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ドナ・ノービス・パーチェム



先程ですがシューベルトの特集をテレビで見ていました。

私は特に詳しくはなく、
シューベルトで思い出すのは魔王や野ばらです。
他にも沢山作曲をされたのは知っていますがその程度です。

テレビでは特に宗教的な曲について解説されていました。
シューベルトが特に精力的に作曲したのは
病に罹り自分に死が迫って来たからとも知りました。

そしてそのミサ曲には神に捧げる清らかな気持ちだけでなく、
自分が死んでしまう恨みもあるのではないかとおっしゃっていました。

確かにただの高貴な透明感のある曲調だけでなく、
不調和音の様な怖い音もあるのです。
その曲の中にドナ・ノービス・パーチェムの一節がありました。

それが今日書いたお話のきっかけです。

言葉の意味は本編に書いた通りですが、
薄暗く重い曲の最中に何度もその言葉が出て来ると、
世界平和を願うのではなく、
俺を助けてくれ死にたくないと言う
シューベルトの激しい感情が現れている気がします。
それが常軌を逸した作曲の数なのかもしれません。

そしてもう一つ思ったのはシューベルトの晩年の作曲の数は
逆・断捨離ではないかと。

実は先日自分は断捨離しなきゃと少しばかり部屋を整理したのでした。
編物が趣味なので山の様に使っていない毛糸があります。
かご盛りチャレンジで買った毛糸なんてそりゃもう……。

不要であろう物を売るために袋に詰めていたのですが、
何となく自分はもうすぐ死ぬんだ、と思いました。
急に自分の周りにひゅうと隙間風が吹いたような気がしたのです。

断捨離は出来る人と出来ない人がいると悟ったのでした。

そしてこの歳になって小説を発表し出したのも
病気に罹りヤバいかもと思ったからです。
偉大なシューベルトと自分を重ね合わせるのは
大変に失礼な事ですが、根は一緒かもと感じました。

そして 何かを残したいと言うのは
逆・断捨離なのではと思いました。

頭の中にあるものを残して死にたくない、
何か残したい、
出すぞ、書くぞ、一杯残したる、わーーー!です。
これは止まらないです。
止まったら死ぬのです。
生に縋り付く人の一つの姿です。

特にシューベルトはまだ精力的に仕事が出来る年齢なのに亡くなりました。
どれほど無念だったでしょう。

と言う事で
逆・断捨離に励むはぶちゃんなので
ぜひほかの小説も読んでください。

今は一角千角の3を考えています。
ああ、言っちゃった、
公言して自分を追い詰めるのよ。腰痛になんて負けないわ。
自らを窮地に追い込むこの姿、
他人の力を借りないと書けないなんてみっともないったらありゃしない、ハハッ。
でも大体3ヶ月以上はかかるから暇だったら覗きに来てね。







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