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猪口君は、少しだけ浮いている(思いつき短編)


『猪口くんは、少しだけ浮いている』

(あ、猪口くんだ)

 同じクラスの猪口くんが、誰かと話しているところをあまり見たことがない。でもイジメにあっているとか、友達がいないとか、そういう事はないみたいだ。

(というか高校入ってから、そういう事する人を見なくなった)

 県内でも割と有名どころの進学校に入ってみると、小学校、中学校までにあった、特有の〝雑多感〟が薄れた気がしていた。
 
(一人を複数で叩く私たちが正義。みたいなのは無くなったけど、その分、視界に入ると目立つなぁ)

 俺に構わないでください。不安ですから。暗にそういっている人は、机に顔を伏して眠っていたりするけど、彼はマイペースに生きている感じだ。

 休み時間はだいたい、携帯を操作している。たまに廊下に出て窓の外を眺めている。

(猪口くん、スタイル良いなぁ)

 姿勢も良いのか、普通に席に座っていても、頭の位置が他よりも少し高い気がする。ややうつむいた表情(かお)に前髪が掛かるのを、時折にひとさし指で払う。そういうのが、ちょっと絵になる。

「猪口って、結構格好良いよね」
「うんうん。でもちょっと、なんていうか浮いてない?」
「休み時間の時とか、大体携帯で音楽聞いてるよね。イヤホン挿してなに聞いてるんだろ」
「さぁね」

 かといって、べつに人あたりが悪いわけじゃない。話してみると気さくに笑う。でも、彼の周りにはあまり人が集まらない。悪い意味じゃなく、素の雰囲気がそうなのだ。

「なんていうか、喫茶店で一人、物静かに時間を過ごすお客様的な感じ。あるいは縁側に座ってるお爺ちゃん的な……」
「私的には、縁側でお茶飲んでるお爺ちゃんだわ」
「あー、それそれ。妙にシブ格好良いよねぇ」
「えぇ……それはないわ。日夏の感性って変わってるよね」
「そうかなぁ」

 ともあれ彼は、独特な空気感をまとっていた。目立ちはしないけど、一体なにを考えているのか分かりにくい。なにが好きで、なにが嫌いなのか、そういう感じだ。性格が掴みとれない。

 ――ちょっと、気になる。

 彼に抱いた気持ちのはじまりは、他の評価と変わらなかった。

ーー

 日夏さんは、浮き沈みが激しい女子だ。

「もうダメだー、終わったー、現国のテスト、ギリギリだったよー」
「赤点回避できたなら良いじゃない」
「そうなんだけど、んー、悔しい」

 お弁当を食べながら、自分の顔を両手で覆っていた。やや声が大きいので、近くの席で惣菜パンを食べている時に、彼女の友達と話し合う声が聞こえてくる。

「そういえば、茉奈、なんかライブのチケット応募してたってやつ、どうだったの?」
「あっ、そだそだ。今日のお昼には結果出るんだった。でも現国が41点じゃダメだー」
「現国の点数はべつに関係ないでしょ……ってか41点かい」

 日夏さんと一緒に座っている女子と同じことを思った。あまり盗み聞きばかりしてるのもどうかと思い、携帯にイヤホンを挿して音楽を聞く。窓の外をぼんやりと眺める。

(……あ、今日は少しあったかいな)

 俺は一人でいるのが好きだ。正直なところ、あまり他人に合わせるのが得意じゃない。横目で日夏さんの方を窺うと、右の拳を握りしめて振り上げていた。ライブのチケットが当たっていたらしい。現国のテストの点数との因果関係は無かったようだ。

(日夏さんって、若干面白いよな)

 本人はどちらかと言えば小柄なのに、リアクションが派手だ。あと嬉しいことがあった時は、無邪気に子供みたいに笑う。些細な仕草が、なんとなく目に入る。

(けど、そういうのは良くない)

 気持ち悪いから。中学の時は結構言われた。ただ高校に入ってからは、逆に全体的な余裕ができたのか、一人でいても過度の干渉を強いてくるような人間は減って、正直とても助かっている。

