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羽ノ亡キ猫(前)


「日曜日の彼女と、ラッピング」

 日曜日がやってくると、尾が二股にわかれた黒猫に変わる。特別な〝力〟をもっているわけでもなく、ピーターラビットのように二本脚で立ち上がったりもできない。もちろん人の言葉も話せない。

(なんで普通の人は、こういう姿を連想するのかなぁ……)

 猫になった私は退屈を持てあましていた。その日も自宅の囲炉裏の側で、ぺったん、ぺったん、肉球を用いて絵本のページをめくっていた。

(猫だって忙しいのになー)

 猫といえば自堕落に、適当に、好き勝手にゴロゴロしてるイメージがあるらしい。私は普段から皆の言う〝猫っぽい〟という表現に、ささやかな違和感を感じていた。

(日曜に猫になるのも大変なのになぁ……)
 
 猫になると本当に何もできない。学校から課題をだされたら、土曜の間に片付けないといけない。やるべき予定を残したまま日曜に突入してしまうと、明日のことが気がかりで、余裕をもって寝転がるなんてできなくなる。

 そういうわけで、私の〝猫っぽい〟という感覚は、普通の人が持っているものとは違う。キッチリと一週間の予定を組み立てて、オンとオフの境界を作れるヒトこそが、真の意味で〝猫っぽい〟のだ。

 そして私は最近になって〝猫っぽい〟人に出会った。自分でもびっくりするぐらい、惹かれてしまった。

 *

 最近、お見合いをした。年上の彼とは、連絡先を交換して「またね」したけれど、以後メールしても、返信はくれるけどそっけない。LINEを誘っても遠慮され、肝心のツイッターは半放置で面白味に欠けた。

 さらには留守番電話のテンプレートが返ってきた時、私はついに行動を起こしたのである。

 ――襲撃。
 土曜日、彼の仕事場にお邪魔した。玄関のインターホンを鳴らすと、半袖のポロシャツとスキニーパンツを履いたラフな格好の彼が顔をだす。複雑そうな色を浮かべた眼で、じっと私を見つめ返した。

「……学校はどうしたんだ?」
「今日は期末の最終日だったんで。あ、もしかしてサボりだと思いました?」
「思ったさ」
「ふふ~ん。これでも普段は無遅刻無欠席の優等生やってますので、どうぞご安心を」
「いや……そういうことを言いたいのではなくて」
「やっぱり7月も半ばになると暑いですよね。中入っていいですか?」
「待ちなさい、おい、待て」

 私は制服姿のままだった。東北の地方都市から、電車一本で到着する住宅街――私の実家よりも、はるかに賑やかな場所にお住まいである彼は、心底複雑そうな顔をした。

「車で送るから帰りなさい」
「車だと片道3時間以上かかりますけど、よろしいですか?」
「確か高校進学を機に、お手伝いさんと暮らしてるとか言ってたよね。そこまで送ろう」
「はい。後ほどお願いしますね。夕方まで友達と遊ぶことになっているので、それまで涼ませてください」
「だったら、そこらの駅まで送っていこう。後はてきとうに友達と合流して遊ぶなり、一人で時間をつぶすなりして家に帰りなさい」
「えー、ひどくないです? 暑いなか電車に乗って、わざわざ駅から歩いて来たのにー」
「せめて連絡ぐらい入れろと言ってるんだ」
「入れたら留守録が返ってきたんじゃないですかー」
「……だったら諦めるだろ普通……」

 彼は率直にため息をこぼした。家の側にある広場の雑木林から、セミの鳴き声が空しく続いた。

「日没までに家に連絡をいれて、おとなしく帰るなら入りなさい」
「なんか子供扱いっぷりがすごいですね。あ、約束します。だからそんなに怒らないでください」

 扉が外側に開く。私は腕の下をすり抜けるようにして土間に入った。

「おじゃましてしまいまーす♪」
「……」

 彼は相変わらず複雑そうな表情をたたえていた。自分のもとに訪れた出会いを、まったくもって不可解だと言いたげだった。

 *

 お婆ちゃんから「見合いをしろ」と言われた時、ついにボケたかこの人はと思った。そもそも私が小学生ぐらいの時期は、口うるさいほど、猫になれ、猫になった方が幸せだ呪詛のように繰り返していた。

