そんなあなたも、こんなしょうもない文章を読んでいるこの瞬間に、死ぬかもしれない。
人間の思考は論理以上に経験に基づいているのでしょう。
私も、今この文章を読んでいる人も、まだ死んだことはありません。
だから、本当の意味での死を誰も知らないし、死を不可逆的な自我の喪失と捉えるならば、それは誰も経験ができないため、存在しないとも言えるわけです(エピクロス?)。
んな、馬鹿な。
んな、馬鹿な、と思うのは、私たちは死を予期することができるからでしょう。
そのくせ永遠に死なないと思っている、という自家撞着。
死と死の予期はまったく別物なのでしょうか(きっと、なのでしょう)。
だとしたって、予期には必ず恐怖が伴うものです。(そしてこっそり欲望も寄り添う。そこに救いを見る)
この恐怖(ぷらす救い)こそが、私を真に生かしてくれる(誘惑する)ものなのだろうと思ったり、思わなかったり……。
そう、私は今、ふわふわしているのです。
なんというか、創作がうまくいっていないのです。
もちろん好きな文章や物語に出会うこともありますが、
時間と労力を割いて、かつ、自分を削ぎ落として書いたにもかかわらず、
くそみたいなものしか絞り出せない、なんてこともあるわけです。
それがしんどい!!!
けど書くしかない!!!!!
はい、知ってます。みんなそうですよね。
しょうもな。くそしょうもな。
みんな、そのくそしょうもな、を生きてるんですよね。
私たちは有限な生を消耗しながらも、こうして無意味に時間を費やしていくわけです……。
本音を言うと、本当に大切なのは、小説を書くことでも、創作するでも仕事するでもなく、大切だと思う人と一秒でも長い時間を過ごすことなのだろう、とか思います。
なにを言いたかったかと言うと、
新しいのを書いたのに、
くっそ微妙というか、不満不満不満不満!!!!!!
という話です。
自分がまだ至っていないことを自覚してしまう、そんな文章を書いてしまった。
恥じらいもなく、それを曝すわけです。
それが、以下。
『夏とやつと終わらない悪夢』
https://kakuyomu.jp/works/16817330651692273760/episodes/16817330657602782850