(あと15分あるし、飲み物でも買っとこ)

 なんとなく席を立って廊下に出る。目的はない。一階の自販機に飲み物でも買いに行こうと思った。

ーー

(やはり、ご近所のお爺ちゃんであったか……)

 一階に降りると猪口くんがいた。中庭付近のベンチが空いていて、一人で座っている。紙パックの緑茶を飲みながら、片方の耳にだけイヤホンを挿し込んでいた。

(なんか最近、そういうの多いよね。若返って高校生をやり直すとか、転生してべつの世界で人生やりなおすのとか)

 もしかすると猪口くんは転生者なのかもしれない。彼の前世は東北地方に住んで畑仕事をして、猫と共に暮らす私の田舎のおじいちゃんなのかもしれない。

(まだ生きてるけどね)

 ご健在ですけどね。そんな勝手な妄想をしながら、自販機に百円を入れようとお財布を開いて百円を入れようとした時である。

 ちゃりーん。

「あ」

 落ちた。するーんと、自販機の下にすべりこんだ。

(そんなベタな事があるのかっ!?)

 私は世の中に絶望した。

ーー

(……なんか、マンガとかでよく見る、地面に両手をついて、はあぁ~ってなった人がいる……)

 休み時間、あと7分。そろそろ予鈴が鳴るから戻ろうと思って立ち上がった時に、自販機の前で女子が屈んでいた。一度、左右を見た。

(日夏さん)

 よくあるセミロングの黒髪、冬服に変わったブレザーの隙間から、心なしか焦っているような横顔が見えた。なにか意を決したように袖口を手前にたたんで、素早く手を伸ばした。

(あぁ、小銭を落としたんだ)

 携帯に入った音を聞いていたから、その音は届かなかった。声をかけようか、それとも見なかったことにして立ち去ろうか。少しだけ逡巡した後に、ほとんど中身の無くなった緑茶の紙パックを持って近づいた。

「日夏さ――」
「やたー! ゲットー!」

 パッパラパッパーン♪

 そんな効果音が聞こえてきそうなポージングで、日夏さんが固まっていた。地味に満面の笑顔でこっちに振り返る。

「……」
「……」

 日夏さんの顔が赤くなる。それから無言で問いかけてきた。

 ――見た? 見てましたよね?

「日夏さん、もうすぐ予鈴なるから少し急いだほうがいいよ」
「え、あ……そうだね」
「うん」
 
 ゴミ箱に紙パックを潰して捨ててから、校舎に続く廊下を渡る。日夏さんは浮き沈みが激しく、面白い女子だった。

ーー

 私は昔から、未熟で不安定なところがあった。喜怒哀楽が激しいというか、なにか嬉しいことがあって浮かれていると、気が大きくなって失敗する。失敗したことに落ち込んで、長くひきずってしまう。

(……その割にすぐ忘れて、同じような失敗をやらかすんだから)

 バカなのかもしれない。いや、たぶん、バカだ。

(この先、何度同じようなことをするのかなぁ……)

 ため息がこぼれそうになる。

「――それじゃ、次の問い、日夏さん」
「え」
「さっきの問題の続き、英文訳しなさい」
「あ……」

 やらかした。

「……すみません、ぼーっとしてて……」
「そう。じゃあ猪口」
「はい。彼は翌日、空港の窓口へと向かった。黒人の男性に同じようにパスポートを見せて証明したが……」

 猪口くんが席を立つ。細かい文脈や発声にはこだわらず、問題として出された海外の作文を淡々と読みあげた。

「概ね正解。座ってよろしい」

 すっかり残暑も過ぎた秋の夕暮れに、ジリッとした恥ずかしさが内から広がって、なんか軽く死にたくなった。

ーー*

「日夏さんって、単純で子供っぽいよね」

 中学の時、クラスでも人気のあった子に言われた。教室の扉を一枚へだてた向こう側、開こうとした自分の手が止まった。

(――あぁ、やっぱそうなんだ)

