変な夢を見た。変な夢を見たことは確実なのに、ほとんど覚えていない。
こうした感覚はどこからくるのでしょうかね。
記憶は、とりわけ夢の記憶はとても薄くて曖昧です。
ある意味、感情に一番近いところで純化されているような気がします。
だから「変な夢を見た」という今朝の漠然とした感覚だけが今の残っていて、
それが具象と少しも結びつかないのだと思います。
昨夜は久々に長時間眠れたようです。
やはり、毎日最低でも6時間、できることなら7時間くらいは眠りたいものです。
そうした次の日には、こうして元気よく過ごせる。とても良い。
からだが健康だと、心もわりかし健康になります。
健康なからだだと、文章も健康になります。
でも、健康な文章はどこか物足りなかったりもします。
健康すぎる体からは、結局、健康すぎる文章しか生まれてこない。
私が求めているのはそれでしょうか? わからない。
少し、違う気がします。
それでも、一つ言えること。
思考が冴え渡っていることは、少なくとも執筆にとって大きな助けになる、ということ。
年齢を重ねるにつれて、次第に頭にもやがかかるような一日が多くなります。
それは、日々の単調さ故かもしれませんし、
単に、肉体や精神の衰えによるものかもしれません。
そもそも、若い頃以上にはるかに自分の身体への意識が強くなりました。
膝の痛み。割れた爪の痛み。荒れた唇の痛み。心の痛み。
傷ついたことがある人はその分だけ強くなる、というのは嘘だと思います。
傷ついたことがある人は、その分だけ弱くなります。
傷と傷はなぜか深い根で結びついていて、不可分なのです。
一つ痛み出すと、別のも痛み出す。理不尽。
だけど、傷ついたことがあるという経験は、
他者の傷を思うときに、いくらか役に立つようにも思います。
誰かに寄り添うことができるかもしれない、
理解者になってあげられるかもしれない、
ちょっとは優しくしてあげられるかもしれない。
……ああ、でも、それってやっぱり強さなのかもしれませんね。
適当に流れるままの思考をどぼどぼと書いております。
今日は手も動くし、頭も動く。
そういう時はどんだけ書いたって良いんだってこと。
今日書いたの、とても良かったな、とか思っています。更新が反映されるのは随分と先のことですが。
5月分、12日まで予約済みです。ほとんど過去作ですが、ちょろちょろ新しく描いたのが混ざってる。
さあ、そろそろ休憩終わりです。働きましょ。遊びましょ。今日も写経しよっと。