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うちの嫁さんは、日曜日になると猫になる。日曜は大体、家の居間でゴロゴロ幸せそうに転がっている。
華麗にスマホを肉球タップして、暖房ヒーターの上でうずくまり、電子書籍のページ送りをしては「ニャフフフ……」とか不気味に笑っている。
そんな嫁さんは、平素は立派な社会人である。
しんどい、つらい、朝は起きたくない。と口ぐせのように毎朝ぶーたれている。実際放っておけばいつまでも眠っているが、一応、まっとうな大人としてやってるんだと思う。たぶん。信じたい。
そんなある日の夕方。会社から帰ってきた嫁さんと食事をとっていると、またしても唐突に言いだした。
「ねぇ旦那さんー、クレジットカード作ろうと思うんですけどー」
「絶対にやめとけ」
「えーなんでー!」
「無駄づかいするからだよ」
子供に言って聞かせるように伝える。そういえばクレカ、持ってなかったのか。
「大体、なんでクレカ持ちたいんだよ。平日はそんなに大金使うことないだろう。土曜は俺と一緒に出かけるんだし」
「そうですけどー」
「便利だけど、万が一落とした時とか面倒だぞ。嫁さん、よく物なくすしさ」
「そ、そんなになくしたりしてませんよっ!」
「〝そんなに〟が付く次点で、現金で妥協しとけば?」
「うぐ……っ」
思い当たる節があるのか、嫁さんが固まった。彼女の実家から送られてきた里芋を食べながら「だってー」とか言いだす。
「クレカ、って、なんかひびきが格好いいじゃないですか……」
「絶対持ったらいけない奴の典型的なパターンその2だ。やめとけ」
「そ、それにっ、スマホの課金とかも楽だしー!」
「課金? 携帯は月々の利用料が引き落としだろ?」
「電子書籍の購入があるじゃないですか。今は、コンビニとかで売ってるプリペイドカードで払ってるんですけど。うっかりチャージ忘れてたら、日曜日に猫の姿で、スクラッチの部分けずって、それから番号入力して……」
「可愛いじゃん」
「面倒なんですって! クレカなら登録してた番号で、ワンクリックポチっで終わりでしょ?」
「ところで嫁さん、結構俺の知らないところで金使ってんのな……?」
「ふべ!?」
煮物のニンジンが変なところに入ってむせていた。分かりやすい。
「そういえば先月、ちょっと外食で使いすぎちゃったとか言って、値あげ要求してきたよな? あれ本当?」
「も、もちろんです! あ、あああ、あれはその、オトナには付き合いというものがありまして……っ!」
「それにしても、日曜は全然、金使ってないはずなのになぁ?」
「ひぎゅ!」
「まさか、2〇歳にもなって、月々の金が足りない理由が、マンガの買いすぎだったとか、ないよな?」
「ソンナコトアリマセン」
ロボっていた。俺の奥さんは、時々、ロボにもなる。
「恥ずかしい。仮にも社会人の大人が」
「いいじゃないですかっ! 日曜のマンガタイムは、貴重な癒されタイムなんですー! あと……」
「あと、なんだよ」
「す……スマホゲーの課金も……魔法のカードがあれば便利って……」
「絶対作らせないぞ」
それだけはいけない。
「旦那さんが管理してくれてもいいですからーっ!」
「それ、絶対にクレカ持っちゃ奴の三番目の条件な。以上、閉廷」
「ふえぇ~ん! 私も会社の先輩みたいに、ちょっとお高い店に寄った時に『カードで(キラリ)』ってやりたい!」
「その前にもう少し、オトナの金銭感覚を身につけようか」
クレカを持ってはいけない奴の役満である。そんな女性が自分の妻であることに、俺は改めて「しっかりしないと……」と思うのだった。
ーー
うちの嫁さんは猫又だ。日曜日は猫になる。
「はぁ。冬は苦手ですけど、マフラーとか手袋とか、もふもふしてるものに囲まれていいですよねー」
「……もふってないでさぁ。いる物と、いらない物、わけてくれ」
「わかってますってー」
今日は平日が祝日だった。二階の寝室で二人、せっかくだからと衣服の整理をしていたところ、冬物のコート、手袋、マフラーをタンスの奥から引っ張りだす度に、嫁さんは毛糸の塊とたわむれていた。
「嫁さん、どうせ今年も年末から年明けにかけて、いろいろ買いそろえるんだからさ。古いのは適当に処分しちゃってくれよ」
「んー、そうですけどもー。あぁ、このマフラーお高かったのに……」
すりすり。ブランド品のマフラーを抱きしめて、幸せそうに頬すりしている。
「そこまで気にいってるなら、残しといてもいいと思うけど……」
「でも今年もごひいきにしてるブランドさんが、新作出しますからー。はぁ、首が二つあったら、両方とも巻けるのにー」
「キモいぞ、それ……」
まるで妖怪じゃないか。
「誰かにあげるっていうのも、それはそれで手間だしなー」
「じゃ、いつものおさがり方式でお願いします」
「そうするか。えーと、他にいりそうにない物は……ん?」
タンスの奥底に、ビニールに包まれたままの黒いシャツが見えた。こんなの買ったっけと思いながら、引っ張りだしてみる。
「なんです、そのシャツ?」
「今年アニメになった原作物の、キャラシャツだ」
