「その気持ちが嬉しい」「気持ちだけでもありがたい」。この二つの文言に共通するのは「気持ち」。僕は未だにその「気持ち」が良く解っていない。
23歳の当時、従兄の結婚式での事。伯父は「ご祝儀とか気にしなくて良いから来いよ」と僕と弟を招待してくれた。
当時はまだまだ稼ぎが少ない低所得者なので、「ご祝儀」の心配はいらないとはありがたかったが、しかし、一応は伯父の家にお世話になる。手ぶらで行くのは幾ら何でも気が引けた。
という事で僕は菓子折りを「一つだけ」買って新幹線で伯父一家の下へ向かった。
そして結婚披露宴も無事に終わった夜、伯母に「伯母ちゃんこれ。オレにはこんな事しか出来ないから」こう言って伯母に菓子折りを渡した。
すると伯母は言わなくても良いのに、「お父さん、のり君からお菓子貰ったわよ」と伯父に言う。僕は咄嗟にさっき伯母に言った通りの台詞で誤魔化したが、伯父からは一言「その気持が必要なんだ」。
それから3年後の26歳。
まだ大学院生だった弟から「ちょっとだけでも逢えない?」とのメッセージが入り、雀の涙程でも小遣いを渡そうと、コンビニのATMで金を下ろし久しぶりに弟と逢った。
そして終わりがけに「お前に小遣いやるわ」とお札を差し出すと、始め弟は「いやあ、良いよ」と両手を振って断ったが、「お土産買ったらなくなるからさ」と言うと、弟は自分の財布にお札を仕舞った。
後日、母から電話が入り、また弟も言わなくても良いのに、「あの子に逢ったんだってね。小遣い貰ったって言ってたわよ」だから。
「渡したけどお土産買ったら直ぐなくなるくらいの額だよ」。僕が言うと母は、「金額の問題じゃないわよ。気持ちの問題よ」。またしても「気持ち」……。
そして去年の10月。
買い物中に、そういえば今日は親父の誕生日だ。一応、家族の生年月日くらいは頭に入っているが、うちは母の日や父の日、誕生日に何かお祝いやプレゼントを贈ると言った風習が、ない。皆無だ。
なので初めて誕生日プレゼントとして、父に毎晩晩酌で飲んでいる焼酎を1本買った……までは良いのだが、僕は何と「お袋、これ、宜蒼からのプレゼントだって渡しといてよ」と口走ってしまった。
母の態度は「あんた良い歳して、自分で渡しなさい! お父さんは喜ぶから」だった。「喜ぶって、こんなの千三百幾らで買えるよ。それ以上の事をオレはして貰ってる」細やかな抗弁をすると、「だから金額じゃなくて気持ちの問題!」出た、また「気持ち」……。
「良い意味で何かを」実行しようとする「気持ち」が大事という事なのか? 「気持ちの問題」を、いまいち良く解っていない僕はどうなのか……。
因みに焼酎を父に「オレからの誕生日プレゼントだよ」と渡すと、父は柔和そうな笑みを湛えて「おお!」と受取り、「オレ、今までこういう事やって来なかったからさ。そういや今日、誕生日だって」僕の話に父は笑顔のまま「うん、うん」と頷いている。
そして一言「ありがとう」と言ってくれて喜んでくれた。
普段は、あまり感情を表に出さない父のあんな柔和な笑顔も、初めて見たし「ありがとう」もあまり口にしない人が……。
年齢的なものなのか。これも解っていない。