「咲坂さんは恋愛の神かもしれない」
意中の相手に告白する直前、私の両手を握って拝んでおけば、無事に両想いになれるという。ありがた迷惑な噂が広まったのは、私が小学生の頃だった。
「みっちゃんっ、アツシ君と両想いになれたよっ! 本当にありがとう! 拝んどいて良かった……っ!!」
小心者の友達が、満面の笑顔で報告に来たのをキッカケに、地元の小学校と、中学を卒業し、高校生になった今でもその噂は途切れることはない。
毎年何人か、噂を聞きつけた知り合いから、まったく面識のない女子までもが「咲坂さん、私これから告白するんです。お手を拝借させてください!」とか言ってくる。
――正直、私は恐ろしい。
毎回「なんの根拠もないから期待とかしないで」と言っているにも関わらず、事後報告にやってくる女子たちは「告白成功した!」と嬉しそうに告げて来る。
いつからか、この行為は一部で「握手会」と呼ばれる様になった。
意中の男子とラブラブ()になれた女子は、私を恋愛の神のように称えて崇める。
「恋愛成就の祈願、成功を感謝いたしますわ。さぁ、これが今月の奉納物ですわ。遠慮なさらずお納めくださいませ。咲坂神よー」
女子高生の財布の中身は有限である。マックの百円割引券から、図書カード、地元ショッピングセンターの商品券など様々な奉納物が月末の給料日の様に捧げられる。
奉納が途絶えた女子には、色々と理由がある。
単純に「思っていたよりダサかったから別れた」というのが最も多く、あるいはしたたかに、べつの相手と二股をかけ始めていたりする。平たく言えば「この物件飽きたからもういいや、次」だ。
私の両掌には恋愛成就の効果がある――のか、実際の根拠はないのだけど、少なくとも恋の継続に、期限が付いているのは確かだった。
ーー
「みっちゃんは、好きな人いないの?」
その疑問を投げてきたのは、私の幼馴染だった。カラオケボックスの中、高校の教科書と参考書を広げ、机の上には〝奉納物〟のサービス券で購入したフライドポテトと、ソフトドリングが並んでいた。
画面にはアニソンのPVが自動再生で流れている。音量は最小限にしているし、私に至ってはむしろ、イヤホンで自然環境音を聞きながら、英語の課題をこなしていた。慣れると図書館よりも集中できたりするものだ。
カラオケの使い方を間違っていると言われても致し方ないが、奉納物の期限が平日の今日までだったので、せっかくだから使い切っておかねばと思った次第だ。
「ねぇ、みっちゃん、無視するなよ~」
「いないよ。うるさいなぁ」
「あはは。カラオケでうるさいって言われるとは思わなかったー」
咲坂みちる。それが私の名前だ。そして私の両手に『握手会』という名のビジネスを設立させて、もくもくと遠慮なく冷めたフライドポテトを食い漁っているのが、綾里まち。
みちとまち。名前が似てるねというのがキッカケになって、友達になった。そして最初の恋愛成就の体験者が、まちだった。
「本当は無理とかしてない?」
「無理って何が?」
「だからぁー、ほら、みっちゃん、今は一部で恋愛の神とか言われてるじゃん?」
「マチのせいでしょうが。握手会とかいう呼称が広がって、いつか嘘がバレたらどうすんのよ」
「嘘じゃないじゃん。今のところ成功率100パーでしょ」
「だから、ただの偶然なんだって……」
「そうかなぁ。でも恋のキューピッドっているじゃない?」
「矢を打たれたら相手のことが好きになる?」
「そうそう。アレも一見、なんの必然性も無いでしょ。天使の矢で打たれたら相手を好きになるなんて、よく考えたら怖くない?」
「つまり、なによ」
「みっちゃんは恋の天使ってことだよ。だけど、私思うんだよね。天使は人の願いを叶えるけれど、天使自身の仕事はそれだから、もしかすると、恋ができないんじゃないかって」
「べつに、私自身は今すぐ恋をしたいとは思ってないから」
「うん。だからそこ、無理してないかなーって、思った」
「そう思うなら、握手会とかいう噂を広めた責任を感じてくれない?」
「いやぁ、でもそれだとこんな風に、放課後に週一で、カラオケボックスとかファミレスでご飯食べながら勉強できないっしょー? 私日曜はアツシの試合の応援とか、デートで忙しいしー」
「……」
私の経験から言おう。友達は、ちゃんと選んた方が良い。
ーー
その昔、自分が上手くいったからって、ヘンな噂を広めるのはやめてよ。小学生の時、マチに伝えると笑って返された。
「なんで? みっちゃん普段目立ってないし、問題なくない?」
本当に分からない。といった感じで、さらりと言われた。当時小学生だった私は、素直に友達やめようと思った。
「みっちゃん、結構カワイイのに。いつも下向いてボソボソ喋ってる感じでしょ? もっと目立っても良いと思うんだよねー」
当時のマチを表わすなら「遠慮忌憚のない子、空気の読めない子」だった。クラスの女子の間でも結構毛嫌いされていた。
だけどマチの両親は美容師という、女子が憧れる職業の一つに就いていて、両親は綺麗で格好良くて、マチ自身の容姿も優れていた。
彼女が持っている武器は、私たちが日頃から憧れて、手に入れたいと思っている物だった。だからマチには敵も味方も多かった。
逆に私はどこをとっても平均的で、それまでほとんど、自分の意見や主張を口にした事が無かった。
「皆もさぁ、自分の恋が叶うと嬉しいと思うんだよねぇ。みっちゃんもそう思うでしょ?」
「だけど失敗するかもしれないよ。失敗は怖いんだよ。大体それで私のせいだって言われたら、どうすんの」
「大丈夫だって。任せて。その時は私が文句言ってあげるから!」
「……」
いやだから、そういう状況を作ってんのはアンタでしょ……。
そう言いかけたけど、コレは絶対に伝わらんというのが分かって、小学生の私は「あきらめる」という事を選択した。
以来、私たちの腐れ縁的な関係は続いている。マチが勝手に広めた『握手会』の噂を聞きつけた女子たちが、今も私の下にやってきては両手を取って握り、この恋が叶いますように。と、両目を強く閉じて念じるのだった。
幸いなことに、今はまだ、誰からも訴えられたりはしていない。
「――おーい、みっちゃん、どしたの?」
「ちょっと回想に耽ってたわ」
「そうなんだ。そろそろ利用時間来るから、帰ろうよ」
「うん、分かった」
私たちは教科書を鞄に戻し、カラオケボックスの席から立ち上がった。
「それで、みっちゃん」
「なに?」
「本当に好きな男子とかいないの? 私、応援するけど」
「これ以上、ヘンな応援とかしないでいいですから。そもそも、好きな相手がいないし」
「そっか。あのね、もし私のせいで、みっちゃんが恋愛できなかったりするんだったらヤだなーって思ったの。唐突に、こう、閃いた」
「誰も求めてないから、マチの閃きは」
「ひどいなー。みっちゃんはひどいなー」
「はいはい。私はひどい奴ですよ」
鞄を持って部屋を出る。マチは早速、片手に携帯を握って、何気に小学生の頃から続いている彼氏にメールを送っていた。
その横顔を、私はいつも隣で眺めている。
胸が微かに痛くなる。
マチの言う通り、恋愛成就の両掌は、私の恋を叶えてくれない。
/END.