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第十一話投稿は明日です→『触手研究家(自称)の俺と百合好き(秘密)の妹が触手に同時転生して女の子(例外有)を幸せにする~職種希望欄は触手希望欄だった!?~』

 第十一話の投稿について、時間帯は未定ですが、いつも通り、7時台、17時台のどちらかに投稿予定です。
 さて、第十話を話のキッカケに、作品の考え方について、少し詳しく書いておきます。皆様には、せっかくお読みいただいているので、ここも楽しく読めるようにはしたいと思います。第十話をまだご覧になっていない方は、まずはそちらをご覧ください。65000字あるので、最低2時間ほどかかりますが。

 Xでポストした通り、本作品は随所に感動シーンが盛り込まれていますが、その受け取り方は読者によって異なることが、今回の第十話、カレイドと辺境伯の別れのシーンで、兄妹や男女の考え方の違いとして描写されています。これまでもこの先もそのようなシーンはあるかもしれません。それ単体では、万人受けしないシーンのことです。
 しかし、絶対に省略できないシーンでもあります。仮に、前述のシーンがなく、次のシーンに飛んでいたらどうでしょう。そのシーンを省略するということは、その事実自体がなかったことになるか、読者の想像力に任せる他ないのですが、感動し得るシーンを読者の想像に任せるのは作者の怠惰であり、無責任だと思いますので、全て描写しています。それこそ、しつこいぐらいに何度も。別のシーンで言えば、ユキちゃんの足が治ったことを母親だけが泣いて喜ぶわけはありませんからね。
 前述のシーンで言えば、時間と想いをかけて設定を考え、図らずも目の前に具現化してくれて、さらに自分を救ってくれた存在に対して、何の未練もない創作者がどこにいるのか、という私の考えがあっての描写です。創作者の考えがよく分からないのであれば、例えば、余命幾ばくもない親に面会している時のことや、それでも分からなければ、収集していたコレクションが、ある日、親に捨てられる状況を想像してみてください。
 その悲しみと喪失感を描くタイミングであるのにもかかわらず描かずして、登場人物への真の共感や、世界への真の没入感は得られません。私がどちらかと言うと展開の速度よりも登場人物の思考や心情を重視している理由でもあります。それさえしっかりしていれば、展開の方があとから付いてきますが、その逆はなく、あったとしても読者の感情が追い付きません。
 例えば、完全なロボットがいきなり熱いバトルを繰り広げて、途中でロボットAIに感情が芽生えても、読者は感情移入できませんが、最初から味方を想う気持ちが芽生えていれば、そのあとバトルがあろうとなかろうと、そこで勝敗がどうなろうと応援したくなる読者の気持ちと同じです。
 それに加えて、前回報告のネタバレ部分でも書いた通り、それらがワンシーンで終わらず、あとで必ず繋がってくるので、覚えておくと、より面白さが増すと思います。
 ロボットの例で言えば、なぜ気持ちが芽生えたかについては、制作者の想いが込められていたことが後に明らかになるシーンとか、それが芽生えなければ別れを悲しまずに済んだのに、でも芽生えていて良かった、みたいなシーンとかですね。
 随所に盛り込まれているというのはそういう意味であり、私がわざわざ感動シーンをひねり出して盛り込んでいるわけではなく、『自然にそうなるよね』という感じで、省略せずにそのまま描写しているにすぎません。『登場人物』や『世界』が、そこに存在している、『実在性』の証左でもあります。テキトーに作られた『キャラ』や『舞台』ではないということですね。
 少しでも違和感を覚える登場人物がいれば、それまでに気付かないほど個性が自然に描写されているか、あるいはこれから理由が描写されるかのどちらかなので、その点も本作品を読む醍醐味としてお楽しみください。
 全てに意味と理由があるので、リクエストがあれば、ネタバレにならない範囲で、そのことについて語りたいと思います。お気軽にコメントやリプライをどうぞ。

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