『獅子の子落とし』という話をご存知だろうか?
ライオンは子を崖から蹴落として、這上れた子しか養わない。残念ながらライオンにはその様な習性は、ない。その暇があれば狩の仕方を教えているだろう。
狩の仕方を知らないのは、崖から這上れないのと同じなのだから。
なので僕はこう脚色してみた。
人間は崖から這上れなかったら即、死なのか? それは違う。「崖から這上る」を「人生」に例えるならば、人間は「迂回してでも崖の上」を目指さなければならないのではないか。
1回で這上れたら良いけれど、生きている以上は何度挫折しようが、遠回りしてでも「崖の上」に向かわなければならない。
それが「生きる」という事ではないのか。
もう一つ。
野口雨情が作詞した『シャボン玉』。「♬ しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ やねまでとんで こわれてきえた ♬」。
この歌詞には雨情が実子を想って書いたという説がある。
僕の勝手な解釈です。
「しゃぼん玉飛んだ屋根まで飛んだ」私は君が産れてくれて、しゃぼん玉の如く、屋根まで飛ぶ程に嬉しかった。
だけれど、「屋根まで飛んで壊れて消えた」屋根まで飛んだ瞬間、君はこの世からしゃぼん玉の如く、去ってしまったね。
以上、この様に下らない事ばかり、勤務中でも勘考しているのは、幼少期からの長所でも短所でもある。
お粗末様でした。