「結婚して家庭を持てんようなら、人間の女なんて辞めておしまい」

 古い考えの人だった。猫又に転生して実際に家庭をもったけど、今は一人寂しく、東北の田舎で畑を耕すような『人生』を送ってきた大妖怪なのだから、そんな考え方に支配されて当然かもしれない。

「いいかえ。日曜だけとはいえ、家のことができない〝人間の女〟っていうのはねぇ、どうしたって駄目なんだよ。おまえの幸せは、身も心もすっかり猫になった先にあるんだよ」

 お婆ちゃんは言った。私が望むならば、本物の猫にしてやれると。
 だけど、今は田舎でもインターネットがあるし、スマホもある。私の実家もギリギリ電波の届く場所に含まれていた。

 幼い頃から、ネットの世界に割とどっぷり浸かっていた私は、お婆ちゃんの考え方が時代遅れだと気づいていたし、結婚なんてしなくても、人として生きていけるはずだと思ってた。

 だけど、やっぱり恋をしてみたかった。同じクラスの男の子から告白された時は嬉しかったけど、日曜日に会えない、遊べないという理由から、結局は別れてしまうことになった。

 二度、三度と続くと、悪い噂が広まるようになって、恋をするのも段々と怖くなった。いっそ猫であることを明かしてしまえばと思ったこともある。けれど、

 ――!!

 産みの母から拒絶された原初の記憶。青ざめるお医者さん。現実を否定するお父さん。暗い夜道を、私を抱えて遠ざかる誰かの影。

「ごめんねぇ……お前は何も悪くないのにねぇ……」

 私が産まれたのは、きっと、日曜日だった。

 *

 扇風機が回っている。窓が開いて、ミンミンという蝉の声が室内にまで響いていた。

「相変わらず綺麗にしてますねー」
「そうでもない。ここ数日は掃除をしてないよ」

 リビングに通された私は、テーブル席にかけて、かたわらに学校の鞄を置かせてもらう。用意されたコースターの上に冷たい麦茶が運ばれた。

「わーい。ありがとうございます。今日もお仕事してたんです?」
「仕事は毎日してるよ」

 私の向かいに座る彼は当然のように言った。ブラックのアイスコーヒーを少しだけ飲んだ。

「昼過ぎたけど、キミ、食事は?」
「黒羽の――お手伝いさんのお弁当食べてきましたから。平気です」
「そうか。俺は基本、昼は抜くから」
「えっ、毎日三食食べないんです!?」
「基本は食べない。昼から夕方にかけてが一番、頭回るから」
「確かにご飯食べると眠くなりますけど……昼間に食べないとお腹すいて集中力がもたないです」
「うん。俺の場合、その集中力が切れるのが夕方なんだ。外回りで営業する時は昼を食べることもあるけど、昼に食べるとどうしても、自分のリズムが狂う」

 彼は淡々と言った。

「几帳面なんですねぇ」
「そうだよ。フリーのイラストレーターなんて、明日とつぜん仕事が無くなってもおかしくないから、やれる間は素直に仕事をしたいんだ」
「でも、絵が描けなくて悩んだりもしますよね?」
「そういう事もあるよ。他にも事故なんかで手が使い物にならなくなるかもしれないし」

 もう一口、コーヒーを飲んでそんなことを言う。

「……あのー」
「うん?」
「もしかしてですけど。暗に、俺なんかのカノジョになるのはやめとけって言ってます?」
「カノジョ……」

 何を思ったのか、不意に小さく吹きだされた。

「な、なんでそこで笑うんですかー!?」
「すまない。呼び方があまりにも可愛らしかったというか、なんというか、若いんだなと」
「む……」

 子供扱いされた。そのことが妙に腹立だしい。

「そうですよね、どうせ私は子供です。貴方はおじさんですよねー」
「その通り。わかったら帰る支度をしなさい」
「あまりひどいこと言うと、脅しちゃいますからー。無理やり連れ込まれたかなんとか言ってしまいますからー。家にあげた時点で被告の主張が圧倒的有利なのを思い知らせてあげますよ?」
「ふむ」

