第二十三話投稿は明朝です。次回は、姫達による茶番が繰り広げられます。
私が言うのも何ですが、私は姫の茶番台本とアドリブ演技が好きです。どうしょうもないくだらなさがありつつも、愛と優しさに溢れ、目的をハッキリと示し、最後はハッピーエンドにするからです。仮にそれを観た人は、ぶっ飛んだ芸人を見ているかのように、良い意味で『こいつアホやなぁ』と思うことでしょう。
さて、どこかで似たようなことを感じなかったでしょうか。それは、兄妹の漫才、もとい、やり取りにも感じたことと思います。でも、決めるところは決めて、自分の感情を素直に打ち明けてくれるので、とても魅力的で良い子達だなぁ、と私も改めて思うわけです。
それに関連した話もしておきます。ギャグとシリアスのバランスやそれぞれのタイミングが悪いと、テンポも読後感も悪くなってしまいますが、本作品ではその辺りは非常に気を付けています。
Xの『ツッコミどころ百選』で少しだけ触れていますが、私にとっては、その悪さは作品でタブーです。例えば、殺し合いをしている時に、ギャグ顔やダジャレを見たり聞いたりはしたくないということですね。話が重すぎるからコミカルさも入れようという配慮は、不要どころか害悪と言っても過言ではないと思うわけです。登場人物である当事者達が実際そのような配慮などするわけもなく、仮にそのようなシーンがあったとすれば、作られたキャラと展開だなぁと思ってしまうのです。
『作られた』なんて当たり前だと思うかもしれません。しかし、リアルである必要はありませんが、リアリティに欠けると共感性も没入感も失われてしまいます。むしろ、キャラや世界に不信感や疑問が生じて、そこで立ち止まってしまいます。まさに、誰のためにもならない、くだらない茶番に成り果てるというわけです。語源である『茶番』の人達、『茶番狂言』も悲しむことでしょう。
それこそ、語源のように『茶番』であると分かっていれば、全く問題ないのですが、茶番を見に来たわけではないのに、面白くもない茶番を見せられる観客の気持ちは如何ほどのことでしょう。もちろん、メインの演目に上手く茶番が含まれていて、それを全体として観客に提供するのであれば問題ありません。しかし、それは難しいことです。水に絵の具を溶かしたかのごとく、全てが茶番色に染まってしまう恐れがあるからです。すなわち、茶番の境界が大事なのですが、それを上手く仕上げている作品は決して多くありません。本作品では、茶番でない『茶番』や本編をご覧いただけると思います。