それは桜も咲き終わり、緑葉へと移ろいはじめた、うららかな春の日のことだった。お外は青天である。雲ひとつない青空の中に、頬をくゆらすほどの風が踊っている。
桜のしたで宴会をまじえた人間らは去った。今日はいつもと変わらず、妙齢の男女がベンチに座って談笑し、木陰には猫たちが寝そべり欠伸する。実におだやかな時間であった。
――と、そのような環境を一望できるマンションの某階。
秋雨あきらが生きていた。自室の床を転がり回り悶絶していた。
「んだああああ!! なんという面白さ! や、やはり、わたしの直感に間違いはなかった……少女キネマ、傑作であるぅぅう!」
日光がキライだ。まぶしいものが耐え難い。桜、うん、きれい。
でもお花見をするよりも、家でマンガとラノベを読んでいたい。
あとwebニュースに目を通したついでに株値とか見るの大好き。
えっと、春ってさぁ、つらくない? 花粉症とか。
学術分類的には「量産系消費型オタク」と呼ばれる生き物は、人付き合い無理めの生き物であった。無理めの生き物は、カーテンをしめきったお家の中が大好きである。お家のなかで妄想に浸るのが好き過ぎた。
「少女キネマ! おもしろいのである! 映画という媒体をテーマに、謎が謎を呼び、しかしスピーディに解決されていく様は至極快活である! メインヒロインのさっちゃんは抱きしめたいほどに可愛いのである! 主人公の十倉くんも、どうしようもないほどダサくて、ストレートでブン殴りたいところを、ジャブに押し留めたいほどにイライラするヘタレっぷりである! さらに周りを固める脇役たちの存在感は強烈苛烈愉快である! 変人奇人の登場人物らが闇鍋を囲うようにしてストーリーを進めていく光景は、まさにエンタメ的宴会芸である!! わたしも何を言っているか分からないであるんである!! う……げ、げほげほ(咳き込み)すーはーすーはー(深呼吸)ふぅ、水分補給しょ……」
うららかな春の一日に、オタクはにぎやかな人々を避けるように本屋に行った。そして「少女キネマ」というタイトルの一冊を即座に手にとるやいなや、レジへと持ち込み購入をすませた。
基本的に秋雨あきらは、ジャケ買いと呼ばれる行為を行わぬ。今月のオススメとして棚に並べられている一冊を、左上から順番に手にとることは行うが、第一に自分に合いそうな本を求めることを良しとした。
秋雨あきらは自称、意識高い系オタクであった。amaz〇nの評価は一切みない、信じない、自らが面白いと思ったものを胸に信じ貫き通す。とか言っている、人付き合い無理めの生き物である。
最近、希少な友達に「ありがとう。わたしの神でいてくれて」と伝えると「だったらもう少し気をつかって?」と言われた。申し訳ないマジで。
(これは――良い物だ!)
そんな残念なナマモノが「自らも言葉にできない直感」を抱く時は、同時にひとつの指標性もあわせ持っていた。
(これは〝わたしの様なオタク〟が読んでも楽しいものだーー!!)
現在は「一般文芸」と呼ばれる分野において、このような直感は度々発揮され独自変換がなされる。すなわち――マンガやアニメやゲームが大好きな自分がそれを楽しむことができるか。
このページを閲覧した稀有な人間がいたとしても、責任はもたない。
もたないが、少女キネマは良かった。とかく良かったとわたしは言う。
クラスメイトらが花見がどうの、部活がどうの。週末に健全な汗を流していたなかで、わたしは自室の床で転がりすぎて鼻血を吐血した。実の兄から「早く現実に帰ってこい」と言われる程には最高な週末を過ごしていた。
その心情が正しく正確に文書化できないのは残念である。わたしの持ちうる能力では自前の気持ちを伝えきれず、語彙は悲しいほどに少ない。っていうかそもそも、少女キネマはすでにtwitterなどで賞賛されているらしいんである。今更である。そもそもオススメの棚に並んでいたのだから至極当然である。だから精々、このような言葉の羅列を並べる他にない。
あぁ、少女キネマは、おもしろかった。
最高だった。素敵だった。輸血せねばままならぬ。
動悸が激しい。熱がでてくるしい。感動のあまり汁がでた。
し、至急……大至急、点滴をください医療班。
桜も咲き終えた初春の終わり。あの、最後の葉の一枚どころか、無数に茂った幾枚が地面に落ちるにつれて、徐々に快癒へと向かい、週末の間には健康を取り戻す予定であったわたしの体調は、この一冊によって崩壊した。
「風邪をひいている時ぐらい、おとなしくしろや……」
残念性異物を見下げはて、実の妹に向かい兄が発した一言に対し、わたしは返した。人間の想像力の賜物が知恵熱を呼び寄せるのである。
「なにを言いたいのは、おまえは。最後に一言だけ残してもう眠れ」
仕方がない。
もう一回、言っておくんである。
少女キネマは、イイゾ。