 すると彼は、テーブルの下に手を伸ばした。一体なにをやっているんだろうと思ったら、何かぺりっと剥がれる音がして、小型の機械が現れた。

『あまりひどいこと言うと、脅しちゃいますからー。無理やり連れ込まれたかなんとか言ってしまいますからー。家にあげた時点で被告の主張が圧倒的有利なのを思い知らせてあげますよ?』

 録音されていた。ボイスレコーダというやつだった。

「なんでそんな物がしれっと取り付けられてるんですか!?」
「言っただろう。弱い立場なものでね」

 彼はにっこりと、腹黒い笑みを浮かべた。フリーのイラストレーターというのは、みんな自宅に盗聴器をセットしているのが当たり前なのだろうか。

「……あのー、ちょっといいですか?」
「なにかな」
「仮にも私って、貴方の婚約者なわけですよ。私のことがそんなに好きじゃないのは分かりますけど、扱いひどくないですか?」
「おたがいその気は無かっただろう。元はといえば、うちのお人よしなゆるキャラ系の両親が、見合いなんてものを安請け合いしただけだから」

 自分の両親を、ゆるキャラ扱いするのもどうかなと思ったけれど、確かにこの人の両親はおっとりした人たちだった。洋菓子店を営むお父さんは、大量のケーキを用意していた。どれもとびきり美味しかった。

 喜ぶ私を見て、息子と結婚したら毎日ケーキを届けにいくと言ってくれたお父さん。お母さんもほわほわと「若い頃を思いだすわね~」と歓迎してくれた。

「甘い食いものに惹かれたのは分かるけど、俺は甘くないよ」
「人を昆虫みたいに言わないでください」

 なのに、本人だけが不動の要塞じみている。表向きの人あたりの良さはご両親ゆずりなのに、本性は鬼畜。主に私に対して鬼畜。

「悪いけど今日はケーキは無いよ。残念だったね」

 また子供扱いされる。からかいを含んだ眼差しは鮮烈だった。線の細い草食系男子の見た目なのに、内側には修羅場を潜り抜けてきた、如才無いすごみがあった。そういう雰囲気はクラスの男子には無い。

 心臓がドキドキする。高鳴る鼓動が、頭の中で「私これに弱いなー」という言葉に置き換わる。まったく相手にされてないという想いが、どうにかして、彼の意識に宿りたいと背伸びする。

「あ、汗かいちゃったし……しゃ……シャワーとか借りたいなー?」
「どうぞ。タオルは棚の中にあるものを好きに使えばいい。着替えは出せないからな」
「…………」
「なんだ? まだなにか?」
「…………覗いてもいいんですよ?」
「浴場に監視カメラがあるから」
「は!?」
「冗談だよ、馬鹿だな」

 彼は声にだして笑った。レコーダーはしれっと電源がオフにされていた。本当に隙がない。
 
 *

 精一杯の反撃。石鹸とシャンプーを多めに使った。ドライヤーをフルパワーモードで借用。洗濯機をこそっと覗き込んでさしあげた。それとなく例の可能性を撤去。私の他に図々しく家まで押しかけるような女の気配、今のところなし。

(髪長めの方が好きかなぁ)

 鏡に映る私の顔。夏に合わせて髪を短く切りそろえていた。長いと、手入れが面倒だという他に、学校の校則のせいで結ばないといけないのも手間だった。

(子供の頃は、みんな一度は伸ばしたがるよね)

 誰もが一度はお姫様に憧れる。そして長い髪は、美人程アドバンテージを持つのだと私たちは悟る。

 正直言って顔立ちは優れている方だ。髪を伸ばしはじめると、自分に注目する視線が増えたのを感じた。気持ちよくて、どこまでも伸ばしていきたいと思った。男の子の中には「好きだ」と言ってくる子もいた。

 私は得意げだった。でも悪いことは何もしていないはずだった。けど日曜日に一緒に遊べない。誰も私の姿を見ていないことが、一転して不誠実な噂を招き寄せた。

 悪意の標的にされた私はおとなしくなった。目立つ黒髪も短く切って、塔に閉じこもるお姫様のようにしおらしく振舞うようになった。

 勉学に力を入れて、教師からは覚えの良い優等生に生まれ変わった。
(だけどそれは……本当の私じゃない)

 非現実な絵を描くために、現実を見ている絵描きさん。もしかしたら私の正体を知っても受け入れてくれるかもしれない。

 ――両親に捨てられた貴女が
 べつの場所でなら幸せを得られると思ってるの?