「あー、あれですか。もしかして萌えキャラがプリントされてて、着られないやつですか?」
「そうじゃないんだが。見ればわかるよ」
ビニールをはがす。黒地のシャツに、白いフォントで目立つように調整されたネタシャツが現れる。
表には、俺がイラストしたキャラの上に『ここは通さねぇ!』とフキダシがあり、裏は『振り向くんじゃねぇ!』。
「あはは。これおもしろーい。着ればいいのに」
「もらったの夏だぞ。平日はシャツに短パンとかザラだし、そのままうっかり、外に買い物にいったらと思うと死ねる」
「あー、それは確かに着れませんね。じゃ、それも捨てちゃいます?」
「そうだな。でも今なら下に着れるしな。保留で」
「あっ、旦那さんだけズルい。ちゃんと着ないとダメですよ」
「わかったよ」
そんな感じに、せっせと衣替えをしていた。
🐈
日曜日。俺は『ここは通さねぇ!』のシャツを着ていた。上にはゆるいタートルネックのセーターを着て、暖房のきいた部屋であったかくして、せっせと絵を描いていた。
(ん……昼か)
一度、休憩をはさむかと思って立ち上がる。書きかけの絵を保存して、電源を切ってから廊下に出た
「嫁さん、昼だからメシにしよ」
「にゃーん」
居間には、尾が二股に分かれた黒猫がいる。机の上には、暖房ヒーターやら、昼寝用の猫ちぐらやらが置かれている。そして中の敷き毛布として使われているのは、まだ真新しいブランド物のマフラーや、ハンカチーフだったりする。
なにも知らない人から見れば、とんだ猫狂いだなと思われるかもしれない。弁明をするなら、そのどれもが一応、彼女の冬のボーナスで支払った物であることは言っておきたい。
「じゃ、いただきます」
「んにゃにゃー」
そして本日も、嫁さんはお高い猫缶を嬉しそうに食べ、ミネラルウォーターを飲む。夫の俺は普通のトースターに、一杯のコーヒーだ。
けっして、夫婦間に格差はない。
俺の背中が『振り向くんじゃねぇ!』と言っている。
なぜ結婚したのか。そんな過去のことは、忘れた。
ーー
うちの嫁さんは猫又だ。彼女の実家は東北にある。
東北といえば、けっこうな雪が降る。雪が降るといえば、
「今年も年明けまで、スキーにはいけないだろうなー。はぁ……平日に温泉込みで外泊したりしたいなー」
「スキーって行ったことないよ、俺」
「えっ、旦那さんって、スキーしたこと、ないんですか!?」
平日の夜。いつものように食事中「今日もお仕事おつかれ状態」の嫁さんのグチに付き合っていた。
「むしろ、嫁さんがスキーにできる方が驚きだよ」
日曜日はだいたい寝てるしな。ゲームばっかりしてるしな。
「なにを言うんですかっ! これでも運動神経良いんですからね。スキーとかセミプロ級ですよ!」
「セミプロ級ですか」
「アマチュアとは違うんです」
多方面にケンカを吹っかけるような一言だった。とはいえ、は久々に己の優勢を確信したのか「どやぁ」という顔をしていた。
「しょうがないですねぇ。今度わたしが、旦那さんにスキーを教えてあげますよ!」
「行くとしたら、土曜で日帰りか……日曜は俺が仕事だし、ちょっとキツいな」
うちの嫁さんは、日曜日は猫になってしまう。尻尾が二股に分かれているのを見つかってはいけないので、基本は自宅きんしんだった。
「なにを言うんです。金曜、土曜でいきますよ!」
「えっ、週末にそんなまとめて休みとれるのか。年末も近いこの時期に?」
「フッ」
あ、なんか「やれやれだぜ……」って顔された。
「仕事なんて関係ありませんがにゃ。旦那さんにスキーを教えてさしあげなくてはいけませんの」
「現実を見ようか」
どうやら休みは取れそうにないようだ。
「仕方ありませんね。旦那さんが無残に尻もちをついて、そこに颯爽と現れた奥様が、あなた大丈夫? と手を差しだして、好感度を一気にあげるイベントを計画していたのですが」
「嫁さん……そんな展開、今時アニメでも無いと思うんだ……」
というかそこまで低俗な考えを持っていたとは、さすがに予想外だった。普段はめんどうくさがりなのに、スキーに行こうと決心した理由が、実の旦那に見栄をはるためとは。正直、心配になるわ。
「あーあ、残念ですー」
「残念だなぁ」
その言葉の意味は違えど、俺たちはそろってため息をこぼした。今度の週末もまた、大差のない日常がやってくる。
ーー
うちの旦那さんは、フリーのイラストレーターをやっている。日曜日は部屋にこもって仕事をしているけれど、それ以外の日でも、とつぜん閃いたように目を開いたり、ぼーっと、空中をただ一心に眺めていたりする。
いつも、なにかを考えている。わたしが日曜は猫又になるように、彼もまた、絵描きと呼ばれる生き物に化けるのだった。
「くそー……いい構図が浮かばんなぁ……」
「旦那さん、お風呂空きましたよー。なにしてるんです?」
「年賀状」
「え?」
その日は平日の夜だった。お風呂から出てきたわたしがリビングの方に移動すると、彼は腕をくんで悩んでいた。テーブルの上には、幾枚ものハガキが錯乱している。年賀状である。現在は11月の半ばだった。
「もう年賀状、書きはじめてるんです?」
「そう。イラストを、どうしようかなーって」
「て……」
てきとうで、いいんじゃにゃい?