 綺麗に目立つ同級生から言われて、むしろ納得できた。机の中に忘れていたノートを取らずに引き返し、明日の授業どうしようかなと考える。その一方で、これからも付き合っていくことになる、自分の性格にウンザリした。

(この性格、大人になっても治らないんだろうな)

 嬉しい時は喜ぶけど、調子にのって失敗する。失敗したら引きずってイジける。連鎖的に失敗する。それをようやく乗り越えた時には、失敗をすっかり忘れて、いつかまた火傷する。

 根本的に、このループから抜け出せないのだ。一生。

 傷心のまま、放課後のマックに寄った。親友の友香ちゃんと一緒だ。Sサイズのシェイクをそれぞれ一つ、Lサイズのポテトを一つ頼んで、二人で摘まんだ。

「はぁ……もうダメだ……私、終わってるよ、友ちゃん……」
「昼休みの時は、ライブのチケット当たった、私の時代が来たぜよって叫んでたのにもう終わったんかい」
「それは別だけど、基本的には終わったよ……」
「ウザいわ。はよ立ち直れ」

 率直に叩き切られた。悲しい。

「はぁ……私に5億ぐらいあったら、友ちゃんを一生側において、メンタル調整してもらうのに」
「いきなり何なの」
「ほら、私って浮き沈みがはげしーじゃん。だからこー、常にニュートラルでいられる様に、便利な人を雇うっていう」
「日夏、5憶で私の一生を買えると思っているのかしら?」
「じゃあ10億だすわ」
「ナメてんの?」
「マジで……15億」
「先払いでナゲット一つおごってくんない?」
「チケット当たったから、今手持ちが無い」
「帰れ貧民」
「ひどー」

 私は切実に求めていた。

「15億以下、ただし支払いを無期限まで延ばせる、生涯のメンタルバランサーを求めています……」
「どこの神?」

ーー

 翌日の昼休み、猪口くんは変わらず少し浮いていた。窓際の席で、携帯から繋いだイヤホンを耳に挿して、のんびりと惣菜パンを食べていた。

 猪口くんは細い。お昼はそれで足りるんだろうかと、また少し気になってしまう。それからどんな曲を聞いているんだろう。もしかして偶然、趣味があったりしないかなーとか思っていたら、

「猪口~、また例のやつ聞いてんの?」

 チャラい茶髪の男子がやってきた。顔はけっこう格好良い。ただ一応は進学校だ。上級生なら見かけることもあるけども、1年の時点で髪を染めた格好は浮きまくっている。確かこの前、停学になっていた。

「小崎のやつ、相変わらず目立つわね」
「うん、そうだね」
「アレはアレで度胸あるわ。アホだけど」

 離れた席でお弁当を食べていたトモちゃんが、容赦なく切り捨てた。それはともかく、

「いや、この前のリストから結構変わったよ」
「え、マジでか。新曲入荷かよ。オレにも聞かせろよ」
「いいよ」

 小崎くんが、猪口くんの趣味を知っているところが気になる。

「サンキュ。ってかお前、昼飯がおにぎり1個と、パンの2個って、それゼッテー足りねーだろ」

 それ私も思った。って言いたい。

「午後に体育無かったら、コレで持つよ。俺帰宅部だし」
「マジか。燃費良いな。んで新曲どれ?」
「ちょい待って。――コレとか」
「お、イイじゃん」

 私も聞きたいです、ぜひ。って言いたい。というかもしかして、猪口くんは趣味で楽曲をしちゃったりするんだろうか。お隣のチャラい小崎くんとバンド組んでたりするんだろうか。

(――気になるなー)

 単純に、気になる。
 同じ誰かのことを考え続け、なんとなくその横顔を視界に入れる。

 ほんの少しだけ浮いている彼の携帯の音楽を、いつか私も知れたらいいなと思った。今日もまた少し、気持ちが浮いた。

ーーとりあえず(了)

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