 鏡の中の私がせせら笑う。それこそ、御伽噺だねと嘲る。ドライヤーの音が耳障りになって電源を切る。明日には只の抜け殻になりはてる、セミの鳴き声だけが側にある。

 * 

 シャワーを浴びてリビングに戻ると、テーブルの上に色とりどりの紙が広げられていた。

「なにしてるんですか?」
「仕事が一段落ついたから、ラッピング」
「……ラッピング? なんで?」

 近づいてみると、ラッピング用紙の側に四角い箱が見えた。

「これって、ゲームソフトですか?」
「そう。特典付きの限定版ってやつだ。一応まだ発売してないから、オフレコで頼むよ」
「え、えっ、どういうこと?」

 秘密を知ることができる。その期待と予感がひそかに胸に灯った。

「ソフト自体は来週に発売されるけど、制作した関係者には、初版の――いわゆるサンプルが先に届けられるわけだ。俺は今回、キャラデザ担当したから、いくつか余分にもらえたんだ。それを昔の仕事関係の知人、ゲームが好きな人に贈ろうとおもってね」
「なるほど。つまり……偽装工作ですね?」
「名刺代わりだと言いなさい」
「名刺にしては少々〝お高価〟ですねぇ」
「弱小なフリーランスなものでね。やれる事はなんでもやらないと」

 彼は軽やかに笑って、カッターナイフを手に取った。しゅーっと紙を切り分ける。

「長さとか測らなくていいんですか?」
「慣れてるから」

 綺麗なラッピング用紙を手にとって、ゲームの箱に添えた。そこからはまさに早業で、最後に飾りのシールとリボンまで付けるのに一分もかからなかった。あっという間にプレゼントの箱ができあがっていた。

「すごーい、器用ですねー」
「実家が洋菓子屋をやってるからね。子供の時はよく手伝ってた」

 手伝わされた、ではなくて、手伝った。言葉のわずかな違いが、彼の誠実さを表していた。

「でも甘い食べ物は苦手なんですよね」
「そうだよ。だから、親父とは折り合いが悪い」

 半分だけ本気といった感じの口調。口にしながらも手を動かす。

「だから一応、応えたつもりだ」

 ちらりと私を見て言った。もう一度カッターナイフの刃を取りだしてしゅーっと切る。よどみのない、まっすぐな音が心地良い。

「それって、私とのお見合いのこと?」
「そう。俺より若いとは聞いていたけれど、現役の学生だとは思ってもみなかった。しかもあてつけのように制服を着てくるんだから、これは相手も乗り気じゃないんだと、むしろ安心したよ」
「……だからそれは……」
「話をしてみて、悪い子じゃないんだと分かったけどね」

 手早く形を成していく。

「ひとつ、余計なことを言ってもいいかな?」
「余計なこと?」

 包みに適した大きさの紙が、箱を覆っていく。

「察するに君は、俺に〝父性〟を求めているんじゃないのかな」

 ぎゅっと心臓が縮こまる。包まれる目前の箱とは裏腹に、心が一息で解体されてしまう。

「君の生活圏には、母親代わりの祖母しかいなかった。だから男というものがわからなくて、ある種の非現実を求めて、ここにいるんだ」

 ぺたりと、包みの端をテープが留める。

「俺の側にいると、君はすぐに〝飽きてしまう〟よ。思っていたものと違う、変化のない日常にね」

 彼は説き伏せるように、どこか優しげに笑った。

「中学生、高校生の多くは、割と〝死にたがり〟だ。どうして死にたいかっていうと、心が求める環境の変化に、現実の身体が追いつかないからだよ。たとえば、身長が伸びない、体重が増えすぎる、欲しい物が何も買えない。テレビの中の芸能人はとても格好いいのに、鏡に映る自分はブサイクだ。毎日見かける父親の顔も格好良くないし太っている。きっとケーキを作っているせいだ。俺は碌な遺伝子を持ってない、ここにいてはダメになる……という具合にね」

