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常陸の国 その四

 今晩は。閑古路倫で御座います。天狗党のお話は、これで最後にいたします。天狗党と諸生党の争いは何であったのか?爺いは、理想家と実務家の争いであったと思うのです。これは、幾度となく繰り返され、水戸に於いては、常に理想家グループが僅差の勝利を掴み続けた。理想家が荒らした財政を実務家が立て直し、理想家の殿様がその実務家を疎んで遠ざける又は殺してしまう。黄門様と斉昭様はその様だったと思います。そして、それが互いの家族を殺し合う、史上稀に見る悲惨な闘争に発展しました。最後に、この騒乱に散った少女の辞世を!
 引き連れて 死での旅路も 花盛り
田丸稲之衛門の次女、八重さんの辞世の句です。
17才の少女が刑場に向かう道中を詠っているように、爺いには見えます。誰がどの様にこの句を記録し残したのか一寸気になります。勿論この少女がどの様な人であったのかも気になります。
 以上 常陸の国 天狗党編終了です。ご静聴、有難う御座いました。
 PS.天狗党関連は、書きたことが一杯有りますので、熱りが冷めたらその隙に書きます。
 最後に一言、水戸学は前後100年に渡り日本を支配し、太平洋戦争で自滅するまで利用されました。三島由紀夫も興味があったらしいです。爺いは詳しくも無く、興味もないのですがね。本当のことを言うと、一寸恐いんです。近付くのが。

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