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雪宝珠 〜カギ娘スピンオフ 怪盗ドローヌ〜

 万事が万事順調だった……恵まれなかったのは天候くらい。
 ひどい雪だった……真綿のような塊の、重くて鈍い雪が降っていた。地面は濡れたまま凍ってしまい、転んで膝でも擦りむこうものなら流血沙汰になりそうだった。水分を含んだ雪は積もることなく、逆に積もったと思えば頑丈な雪壁となり、通行人の邪魔になった。私はそんな日に例の盗みを実行した。
 雪宝珠と呼ばれる代物だった。白く濁ったダイヤモンドなのだが、濁りとなる石中の空包が美しく輝く、まさしく雪の結晶のような宝石だった。この日降っていた雪の粒も、無理やり石にすればこのような形になるのだろう。
 石はドロミエ夫人の邸宅にあるとのことだった。このドロミエ夫人というのが、曲者だった。
 私の暮らすセントクルス連合王国東、東クランフと呼ばれる地域には、奴隷民族の歴史がある。
 今でも隣国の人間やこちら側、つまり連合王国の人間が奴隷として売買されている暗い社会がある。ドロミエ夫人は、こうした奴隷のうち、若い男の奴隷を買っては、遥か彼方、西クランフの邸宅に連れて帰り、そこで拷問する。いや、拷問だけで済めばいい。裏社交界の噂によると、夫人は剥いだ男の皮で下着を作っているそうである。
 邸宅は西クランフ、花の都パルスにあった。上流にある「果実の森」の落実により、強い芳香のする川、セルナ川の畔にある。邸宅一帯はセルナ川の支流が淀を作っている場所で、匂いも濃く、また沼地のように湿っている。
 浮遊魔蓄を仕込んだ細長の板に乗り、私は夜風となって邸宅を目指した。地面を見ると、いくつかの足跡。いずれも踵のあたりが細く小さくなっているので、これは夫人のヒールによる足跡だと判断した。私は自分の足跡を残すつもりがなかった。浮遊魔蓄の板に乗れば、地面に足跡を残すことなく侵入できる。
 こうしてたどり着いた夫人邸宅で、まずすべきことがあった。使用人の存在確認である。
 時期は聖夜だった。全ての人間が労働から解放される――無論私を除けばだが――使用人たちも休みをもらっているだろうが、しかし身寄りのない人間が住み込みで働いている可能性もある……。私は慎重に邸宅に接近した。浮遊魔蓄板は、邸宅西の植え込みに隠した。幸いにも、敷地内の地面は芝生に覆われており、足跡の心配は少なかった。
 あらかじめ入手しておいた邸宅図を確認する。使用人室は邸宅玄関門にひとつと、庭の東南にひとつ。私はまず庭の方から確認した。
 使用人室の窓に灯りはなかった。寝ているか、留守か……。私は懐から小型の片眼鏡型魔蓄を取り出した。
 検問や医療現場などで使われる、いわゆる内視魔蓄というやつで、対象の内部をモノクロにはなるが映像で視認できる代物だった。それを知人のラブラシュリに頼み大幅に小型化してもらったものだ。
 片眼鏡をかけ、起動する。途端にレンズの向こうに使用人室の中が映った。もぬけの殻。本やペンの類まで持ち出されている。間違いない。帰省している。
 庭の使用人室が空いているなら門の使用人室が埋まっている可能性は低い。しかし念のため、私は足音を忍ばせ門に立ち寄る。側にあった小屋の窓を覗いた。やはり、誰もいない。
 万事順調。万事順調。
 私は再び邸宅図を見た。侵入には屋上テラスが適している。この図によれば、テラスのドアはかなりの旧式。私なら――このドローヌになら容易く破れるドアだ。小道具の類は揃っている。まちがいなく時計の針が一周する間もなく侵入できる。
 問題は屋上テラスまでどう辿り着くかだった。
 浮遊魔蓄板は地上から少し浮遊する程度で空は飛べない。よって却下である。壁を登る? ありだが少し労力がかかる。登るにしてもショートカットしたい。
 そこで計画時点の私が目をつけたのが、邸宅に西にある植え込みの木だった。それなりに背が高い。屋上までは届かないが、かなりの高さをショートカットできる。そして壁より登りやすく、雨樋や壁の突起といった難所を考慮しなくてよくなる。
 すばやく支度をする。私が着ている服は、脇の下と股の下に皮膜を張れる魔蓄衣装だった。これで空気の抵抗を大きくすれば、滑空できる。これもラブラシュリの発明である。
 木のてっぺんに到着すると、私は少し息を整えてから跳んだ。そうしたのち、体を広げた。夜の空気が心地よく腹に当たり、私は邸宅の壁によじ登ることができた。続いて、またもラブラシュリの発明が活きた。
 魔蓄衣装の手袋は、ヤモリの掌を研究した魔蓄技術を搭載した「壁登り」道具だった。指先で壁を掴むように力を入れると、そのまま手が壁面に吸い付くのである。私はすいすいと壁を登った。そうしてテラスにたどり着いた。
 ドアはやはり簡単に破れた。この程度ならないのと同じである。
 こうして邸宅内に侵入した私は、素早く影のように歩き出すとさっそく夫人の寝室を目指した。事前情報により、夫人は寝室の化粧台、左から二番目の引き出しに貴重品を隠していることが分かっている。
 寝室のドアは鍵がかかっていなかった。私は静かに侵入した。
 暗闇に慣れた目は迷うことなく化粧台を見つけた。ベッドの方に意識を向けながら、私は化粧台の左から二番目の引き出しを開けた。そこには雪宝珠がある……はずだった。
 しかしその宝石はなかった。宝石どころか、貴金属、証券、その他一切の金になりそうなものがなかった……金庫の鍵ですら! 
 私はギョッとして辺りを見渡した。誰もいない。闇の中には私以外誰もいない。しかし……と、再び引き出しを見る。何もない。何も、ない。
 と、ここである疑惑が私の後頭部を殴った。
 私はそっと寝台に近づいた。息を殺し、一歩を小さくし、おそるおそる。そうしてたどり着いた夫人の枕元で、私は鼻を覆った。におう! そしてそう、このにおいは……。
 私は懐からペンを取り出すと、かちりとその尻を叩いた。途端に灯る、魔蓄の明かり。その光の中、夫人は……。
 恐怖に目を見開いた、哀れな死体となっていた……。

イラスト:橘阿鷹様
本イラストの著作権は橘阿鷹様に属します。

2件のコメント

  • お、ついにこのイラストの登場人物の作品が!!これはどこかで続編が書かれるのかな?そしてこの子もオッドアイ!!そしてピアス?が鍵やんか!!色々秘密がありそうだな……
  • りりさんサンキュー!
    続きもノートに書くよ!
    お楽しみに。
    そして、そう、ここにも鍵が……。
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