 身勝手で独りよがりな言葉の群れが、彼の中から解き放たれた。

「現実からの逃避先は色々ある。俺の場合は家が裕福でなかったから、早く家をでて、集団に属した組織で働きたいと思ってた。ご近所に評判のケーキ屋、という枠組みで十分に満足してる親父を軽蔑していた」
「じゃあ、本当はケーキ食べられるんですか?」
「食べられないよ。もう何年も口にしていないから」 

 聞き分けのない子供みたいに言った。

「じゃあ、私が代わりに食べてあげます。甘いの、大好きです」
「そいつは羨ましいな」

 自然にはぐらかされる。不可視の壁に阻まれる。触れても逃げないけれど、自分からはけっして甘えてこない、気位の高い猫みたい。

「ねぇ」

 静かに席に着く。大人びた愛想笑いを浮かべる彼に対抗して、無邪気に微笑み返してさしあげる。

「私はやっぱり貴方が好きです。だけど貴方は、自分に時間を費やすのはよせっていう。でも――やっぱり、これで良いんです。私が貴方のことを好きなんだって、貴方がそれを認めてくれたら、私の勝ち」
「だからその感情は――」
「間違ってたって構わないです。対する愛情が紛いものだったとしても、それで後悔するほど弱くはないですよ? もし貴方が亡くなりでもすれば、私は次の恋をするかもしれませんし」

 たった一人の男に操をたてるのは美談だけども。私はこの世に産まれ落ちた瞬間から失っていた。両親に「いらない」と捨てられた。だから、

「〝私の人生は私だけのもの〟。貴方は、私のことが嫌いですか?」

 
 しゅ――、

 霞を切るように、すべらかだった刃の音が不意に止まる。道しるべのように、まっすぐに伸ばされた折り目から道を外れる。

「……失敗した」

 誤魔化すように言う。
 夏の日差しに照らされた横顔はそれ以上に赤い。――よーし!

 カンカンカーン!

 まずは1勝! 

 拗らせた『腹黒系男子』のデレ顔いただきましたー!!

「……君、いま何を考えた?」
「たいしたことないですよ。あ、じゃあ、ラッピング、私も手伝っていいですか?」
「……やり方わかるのか?」
「わかりません。教えて頂けますか、先生♪」
「便利なスマホでも使って調べるといい」
「先生に教えてほしいなー」
「……君は、なんていうか……猫みたいだな。気まぐれすぎる」
「気まぐれだけど一途ですよ。自分で言うのもなんですけど、お得感ありません?」
「額に半額シールを貼って出直して来い」

 それはひどい。思いつつ、どこかの誰かにプレゼントする限定版を数えてみると、残りは5個だ。彼が再度カッターナイフを握る。しゅぱー。

「ほら、大きさはこれでいいから。やってごらん」
「わ、ありがとうございます」

 なんだかんだ、面倒見の良い人だった。私は内心でこう思った。

 ――ふふ、勝ったな。


 *

 十分後。

「君には幻滅した」
「……う」

 私の目前には、無残な痕が縦横無尽に走り、ぐしゃぐしゃになってしまったラッピング用紙と、上から余計な力を込めて抑えたせいで、変形してしまったゲームの箱だけが残された。

「ここまで不器用だとは思わなかった。よくそれで、誰かの嫁に行くなどと大口を叩けたものだ。情けない」
「ここぞとばかりに反撃しないでもらえます!?」
「忠告しておこう。世の男は不器用な女子を面倒だと想いこそすれ、好意を抱くのは皆無であると。愛嬌にも限度があると知った方がいい」

