にする。
なに、くおんさんがこういうことにも興味があると知ることができたのも収穫には違いない。
肩のこらない語り方を心がけよう。
「……やっぱりくおんさんといえば白い衣装ですからね、純白のウェディングドレスはきっととてもお似合いなんだろうと思いますよ。ベールもスカートも、こうふわっと、かわいらしい感じがいいんじゃないですかね。Aラインドレスとかエンパイアライン。……って言うんでしたっけ?アレがいいと思いますよ?袖はすそ広がりの長いのもいいですけど、よりフォーマルなのは白い長手袋らしいですから、そっちもくおんさんには似合いそうですよね。あとやっぱりベールですよ、くおんさんの髪が隠れちゃいますけどせっかくだから良い生地の、白いベールから長い黒髪がより鮮やかに見えるように……」
「あ、あの、昴一郎さん?」
「あ、待ってください!でも和式の白無垢でもいいんですよね!きっと清楚で清らかで神々しい感じですよ!どうせ教皇院持ちですし、仕立てのいいしっかりした生地を使ってもらいましょうね。髪はしっかり結ってもらって、せっかくですから小物も白でまとめましょうか。白はくおんさんの色ですからね。あまり華美でない方がしっくりくると思いますけど、銀の箔押しがしてあったりすると上品で良い感じなんじゃないかな、ちょうど瞳に光が差し込んで引き立ててくれると思うんですよ、あと綿帽子は……」
「こ、昴一郎、さん……っ!」
あ、あれ……?
何か舌が止まらなかったぞ?
つい喋り過ぎてしまったか?
「昴一郎さん……そんなにため込んで……!」
「……あ、あー……でも、ドレスより何より、もっと重要なことがありますよね?」
「うっ……な、なんでしょう……か?」
どこか戸惑いがちにいうくおんさんに、ここだけは特に大切だから、一語一語、しっかりと声にする。
「……くおんさんが幸せそうに微笑んでてくれたら、それだけでもう最高です!」
「う、うぅ……っ!」
これはあくまでイメージ、こうあってくれたらいいという夢想だが……
うん、くおんさんも楽しんでくれてるようだしこの調子で……
と思ったところで、
「……ねえねえ」
くい、くい、と袖口を引っ張られる。
邪魔しないでくれよぼくはいま大事な話してるんだよ。
「ねえ、何のお話してるの?」
ああ、もう、どうして邪魔するんだ。
「……ああ、いま、くおんさんにどんな花嫁衣装が似合うかって話をね?」
ん?
何か変だぞ?
「え?昴一郎が結婚するの?くおんさんと!」
……あ、この声は……
「わーい!おめでとうございます!」
……しまった。
たまこちゃんだ……!
厄介な相手に、聞かれてしまった!
「良かったね……良かったね昴一郎……!うんうん……うれしい……!わたし、自分の身内のことのようにうれしいよぉ……!」
……何だか、話に尾ひれがつき始めた。
「式はいつ?わたしの席は最前列で昴一郎とくおんさんが良く見えるところにしてね!」
「い、いや違う……違うんだよたまこちゃん……そんな予定は一切……!」
「……昴一郎じゃないの?何で?」
今にもぼくの胸倉でもつかみそうなたまこちゃん。
涙ぐみながら顔だけそちらを向いてくおんさんにも詰め寄る鼻息である。
「だ、駄目ですよぉ……昴一郎にしましょうよぉ……昴一郎くらいくおんさんのために一生懸命になってくれるひとなかなかいませんよぉ……! 親同士が仲がいいとか、家柄がいいとかで決めちゃうと、後で絶対後悔しますよぉ……」
「……いえ、これは……」
と口ごもるくおんさんも、何とも気まずそうである。
何かくおんさんにも申し訳ない気がしてならなくなってきた……。
「……マてたまこ、どうモそウイう話ではないらしヰゾ……そモソも何やラおかしいではなイカ……」
ことばを選びつつ宥めようとするびゃくやだけど、どこか口調が意地悪だ。
口添えはしてやるが何とか自分でけじめをつけろ、とでも思ってるにちがいない。
ありがたい厚意だよ本当に!
そして、肝心のくおんさんは、と彼女の方を見やれば、
「ねえくおんさん……!ハァハァ……昴一郎は絶対くおんさんのこと大切なんですよ……だから……ハァハァ……!」
「たまこちゃん……その件に関してはまだはっきりしたことは……」
ことばを濁してたまこちゃんをどうどうといなしながら、くおんさんが、声を出さないまま口だけを動かした。
赤い唇が上下に動くその所作から言葉を読み取る。
「つづきは」「また」「こんど」
……と、読めた。
時と場を改めて、またべつの機会に、ということらしい。
ぼくの方は正直何喋ってたかあまり覚えてないし、何か悲壮なまでの罪悪感と言うか、やってしまったという感じだけが心に残っているのだけど。
まあ、くおんさんにはそう悪い気持ちはさせずに済んだみたいではあるし。
ひとまずはこれでよしとしておこう。
……けれど今、心の奥底で確かに思うのは。
くおんさん。
――あなたの花嫁姿は、とてもきれいだろう。
――あなたを妻にする者は、とても幸せだろう。
できればさっき思い描いたように、〈その時〉のあなたが、幸せそうに微笑んでいますように。
御剣昴一郎は、そう祈っています。
FIN
くおんさんは基本的に拙宅の看板女優であるだけに、色々慮らないといけなくて、意外と自分にとってのハードルが高かった。
軽いノリで夢オチにしたりするのは慎むべきだろうと思ったし。
というわけで、お互い言外に色んな感情を匂わせつつも目配せしあう形が当人同士にとってよかろうと思ってこうなった。
7月もこういう掌編企画はやりたいけど、
次は七夕とか水着とか当たり障りのないので行きたいと存じます