言いかけ、あわてて口をふさぐ。わたしの中にあるセンサーが「そこの可愛いマダム! それアウトデース! 明日のお弁当が梅干しオンリーになりマース!」と告げていた。
「て、手は大丈夫ですか? あまりお仕事にさわらない程度に……」
「ありがと。そうなんだよな。べつに仕事じゃないんだけど」
セーフ! セーフ、デース!
クリエイターと呼ばれる人の「イラッ!」ポイントを見抜いて回避に成功。ファインプレーだぁ!
脳内にいるわたしの妖精だか、小人さんだかが、一斉に立ちあがり拍手する。とかく、一般の常識にあてはめて考えない方がいい。特になんでもない一言が見事、核地雷だったりするのだから。
「でも年賀状ってさ、デジタルが全盛期になった今になって、結構バカにできない威力あるんだよ」
「ですねぇ。距離感とか空気みたいなのをよまず、とりあえず、お世話になった関係者に直接、お手紙を届けられるわけですし」
「そうそう。年賀状とか義務になってて面倒だって人がいるんだけど、言い変えたら面倒になった人がいるぶん、俺らのアドバンテージになるわけだからな。特にレーターは自分の絵を添えられるから、そこバカになんねーし」
「そういえば、最近だと、イラストレーターさんとか、マンガ家さんが、自前の年賀状イラストをツイッターとかにアップしてますよね」
「そう! そうなんだよー!」
「ひゃっ!?」
旦那さんが珍しく、大きな声をだした。
こ、今度こそ地雷ふんじゃった?
「しかもアレを、保存して、まとめたりする連中がいるだろ?」
「あ、えと、いますね」
セーフっぽい。良かった。
「年賀イラストでさぁ、他のクリエイターと自分の絵が同列に並べられて、比べられるんだよなぁ。もちろん、見てる方にはそんな意識ないかもしれないけど。俺たち自身も見るわけだから……」
〇〇よりは、上手いな。
くっ、××よりは、下手かも……。
なんだと、△△の奴、レベル上がり過ぎだろ!?
□□、去年の方が上手くね?
「つまり年明けから、早くもクリエイター同士による、生存競争が行われているわけですね!?」
「そうだ。その発端が『年賀状』なんだよ……」
「ね、年賀状コワイ……」
まさか、現代の年賀状が、イラストレーター達にとって『はたし状』的な意味を持つようになっていたとは……。
「現代の年賀イラストってさ。絵描きにとったら、新年はじめの一発真剣ガチ勝負。みたいなトコあるんだよ……いやべつに、誰かが勝負しろって言ってるわけじゃないんだけど。ツイッターなら、一般や業界関連の人まで、等しく目に映るだろ。下手すると数年前の絵が保存されてたりするしさ」
そういうわけで、旦那さんは今日も頭を悩ませている。
「旦那さんっ」
「なに」
「奥さんは、こういう時、どうすればいいですかっ」
「先に寝てていいよ。俺も適当に切りあげるから」
「あ、はい……」
現実は非情なり。それにしても、わたしの好きな人は真面目だ。色気がない。けど言い返せば、そんな性格だから今のお仕事を続けていられるんだとも思う。わたしの秘密もまた、一種の守秘義務のようにとらえているかもしれないから。
「旦那さん」
「なに?」
もう一度、呼びかける。だけど彼の瞳は一心に、四角い紙の中に取り残されている。その瞳を見続けるのは一抹の寂しさを覚える。だから伝えないといけない。少し怒らせてでも、ワガママを聞いてもらう。
「あなたが一番好きです。だから、無理しないでね」
わたしは屈んで、その横顔に、頬に、軽くふれた。いくらも気の早い、来年もよろしくお願いいたします。といった一言を、この気持ちと共に添えたのだった。
ーー