 ……やっぱし、鬼畜だわー……。

 ラッピングを続ける。カラフルな紙が折り目だらけになって、くしゃくしゃになってしまった。

「……あの、次はどうすれば」
「その前に紙を交換したほうがいい。待ってろ」

 彼がカッターナイフの刃を伸ばす。もう一度、ラッピング用紙に刃を通そうとする。

「ごめん、待って」
「ん?」
「新しいのは、きちんとやり方を覚えてからでいいです」
「……折り目がついたものを修正するのは難しいだろ?」
「でも、紙がもったいないですから。お婆ちゃんにもよく言われてますし。物を大事にしなさい。魂は何者にも宿るからって」

 言ってから、さすがに生意気だと思った。彼もあきれたように両肩をすくめて刃を戻した。

「本当に不器用なんだな。君を育てた方が心配になるのも頷ける」
「……どうせ、私は子供ですから」
「素直だということだよ。そういう奴は褒めれば伸びるが、同時に上に立つ人間の責も増える。間違った指導をすれば、本来生かせるはずだった能力が失われてしまうことにも等しい」
「一応、後悔はしてないって言いましたけど」
「そういう自分を省みない発言が一番怖いんだよ」

 彼はくつくつと笑った。

「とりあえず用紙は新しい物に変えよう。ラッピングにはいくつか種類があって、次は簡単な方法を試してみようか。キャラメル包みというんだが知ってるか?」
「知りません」
「じゃあ教えるからやってみろ。紙を斜めにするのではなくて、まっすぐ乗せて……そうそう」

 私は繰り返す。試行錯誤しながら、不器用なりにどうにか形を保っていく。

「ここ、もう少し深く折り込んで。それから側面を持ち上げる」

 彼の腕が伸ばされた。指先が触れる。戸惑いがあったのは私だけで、すぐにきちんとした力が込められた。

「そう。折り目をつけると簡単には解けなくなる。コツは力を込めすぎないことだ。うん、それでいい。見た目を綺麗にするには、紙の先端を最後に折り込んだらいい。あ、そっちの手を離したらダメだ。片手で抑えろ」
「う、うーん……」

 不器用な私には二本の腕じゃ足りない。四本ぐらい欲しい。そんなことを思っていたら、彼が紙の両端を抑えてくれた。最後の一工程を両手で丁寧におえる。シールを貼って、リボンを巻いて、

「できた、できましたー」
「うん。形にはなったな」
「もうちょっとストレートに褒めてください」
「始めてにしちゃ、上出来だよ」

 心臓がドキドキした。彼はなんでもない様に振舞っていた。

「じゃあ、これは君にやろう」
「いいんですか?」
「構わないよ。俺は普段、ゲームしないんだ」
「そうなんですか? ゲームの絵を描いてるイラストレーターさんって、基本ゲーム好きなんだと思ってましたけど」
「確かにそういう人は多いな」

 緊張が続いたせいか、心なしか丁寧語になってしまう。

「さっきも言ったかもしれないが、俺の実家は、昔は店が潰れるかどうかの瀬戸際だったからな」

 続きを語るべきか、そうしない方がいいのか。彼は逡巡した素振りを
みせていた。私は話を聞きたかった。じっと、訴えた。

「……まぁ、今も昔も、個人の店を続けていくのは大変だと思う。親父は腕は確かだったが、親子三人で生活してくのはギリギリだった」

 私の頭の中に不意に浮かびあがる。

 プレゼントを求めない男の子。

 甘いものが苦手な少年が、日曜日に働く両親の側で、イチゴを載せ、クリームたっぷりのケーキを箱詰めて、バースデーカードを手書きする。チラシやポップを窓ガラスに貼っている。

 日曜日、友達と遊ぶ時間はない。
 限られた時間を親の手伝いに費やした。

 ――でも、思うのだ。

「後悔してないですよね」
「そうだな」
「貴方のお父さん、店のことは任せくれていいから、友達と遊んでいろとかおっしゃったんではないですか?」
「……そうだな」

 私のお婆ちゃんが「猫になる方が幸せだ」と繰り返したように。
 彼のご両親もまた「年頃の子供らしく遊ぶべきだ」と言ったのだ。

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